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37話 最初の試練と少しの未練。


 静かにそして厳かに、琥珀色の液体で満たされたカップを手に取る。

 俺はそれに口をつけると僅かに傾けて味と温度を確かめる。唇と、そして舌で味わい、少しだけ目を閉じる。


 資料室に墨桐が来るようになって一日目。

 この資料室のメンバーに新しく加わった者が最初にすることは、俺の代からずっと決まっていることだった。


「……0.5℃高いな」

「1℃以下の精度を求められるの!?」


 俺の目の前、何故かメイド服を着せられている墨桐は抗議の声を上げた。

 何故そんなものが資料室にあるのかは知らないが、実はこのメイド服、この場にいる女性四人分のサイズが全て奥の資料準備室に揃っている。ハルカゼが魔王を着せ替え人形にしていたころに集めたものらしいが、そんなに短時間で集まるものなのか、メイド服って。

 というわけで、同じようなメイド服に身を包んだアリシアが、墨桐の淹れた紅茶を見ながらしたり顔で頷いた。


「いや、それにしても見事でありますよ? 私など、最初は0.7℃の誤差でありましたから!」

「判定厳しすぎるでしょう!? これってハルハルが飲むんだよね!?」

「……この資料室でハルカゼの権限は絶対だ。口を慎め、墨桐。最終的には0.01℃まで拘ってもらうからな」

「そんなに厳しい集団だって聞いてなかったんだけど!? 大体ハルハルが紅茶の温度が高い低いとかで文句言うような子だとは思えないんだけど!?」


 墨桐がハルカゼの方を向いて言うと、黒歴史を掘り返されたせいで顔を真っ赤にして机に突っ伏している。

 何かそういう意図はなかったんだが、墨桐を利用した間接的な羞恥プレイみたいになったな、結果的に。


 俺は小さく溜息を吐きながら首を振り、真剣な顔で墨桐の目を見て言う。


「……違うんだ、墨桐。ハルカゼが文句を言うか言わないか、じゃないんだ。この資料室のメンバーに入った、ということは……墨桐、お前もハルカゼの友達になったわけだろう」

「えっ……トモダチ……う、うん」


 何だよその異常に嬉しそうな顔。表情に嬉しさを隠しきれてないぞお前。

 後友達って言葉の言い慣れてない感が非常に哀愁を誘ったが、真面目な顔を崩すわけにはいかないのでそのままの流れで続ける。


「その友達に、最高の紅茶を飲ませてやりたいと……お前は思わないのか」

「お、思う……思うわ、あたし……!」

「そうだ……! その心こそが、慈しみの心であり、俺達勇者に必要な優しさなんだよ、墨桐! よし、温度は適度に下がっただろうから、次は砂糖の数だ、さあ、墨桐……! ハルカゼに何個入れたらいいか聞いてみろ!」

「ハルハル! トモダチのあたしは、砂糖は何個入れたらいいかな!」

「に、にに……二個半、です……」

「半って何!? 半って!?」


 どこかで見たような墨桐のリアクションに、今度こそ完全に机に沈没するハルカゼ。うわあ、俺多分今凄い良い笑顔してる。

 まあ、こうやって冗談にしてしまえるほど、ハルカゼとの間に信頼関係を作れたのは俺としても嬉しいけどな。

 あの頃の歪な関係に比べたら、今の持ちつ持たれつな関係の方が百倍ほどマシだし。

 ちょっとからかいすぎたせいか手のひらの紋章がつねるような痛みを発し始めたので、俺は苦笑しながら墨桐に言う。


「基本は、手の空いた奴がやるから、茶葉とかの場所だけは覚えとけよ。俺が居ないときに何か飲みたくなったら自分で作って飲んでいいし」

「おっけー。って、ここって資料室なのに、簡易キッチンと冷蔵庫まであるのね? 何か変な部屋といえば変な部屋だけど」

「……こ、ここは、元々資料室じゃなかったって、聞いてます。宿直室か何かで、隣も用具室だったって、その、聞いてます」

「へー、道理で。さっきあっちの部屋見てきたらマネキンとかもあってびっくりしたしね。あ、あとハルハル、あたしに対して敬語はいいから、じゃんじゃんタメ語で話しちゃって!」

「ハルカゼからお前へはタメ語でいいけど、お前から俺へもタメ語なのはツッコんでいいのか?」

「固いこと言いっこなしよ、先輩。だってあたしたちトモョダチだし!」


 ついに噛んだぞ、四文字の単語を。どんだけ言い慣れてなくて、どんだけ言いたいんだよその単語。

 背中をバンバンと叩いてくる墨桐に、一気に資料室が騒がしくなったのを感じ、俺は嘆息する。

 上の方の棚からアリシアがコップを出しながら小さく笑う。


「この元気さは妹様を思い出しますなー、セト様」

「墨桐に比べたらもう少し大人しいと思うぞ、うちの妹は。……頭の中は別のベクトルでおかしいが」

「華やかになるでありますよ、ああいう子がいますと。墨桐殿はキャンキャン可愛い子犬のようでありますね!」


 ……今の発言は『本年度お前が言うな大賞』にノミネートしておく。

 あと今年度半分以上残ってるけど多分覆されないだろうな。


 墨桐がトレイに紅茶とコーラとカルピスを乗せて皆へと配って回る。ハルカゼに最初に紅茶を出し、アリシアにコーラを手渡し、魔王にカルピスを渡そうとしたところで、手が止まる。

 そしてそのまましばらく硬直してから、俺の方を解せぬといった顔で見てくる。


「……そういえば、今まで聞いちゃいけないのかなとか思ってスルーしてたけど、この子について聞いていいの、先輩?」

「いいから早くカルピスを寄越さんか、メイド」


 面倒臭そうにソファから腰を浮かし、魔王が墨桐のトレイのカルピスを奪う。

 聞いていいのというか、まあお前もレベルとクラスが見えているんなら、それは見た通りの魔王(サタン)レベル1なのだが、どう説明したものか。答えあぐねていると、怖いもの知らずの異世界の勇者は、カルピスに口をつけようとした魔王の頬を突き始める。


「……この子、魔王なのよね? クラス表示通りなら」

「まあな」

「もしかして、先輩が召喚された世界の魔王なの? こんな可愛い女の子が? なんでこっちの世界に居るの?」


 頼むから質問は一つに絞ってくれ。疑問に思ったことを片っ端から並べていくな。

 まあ、一応説明はしておかないといけないだろうなと思っていたので丁度いいので経緯を説明することにした。


「概ねその通りであってるよ。事情はちょっと込み入ってるけどな」

「へえ……勇者が魔王を倒さずに普通に一緒にいる理由って、ちょっと分かんないわね? ふーん、こんな幼女が魔王な世界もあるんだ……」

「姿が幼女なのも最初からそうだったわけじゃなくて……色々あったんだよ。元々、俺は異世界を救う前にハルカゼにもう一回こっちの世界に召喚されたんだ。その時に一緒についてきて、レベルを1に戻されて、幼女になったのがそこの人畜無害な魔王だよ。一応、何だ、ハルカゼの制御下にあるので無害ってことになってる」

「よし、把握した。樫和木オーマちゃんだっけ、この子は元魔王の可愛い幼女ってことね! よろしく!」

「……カルピスの温度が丁度いい。作りなおせ」

「可愛くねー! えっ!? しかも丁度いいなら作りなおさなくていいんじゃないの!? 何で!?」


 多分魔王にとっては恰好の玩具が一個増えたような感覚なんだろうな。その一つに恐らく俺やアリシアも入っているので笑うに笑えないが。

 何でよ何でよと呟きながらカルピスを作り直すメイド姿の墨桐に、俺は気になったことを尋ねる。


「そういえば墨桐、お前の世界にも魔王っていたんだよな」

「居たわよー、倒したって説明したと思うけど」

「……興味本位で聞くが、どんな相手だったんだ?」

「なんか冴えないおっさんだったけど、実際にあたしと戦ったときは大きな龍の姿だったかな。結構強かったけど、あたしも仲間もそれに負けないくらい強かったから、サクっとやれたわ。友情・努力・勝利よ」


 異世界にジャンプした俺達にふさわしい三つの単語だ。そのうち一つには余り縁のない勇者が、しかも二人もこの空間に居る気がするが。

 昨日の手合わせで墨桐の大体の実力は把握していたので、サクっとやれたという表現もあながち間違いではないだろう。それに、話を聞いているとあちらの世界で墨桐を召喚した体制の方が、俺達の異世界よりも更に協力的であり、スムーズに事が運ぶような世界であるように思える。

 それ以上に、恐らく墨桐自身の勇者としての適性は俺より高いのだろう。早熟なタイプのレベルアップ曲線を持っていたのか、早くからその才能で冒険を進めていた匂いがする。元々、オリジナルの呪文の詠唱を考えるような女だしな。そりゃ生き生きと世界の一つも救うだろうと思う。


「あいつらバカよね。四天王を弱い方から一人ずつ送って来るんだから」


 ……全異世界共通なのかよそれ。


「一気にあたしたちに向けて送り込んできたら流石に危なかったかもしれないのに、きっとあいつら、一番弱いやつがやられたとき、あいつは四天王の中で最弱とか悠長なことやってたのよ多分」

「……一気に……その手が……ッ!!」


 墨桐の言葉にショックを受けている魔王がいて、頭痛がした。

 お前ら四天王がいたらそれやらないといけないルールでもあるのかよ。

 横からアリシアがコーラをちるちる飲みながら口を挟んでくる。


「では、私やグラッド殿のような勇者の仲間も、墨桐殿にはいらっしゃったということでありますな」

「うん、もちろん。頼りになる仲間だったわよ、あたしの誇りと言っても過言じゃないわ」

「……何やら、何故か私が照れるでありますな」


 本当に何故かだよ、何でお前が照れる。少しだけ頬を紅潮させて俺の方を見てくるアリシアに眉根を寄せる。

 ただ、俺がそうであったように、必死で何かを成そうとする人間には、自然と人は着いてくるものだ。俺や墨桐がこちらの世界で友人が少なめ、そう、少なめであるのはそういった努力をこちらの世界に居たときに放棄してきたからに他ならない。

 それを証拠に、自分から動き始めた今、俺の回りにはそれなりに信頼出来るやつらがこうやって集まって来てるしな。人生ってやれば失敗するかもしれないけど、やらないと失敗すら出来ないものだ。


 墨桐はカルピスを混ぜながら少しだけ苦笑をした。


「ほんとはね。こっちの世界に戻って……本当に普通の女の子として生きようと思ってたんだよね。でも、何かちょっとやっぱり、あたしが異世界に居た意味っていうのを、どうしても考えちゃって……だから、まあ、こっちの世界で何かあってるんなら、力くらい貸してやってもいいかなって! そう思っちゃったりしたわけよ!」


 照れ隠しなのか後半真っ赤になりながら無理やりテンションを上げて言う墨桐。

 分からなくもない。力を持つものに課される責任っていうのは、それなりに重い。天秤の反対の皿にその力の所持に対する許可が乗っている以上、その二つは不可分である。


 そういう義務感を抜きにして考えても、救った世界への愛着というものは戻ってきた後も捨てきれないだろう。

 俺は今でこそ必要を以ってセーナを使って異世界と通信を取っているし、こちらの世界に来てしまった仲間が居るから必要以上の寂しさを感じることはない。が、やはり異世界を救ってこちらの世界に帰ってきて、一切通信が取れない状態になっていたら、寂しいと思うだろうし。


「……いいだろ、すっきり忘れなくても。本来なら誰にも理解されない偉業なんだろうし、そういう意味ではこんなに近くに同類が居たことは俺も嬉しいからな」

「そうね。凄い偶然だと思うけど、それを齎してくれたのがハルハルが先輩を呼んだことだっていうなら、あたしはハルハルにも感謝しなきゃね。良かったらあたしを召喚してくれても良かったのに!」

「えっ、えっ、ごめんなさい!」


 速攻でフラれてんじゃねーか。多分墨桐が俺の代わりに召喚されていても、実力的には問題なかったとは思うけどな。

 ただその場合、ハルカゼは恐らく俺のとき以上にドSキャラを維持出来なかったと思う。かなりの確信を以って思う。


「……えっと、その、私も、あのときセトさんを呼び出せて、良かったと思ってます、から」

「そっか。良かったわね、ハルハル! めっちゃ人がいいぼっちを召喚できて!」

「――めっちゃ人がいいぼっちチョップ」


 めっちゃ人がいいぼっちチョップは墨桐の脳天に突き刺さり、へぐぅ! という悲鳴を上げさせた。

 ……女子力の欠片も感じられない悲鳴だな。

 その様子にハルカゼも少しだけ打ち解けてきたのか、口元に手をやって微笑んだ。


 この世代の女の仔同士の友情がどういうものかは分からないが、もしかしたらいいコンビになるのかもしれない。

 それこそ、凸凹な感じだし、ハルカゼにない積極性が墨桐にはある。

 そして勇者としての実力もあり、魔王から弄られキャラの称号をもらった上、今日晴れて紅茶を淹れるデビューも終えた。


 おや。

 俺、もしかして今この資料室で一番要らない人になってるんじゃないだろうか。

 俺が居なかったら、女の子だらけのお花畑みたいな会話が繰り広げられるんじゃないだろうか。

 一瞬そう思ったが、俺の中の何かが「女の本性をお前は知っている……」「女子会の真実を見たはずだ……」と囁き掛けてきた。

 ――やめろ……! 俺に性別が変わっていたときの真実を思い出させるなっ……!



「……どうしたの先輩、病気? 発作?」

「だ、大丈夫ですか……?」


 後輩二人が心配そうに顔を覗きこんでくる。

 ああ、そうだな。もしかしたら、職業病かもな……。

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