30話 過ちと、過ちの記憶と、過ちを起こした過ち。
三日が経った。
俺は、ギャル文字が使えるようになった。マシ〃ぁり得Tょレヽωτ〃すけ`⊂〃。
いや、ほんとマジであり得ないんですけど、どうしても使えるようにならないといけない事情が何個かあったので、覚えたというか、覚えさせられたんだけどな。……エルフ語覚えるのの二倍くらい疲れた。
もう既に、この『世界の危機』の原因となっているのが、アリシア・書類崎・性別オスであることは分かっていた。
そして俺はその三日の間で、『世界の危機』そのものに対する見当も付いていた。
恐らくではあるが、願望の成就を引き起こしている『世界の危機』の実体が何であるのか、推測の域だが理解はしていたし、後はそれを破壊することで今回の危機は解決するだろうと予想を付けている。
だが、それをする前に、どうしても一つだけ、解決しておきたい問題があった。
今回の『世界の危機』を引き起こした、アリシア自身の懊悩……それを、どうしても解決しておく必要があった。
そしてそれが、引いては『世界の危機』の実体を破壊する方法でもあったために、一石二鳥ではないが、この三日間である程度の対策も練り終えている。
当のアリシアは、ここ数日、毎日部活を渡り歩いている。
男であることを堪能し、最初から男であったように振る舞い、男として鍛錬を繰り返していた。
……元からそういう願望があったとしか思えない順応の早さが、俺の頭痛を強める。本当に解消していいものかと何度も悩んでしまった。
だが、それを本人が自覚していないのなら、そのまま水が低い方に流されるように現状を受け入れるアリシアを、俺は窘めてやらないといけないとも思っていた。
あいつがどういう願望を持っていようが、それが『世界の危機』を招く呼び水となったなら上司として、そして同僚として……何より仲間として、間違いは正してやらないといけないと、俺は思っている。
それに、段々と女子であることに順応している俺が居ることも、焦燥の原因であった。
トイレに入る度に、一度水を流し、用を足し、水を流すという一連の流れを自然にやれるようになっている自分に気付いたときには、愕然とした。……本当に仲のいい女性がいる男子諸君は、何故最初に一回水流すのか聞いてみるといい。どうなっても責任は負えないが。最近は流れる音だけが出るのもあるらしいしな。
本日、最後の授業が終わった。
ホームルームもない日なので、バラバラと生徒が立ち上がる中、俺は隣に座るアリシアに目を向ける。
アリシアは今日もどこかの部活に顔を出すつもりなのか、教科書を鞄に仕舞って立ち上がろうとしていた。
「アリシア。ちょっと大事な話がある」
俺は、ざわつく教室に、少しだけ声を大きくして言う。
「はい……? 何でありますか、セト様」
「あのな」
少しだけ、言いにくい話ではある。
アリシアのコンプレックスに直結する話であるし、こんな衆人環視の中糾弾するのは不味いし、やりにくい。
なので、俺は率直に、その言葉を告げた。
「――俺と、付き合ってほしい」
――教室が。
一気に凍りついた。
凍りついたことに、俺も凍りついた。
言われた当の本人である、アリシアも凍りついたので、その魔法は範囲攻撃だったらしい。
……え、何が?
「……え、ええ、ええええ?」
凍りついた教室の端で、アリシアの顔面温度だけが上昇していく。顔を耳まで赤くして、頬を押さえ、首を振った。
外見が普通の男なので滅茶苦茶気持ち悪いが、そのまま片手で顔を押さえて表情を隠した。
……ん?
あっ、ちょっと待て。
「いや、違――」
自分が、言葉を選び間違えたのに気付いたときには。
既に教室の大多数の視線が、俺に向けて放たれていた。
内訳を説明すると……面白いことになってきたが4割、何でそんなことを言えるのが3割、嘘だろマジかよが3割といったところだろう。特に問題なのが、何でそんなこと言えるの、と非難の視線を向けている女子からの視線であり、そういえばここ数日で誰が誰を好きだとか、書類崎くんに片思いしているとか、そういう情報が入ってきていたような気がする。
顔が青ざめる音がした。男だった時には絶対に分からなかったが、好きな相手が被るという状態は、男子間ではライバル関係だが、女子間では敵対関係となる。しかも派閥を巻き込んでの戦争に発展する大事件であるのだ。
俺が、今アリシアに告白したと思われているなら、この教室における最大派閥からの信頼を全て失ったということで。
是が非でもこの状態を元に戻さなければ、俺が教室で呼吸できる空気がなくなってしまう背水の陣に置かれたことに、遅まきながら気付いた。
「ちょっと、葛切さん、それってどういう――」
「ご、ごめんなさい、ちょっと考えさせて欲しいでありますよ!!」
女子の先陣が俺を責めようと一歩踏み出して来たのに合わせて、アリシアが顔を赤くしたまま教室の外に走り出す。
ご多分に漏れずお前も勘違いしてんのかよ! と思いながら俺は、ちょっとごめんなさいを繰り返しながらその背中を追うために教室の外に出ようとして。
女子達の壁に阻まれる。
逃がさない、とその視線が雄弁に語っている。マジ怖ぇよ。こんな統率が取れたモンスター、異世界でも見たことねえよ。
ああ、もう、この際退くのはやめよう。
俺は走りだした勢いそのままに、その女子の壁の肩に手を置いて、それを飛び越える。
ドアとの僅かな隙間も、今の小柄になった身体では悠々通ることが出来て、俺は廊下へと着地する。
廊下の先を見ると、アリシアはかなりの速度で逃げているのか、どこにも姿がない。
駆け出そうとしたところで、襟首を掴まれる。振り返ると女子が俺の首根っこを掴んで引き止めていた。危ない、一瞬気づくのが遅かったらそのデコレーションした爪ごと持っていくところだった。
女子は憤懣やるかたないといった感じで顔を赤くして、俺を糾弾する。ちょっとマジで色恋に構ってる暇ないんだけどな!
「葛切さん、ちょっと、待ちなさいよ!」
「いや、ちょっと俺もそれどころじゃないっていうかさ!」
教室内は半ばパニック状態になっている。
アリシアに片思いしていた者たちが、先を越されたと怒り、泣き、葛切は書類崎が好きだったのかよと打ちひしがれている男子が机を叩いている。嘘だろ俺女子の方がモテるのかよ。死にたくなってきた。
まあこれも恐らく『世界の危機』がアリシアの願望を反映して、俺への採点を甘くしているだけかもしれないが。もう直視しがたい現状は、何が何でも『世界の危機』のせいにしてしまおうと思う。後でツケが来る気がするが、そんなもの後で支払えるならそうする。
力任せに振り払おうとしたところで、横合いから手が伸び、俺の襟首を掴んでいる女子の腕を誰かが払った。
手が離れ、俺は一歩二歩と前に進んだところで振り返ると、そこには俺に背中を向けた……クラスメイトの萩原がいた。
「ちょっと萩原、あんた邪魔しないでよ!」
「そうよ、関係ないでしょう!」
「関係はない、でも、俺は葛切の味方だっ!」
「何よあんた! ちょっと、どきなさいよ!」
女子軍団に攻撃を受けながら、両手を広げて立ちふさがる萩原の姿がそこにあった。
異世界に居たころにも見なかった、ここは俺に任せて先に行け、じゃねーかこれ……。
ボコボコに顔や腹を殴られながら、萩原は俺の方を振り返る。
「行けよ、葛切……決めてこい」
萩原……お前……っ!
男だったときは、エロ本を回してくれる友人にしか思ってなかったのにお前……!
何だよその役回り、ちょっと格好いいじゃねーかお前……!
「ありがとう……! 萩原……!」
「もし、フラれたら、そのときは言ってくれ……。俺も、お前に伝えたい言葉があるんだ、葛切」
「それだけは全力で聞くのを断らせてもらうッ!」
笑顔のまま全身に鳥肌が立つ嫌な感触に、俺は即座にごめんなさいを返す。
マジ無理だから、天地がひっくり返っても無理だからそういうの!
「お友達から始めてくれてもいい!」
「お友達は始まりじゃなくて終わりなんだよ!!」
それ以上進んでたまるか!
ただ、元に戻ったら……俺の秘蔵のエロ本、一冊貸してやるからな……! 有料で……!
俺は男の頃からの友人が女子を引き止めてくれている間に、アリシアの後を追って走りだした。
とりあえず廊下を降りている途中、アリシアの背中が窓の外に見えた。
俺は躊躇わず窓を開けるとそこから飛び、二階分の跳躍を着地で和らげて転がり、その背中に向けて叫ぶ。
「アリシア、ちょっと待て! 話を聞け!」
「ひっ、セト様……! す、少しだけ時間をいただくという私の僅かな願いも叶えてもらえないのでありますかっ……!?」
「もっと大きな願いが叶ってるっつーんだよ!! とりあえずちょっと待て!」
「ま、待たないであります、心の準備が出来ていないでありますゆえ!」
背中を向けて逃げ出そうとするアリシアに、いい加減キレる。
俺は懐からセーナを取り出すと、風で思い切り加速してアリシアの逃げ出そうとした軸足を刈る。
だが、アリシアはその背後からの攻撃に小さな跳躍で対処すると、正面に回り込んだ俺を見て頭の上に沢山の「?」を浮かべた。
……やはり、最近の鍛錬で、完全に男としてのアリシアが仕上がっている。
背後からの一撃も難なく回避するというのは、戦場でも滅多に得られない緊張の中にないと出来ない。
ここ数日で、どんな鍛錬を積んで来たかわからないが、男の身体を完全に使いこなしているアリシアを見て、俺は溜息を零した。
「安心しろ。付き合うっていうのはそういう意味じゃない。少しばかり、稽古に付き合えって言ってるんだ」
「はっ……あ、うん? あ、そういう意味での付き合え、でありましたか! わっ、わっ、恥ずかしい間違えを、これは申し訳ございません、セト様」
「……少しだけ、付き合えよ。どう考えても、それはおかしいって気づかせてやらないといけないからな」
俺はセーナを振り、風圧で創りだした擬似的な『颶風剣』を生み出す。
誰もいない裏庭に、一迅の風が吹き、静かに俺の後ろで束ねた髪を揺らす。
アリシアの、男にしては長い髪も、その風で静かに揺れた。表情には僅かな驚きがある。
「付き合う、とは……神剣を、使うのでありますか……?」
「ああ、そうだよ。異世界でも、何度かやりあったろ。……少しばかり、真剣勝負に付き合ってもらうぞ、アリシア」
「わ、私が何か不適当なことをしたから、指導でありましょうか……。で、でも、でしたら、尚更、性別が元に戻ってからにしたほうがいいのではないかと思うのでありますが……」
「……お前に、戻る気があるなら、それを待ってやってもいいけどな」
真っ直ぐに、アリシアの目を見ながら、俺は言う。
アリシアはその言葉に、言葉が返せないようで、すぐに視線を逸らした。
……そうか。ある程度は自覚があったわけか。
「……アリシア。この『世界の危機』はな、お前が引き起こしたものなんだ」
「わ、私が、でありますか……?」
「お前は、心のどこかでこうなることを望んでいたんじゃないのか。だから、その願望を反映して、俺達の身体は性別が入れ替わった。……俺は、そう思ってる」
「私が……男に、でありますか」
「或いは……女以外に、だな」
アリシアは、自分の手のひらを見る。
節くれだった、男の手のひらは、剣を持つときにも強いグリップを齎す。グリップが強ければ振る速度も速くなり、剣速が増す。剣速が増すということは切断力や打撃力が増し、引いては攻撃力そのものを高める。
男の手の方が、剣を振るのに向いている。
男の身体の方が、剣を操るのに向いている。
だから、騎士としての生き方を求めたアリシアは、男の身体を求めた。男の立場を求めた。
そうすることで、自己の戦闘力を、更に引き上げられることを知っていたから。
「そう、でありました、か」
「……否定しないのか」
「……はい。言われて、何も言い返すことが出来ないでありますよ。私は、そうありたいと、心のどこかで思っていたのかもしれないと……今思ってしまいましたゆえ」
「何で、そんなことを思った。ずっと、そんなことで悩んでたのか、お前は」
俺が尋ねると、アリシアは唇を噛んだ。
握った両手から、ミシリと音が立つ。
「セト様には、ご理解いただけないかもしれないでありますね。ファイルカスタムの家に生まれ、普通の騎士として生きることが、どれだけお家の流れに沿わぬ生き方であったか。ゼグルーンという国の只中にあって、どれだけ私の生き方が異端であったのか……それら全てを乗り越えてきたと、自分では思っていたでありますが……そうでありましたか。これが、私の本懐であったと。そして、その未熟さゆえに、『世界の危機』に付け込まれることになるとは」
「……俺は、お前の戦力としての働きに、不足を感じたことなんか一度もなかったぞ」
「それでも……私はいつも守られていたでありますよ。グラッド殿の、セト様の後ろに隠れて。前衛という立場でありながら、前衛として働ききれたとは言いがたかったであります」
「俺やグラッドがお前を守っていたのは、お前が女だからじゃない、仲間だからだっ!」
「それでもっ!!」
アリシアが、小さく叫ぶ。
堰を切ったように止めどない激情が、炎のように胸の内で燻っていた。
異世界でパーティを組んでいた時から、ずっと燻らせてきた炎が、今になって彼女に火を着けていた。
「それでも……守られていたのは、私が弱く、未熟だったからであります……。もっと私が、強ければ、誰にも守られることがない程強くあれば……この身が、研鑽にも負けぬ男のそれであったならと……いつも思っておりました」
「やめろよ。自分の未熟を性別のせいにするな。俺やグラッドは、お前が女だからといって特別扱いしたことは一度もないし、お前が仲間だから背中を預けて来たんだっ!」
「それでも、今ならっ! ……今の、この手と身体ならば、守れたものもあるかもしれないであります」
「そんなの、結果論だ。都合のいい状況を想定して、過去を悔やんでいるだけだろうッ……。どれだけ強くても、力があっても、守りきれないものもある!」
「――そんな風に割りきれていないのは、セト様の方でありましょう! 私は、その力になりたかったであります! 助けられなかった誰かを悔やむ、そのお力になりたかったで、ありますよ……」
大きく、息を吸う。
そして、吐く。胸の内に吹き荒れる、暴風のような怒りを、そのまま吐息として吐き出した。
そうか。
アリシアのこの願望は……未熟で、誰かを助けられず、いつも苦しんでいた。
俺自身が生み出した願望だったか。
何度も悔み、何度も苦しみ、何度も悲しんだ俺のために……こいつは同じく悔み、苦しみ、悲しんでいたのか。
ハルカゼがそうであるように。
アリシアもまた、己に原因があると抱え込んで……その問題を、自分のものとしていたんだ。
どいつもこいつも。……俺も含めて、似たような人間ばかりが、集まるもんだ。
『颶風剣』を振る。
自在に風を操る神剣は、その一振りで旋風を巻き起こす。俺はそれを正眼に構えると、不可視の刃越しに、アリシアを見た。
「……構えろ、アリシア」
「……無理でありますよ、セト様。それを知ってしまっては、アリシアは剣を構えられないであります」
「いいから構えろッ! 上司命令だ!!」
「上司の命令であっても、上司にこの身体で刃を向けるのは、断るであります!」
「いいから構えろっつってんだアリシアァッ!!」
俺は本気の怒りを込めて『颶風剣』を振り、アリシアに向けて暴風を叩きつける。
アリシアは蛍光マーカーを取り出すと、その風を熱によって防ぎ、静かに剣を構えた。だが、すぐにそれを下へと向ける。
「ダメ、であります。セト様。それだけは、許されないで、あります」
「いいから、全力で掛かって来い。お前の全力を、俺が受け止めてやる。俺が、お前にやられると思ってるなら、付け上がるのも大概にしろ、アリシア」
「誰よりも、私が分かっているであります……この身体で、セト様に勝ってしまえば……私はもう二度と、戻れなくなるであります」
「だから、舐めんなって言ってるんだよ……そんなに簡単に『颶風のセト』を打ち負かせると思うなよ『赫剣のアリシア』」
小さく笑い、そして牙を剥いた。
かつてグラッドの横で、同じ穴のムジナとして、自らの力を行使するのが楽しくて楽しくて仕方なかった、まだ勇者としての自覚すらない頃を思い出しながら。
「男のお前に、女の俺が――トドメを刺してやる」
――異世界でもあり得なかった、神剣使い同士の戦いが、現実で火蓋を切った。




