34話 その少女は、満面の笑顔で突然現れる。
「――入部を希望するわっ」
……ノックに応じて、俺が資料室の扉を開けると、目の前に見知らぬ少女が立っていた。
勝ち気な釣り目と、俺の召喚主である桜倉ハルカゼより少し高い身長の少女が、胸を張って堂々と入部届を差し出してくる。
その、余りにも自信満々な姿に、俺はその入部届を受取る。
――名前欄には、1ーB、墨桐ニカと、かなりの癖字で書き殴ってあった。
相変わらず知らない名前だし、しかも俺達はそこで部活をやっているつもりはなかったので、その墨桐とやらに言う。
「……何部に?」
「それは、よく知らないけど、ここで貴方達は集まってるんでしょう? それに混ぜて欲しいのよ」
「混ぜて、って言ってもな……」
……俺は振り返り、資料室の中を見る。
資料室の中心では、相変わらずハルカゼが机に座って顔が隠れるような大きな魔導書を読んでいるし、ソファではだらしなく樫和木オーマと書類崎アリシアが口を開けて寄り添って寝ている。俺にしたって特に何をしていたわけでもなく、本来ならハルカゼに与えられた書庫整理をしていただけで、特別なことはやっていない。
そこにいる人間が、異世界の住人と、それを呼び出した召喚主であること以外は、どこにでもあるダラダラとした集まりである。
前回の『世界の危機』から、既に一ヶ月近くが経っているのだから、気が抜けるのも理解出来ないことはない。
俺は再び、墨桐を見る。
やはりどこか自信満々に胸を張り、当然自分がその仲間に入れるような顔で俺を見ている。
何故か、その顔や仕草に、俺は少しだけ親近感が湧く。……何故だろう、完璧に初対面なのに、初めて会った気がしない。
「よし、分かった。ただ、正確にはこの集まりは部活じゃなくて委員会になるので、入会届を持ってきてほしい」
「分かったわ、入会届ね。それって何処で手に入るの?」
「入会届か、そうだな……そこの廊下を真っ直ぐ行って突き当りに、階段があるからそれを下に向かって降りてくれ。一階に降りると玄関口があるから、そこで靴を履き替えて、コンビニで適当なお菓子と炭酸飲料と雑誌を買って家で食べながら読むといい」
「……帰ってるじゃないそれ!? もう今日は外出しないぞーってくらいガッツリ帰ってくつろいでるじゃない!?」
途中まで真面目にメモまで取っていたのだが、俺が帰らせようとしていることに気付いたのか、むきーっ、と大きなリアクションを返してくる。
なんだろう、こいつ、すげえ面白い……。
俺の中のドSが目覚めるような予感に打ち震える。
元々芽生えていたドMのスキルと競合しないもんなんだな。いや、俺はドMではないが。
墨桐は俺が無言でその新しい感覚を反芻していると、それを拒絶として受け取ったのか両手を合わせて俺に向かって拝んでくる。
「お願いっ、仲間に入れてよ……! ねっ、葛切先輩!」
「仲間に、か……? うーん……」
「どうしてもダメ? 三回回ってワンって鳴くくらいならするわよ!?」
プライドのプの字もねえ。あと発想が微妙に貧困すぎる。女子高生の発想じゃないぞそれ。
……ダメだ、この墨桐っていう女の子、動作にしろ言動にしろ、全てが面白い。
俺は完全に彼女という存在がツボに入って、必死で笑いを堪えながら言う。
「じゃあ、そうだな……犬の鳴き真似じゃなくてウサギの鳴き真似してくれ」
「う、うさぎ!? ぴょ、ぴょーん? ぴょーん! ぴょん?」
擬音じゃねえか。飛翔音じゃねえか。
「次はキリンの鳴き真似を頼む」
「キ、キリン!? キリンって……キリィィーン! キリィィーン!」
ポケットに入るモンスターかお前の中のキリンは。
「よし! 最後にシマウマを頼むッ! 墨桐ッ!」
「よっしゃー! シーマシマシマシマッ!!」
――俺は確信する。
目の前の少女の素性もここに来た動機も何も分かったものではないが、一つだけ理解出来たことがある。
――墨桐ニカは面白い。
こいつ、煽てたら多分天まで登るタイプの女の子だ。
俺のムチャ振りに対して全力でシマシマ楽しそうに鳴く目の前の少女を見て、俺は少なからず感動を覚えていた。
後ろを振り返り、魔導書に視線を落として関わるのを避けていたハルカゼに向けて、いい笑顔で叫ぶ。
「ハルカゼ、ちょっと俺、飼いたい動物がいるんだけど! 俺がちゃんと面倒見るから、頼む!」
「シマシマシマ、って、誰が動物よ誰が!」
「……あ、あの……せ、せめて中に入ってやってくれませんか……」
恥ずかしそうに魔導書で顔を隠しながら、ハルカゼが消えそうな声で主張する。
ハルカゼなら全てを言わずとも、墨桐の良さを分かってくれると思ったんだが、それは贅沢な話だったらしい。
俺が墨桐の良さを懇切丁寧に、そして分かりやすく説明しようとしたところで、俺の横で墨桐が片手を上げる。
「よっす、ハルハル」
「あ、あの、墨桐さん、お願いだから資料室の中でやって、ね……?」
「何だ、知り合いか? そういえば、1ーBってハルカゼのクラスか」
先ほどの入部届を見ながら言う。墨桐は自慢気にフフンと鼻を鳴らした。
「そうね、知り合いと言っても過言じゃないわね」
「……少しだけ、お話したことある、くらいです……他の人もいるところで」
「過言が過ぎるだろ」
ギラ系の魔法をお前に撃ってもハルカゼには当たらんわ。同じグループの中にも入ってないだろ。
ただ、名前と存在は知っているような雰囲気に、何故この少女がここを訪ねてきたのかは大体分かった。
分かったが、多分勘違いしているであろう墨桐に向かって、俺は溜息を吐きながら言う。
「さっきも言ったけど、ここで別に部活をやってるわけじゃないぞ。それに、委員会もハルカゼは図書委員だが俺は飼育委員だし、他の二人に至っては委員会にも所属していない。だから委員会とか関係なく、ここには勝手に集まってるだけなんだが」
「ハァ!? じゃあなんでさっき動物の鳴き真似させたのよ!?」
「いや、だから俺、飼育委員だから」
「関係ねー!! 超絶関係ねーわよ!?」
大声でツッコんでくれる墨桐。……いい。こいつとなら世界狙える気がしてきた。
ちなみに、うちの高校は動物を飼っていないし、もちろんクラスで動物を飼っているようなこともない。
だから、俺が飼育委員を割り当てられた理由は、もう言わなくても分かるな。うん、分かってほしい。
「……それに、何か活動をしてるわけでもないし、居ても暇するだけだと思うぞ」
「別にいーのよ。それでも、ただ、混ぜてもらいたいってだけだから」
意思は強固らしく、どんなにふるいにかけようとしても必死にしがみついている感じだった。
元々、ハルカゼが俺を召喚し、嫌々彼女の紅茶を淹れていたことから出来た集まりだったが、今は割りと楽しくやっていた。『世界の危機』が訪れたときは一応の会議室代わりになっているし、そうでなくとも異世界の情報を共有しておきたい面子と連絡を取り合う場所としても重宝している。
何か問題が起こったときに即座に集まれる場所があることはいいことだった。
ハルカゼは少しだけ困った顔をして、魔導書を机に置き、俺の顔を見る。
……大体、言いたいことは分かる。
この集まりに参加してしまえば、彼女も危ない目に遭うかもしれないって言いたいんだろ?
少なくとも『世界の危機』の話は少しだけしづらくなるだろうし、もし所属を許したとしても、その話だけは墨桐に伝えないようにするというのは、ハブみたいで気が進まない。これは、実際にハブにされたことが一度や二度じゃない者だけが分かる悲しみだった。
クラスで三人組以上の集まりを必要とする授業を平気で行う教師に、呪いあれと思う。
まあ、ハルカゼの口からは言いにくいだろうから俺が悪役になるか、と溜息を吐き、墨桐へと向き合う。
「……だらだら紅茶飲んでるだけだぞ?」
「いいじゃない、あたし、紅茶好きよ?」
「ただし――死と隣り合わせでな」
「えっ!? 何で!? ここで紅茶飲むだけでしょう!?」
「例えば、だ……今あそこで魔導書を読んでいたハルカゼが、紅茶を飲んでいる途中で、おもむろに窓の外に飛び出したとしたら。或いは、いきなり核ミサイルがこの教室に撃ち込まれたら。大気圏を突破してきた隕石がこの教室へと炸裂したら……そこにはどれも、非業なる死が待っている。――それは、死と隣り合わせだと言えないか?」
「広っ!! 死と隣り合わせになる範囲広っ!! そんなこと言ったらどこでどんなことやってたって死と隣り合わせでしょう!?」
「――お前はこの集まりに所属して、紅茶を飲むことで死ぬことはないと、誓うことが出来るんだな、墨桐!!」
「出来るわよ!? あたしじゃなくても大抵の奴は出来るわよっ!?」
勢いで押し切ろうとしたが、無理だった。クソ、こいつ中々手ごわい。
もう少し頭の出来が悪い相手ならば、その死の恐怖に怯えてこの集まりになど参加しないだろうに。
「……そう、だったんでありますか……! セト様……!」
「貴様……やけに最近は喜んでカルピスを出すと思ったら、余らの背後に迫るその死の影を見据えていたというのか……!」
ソファでのうたた寝から目覚めたうちが誇る頭の出来が悪い側の二人が、わなわなと身体を震わせている。
華麗にスルーをしていいところだと思ったので、俺は墨桐に向けて言う。
「……じゃあ、こうしよう、墨桐。右手で自分の右腕の手首を掴めたら入っていいぞ」
「本当? そんなの楽勝だけどいいの?」
自分の右手で右腕を掴もうと手首を捻り始めた墨桐を尻目に、俺はハルカゼの元へと近寄る。
「どうするんだ。……多分、言わなくてもどうしたいかは分かってるが」
「そう、ですね……その、きっと墨桐さんは、私達の活動の内容とか知らずに、来ているんでしょうし……またいつ『世界の危機』が訪れるか分からない以上、お引取り願ったほうが……」
「……なんか、悪いな、同世代の女子が折角訪ねてきたのに」
「……せ、セトさん、もしかして私がお友達のいない、はいぱー寂しい女の子だと思ってます……?」
いや、何かちょっと来客があってテンションが上がっているように見えたからだが、気のせいならいい。
良かった、友達のいないハルカゼはいなかったんだ、っていう美談で終われるなら俺はそれでいいんだ……。
「分かった、んじゃ、ちょっと多少強引にでも引き取ってもらうか」
「い、息を、ですか……?」
「何も殺さなくてもいいだろ……!? 何で殺す方向になった……!?」
滅茶苦茶怖いことを言い出したぞこいつ。今の文脈のどこを取って死なせる結論に辿り着けるんだよ!
「ちょっと、殺すとか聞こえたけど、物騒ね!?」
必死に、自分の手首を掴もうとして面白い姿勢になっている墨桐が、顔を真っ赤にして逃げまわる自分の右手首を追いかけている。
うわあ、こいつ本当に面白い。こんな形でなかったら、絶対お友達から始めてお友達で終わらせてもらってたんだけどな。
俺は非常に残念だが、マイ・マスターの決定は絶対の従者であるため、一般市民を危険に巻き込むべきではないという判断を以って、墨桐へと言う。
「墨桐、悪いけど、俺達の集まりって、ただの紅茶飲みの会合じゃないんだよ」
「知ってるわ。――『世界の危機』に対抗するために居るんでしょう?」
――さらっと。そして、しれっと。
右手首を追いかけたまま、墨桐ニカはその言葉を口にした。
意外な相手から意外な言葉が出たところで、俺も、ハルカゼも、魔王も、アリシアも、入り口で変な体勢になっている墨桐を見る。
墨桐は見られているのにも構わず右手首を追いかけていたが、やがて怒りの形相で諦めたように右手を振った。
「これ、無理なんじゃないの!? 人間の身体の構造上、無理なんじゃないの!?」
「……いや、ちょっと待て。……墨桐、お前それ誰から聞いた?」
「誰って、別に誰でもないわよ。あたしがそれを知ってるって、そんなに変?」
……率直に言えば変どころの話ではなく、異常事態だ。
特に隠しているわけでもないが、隠す必要がないくらい荒唐無稽な話だし、俺達がこの部屋に集まって『世界の危機』を相手に奮闘していますよなんて知らない人間に説明すれば、確実に変人扱いされるだろう。
事情を知らない人間にとってはそれくらい『世界の危機』は縁遠いものだし、実際に目の当たりにした人間でもなければそれが存在することすら信じられないだろう。
だが墨桐という少女は、それを知っているのが当たり前のように『世界の危機』と口にした。
その様子をハルカゼも、魔王も、アリシアも訝しげに眺めている以上、ここにいる誰かが教えたというわけではないらしい。
自分に視線が集まっていることに気付いたのか、墨桐は首を傾げて疑問を表現し、すぐに何かに気付いたように両手をぽん、と鳴らした。
「あ。もしかして、気付いてなかったりするの? 律儀に、見ないようにしてるんだ」
俺は言われて、すぐにそれがレベリングのことを指していると気付いた。
異世界に居たときに身に付けた、相手のレベルを調べるスキル。
普段は、他人のプライバシーの侵害になるため、使用を控えているその能力を使い、墨桐ニカを視た。
墨桐が微笑むその額には――。
――クラス・勇者そして……レベル255の表示があった。
俺がいた異世界で、俺と、魔王と、もう一人しかいなかったはずの超越者が、そこに立っている。
自慢気に、誇らしげに胸を反らして、堂々と俺に向かって言葉を投げてきた。
その笑顔が、先ほどと全く同じ笑顔であるのに、不敵に笑っているように見えたのは、彼女が超越者であると、俺が知ってしまったからだろうか。
「……あたしのことを知ったところで……ちょっと、話を聞きたくなった?」
……ああ。残念ながら、な。
俺が苦笑いと共に答えると、墨桐はにっこりと笑って、そう、良かった、と返事をよこした。




