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31話 掛け替えのないものと、掛け替えのないモノ。


 ――こんなこと言うのは、何だけどさ。

 ――目的もないのに、剣を振るのって、苦痛だよな。それは、俺も知ってるから。


 ――だから、その目的を探しに行かないか?



 最初は、確かそんな言葉から始まった。

 何度かの合同訓練を終え、皇国第一特別騎兵へと所属が決まってすぐ、俺はアリシアへと声を掛けた。

 理由は、それほど多くなかった。ただ、俺と同じように、剣を振る理由をまだアリシアは知らないと思っていたから。手の中に最初に武器を渡されて、仕方なく世界を救おうと思い立った勇者は……同じ理由を持つ仲間を欲した。

 残酷な話だ。そんな同属意識で、安定した城の中での生活を捨てさせ、振り回し、連れ回し、果ては勇者のパーティの一人に仕立てあげたのだから。


 俺がこの世界で誰からも必要とされていなかったのと同じように、アリシアもまた、異世界で誰からも必要とされていなかった。

 だからこそ、俺達は互いを拠り所として同じ目標を目指して、最初の一歩から歩み始めたんだ。

 自分が折れそうなとき、曲がりそうなとき、挫けそうなときに、アリシアを見ていればきっと、真っ直ぐに歩めると思ったから。



 ――不可視の剣が走る。

 熱で生じた擬似的な大剣が振るわれ、俺の顔のすぐ側を熱気が撫でていく。

 最も隙が大きいはずの全力斬りは、すぐに身体を回しながら近づくアリシアによって横薙ぎの剣撃に変わり、俺は剣を構えながらそれを避けた。

 逃げ遅れた髪の毛が一房、異臭を放ちながら縮れ、相手の刃の熱を生々しく俺に伝えてくる。


 胸の中央を狙って突きを放つ。

 風を固めて作られた『颶風剣』による疾風の如き一撃は、再び一周してきたアリシアの刃によって抉り飛ばされた。

 ――アリシアにとって攻防は表裏一体であり、動作と動作の切れ間がないため、後の先や先の先を容易に持っていかれる。俺は剣を引きながら一歩下がり、相手の舞いの範囲から離れると剣を斜めに構えた。


「――『颯咆哮』ッ!!」


 セーナの魔力によって固められた『風の塊』が周囲の空気を巻き込みながら鋭い音を立ててアリシアへと迫る。

 アリシアは右足の踏ん張りにより、一歩で自身の回転を力づくで止め、風の塊を視認すると大剣を振りながら大声で叫ぶ。


「『炎喰』であります!!」


 ――文字通り、風の塊が炎によって喰われる。

 一瞬で推進力をなくしたその塊は炎が燃焼する餌に成り果て、しかもまるで導火線を辿るかのごとく空気中を伝いながら俺へと炎の塊が迫る。

 流石に攻撃を攻撃で返されるとは思わなかったので、俺は横っ飛びでそれを避けると、俺の後方に着弾した炎が燃え上がり、周囲を明るく照らす。

 炎は空気を喰らいながら荒れ狂い、やがて周囲の空気を喰らい尽くすと天へ登るように空中へと消えていった。


 アリシアはグラムを斜めに構えると、静かに言葉を零す。


「……属性の、問題もあるであります。私の操るのが炎であるならば、風はその餌でしかないであります。あらゆる要素がセト様の不利に出来ているなら、この条件下ではセト様が勝つのは難しいでありますよ」

「最初から勝つ前提で挑んだ戦いなんて、異世界では一度もなかったよ。どんなときだって俺達は逆境を覆してきただろう。そうでなければ、勇者なんてクラスは背負えないんだよ」

「……そうでありましたね。セト様は、そういう凄い人でありました」


 迷いを断ち切るように踏み込み、グラムの一撃が走る。

 相手の剣にもこちらの剣にも実体がない以上、打ち合う訳には行かず、俺はそれを一歩踏み込んで間合いの中に入ることでかわす。

 相手の握り手を押さえる形で刃の進行を止めると、肩口に熱の刃が当たり、ぶくぶくと火ぶくれを起こし始める。

 痛みと熱に歯を食いしばりながらゼロ距離の間合いで両手でアリシアの顎を狙う。下から突き上げるように放った両拳が顎に突き刺さるが、急所への一撃にも怯まずに、大剣を手放したアリシアは肘を落としてくる。

 それを同じく肘で防ぐが、上からの打撃であることと、男の膂力がつけた加速で、俺の防御の上からもダメージを与えてくる。

 両腕をクロスさせて防いだアリシアの肘打ちにより、地面が先に悲鳴を上げて轟音を伴いながら蜘蛛の巣状に罅割れる。


 ――腕力は、完全に相手のほうが上になっている。

 下手をすればシンラの放つ打撃よりも更に強い打撃に、俺の両手の骨がギシリと軋んだ。



 ――遠心力と重力は偉大だ。腕力のない人間にも、平等に与えられた権利みたいなもんだ。

 ――あとは間合いと手数だが、これはちょっと後回しで行こう。

 ――だってな……今使える武器から使っていかないと、不味いだろう。



 腹部に――重い衝撃が走る。

 内臓に杭でも打ち込まれたような感覚に、反射的に後方に跳んでいなければ、肋をやっていたかもしれない。

 大きく間合いを取り、地面に着地したところで大きく咳き込む。霞む視界で、打ち込んだ拳を構えたままのアリシアの姿があった。

 防御で空いた腹をめがけて、下突きを打ち込んできたのか。血混じりの咳をしながら、分析する。

 本当に、あの体格、あの筋量でしか出来ない戦法を平気で使ってきやがる。

 研鑽の上に研鑽を重ねて、上書きされた戦い方で俺を完全に圧倒していた。


「……今使える武器を使うのが、セト様の教えでありますから」

「そういう、意味じゃ、ないだろ。……付け焼き刃まで使えなんて、いつ言った」

「ですが、その付け焼き刃は、セト様の心臓まで届く刃渡りを持つ、付け焼き刃でありますよ」


 やはり、どこか後悔と諦念が入り混じったような呟きを、アリシアは漏らす。

 俺はその言葉を聞く度に、腹の内に黒いものが溜まっていく感覚を覚えていた。

 その拳も、研鑽の上にしか成り立たない己の武力とするなら、振りかざすときはもっと誇らしく振りかざせばいいものを。

 中途半端に、己のものではない刃を振り回すから、破壊したくないものまで破壊するんだ。


 俺は笑いながら口を拭い、肩を竦めた。


「誰に届いてるって。こんなもん、微塵も効かねえよ」

「……分かりました。それが、セト様であるなら、全身全霊を以って当たらせていただくであります」

「最初から、そう言ってるだろうが」


 アリシアの周囲で、熱と炎が渦巻く。

 俺の周囲で、暴風が砂を巻き上げる。


 ――先に、アリシアが動く。渦巻く炎が剣に纏わり付き、赫剣がその名の通り赤熱に輝く。

 俺は耳の後ろが泡立つような感覚を覚え、それが久しぶりに感じる寒気であることに気付いて笑いが出た。



「――『紅蓮剣・閃』」


 完璧な破壊は余計な余波を生まない。持論を裏付けるかのごとく、凝縮された高熱の一閃は飛来する燕のように直線で俺へと突き進んでくる。『影』のそれとは比べ物にならない、剣で受ければ鉄すら貫通し、身体で受ければ部位が蒸発する程の灼熱の剣閃が死の悲鳴を上げる。

 俺はそれを避けるために身体を傾けたところで『背後』にアリシアがいるのを目で確認した。

 ――必殺の一撃を、フェイントに使ってきた。

 一瞬遅れて、地面を蹴って後ろに回り込んだ音が聞こえてきて、音すら置き去りにする速度で移動をしたことが分かる。


 無理やり腕を上げ、詠唱を中断して風だけを巻き起こす。

 振り下ろされるアリシアの一撃が、一瞬だけ速度を落とし、俺はその間に身体を更に倒して一撃を避ける。

 地面に倒れるのを反対の手で地面を掴み、体を捻りながら前方へと飛ぶと、空中でアリシアが『クァグラム』を構え直すのが見えた。


「『紅蓮剣・山彦』」


 躊躇いなく、剣が振られる。

 飛来した灼熱を再び剣が纏い、それは空中にいる逃げ場のない俺に向けて再度放たれた。


 食らえば即死、当たりどころが良くても戦闘不能は免れない。

 頭の中で必死に魔術構成を練り上げ、セーナの魔力と共鳴させる。


「――『殺凪』」


 空中で神剣を構え、目の前の空間に真空を作り出す。炎が真空に喰われ、勢いを失い、消滅する。

 炎は風を食うかもしれないが、風も炎を食う。

 俺達の関係は互いにそうあるべきだという示唆のように、属性関係は対等だ。

 剣を引き戻したところで、その飛来する灼熱の消えた先にいるはずのアリシアが、居ないことに気がつく。



 俺が地面を掴み、回避するために腕一本で跳んだその進行方向に、気配があった。

 アリシアが、やはり既に回りこんでいる。強靭な脚力で姿勢を低くし、神速で移動しながら、俺に防御を許さない形で攻撃をし続ける。

 昔俺が教えたはずの理論は、男の身体を持ったアリシアによって、完全に完成されていた。


 だからこそ。

 俺は、それを認めるわけにはいかなかった。


「――『紅蓮剣』っ!」

「っ、はっ『颶風剣』ッ!」


 空中で熱波と爆風がぶつかり合う。

 無理やり身体を捻った状態から、上へと受け流し、捻じり上げる旋風によって、アリシアの生み出した熱波は空中へと逃げていく。

 その防御すら読んでいたのか、アリシアが熱波の向こうから長い腕を突き出し、俺の胸元を掴んでくる。

 それに合わせて俺は相手のこめかみを蹴り上げるが、遠心力だけでは相手を昏倒させるには至らず、アリシアは身体を少しだけグラつかせただけで姿勢を持ち直した。

 俺を掴む腕を振り上げ、地面へと叩き下ろす。

 背中をしたたかに打ち付けて、俺の喉からカエルを潰したような苦悶の声が出て、呼吸が出来なくなる。



 ――こうやって、苦しんだ数だけ、同じような苦しみを受けてる奴に同情出来るようになる。

 ――強くなることは出来ても、優しくなることは出来ないから、お前は勇者に向いてるんだと思う。

 ――だから、アリシア。……俺はお前を、頼りにしてるんだよ。



 ……本当に、な。


 地面に組み伏せられ、刃を突きつけられた。

 剣を俺の喉元に突きつけ、片足で俺の肩を踏みながら、アリシアが俺の顔を見ている。

 まるで、耐え難い何かを認めたくないような、泣きそうな顔だと思った。


 互いに、息が荒い。

 真剣な交錯であったから、消耗もそれだけ激しかった。 

 全身がバラバラになりそうな疲れが遅れて訪れて、指先に痺れが走る。このまま気を失ってしまえば、どれだけ楽だろうか。


 ただ。

 俺は、それだけは出来なかった。


 三年間、苦しみ続けた俺の仲間が、今もこんな顔をしているなら。

 俺は、誰かを救う前に、こいつを救ってやらなくちゃいけなかったんだ。

 ずっと、前ばかりを向いて、同じ方向を見てくれていると思っていたから、俺は振り返ることが出来なかった。

 アリシアが俺達の後ろに守られて、どんな気持ちでいたか、分かってやることが出来なかった。


 同じ苦しみを知っているから、仲間に誘ったはずなのにな。

 同じ苦しみを知っているから、側にいようとしたのにな。


 アリシア。

 そんな顔するなよ。

 俺と初めて会ったときみたいな……孤独の中で耐えているような、その顔をやめてくれ。


「……私の、勝ちで、あります」


 微塵も、そんなことを思っていない表情で、アリシアの言葉が落ちてくる。

 呟いた言葉は、俺に届く前に地面に落ちる。瞳からは、僅かに涙まで滴っているように見えた。

 無理もない。

 自分が憧れ、崇めていたものが、性別が逆になったという理由だけで地に伏し、自分の剣を前に太刀打ち出来ないでいる。

 自分が抗ってきたものに打ち勝とうとして、その人が必死に足掻いても、この程度であると証明するように。

 そこにある無力感を、誰よりも知っているから。


「……そんな顔、するなよ」

「……無理で、ありますよ。セト様」


 いや、本当に、その顔だけは、やめてくれ、アリシア。



「――是が非でも。救ってやりたくなるだろ」




 ――肩を、外した。


 踏み抜かれていた肩のジョイントが外れ、アリシアがバランスを崩す。

 俺は右手に握っていたセーナを内側から振り回すようにして立ち上がり、相手の顔を狙う。

 だが、最初から俺の喉に突きつけられていたアリシアの剣の方が速い。


 振り回すのと、振り下ろすので、振り下ろす方が速い、これは絶対だ。


 だから俺は、その剣を、受け入れた。


 首筋の肉が、灼熱の刃で焼かれる。悲鳴を上げたくなるような激痛が走り、俺は歯を食いしばる。

 突き刺さるのではなく、焼き切る。首元の肉を殺ぎ焦がす刺突に、喉の肉を焼かれる耐え難い吐き気を催しながら、俺は立ち上がり。


 ――風の勢いまでプラスして全力で振り回した、刃先を潰した『颶風剣』でアリシアの顔を思いきり殴りつけた。



 その殴打に、アリシアの身体は水上に投げた石のように吹き飛ばされる。

 何度か地面をバウンドして、しばらく立ち上がろうとしていたが、顔面に直接食らったダメージは脳にまで達しているのか、その場で仰向けに寝転んだまま動かなくなった。


 俺は、よろよろと立ち上がり、首もとを押さえる。

 重度の火傷どころではなく、炭化した首筋の感触に、ぞわりとした違和感が走る。

 痛みは既に頭痛まで引き起こして、目の前を真っ赤に染め上げている。

 俺は思考が十全な内になんとか回復呪文を唱えると、本当に鈍足ではあるが徐々に首の痛みが引いていき、荒い息を吐いた。


 完全に、賭けだった。

 アリシアの剣が、完全に灼熱の温度でなく、ただ切断を起こすだけの温度であれば、出血で絶命していただろう。

 ただ、その刃が余りにも高温だったため、首の表面を焼き、そのまま出血を抑える形で患部を炭化した。

 見切ってかわしたのではなく、あえて切らせることで最速を超える最速を以って対抗するしか俺に方法は残されていなかったとも言える。


 それと、加えて言うなら、女の身体の方が痛みに鈍感らしい。

 出産という重労働があるため、そういう風に作られているのだという。だとしたら、俺は一生出産に挑むことはないだろう。

 男なら耐え難い痛みでも女なら耐えることが出来る。それも計算に入れての作戦だったが、それすら関係ないほどの激痛に、意識が飛びかけた。



 俺はよろよろと首筋を抑えたまま、倒れているアリシアに近づく。


 アリシアは、仰向けに寝転んだまま、動かない。

 俺は構わず、その倒れこんだアリシアに向けて、言う。



「男だとか。女だとか。……そんなこと関係ねぇだろうが!!」


 喉の傷は癒えていない。

 全力で叫ぶと、目の前が真っ白になるほどの痛みが襲いかかってきたが、それでも俺は叫ばずにはいられなかった。


「俺はな、お前が戦力になるとか、お前が何が出来るからとか、そういう理由でお前を俺のパーティに誘ったわけじゃねーんだよッ!! アレができるから、これができるからなんて、本当にどうでも良かったんだッ……!!」


 アリシアに剣の才能があるから。

 戦力になりそうだったから。

 そんなこと、関係無かった。


 ただ、俺はそのとき、逆境にも一人でへこたれず、目標もないのにただ一人で努力を重ねるその姿に。

 憧れてしまったから。

 こいつのことを、好きになってしまいそうだったから。

 俺は、もっとアリシアのことを知りたくて、パーティに誘ったんだ。


「お前と一緒に、世界を回りたかった。お前と一緒に、異世界で成長していきたかったんだ。世界を救った後に、最初の一歩は本当に怖くて未熟だったって笑い合えるように、同じ道をお前と歩いて行きたかったんだよッ!! お前より強い奴がいたとしても、俺は絶対にお前をパーティから外すつもりはなかった、例え、お前が居なかったら世界が救えたとしても、俺はお前と世界が救いたかったんだッ!!」


 効率も、手段も、目的も関係なく。

 ただ、同じ気持ちを分かち合える相手と、共に歩んで行きたかったから。

 それが、魔王の言う、人が愛する曖昧であると愚かしくも知っていながら。

 俺はアリシアを、アリシアが俺を求めるように求めたんだ。


 癒え掛けた喉から、出血する。

 構わない。

 今言わなければ。

 今叫ばなければ。


 こいつに傷が残る。そして俺にも、二度と塞げない傷が残るから。

 俺は全力で、倒れ伏すアリシア・ファイルカスタムに向けて叫ぶ。


「全部、一人で抱え込むなよ、お前の実力不足で解決しないことは、お前を選んだ俺の実力不足でもあるんだ。それでも、お前がパーティに居てほしいから、俺だって努力が出来るし、努力出来たんだ。いくらでも犠牲になれるし、いくらでも犠牲になれたんだっ!! だからアリシア、自分にないものを自分に求めるのはやめろ……それがお前のためにならないからじゃない、お前と共に歩きたかった、俺のためにやめてくれっ!!」


 それはもしかすると、俺がアリシアに言った、初めてのわがままだったのかもしれない。

 今まで、黙って後ろから着いてきてくれた、俺には勿体なすぎるパーティメンバーだったから。


 そうやって、本心を告げる機会なんて、今までなかったから。

 だからこそ、言ってやる。

 心の底から、心臓目掛けて突き刺してやる。



「――俺が、そのままのアリシアのことが好きだからっていう理由じゃ、お前が自分のままでいる理由には足りないかッ!!? ――アリシア・ファイルカスタムッ!!」



 ――その俺の言葉は、静寂を齎し。

 俺は、大声を出したことで立ちくらみを覚えて、その場にへたり込む。

 視界が明滅し、意識を失いかけながら右手で顔を覆うと、そこには見覚えのある男の手があった。

 俺は小さく嘆息すると、その手を顔から離し、天に翳した。


 アリシアが。

 女の声で、小さく笑うのが聞こえた。

 涙を零しながら、本当におかしいように、まるで少女のようにクスクスと笑っている。


「……それは。……勿体ない言葉でありますよ」


 顔を覆い、涙を零しながら、アリシアは元の姿で、心の底から笑っていた。

 その顔が見れただけでも……俺は人としても勇者としても満足だと言えるほど、素晴らしい笑顔だったと言える。




 ……。

 ………。


 やがて、首の痛みがかなり可愛いものになってきた頃、俺はゆっくりと立ち上がり、制服の砂を払った。

 どうにも姿の転換が元に戻ったのに合わせて制服も元に戻ったようで、いつもの制服姿がそこにあった。良かった、最初の転換のように、服は据え置きだったらスク水魔王みたいな事態になるところだった。


 ふと後ろを振り返ると、アリシアも元の制服姿で立ち上がるところだった。

 俺はそれを腕を組んで待つと、小さく溜息を零す。


「……手間、掛けさせやがって」

「はい。お手間、お掛けしました、セト様」

「……慣れてる。って言えば格好良いんだろうけどな。……今回のは、ちょっと余りにもイレギュラー過ぎた」


 全力で動きまわり、頭も動かしていたので、体中に疲労の色が濃い。

 家に帰って速攻で寝たいところだが……まだ、一つだけ仕事が残っていた。


「アリシア、ちょっと手間ついでに頼みがある」

「はい? 何でありましょうか、セト様」

「ちょっと『クァグラム』出してくれ」


 俺が促すと、アリシアは疑問符を浮かべたまま、『クァグラム』……蛍光マーカーを取り出す。



 ――俺は躊躇いなく。


 その『クァグラム』に向けて、『セーナトゥーハ』を振り下ろした。



 全力で振り下ろしたその一撃は『クァグラム』によって受け止められる。

 正確には――そのキャップによって、受け止められていた。


「……えっ?」


 アリシアは、混乱した様子で、『クァグラム』と俺の姿を交互に見ながら、慌てふためく。

 予想は、いつだって当たってほしくないときにばかり当たるものだ。

 やはり、こんかいの『世界の危機』の正体は……今、『クァグラム』にハマっている、それなのだろう。


 俺の確信の目の前で『クァグラム』のキャップが赤い気体となり、龍のように渦巻きながらアリシアから距離を置いた。

 そう。最初から、その危機は俺達の前に姿を表していたのだ。それも、最も違和感のない配置に。


「ど、どういうことでありますか!?」

「見ての通りだろうよ。……本物のキャップは、妹の部屋に落ちてたぞ、不用心め」


 俺が、四日前、布団の中で見つけた蛍光マーカーのキャップを投げ渡すと、アリシアはそれを受け取る。

 そちらを見ないまま、目の前に現れた『願望器』とも言える、今回の『世界の危機』を前に、俺は笑う。



「……さて。もう一仕事、片付けるか」

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