33話 ――こうかはばつぐんだ。と、俺は思った。
ある程度は片付いてきた資料室。
いつもこの資料室の主である、桜倉ハルカゼが座って魔導書を読んでいるその席に、ポツンと蛍光マーカーが置かれている。今度はしっかりとキャップがハマった状態で。
……相変わらず、自分の得物を放り出してどこかに行くアリシアは悩ましい問題だが、それでも以前のような懊悩はなくなったようで、彼女本来の明るいキャラクターは戻ってきたように見える。アリシアが心の中に抱えていた悩みは少なくとも解決させることが出来たとは思うので、俺も一連の『世界の危機』が完全に無駄骨だったわけではないことに安堵していた。
何の収穫もなければ、ただ単に俺が女になって一人で困ってただけだしな。
男に戻ってすぐ、立ってトイレが出来るという手軽さに驚いた。女ならスリーアクションくらい必要な動作も、ワンアクションで行えるというのは、火縄銃を使ってた人間がリボルバーを与えられたような気にすらさせてくれる。男は皆、股間に銃を持っている。
何にせよ、どちらも体験してみて思うことは、男も女もそれなりに大変なことはあるが、男のほうが気楽だということだった。それは、俺が男として生まれて、今まで生きてきたからかもそう思うだけかもしれないが。
どんな形にしろ、今までの生き方を否定して新しい自分を探すというのは、結構骨が折れることではある。異世界に召喚されたときに痛いほど知っていたその事実の再確認が出来ただけでも、今回の『世界の危機』は有用な危機だった。
俺は、机の上に置いてある『クァグラム』を手に取り、指先で回す。
あのとき俺がハメたキャップと、全く同じデザインのキャップがその蛍光マーカーに被せられており、人格を持つ元神剣の蛍光マーカーは何も語らなかった。
「……今回の、本当の黒幕は、お前だったんだろ。グラム」
――俺は、駆け引きをしない。
そんな風にわかりやすく無言を貫き、事実がそうであると告げているような謎を、これみよがしに暴いてみることは無意味だと思っていた。
少し考えれば分かることだったし、いまさらそれを明らかにしたところで、全てはもう終わっている。何の意味もない蒸し返しを、暇つぶしにしているだけだ。
この辺り、恐らく魔王からの悪い影響を受けていると言える。多分だが、俺はこういうことに関しては遊びを挟まず、もう少し実直に他人と付き合う人間だったと思うが……まあ、人間の本質なんて本人にも分からないものだ。
『クァグラム』は淡く発光し、それが事実であることを無言で伝えてくる。
無口な黒幕に対して、俺は雄弁に物を語る。解決編は、スマートに、そして無駄なく行わないとならない。
「思えば一番近くにいた神剣であるお前が、自身の被るキャップが『願望器』であることに気づかないわけがないもんな。そう考えると、お前は最初から自分のキャップが『願望器』であると知っていたことになる。逆説、恐らくそれは『願望器』自身が願った内容ではなく『願望器』がそういう物であると見抜いたお前の願いを反映して、そういう形を取っていたんじゃないかと思ってる。……『クァグラム』という、蛍光マーカーにちょうど収まる、全く同じ形状をしたキャップに、『願望器』が自らの身体を変えていた理由がそれだ。お前が望み、お前が隠匿しようとしたから『願望器』はお前を依代とした」
回していた蛍光マーカーを、再び机に置く。
俺が『願望器』を『クァグラム』にハメたとき、既にグラムはそのキャップが『願望器』であることを知っていた。
知っていて、俺にそのキャップをハメさせて、常に『願望器』が自らの側にあるように仕向けた。
誰よりも早くこの『世界の危機』に気付いたのは、それをこちらの世界に招いた魔王であるが、その『世界の危機』がどういうものであるのかを最初に理解したのは、この神剣だったのだ。
俺は胸元に収まるシャーペンに対して言葉を投げる。
「そういう意味では、同じように黙っていたセーナも共犯なんだろう。グラムの思惑を知り、沈黙を貫くことで、協力をした。神剣同士で持ち手が通信を取り合うことが出来るんだから、お前らはお前らで情報を共有できる、違うか?」
『正しいな。だが、我はけして協力をしたわけではない。ただ、グラムの意思を尊重した、それだけだ』
物は言いようだな、と俺は嘆息する。
確かに、協力・反対の二つで立ち位置を分ければ、この件に関して沈黙を守り続けたセーナは、これ以上ないくらいの共犯者である。だが、協力・反対・不干渉の三つに分けるとするなら、セーナの立ち位置は不干渉に当たる。知らないことを口に出すのはただの嘘だが、知っていることを口に出さないのは罪ですらない。
相変わらず、俺の周辺は誰が味方で誰が敵なのかイマイチ分かりづらい。もう少し分かりやすい人間関係を築くことが出来たら、もっと人生って楽だったろうなと思う。
その場合、多分目の前に異世界召喚の穴が出てきても、自分から飛び込んだりしないだろうなと自分で思った。
「その無言の不干渉を以って、グラムは『願望器』を手に入れた。それが『世界の危機』であることを、薄々知っていながら、お前はそれを利用しようとした。――アリシア・ファイルカスタムのためにな」
全ては、アリシアのためだった。
グラムが『願望器』で叶えたこと……それは恐らく、今回の事件における俺達の変化の全てなのだろう。
アリシアに、騎士としての誇りを思い出してもらうために、その姿を男に変え。
魔王が、俺達の仇敵であることを思い出してもらうために、その姿を元へと戻し。
そして、何よりこの問題を解決させる探偵役として、問題を俺にまで広げるために、俺を女に変えた。
そうすることで、俺がこの問題に真剣に取り組み、早期の解決をさせるように、仕組んだのだ。
――『クァグラム』という神剣は、少しも動かず、ただ『願望器』だけを操って。
「結果として、アリシアは自分のコンプレックスを払拭し、再び己の誇りを取り戻した。ずっと、持ち手と得物として付き合ってたお前だから、アリシアが抱えている懊悩については気付いていたんだろ。だからそれをどうにかしようと思って『世界の危機』すらも利用して、お前は事を動かした。……大した忠誠心だよ。爪があれば垢を煎じてどこかの颶風剣に飲ませてやりたい」
『――忠誠心に該当する検索結果 0件』
「お前の検索エンジン、正確すぎて本気で真っ二つにしてやりたいわ」
検索範囲をお前の内部全てだけじゃなく、ネット全体に広げやがれシャーペン。
どこかにアーカイブとして残ってるかもしれないから、今すぐにインストールしろナマクラめ。
「……考えてみれば、おかしな話だったからな。海水浴の時点で、アリシアは幼女が『魔王』であるとは知らなかったんだから、それを元に戻そうと願うのはあまりに不自然だ。心のどこかで、魔王との決着を欲しているにしても、アリシアがこちらの世界でその脅威を元に戻そうと思うっていうのは、余りにおかしい話だった。だから『願望器』はアリシアの願望を実現させているのではなく、第三者が観測したアリシアの内面にある悩みを解決させようとして、願いを叶えたんだ。……つまり、お前のな」
完全に、最初から最後まで思惑通りだっただろう。
全てが手のひらの上というのは余り面白くない話だったが、妹の部屋で『クァグラム』のキャップを見つけた時点で、この事件の全容を理解していた俺は、半ば共犯のようなものだ。最後までアリシアには勘違いを貫いてもらい、アリシア自身が抱える懊悩を解消するために、利用させてもらった。
――つまりは、俺もグラムの企みを知っていながら、それに相乗りしたのだ。
そうしたほうが、この事件自体が骨折り損にならないという……他ならぬアリシアのために、わざと真実を口にせず、間違ったままで問題を解決させてもらったのだ。
これじゃ、何が悪で何が善なのか、分かったものじゃない。ただ各々の目的の交錯がたまたま一致して、形を成しただけの結末が、今俺達が立っている場所ということになる。
そういう意味では、魔王も、勇者も、神剣も変わらない。
最初から最後まで茶番だったこの事件は、皮肉にも全ての関わった人間の願いを叶えるという形で幕を引いたのだ。
『世界の危機』すら食い物にする、人間の底なしの強さが、勝利を収めた結果とも言える。
『概ね、正しくございます……』
グラムが淡い光を放ち、言葉を投げてくる。
俺は予想通りのその言葉に、指先で蛍光マーカーを弾くと、マーカーは小さく『あうっ』と声を上げた。
「申し訳無さそうにするなよ。俺も、共犯といえば共犯なんだ。……それに、お前がアリシアのためを思ってしたことを、俺が責めるわけがないだろ」
『ですが……少なからず、アリシア様にも危険が及ぶ、そういった策でありました。ゆえに、私は……』
「たまには、そういうのも有りだと思うぞ。……痛くないと、覚えないことだってあるし、躓いてみて初めて避け方が分かる困難だってあるんだからな。……お前は、持ち手のことを考えた、いい得物だよ」
『勿体なき、お言葉です……セト様』
『困難を用意して構わぬのか、主よ』
「お前は、持ち手のことを全然考えてない、どうでもいい得物だよ」
俺が正直な感想を漏らすと、セーナは青い光を放って文句ありげに言葉を漏らした。
『貴様も、楽しんでいたではないか。セト子よ』
「……お前あの状況のどれを見て楽しんでたって言えるんだよ」
『朝方姿見の前で扇情的な姿勢でしなを作って戯れていたではないか。あれが楽しんではおらぬと?』
「……それはな、己の身体の仕組みを知っておかないと、正確な鍛錬が出来ないと思ったからだ」
男の状態のアリシアへの対策を取りがてら、そういうことをしていたことは認める。ああ、認めよう。
だが、それくらいが罪になるのだとしたら、男の願望は全て罪ということになるだろ!
むしろそれくらいで留めておいた俺の理性を褒めてくれ! 女になったら何がしたいかって街角で男百人に尋ねたら、九十八人がエロいことって答えるぞ!? 残りの二人は同性愛者と修行僧だよ多分!
『随分と、厳しい鍛錬を行われていたと聞き及んでおります……その節は、ご苦労をお掛けして……』
「いや、いいよ、それも。逆に言えばそこで苦戦しない程度の実力しかアリシアが持ってなかったら、その方がショックだっただろうしな。あいつは……あいつも、俺の信頼出来るパーティメンバーの一人だ。あれくらいはやってもらわないと困る」
ただ、本当にギリギリの勝負だったけどな。
もう一回同条件でやって、勝てる気はしない。
一度限りの策が偶然成功したから良かったものの、俺自身の鍛錬の甘さも浮き彫りになった辛勝だった。
あれが俺の背中を守ってくれているということの、なんと頼もしいことか。
俺は改めてアリシアが味方であってくれたことに感謝もしていた。
『重ね重ね、セト様にはご迷惑を……』
「こんなの、苦労の内に入らないよ。しかも結果が報われたとあれば、何の文句もない」
『左様か、主よ。では、主の性別を転換せよと助言を与えた我もまた、文句を言われずに済むわけであるな』
「……ちょっと待て、その情報は初めて聞いたぞ」
……は?
というか俺の性別を転換したのは、俺を当事者にして解決役に据えたからじゃないのか?
引いては、女性の状態でも男性になったアリシアを打ち負かすことで、性差など大した問題じゃないっていうのを伝えるために、俺をわざわざ女に変えたんじゃないのか?
俺が尋ねるようにグラムを見ると、グラムは言いにくそうに赤い光を点滅させた。
『はい、確かに……セト様に、アリシア様の問題を解決していただくことは考えておりましたが、私は方法が浮かばなかったのです。なので、セーナに助言を扇ぎました』
『我は助言を与えた。常々、我は女子の持ち手を欲していることは――最初から伝えてあったであろう』
お前重要な伏線を明かす黒幕みたいな喋り方しやがって。
あァ!? じゃああれか!? 俺がこんだけ苦労して女子社会に揉まれに揉まれる事になった原因は、お前の仕業か神剣!!
『良きひと時であった。……黒髪ポニーテールの勝ち気乙女に振られるその一瞬が、我を百年の眠りから蘇らせたその意味そのものであると思えるほどに』
「そのまま永遠に眠らせてやろうか、てめえ」
『時に貴様は誰だ。何故我を所有している』
「お前の持ち主様だこの野郎!」
いい加減、マジで折ってゴミ箱に捨ててやるべきかと思った。
最悪、神剣なくても多分魔王行けるだろ。行ける気がしてきた。
持ち手の性別反転させて喜んでるような変態剣の使い手であることが、恥ずかしくて仕方ないわ!
俺がシャーペンを掴んで、窓から放り投げようとしたとき、資料室のドアが開く。
そこには、ハルカゼと、魔王と、アリシアが並んで立っていて、それぞれが手にアイスを持っていた。
……いつの間にか広がってるよ、ガリガリちゃんの輪。
俺は片手を上げて挨拶すると、ハルカゼが咥えていたアイスから口を離し、言葉を投げてくる。
「……お、遅くなりました、セトさん」
その隣から挨拶もなしに資料室へと入ってきて、ソファへと座る幼女。
このいけしゃあしゃあとした態度、マジでどうにかならないもんか。グラムとアリシアにも責任はあるが、お前も十分に犯人側の人間なんだからな?
「フン、小間使いとしては優秀であるらしい、余はカルピスを所望する、新しき四天王の一人を失ったその悲しみを、甘い飲み物で癒やそう」
勝手に自分で作りやがれ。新しい四天王作れるならカルピスくらい作れるだろ。
「セト様の分も、買ってあるでありますよ、溶けない内にどうぞ、であります」
「こやつは溶けた方がいいらしいぞ。ハルカゼの足を伝って溶け落ちたアイスを舐めるのが至高の一品だと言っておった」
「えっ、えっ、そうなのですか!?」
「それはいいことを聞いたでありますよ! ハルカゼ様の足は二本ありますゆえ、左右で一緒に舐めましょう!」
「舐めねえよ!! 嘘から始まった話をどんどん進めるんじゃねーよ!」
俺が作ったカルピスを魔王の前に置いて黙らせ、何故か靴下を脱ごうとしていたハルカゼの後頭部にチョップを入れた。
いや、なんでお前泣きそうになりながら覚悟決めてるんだ、誰がそんな特殊なプレイやれって言った!
「こ、今回は、お姉、セトさんも、頑張りましたので……その、ご褒美を、と思ったんですが……」
「それがご褒美になる業界には所属していないから、礼をよこすつもりなら別の形でよこせ。或いは全力で命令をして俺を嫌々従っている感じにしてからやってくれ」
「貴様、業界人も震え上がる程の玄人ドMではないか。引くわ」
「そのときは、私もご一緒させていただきたいと思うでありますよ!」
「お前はお前で何でノリ気なんだよ!」
「セト様とご一緒ということであれば、私はハルカゼ様のありとあらゆるところをペロペロ申し上げる所存であります!!」
「あ、ありとあらゆる!?」
頭の中で情景を想像したのか、ハルカゼの顔が真っ赤になり、頭から煙を吹いた。
ペロペロとか言うと、本格的にお前犬みたいだぞと思ったが、言わないでおいてやった。最近はもう魔王からの犬コロ呼ばわりにもツッコミすら返さなくなったからな、アリシア。
俺も俺で似たような状態なので、誰にも何も言われないまま、紅茶を淹れ終えてるんだけどな。
ハルカゼの前にティーカップを置くと、ハルカゼは小さな声でありがとうございます、と返してくれた。
ようやく、いつもの情景が戻ってきたように思える。
数日間、ずっと考え、走り回って、最後は死にかけたこの騒動だったが、この日常を取り戻すために奔走したと思えばそう悪いものとも思えなかった。
異世界に居た頃から、そういう当たり前を取り戻すために勇者を続けていたのだから、当たり前と言えば当たり前だが。
「そういえば、お返事がまだでありましたね、セト様」
戸棚からお茶を取り出したところで、後ろからアリシアの声がした。
俺は、茶葉を急須に入れながら振り返ると、アリシアは満面の笑顔でこちらを見てきていた。
そして、躊躇いなくその言葉を口にする。
「それで、私が私であるには、十分であります。ただ私は――」
異世界で、初めて俺に見せたようなぎこちない笑みは。
今は、見る者全てを魅了する、大輪の花のような笑顔に変わっていた。
それが三年間でアリシアが培った……最大の武器だったのかもしれない。
その武器を以って、アリシアは少しだけ間合いを詰め、言葉を置いていった。
攻撃は淀みなく、一切の反撃の余地なく、相手が完全に沈黙するまで行い。
そして、なるべくなら後の先を取る形で、急所を狙うといい。
その教えを忠実に守った攻撃が、俺へと届く。
「――セト様が、男でも女でも、大好きでありますゆえ」
その武器の威力に、俺は硬直する。
唐突なアリシアの発言にハルカゼが耳までを赤くして同じように固まり、魔王が面白いものを見たとばかりにニヤニヤと笑った。
いつもは饒舌な神剣二本は、こんなときには一言も喋りやがらない。
やっぱりこの世界は敵か味方か分からないやつらばかりだ。
「……そうか。ありがとな」
俺は、ただそれだけを返す。
アリシアはその返事に満足したのか、ゼグルーン式の敬礼をして、自分の席へと戻る。
俺はそれで話は終わりとばかりに再びお茶を淹れる作業に戻る。
特別な意味を持たないただの好意であると、互いが分かっていることを、周囲に伝えるために。
なんでもないその一連のやりとりが、日常の一幕でしかないように、しれっと。
だから、もし聞いてた人がいたとしても、流して欲しい。
どうか、『見逃して』欲しい。
――手元で、盛大に茶葉を零すくらいには。
……その神剣使いの攻撃は、勇者にダメージを与えていたから。




