3話 中二病的な意味でなく俺の右手がマジで疼く。
俺は今、資料室の端、小汚い机に座って頬杖を突きながらシャーペンを回している。
とりあえず日課であるハルカゼへの紅茶の献上という仕事が終われば、『颶風のセト』は僅かだけだが自由が与えられることになっていた。大草原を駆け抜け、どんな魔族を相手にしてもその道を阻むことの出来なかった勇者に与えられた自由は、資料室の中ならどこにいてもいいという慎ましいものだったが。
ハルカゼは大体、日が傾き始める五時半ごろに資料室を後にする。それまでの間、俺はこの部屋からの帰宅を禁じられている。幸い、トイレの際は部屋から出られるが、一度それで帰宅しようと思ったら玄関で猛烈な痛みにのたうちまわり、変な人を見る目で見られた。
変な人を見る目で見られたくらいならいいんだが、中には「ああ、最近復学した彼ね」「お大事に……」みたいな哀れみの視線が混ざっているのが最高にキツかった。
まあ、大衆の面前で痛む右手の紋章を左手で押さえて、「静まれ……静まれ……!」とか迫真の表情でやってる奴がいたら、事情を知らなければ俺も同じ目を向けていただろう。
右手が疼く……! いや、俺の場合マジで疼いてるんでそういうのじゃないですから。
与えられた些細な自由時間に、俺は回していた悪趣味なシャーペンを手のひらの上に載せる。
ゴテゴテと装飾を施された紺色のシャーペンは、俺がこちらの世界に召喚されたときにその手に握っていた物だ。
溜息を吐きながらそれを一回ノックすると、そのシャーペンはノックに反応して淡く光り始めた。
『――何用か、我が主よ』
聞き慣れた声が俺の耳に届く。異世界に居た頃は口うるさいこの重低音の声にうんざりすることもあったが、今となっては俺が異世界に居た証拠の一つになっている『彼』の声に、どこか安堵を覚え始めているのが自分で腹が立つ。
「アリシアに繋いでくれるか」
『またか、我が主。旅行先でやたら親に電話したくなる中学生か』
「この今の俺の状態をホームシックみたいに言いやがって、いいから繋げよ神龍の吐息を鍛えたシャープペンシル。短時間でこっちの世界に馴染みやがって」
『まあ、正しい評価ではあるな。しかしどうだ、主よ。今まで神剣としてしか己のアイデンティティを持ち得なかったこの我が、筆記具としての自己を手に入れたのだ。これは、進化と呼べるのではないか?』
「一薙ぎで国が滅ぶとか言われてた神剣が、黒板をノートに写す道具に成り下がってることを進化と呼べるお前のポジティブさすげーよ」
褒めても出るのはシャー芯だけであるぞ我が主、とまんざらでもない言葉を零すシャーペン。
情け容赦なく、異世界での俺の得物であった神剣『セーナトゥーハ』である。
有人格剣の中でも、超越者にしか扱えないとされている、神剣の一振り。持つ者の魔力を消費して空気と気圧を操作することが出来る、俺の二つ名の元にもなった別名『颶風剣』の現在の姿である。
……跡形もない。
刃物ですらなくなったにも関わらず、本人は現在のその姿をいたく気に入っており、時折授業中に自動的に減った芯を出してくれるというサービスも行ってくれる。剣だった時は機嫌を損ねると颶風術を使ってくれなかったこともあるのに、どんな心境の変化だ。
『元より他者に使用される道具として創造された我であるがゆえ、今の姿で出来る最善を尽くすことにこそ本懐があると思うておる』
「じゃあ愛しの主様の為に、神剣だったころを思い出して、同じ神剣使いのアリシアに繋いでくれ」
『国際通話どころか異空間通話につき、パケ死せんようにな』
「この通信パケットで行ってんのかよ!!」
頻繁に使う予定だから使い放題のプランに入らせろ。ていうかどこからパケ死なんて言葉輸入してきた、百年以上封印されてた神剣。順応性パねえ。
いいから繋げと催促すると、シャーペンが淡く光り始める。その色が青から赤へと代わり、何かをひっくり返したような大きな音が聞こえてきて、そこにどこか焦ったような女の声が混ざる。
『――は、はい!! 寝てません!! アリシアは、寝てないでありますよ!?』
「……寝てただろ」
『そんな、アリシアは任務中ですから、寝ているわけがないであります!! よしんばそう見えたとしても、それは目を瞑って意識を落ち着け、脳を休止状態にしているだけであります、セト様!!』
「それを寝てるって言うんだよ」
それに、こっちからそちらの世界は見えない。音声だけの通信に見えたも何もないが、その通信の先の光景は手に取るように分かった。相変わらずと言えばいいのか、それくらいにはあちらの世界が平穏に続いているということに安堵すればいいのか。
アリシア・ファイルカスタムは俺が冒険をしていた時のいわゆる勇者パーティの一人である。パーティ唯一の女でありながら全く女を感じさせないアホさと粗忽さ、俺といい勝負が出来る程の天才的剣技を兼ね備えたファイルカスタム公爵家の令嬢であった。国に代々仕えている国属騎士であり、俺とは最初に召喚されて、城内で知り合ってからの長い長い付き合いである。
俺が『セーナトゥーハ』を所持しているのと同じように、アリシアは炎と温度を操る神剣『クァグラム』を所持している。二本は同じ神龍の素材を使用しているために遠隔地でもこうやって言葉のやり取りが出来るらしい。
その能力自体は知っていたが、まさか世界を跨いでも使えるとは思わなかった。その上片方がシャーペンになっても使えるとは思わなかった。
あちらの剣の人格『グラム』も『セーナ』がシャーペンになったと知ったら赤剣なのに青ざめるんじゃなかろうか。何の恨みもないのでわざわざ教えたりはしないが。
通信の向こうで、アリシアが「……あー。ポーション零してるでありますよ……染みにならないでありますよね、これ」と呑気な声を出している。
あちらの世界が今朝なのか昼なのかは分からないが、仮にも勇者のパーティの一員がなんつー怠惰な生活送ってるんだ。
「その調子だと、相変わらず魔王の行方分かってないのか」
『あ、はい。それによって、魔族も前に報告した通り、各国で混乱が生じているようであります。今のところは魔族との交戦は拮抗状態で、もしかしたらこのまま押しきれるかもしれぬでありますな。まだ我々には待機命令が出たままでありますけど』
――俺がこちらの世界に飛ばされて、一番気がかりだったのは異世界の魔王討伐がどうなったかと言うことだった。
俺達勇者パーティは、あちらの世界で魔王をあと一歩のところまで追い詰めた。後は魔王を唯一滅ぼせる四本の神剣によって心臓を貫けば、世界に平和が訪れるはずだった。その瞬間、どっかのアホが再召喚してくれたせいで、こんな埃臭い部屋で貧乳の紅茶を淹れないといけない羽目になってるわけだが。
思った瞬間手のひらが疼き始めてぐああ、と悲鳴を上げる。
振り返ると、指先で魔力を操るハルカゼの姿があった。
「……な、何かセクハラなこと思ったでしょう?」
「お前には俺の思考まで読めるのか!? 俺のプライバシーって異世界に置き去りのまま!?」
「い、いえ、あくまでなんとなくです……もし違ったなら、すいません……」
「なんとなくで他人の右手を痛めつけないでくれますかマイ・マスター!!」
『どうしたでありますか!! セト様!! まさかそちらの世界にもS級の魔族が!?』
ある意味S級だけどな。俺はアリシアに何でもないと誤魔化しを入れながら再びシャーペンに向けて話しかける。
とにかく、あちらの世界は今、中途半端な平穏が訪れているらしい。勇者としての俺が居なくなったのと同時に、魔王もまたその姿を消して、一時期はお互いの軍勢に混乱が起こったらしいが、今では若干人間の勢力の方が強くなっているという。
魔王の側近を一人残らず倒して回ったのが功を奏したらしい。対して人間側は最大の戦力であった俺を欠いただけで、俺以外のパーティの三人は健在な訳だから、パワーバランスは人間側に傾いているのだろう。
ただ、結局のところ全ての魔族を退ける為にはその大元の魔王を斃さねば完全なる平穏は訪れず、小競り合いのような小規模な争いは今も続いているのだという報告を受けていた。
「まあ、そのまま国王の指示を仰いで待機しておいて欲しい。標準警邏にも混ぜて貰えば腕も落ちないだろ」
『はい、それは万全であります。伊達に沢山睡眠を取っていないでありますゆえ、後進を育てがてらセト様がお戻りになられることを、他の二人と共に心よりお待ちしております!! 果報は寝て待てです!!』
「だから寝んなって言ってんだろうが。睡眠耐性の指輪を呪い状態で装備させるぞ」
『あー、一度国王様の命でその案は試されたのでありますが、指輪の方が壊れてしまいましたゆえ』
「お前の睡眠欲求はレベル20以上の神官しか使えない解呪を必要とする呪いよりつえーのかよ」
えへへであります、と照れたように笑う声が聞こえるが、死んでも褒めてない。
俺はその脳天気な返事に、他の二人に先に連絡を取ればよかったと思いながら、嘆息した。いや、他の二人のほうが話が通じない可能性もあるか……。
俺がいなくなったことであちらの世界が混沌に叩きこまれたような勢力図になってしまっているよりは、パーティメンバーが昼寝に興じれる程度には平和な状況にある意味で安堵していた。
「じゃあ、切るぞ。こちらからそっちに戻れる時期が分かったら、また連絡する」
『はい、了解いたしましたでありますセト様。ご武運を!!』
「……二度寝するなよ?」
『……次寝た場合、三度寝である場合はいかがでしょうか?』
「なお悪ぃわ!! しゃきっと起きろ!! リーダー命令だ!!」
通信の先でアリシアがひぃ!と悲鳴を上げるのを聞きながら通信を切る。ノックをすると、シャーペンの発光色が赤から青に戻った。面倒臭いことにノックするたびに芯も出るので先を押さえて芯を引っ込めておく。便利悪ぃな神剣。
『気苦労耐えぬな、我が主』
「お前の今の状態も含めてな」
『我が心配をしておるのは、主が他人に我を貸したときに、背に携えし消しゴムを幾分か使用されぬか否かのみだ』
「途中でボキッと折れたりしてな。……ちょっと黙ってろ神剣この野郎」
インテリジェンスソードたる我に黙れとは異なことを言う、と苦笑しながら、シャーペンは静かにその光を落とす。
俺はそれを胸ポケットに差し、疲れで痛む頭を数回押してから振り返った。
ハルカゼは可哀想なものを見るような目で俺を見てきていた。どこでどんな教育受けてきたらそんな目を他人に送ることが出来るの? レベル何で覚えるアクティブスキルなの?
「……お大事に」
ああ分かった。
これ、あれだ。どこからも掛かってきてない電話と会話してる中二病患者を見る目だ。
だから俺は中二病じゃねえって言ってんだろうが。
何も患ってねーよ!!