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28話 雄弁な言葉の外側と、不便な身体の内側。

 晩飯を食い終えて庭に出ると、そこでは俺より遅く帰ってきたのに俺より早く飯を食い終えたアホが竹刀を振っていた。

 夏場の夕方の暑さも物ともせずに、ただ一心不乱に剣道部から借りてきた竹刀を振る。俺はその様子を見ながら縁側に降り、男のアリシアに向けて言葉を投げる。


「得物の重さが違うから、素振りに苦労するだろ」

「それでも、鍛錬になるであります。いやあ、良いでありますね、この身体は。力だけでなく体力もマシマシでありますよ」


 ふっ、はっ、と掛け声を出しながら剣が空を切る。

 皇国に居た頃、初めてアリシアを見かけたときも、こいつはこうやって剣を振っていた事を思い出す。

 周囲の誰もが、彼女に何も教えてくれないために、明らかに間違った姿勢とやり方で、何度も何度も。

 その頃からアリシア・ファイルカスタムという人間は不器用であり、実直であり、本質は今に至っても何も変わっていないのだと思う。


「思い出すでありますな、セト様。初めてお会いしたときも、セト様は後ろからそうして見ていてくれたであります」

「何だよ、同じこと考えてたのか。……お前も俺も、良く覚えてるな」

「大切な思い出でありますゆえ。それに、そのときの出会いがなければ、私は城の外に出ず、あのまま国の中で一生を終えていたと思うでありますから」


 ――アリシア・ファイルカスタムは、落ちこぼれだった。

 才能がなかったわけでも、能力がなかったわけでもなく、ただ評価をしてくれる上司がいなかったがゆえに、落ちこぼれのレッテルが貼られていた。

 ファイルカスタム公爵家の末娘ということで、ある程度の特別扱いを受け、誰も直属の上司になりたがらなかったというのが理由だ。傷つけてもお家に対する問題であり、傷つけられても自身の経歴に対する問題である相手と、積極的に手を合わせる者はいなかったというのが、彼女の孤立の理由だった。


 本人にとっても、苦い記憶なのだろう。どこか懐かしむような声色の中に、苦さのようなものが見え隠れした。


 ファイルカスタム公爵の家は、彼女が生まれたゼグルーンという国の北部に拠点を構えた、名門の貴族だった。その名門の貴族に与えられた類まれなる頭脳は、北部という魔族が侵攻をしてくる矢面にありながら、それを捌き切る策略においての天禀を有する名誉騎士を多く排出し、国からの信頼も厚かった。

 ファイルカスタムという名前を聞けば、剣を持たず、知能で戦場を切り開く『名誉騎士』の一家であると、その国に居る者なら誰もが分かる程度に、そのお家は余りにも有名すぎた。


 その中に、アリシアという異端は産まれる。

 アリシアはファイルカスタムという家の中にありながら、残酷なことに、策略の天禀を与えられなかった。

 いかに名門とはいえ、ファイルカスタムの血を引く全ての者が、優れた頭脳を持って生まれてくる訳ではない。

 それはファイルカスタムの家も重々理解していたが、アリシアは特にその才を持たぬ、完全なる異端であったのだという。


 ファイルカスタム公爵家では、このような異端は、通常優れた騎士や他国へ嫁がせ、女として扱うことを是としていた。

 だが、アリシアの場合は本人がそれを拒んだがために、その方策も採る事が出来ず、なお悪い事に彼女には『剣の才能の天禀』が備わっていた。


 騎士には二種類ある。

 通常の士官候補生を経て武功と実力によって成り上がる、通常の意味での『騎士』と、優れた才能を国で保有しておきたいが為に勲功によってその身柄を預かる『名誉騎士』の二種類だ。

 日本の警官で言うところのキャリア組と現場組がある程度似てると言っていいかもしれない。

 細かい違いはあるし、名誉騎士の方は一切戦場に出ず、中には剣を振ることができない者や、血縁が重視される傾向にもあるので、一概に同じと言ってしまうのは問題があるとは思うが。


 ファイルカスタムの家はこのうち、名誉騎士として名を馳せた一家であり、今まで『騎士』として通常通り士官した騎士は居なかった。だが、アリシアはこの実力で這い上がる世界に、自分の身を置くことを、若いうちから決めていたのだという。

 己の在り方が名誉騎士でなく騎士であると自覚してからは、尚更家の為に己を犠牲にするという『普通』を拒んだ。

 アリシアは努力の結果、ファイルカスタムの異端としてゼグルーン皇国に、名誉騎士ではない騎士として十五歳という若さで士官することとなった。それだけの実力を当時のアリシアは有していたし、公平な視点で見ればその士官は妥当な実力を元に行われた正当なものであったと言える。


 だがそこでも、アリシアは異端であった。

 女であること、そしてファイルカスタム家の公爵令嬢であることが、彼女を異端に追いやった。

 傷つけることは出来ない。彼女は国に所属しているとはいえ、名門貴族の娘だ。下手なことをすれば自分の身が危うい。

 傷つけられることは出来ない。彼女は優れた騎士とはいえ、女だ。騎士として身を立てる上で、女に傷を付けられでもすれば、自分の名誉が危うい。

 簡単なその二つの理由で、アリシアは騎士団の中でも孤立し、居場所を徐々に失っていった。


 目的のない鍛錬を繰り返し、振り下ろす先のない剣を磨く日々が続いた。

 実力以外の技術で士官をしたという良からぬ噂を立てるものもいたし、男だらけの宿舎で寝泊まりをする彼女の身体を狙い、過ちを犯そうとする者もいた。針の筵のような数年が続き、あらゆる意味で周りに誰も剣を交えてくれる人が居なくなったある日。


 ……まあ、俺が現れたのだ。


「懐かしいでありますな。あの頃にはもう皇国第一特別騎兵属でありましたか?」

「いや、まだだよ。まだ所属もなかったし、師匠の元で血反吐吐いてたと思う。だから、適当に城の中を見て回る休憩時に遭遇出来たんだしな……」


 俺と、そしてアリシアが異世界で所属していた皇国第一特別騎兵というのは、いわゆる北部から侵攻を続けているモンスターの類に対抗するために特別に作られた役職だ。通称一特(いっとく)であり、この通称を公の場で口にしてしまうと国属騎士だとガチで懲罰対象になるため、通称というよりスラングであると言った方がいいかもしれない。

 第一が王衛、第二が国衛……と分類された騎士の中で、余りにも入れ替わりが激しすぎて公的な扱いが難しいために『対魔族への対策組織』として特別に作られたのが、この一特である。スラングになる程度には、毎年死者が出る危険な部署だ。

 一般的に魔族へ対抗するための人員を北に送るとき、途中途中に立ち寄る国において、ある程度の外交権を所有していないと手続きが面倒になることから作られたこの一特所属の騎士は、生命の危険を晒す代わりにどの国にも何日でも滞在出来る特権が付与される。皇国と帝国という二強が調印したこの国際的な条約によって保護された、いわばエリート捨てゴマが俺達皇国第一特別騎兵である。

 一特か墓場か、みたいな言葉もあったな。口にしただけでこれも懲罰食らうだろうけど。


「では、あの頃はまだ上官ではなかったでありますな。やはり私がお姉さんであったと。であるなら、セト様がセト様になられる前に、もう少しお姉さんぶっておけば良かったでありますなあ」

「今やお兄さんだけどな……。三年間、あっちで冒険してきたけど、あのときが一番しんどかったよ。俺がどんどんレベル上がるのが楽しくて、どこで音を上げるか全力でしごいてたって後で師匠に言われたからな」

「お師匠様、セト様は特別に可愛がられておりましたからねー」

「……愛情が歪みすぎてメビウスの輪と化してるけどな、あのクソ師匠」


 一回どこかキレて、それを人並みに見えるように張り合わせたと考えると、あの俺に対する妙な執着も納得出来ると思った。


 俺は縁側から庭に出て、アリシアの置いた竹刀袋を手に取る。

 見れば、中にはもう一本竹刀が入っていて、俺はそれを引き抜いた。

 アリシアが喜色満面といった笑顔で、その様子を見て竹刀を振る。


「ご一緒なされますか、セト様。それこそ、あの頃のように」

「まあ、少しくらいはな。俺も身体の動かしかた、少し確かめておきたい」

「懐かしいでありますなー。セト様の部下となってからは、間違った体幹を直すために結構私もしごかれた記憶が残っているでありますよ。厳しい指導でしたが、愛があったであります」

「その辺の不器用さも師匠譲りといえばそうだよ。それに、俺は自分と同じような未熟な相手と手合わせして、自分の培った研鑽が正しいか試そうとしただけだ。多分、あの現場を師匠が見てたら、他人に物を教えられる立場か、って死ぬほど怒られてただろうし」


 門前坊主が経を読むどころの話ではない。

 だが、そうしてやりたいくらいには、アリシアは間違った研鑽を積み重ねてしまっていたし、俺と同じように孤独と戦っているように見えた。

 異世界から来てすぐの俺は仲間が出来たような気がして、嬉しかったのも覚えている。


 竹刀を振る。

 軽い感触が、あの頃の自分と今の自分の違いを教えてくれる。


「……一本勝負な。後、あんまり振り回して家を破壊したらその時点で負けだ」

「りょ、了解であります。胸をお借りするでありますよ。あっ、これは慣用句的な意味合いでの胸をお借りするであって、物理的にその豊満なセト様の胸をお借りするという意味ではないでありますからして」

「分かってるわ! ――来い!」




 ――間合いは一歩で消失した。

 先ほどまで談笑をしていたとは思えない鋭さで竹刀が走り、空気が切り裂かれる。

 顔を狙う軌道で振り回されたアリシアの剣は、その実殺気も害意もなく、それがフェイントであることを伝えてくる。

 僅かに半歩、後ろに退がり、軌道を顔から首へと変えた一撃が斜めに振り下ろされる。

 ギリギリでかわしたが胸元をかすり、パジャマの胸の部分が切り裂かれてしまう。


 アリシアは妙な顔をして、すぐに竹刀を引き戻し、今度は突きを放ってくる。

 悪かったよ、胸の分、間合いを読み違えてた。今のは完全に俺の油断だからそんな微妙な顔をしながら踏み込んでくるな。

 首を僅かに傾けて神速の突きをかわすと、俺はすい、と一歩だけ間合いに踏み込む。


 アリシアが小手を返し、突き出した竹刀を傾けながら持ち手の方で鎖骨を狙ってくる。

 上手い。刃に意識を向けている相手にとっては、握り手の方で攻撃を仕掛けてくるとは思っていないだろう。

 意識の外側から来る攻撃に感心しながら、俺はそれを右手の竹刀で受け止めた。


「――長剣の使い方も覚えてるとはな」

「得物を問わぬのが、真の騎士であると思いますゆえ」

「グラムがいるところでは言うなよ。あいつ傷つくから」


 右手の竹刀を振り、仕切り直すために距離を置く。

 だが、その後ろに跳んだ俺を追いかけるようにアリシアが距離を詰めてくる。

 アリシアにとっても一度仕切り直した方が望ましい体勢だったにも関わらず、動かなかったのは先の後を取るためだったか。

 いつものアリシアにはない積極果敢な攻撃姿勢に、俺は竹刀を構える。


 上から叩きつけるような一撃が走り、それを俺の竹刀が受け止めた。

 

 バシィン! と竹刀同士が打ち合わされる音が響き、人外の膂力で叩きつけられた二つの竹刀が、ぎりぎりと悲鳴を上げる。

 アリシアは一度竹刀を引くと、立て続けに急所を狙って竹刀を振り回してくる。

 首、頭、額、時に足を、手首、腹、そして胸の中央へと攻撃が迫る。

 俺はそれを竹刀で弾き、いなし、防ぎ、時にかわし、流し、払い、受け止めることで防御を行う。

 およそ五十を下回らない数の攻防の応酬が一瞬で交わされ、両者は息を荒げる。戦いの高揚が興奮を呼び起こし、心臓がその緊張感で鼓動を早めた。


 こちらからも何度か攻め手を入れているのだが、アリシアが集中状態にあるこの状態で、有効打を入れるのは俺でも難しい。

 理論以外の所で騎士としての勘を働かせているアリシアは、半ばトランス状態で的確に攻撃を受け止める。

 意識と無意識の狭間に竹刀を滑りこませようとするが、後の先を取られて竹刀を弾かれ、その流れはそのまま攻撃へと移る。

 防御は攻撃へと、攻撃は防御へと繋がる、舞いのような見事な連続攻撃に、俺の腕もいい加減痺れ始めた。


 竹刀自体に限界も来ている。完全に本気ではないとはいえ、俺たちの攻防に耐えているのだから中々いい作りをしている竹刀だ。

 俺は半ば感心しながら竹刀を振り、アリシアを牽制したところで、アリシアがそれを打ち払いながら剣を大きく振りかぶった。

 

「チェリャアアアアア!!」

「――ッ!!」



 ――捌こう、と思った。

 だが、それが無理であることも、捌こうと両手を動かし、竹刀を持ち上げた時点で理解出来た。

 そこに生じた違和感を確かめるまでもなく、振り下ろされた竹刀と振り上げられた竹刀が交錯し、一際大きな音を立てた。


 竹刀同士が噛み合い、ギリギリと鍔迫り合いのような形になる。

 俺達の手合わせにしては、この形は珍しいと言えた。

 鍔迫り合いという状態は、ある意味膠着状態であり、ヒット・アンド・アウェイや複数の動作を一つの行動とすることを旨としたアリシアのスタンスにはそぐわない状態であるからだ。


 普段は絶対にしてこないような、力任せの攻めに、俺は苦言を呈そうとして――。


 ――その膝が、がくんと折れた。


 アリシアは牙を剥き、俺の身体を鍔ごと、力任せに地面へと押し付けようとしてくる。

 単純な膂力で、竹刀がミキミキと音を立てる程の力を以って。


 俺は、その思惑に気づき、全力でその竹刀を押し返す。

 腕力では、こちらの方が上だ。技量では研鑽を詰んだアリシアに負けるが、基礎的な能力では何一つ負けている部分はない。

 普段ならば、その状態から状況を覆す程の腕力差でどうにでもできる――はずだった。


 ――だが、止まらない。

 アリシアの腕の筋肉が、盛り上がる。男の膂力を使い、力任せに俺の身体へと竹刀を押し込んでくる。

 俺の膝はそのまま折れ続け、掛け値なしの全力でそれを覆そうとしたが、その押し込みはビクともしない。

 やがて膝が完全に折れ、耐え切れず俺は尻もちをついた。アリシアの押し込みは収まらない


 こいつ。


 ――ちょっと、待て。

 これ、俺が――負け、る……っ!?



 ――と、敗北を悟る一瞬前に、アリシアの持つ竹刀が、アリシア自身の膂力に負けて半ばから完全に折れ曲がる。

 へし折れ、そのまま俺の竹刀に弾かれて宙を舞った。


「あっ……!」

「ふぇ!?」


 当然、下から上に押し上げていた俺の竹刀は支えをなくし、アリシアの竹刀を弾いたそのままの勢いで、アリシアの顔面を直撃する。

 顔面を思い切り打ち据えた竹刀は、ブァチーンッ! という肉を叩く音を周囲に思い切り響かせ、アリシアを後方に仰け反らせた。


「――んがーっ!? あっ、いたーっ!!」


 顔を思い切り竹刀で殴られたことで、男アリシアは無様に顔面を押さえたまま地面を転がる。

 俺はその様子を、尻もちをついたまま、見る。


 気づけば、息が荒い。

 全身に、嫌な汗をかいていた。

 疲れた訳ではなく、勝敗が余りにも簡単につきかけたことに対する焦りで、冷や汗をかいていた。


 もし、竹刀が折れなかったら。

 負けていたのは、俺だっただろう。

 そして、得物が本物であったなら……恐らく、俺は訓練中にも関わらず、アリシアによって生命の危険に晒されていたかもしれない。

 それだけ、彼我の実力の差は明確で――それは、余りにも俺の記憶の中と違っていた。

 同条件、近距離からの勝負であれば、勝率は五分五分くらいだと思っていた。そのときのコンディションがいい方が勝つ程度に、互いの実力は拮抗していたし、だからこそ俺はアリシアを稽古相手として自身を研鑽することが出来、アリシアも俺との手合わせで成長してこれたのだと思っていた。


 でも、今のこの実力差は。

 どう足掻いてもアリシアの方が上であり……その差は、埋めがたい程に広がっていた。


 俺は、自分の両手を見る。

 こんなに、俺は弱かったのか? もしくは、弱くなってしまっていたのだろうか。

 先の『影』との戦いの際、俺が苦戦したのは俺が弱くなってしまっていたからなのか?

 思った通りの力が出ない今、俺の中にあるのは焦燥だけで……俺はアリシアが立ち上がるのを見ながら、呆然と何も言えずにいた。


 アリシアは、朗らかに鼻を押さえながらこちらに歩いてくる。


「いやあ……負けてしまいました。まさか得物の強度を見誤るとは」

「……負けな、もんかよ。押し切られてたら俺の負けだった」

「思った以上に、力が出るでありますね、この身体は。流石男の人の身体でありますよ」

「……なあ、アリシア。もしかして、俺、弱くなってるのか……?」


 俺は、アリシアの方を見上げ、尋ねる。

 アリシアは、少しだけ言いにくそうに口元に指をやり、苦笑をしながら、言葉を返してきた。



「仕方ないでありますよ。――セト様は、今は、女の子でありますから」



 その言葉に。

 その、アリシア・ファイルカスタムの言葉に。


 ――俺は、少しずつ溜め込んだ違和感が、静かに形になっていくのを感じていた。


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