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27話 『世界の危機』が齎す影響とその弊害。

 ――資料室での活動後。

 最近は日も長くなり始めたので、この時間になっても、外は明るい。

 いつも通り紅茶と共に過ぎていく時間の中で、性別転換した三人についての話題ももちろん出た。

 当面、この『世界の危機』に対処をするために、動いていくだろうし、当事者であるがゆえに早いところ解決したい問題でもある。

 だが、やはり俺が一日考えても出なかった『世界の危機』への対策への妙案は、容易には出てこずに、その日の会議は空振りに終わったと言えた。それほど期待はしていなかったけどな。そんなに簡単な問題じゃないし。


 あと、今日一日、女子として過ごして、分かった。

 ……女子、大変だわ。本当に。

 しかも、頭の中が男だと、更に大変だわ。


 男と完全に作法が違う。

 それは性差というよりは、会話の軸というか、完全に違う理論で動いている生物ということを意識しなければ、集団の中にすら入るのは難しいと実感した。

 男の理論を持って女の論理を解き明かすのは不可能であると悟る。

 

 ……正直言って、参っていた。

 今日一日を女として過ごして、女性の見方が変わってしまったかもしれない。


 本当に大変な世界を生きているんだな、と俺が言うと、隣で歩いていたハルカゼは困ったように小さく笑った。 


「そ、そうですね……それは、少しありますけど……。ただ、今のセトさんの状態のほうが、大変そうに見えます……」

「まあ、な。……正直、こんな形で『世界の危機』が何か仕掛けてくるとは思ってなかったから、どう対処していいか分からん……」


 げっそりと肩を落として言うと、ハルカゼはこちらを見ないようにして首を傾げる。

 昨日まで男だった奴が女になってたら、そりゃ直視は憚られるよな……。


 資料室で話した内容は、事実のまとめと、それに対する分析だった。

 現状、性別が入れ替えられている三人の共通点をまとめ、それに対する対策を打ち出そうとしたのだが、失敗に終わった。

 こればっかりは仕方がないと言える。先の『影』の『世界の危機』に比べて、敵の姿が不明瞭過ぎる。剣で切断できる相手出ない以上、俺の勇者としての能力も、アリシア自身も全く使い物にならず、前例がないという理由でハルカゼの知識も全く役に立たない。

 八方塞がりの状態で俺達は帰路についていた。


「……ちょっと視点を変えて、客観的な考察から主観的な考察に移ろう。……どんな理由が考えられると思う。……ハルカゼが、この『危機』を起こしたとしたら、俺とアリシアと魔王の性別を入れ替える、入れ替えたいと思う理由って、何だ?」

「う、うーん……少しだけ、考えにくいですね。……し、しかも、特定の誰かだけじゃなくて、三人を変える理由っていうのは、少し思いつかないです」

「じゃあ、別に個別でもいい。俺でも、アリシアでも、魔王でも……誰か一人の性別を変えることが目的であって、他の二人はダミーっていう可能性もあるかもしれない。


 例えば俺の性別を変えることに意味があって、その意味にたどり着かせないために他の二人を性別転換させたと。

 適当に立ててみた仮説だが、案外、それほど的外れではないかもしれない。

 元より何もわからないのだから、先入観を持って話すよりは、色々な説を検証してみるべきだと思う。


「例えば、俺を女にする理由、とか」

「えっ……と……可愛く、する、とか」

「頼む。可愛いとか言わないでくれ。脳が理解を拒む」

「あっあっ、ごめんなさいごめんなさいっ。目から光がっ、光がなくなってっ……!」


 そのこと自体も、俺が今日一日でぼっきり心を折られ、疲労で憔悴している理由の一つだった。

 自分では鏡すら真っ直ぐ見れないのに、周囲の、今の女の姿に対する評価はやたらと高い。絶賛と言ってもいいほどに、今日一日で褒められた。


 重い荷物を持っていれば、手伝ってやるよ、と声を掛けてきて胸をチラ見され。

 高いところの物を取ろうと手を伸ばせば、これが欲しいのか? と代わりに取ってくれて胸をチラ見され。

 一人で悩んでいても、お前らしくないよな、元気出せよ、と慰めてくれて胸をチラ見された。


 ……お前ら。

 さり気なく見ているつもりかもしれないけど、見られている方としては完全にバレてるからな、その目の動き。

 逆に言えば、男だったときは俺も同じことをしていたはずなので、これからは全力で気にしていこうと思う。女子と会話しているときの目の動きが全部バレてたと思うと嫌な震えが走る。


「で、でも……セトさん、女性になると胸大きいんですね……」

「……死ぬほど嬉しくないけどな」


 胸は自分以外についているに限る。

 昨日の夜、青少年としては自分の身体の変化について結構なところまで追求・研究してみたのだが、その上に乗った顔の造りが完全に元の葛切セトの造形だったため、一切の興奮が湧かなかった。それどころか、身体だけ差し替えた合成写真のように醜悪で、俺はそれ以上自分の女体に対する探求を諦め、捜索は打ち切られた。

 柔らかかったけどな。どっちかというと自分で揉むと触っている方より触られてる方に意識が行って、何にも楽しくなくておぞましいだけだったが。


 胸に関しては妹も並以上なのは知っているので、仕方がないのかなとも思う。

 胸より胸板が好きなせいでかなり残念なことになってる妹だが。


「本当に、大きい、ですね……」

「えっ、あっ、痛っ!? ちょっと、ハルカゼさん、マイ・マスター!? 紋章が、紋章が発動してるぞ!?」


 俺が腕を押さえながら抗弁すると、ハッ、と我に還ったように正気を取り戻し、洗脳状態にあった者が自分の破壊した対象を見て震えるかのごとく「私は、なぜ……」と両手を見ながら呟く。本当に何でだよ。

 涙目で手を振りながら話を戻す。俺が可愛いかは置いておくとして、ハルカゼや他の人間の言う通り、ただ可愛いものだけを求めて誰かが俺達を性別を転換したなら、アリシアや魔王までその範囲を広げるのはおかしい。

 万が一にでもそういう可能性はないだろうが、ロジックも必要なく単純な矛盾潰しでないと断言できる。


「あと、は……その、セトさんの、勇者としての力を、抑えるため、とか……?」

「女にすることで、か」


 確かに、女になってから腕力が落ちたことは認める。ただそれは、絶対値としてのダウンであり、相対値としてはやはり超越者(アブソリューター)であるというアドバンテージを持っているからか、まだ常人よりは上に位置している。

 何かを掴むときや叩くときは相応の手加減を必要としているし、その気になれば恐らくこちらの世界の人間には負けることはないだろうと思う。ただ、その微妙な実力の低下の間に居る存在が行っているのならば、それは多少の効果はあるだろう。

 そう、多少だ。

 けしてそれが全てじゃない。

 数値で人間の強弱を考えることは、余程の差がなければ無意味であることも知っている。

 コンディションや時の運というものも作用してくる要素だし、得意不得意、得物の有無、その日の気分なんかによっても勝敗というものは簡単に左右される。


「……考えにくいことではある。そこまで周りくどいことをするなら、俺自身の戦闘能力を殺ぐ方向で行くんじゃないかな。性別を変えるよりはよっぽど現実的だ」

「……そ、そうですよね……」

「それに、だ。……わざわざ格闘系の部活を、しかも資料室での集会終わってから渡り歩こうとしてる奴は、俺達の戦力弱体化を狙いにしてるなら完全に逆効果だろ」


 そう。

 いつも一緒に帰宅しているはずのアリシアが今日は居ないのはそのためだ。

 元から、格闘技系の部活に在籍こそしていないものの面識がある程度には世界側が改変を齎していたらしい。空手剣道柔道と渡り歩き、男を満喫してから帰るであります、とはアリシアの弁だ。

 ……あいつ、本当に危機感とか一切ないのな。


「今まで取れなかった戦法が取れるようになって、楽しくて仕方がないらしい。昨日も二時くらいまで外で『クァグラム』振ってたしな」

「あ、えっと、お庭があるんでしたっけ」

「元々、親父が庭がある家に住むのが夢だったんだと。老後はそこで、実家に帰ってきた娘に囲まれて過ごすのが夢だったらしいので、夢が叶いそうで良かったなと思う」


 先に生まれたのが男の俺で悪かったなクソ親父め。

 昨日の夕飯も機嫌良かったし、俺への気遣いが男だったときより手厚かったしな。


「外見イケメンで運動神経抜群の明るいバカって相当だな、男の状態のアリシア。あいつ、女子の間からは二割ほどバカにされた成分、八割は賞賛として『王子様』って呼ばれてて、ぴったりのアダ名だと思った。……女って怖い」

「あ、あ、確かに……王子様っぽいですね、今のアリシアさん」

「その王子を警護する立場の方だったっていうのにな。まるでイケメンじゃなけりゃ位が高いと不味いみたいじゃないか」


 やっかみも少しだけ入る。

 あっ、街に伝説の勇者様が来た、お顔を拝見させていただこう! ……なんだ、思ったより格好良くない。がっかり。っていうのも、異世界では散々経験してきた。

 ので、イケメン全てが滅びろとは言わないが、爪を切るのを深刻に失敗しろ、くらいは今でも思ってる。すれ違うイケメン全てにだ。


「それに……なんとなく魔王からも嫌な感じがする。レベル表示自体は変わりないが……やっぱりあの姿は堪える」

「……大丈夫、ですか……?」

「ハルカゼは、見てないときはいい。出来るだけ自制するから。ただ、見ているとき、もし俺や魔王に不穏な空気を感じたら、遠慮なく紋章の力を使って諌めて欲しい。どうにも、俺自身も情緒不安定なせいか、あの姿の魔王を見てるとピリピリしがちだ」


 そういう意味では、この性別転換は俺の精神をじわじわと追い詰めてきている。

 アリシアを止める立場であり、魔王からの悪意をかわす立場である俺自身は、男だったときのように冷静に対処しなければならないのだが、俺自身も感情に流されかけた瞬間が何度もあった。

 俺が憂いを込めて言うと、ハルカゼもその真意を理解したようで、分かりましたと頷いてくれる。


 その視線が、俺の胸ポケットに留まり、疑問を口にする。


「そ、そういえば、セーナさんは大丈夫だったんですか……?」

「ああ、それは昼の間に俺が聞いておいた。一応何ともないそうだ。アリシアに聞いたところ、グラムも変化はないって話だし」

『神剣に設定された性別というものが、意味を成していればの話だがな』

「あ、えっと……正確に、性別が決められている、という訳ではないんですか……?」

『恐らく、想定した人格はあるのだろう。剣に剣以上の意味を持たせるために、我を打ちし鍛冶工が何らかの手を加えて出来たのが我らであることくらいしか、我も分からぬ。己の本質がどこにあるのかを知らぬし、どの程度破損しても人格が失われんかも、試してみなければ分からん』


 剣だった頃は、鍔に付いていた宝石がセーナの人格を制御しているものだと思っていたが、今シャーペンに成り下がったこいつの身体には宝石らしいものは付いていない。

 結局のところ、二つに折ってみてそのどちらにセーナの人格が残るか、のような頭の悪い方法でしか判別できず、そこまでして判別する意味も見当たらないので謎のままにしてある。

 それに、二つに割ったところで、人格が二つに分裂したら相当面倒だしな。一人でも持て余しているのに。


『だが、女の持ち手に使われることも、あるいは悪くないと思える。これを男の証左とするならば、我の人格は男であるのだろうな』

「嫌な証明の仕方をするんじゃねーよ。悪かったな、男の持ち手で」

『男の有人格神剣インテリジェンス・ソードを男が振るって何の様になるというのだ。弱々しき持ち手が振るうからこそ、我の無骨さとの対比となって映えるのだろうが』

「悪かったな! 男の持ち手でよ!!」


 俺が繰り返して怒鳴ると、セーナは淡く光って無視をして、ハルカゼはその様子を見て笑った。


『……いや、だが或いはその可能性も考察の余地があると思うが、如何だ、我が持ち手、セト子・クズキリよ』

「固有名詞にまで侵害が加わり始めやがった。誰がセト子だ。……どういう意味だよ、その可能性が何を指してるかが分からん」

『主自身の、性転換願望に反応して『世界の危機』が気を利かせてくれたという説だ。……であるなら我が味方をすべきは、愚かなる持ち手ではなく『世界の危機』の方なのではないか?』

「ねえっつってんだろ!! お前はどうしても俺を変態にしたいらしいな!!」


 真面目に聞き返した俺がアホみたいじゃないか。

 俺の中にそんな願望があることは、断じてない。彼女が欲しいなと思ったことはあっても、彼女になりたいなと思ったことは一切ない。ないったらない。

 ふとした瞬間にも捲れ上がる動きにくいスカートも、集団でお花を摘みに行くその修正も、対象がちょっと席を立った途端がいなくなった陰口も、今は尚更憧れからは程遠い場所に女性像を追いやっていた。知りたくなかったよそんな世界。

 この世の全ての女子がそうであるとは思えないので、偶然俺の周りの女子がそうであったのだとは思うんだが。思いたいんだが。


 ともあれ、俺の願望を反映しての性別転換という説も、何かしっくりこない。

 まあ、元々こっちの世界が嫌で逃避した身であるので、完全にそういう変身願望がないとは言い切れないのが辛いところだが。

 ただ、実際に女になってみてこれだけの違和感を覚えるのだから、前からそういう物を欲していたというのは、どうにも考えづらい部分がある。




 やはり、どうにもこの『世界の危機』を相手にするのはやりづらい。

 これなら、実力でどうにかなる魔王を相手にしていたころの方が気が楽だった。

 ハルカゼとの会話の中でも有効な対策は出てこずに、その日の会議のロスタイムは終了した。自分の家の前で、ハルカゼは「私なりに、家にある文献で色々調べてみます」と言ってくれる。


「あまり、無理するなよ」


 そうでなくとも、他人の問題は抱え込みすぎるハルカゼなのだから、徹夜なんか絶対にしないでくれと念を押す。

 ハルカゼは少しだけ微笑むと、大丈夫です、と少しだけズレた返事をした。


「……あ、えっと、じゃあ、一つだけ、お願い聞いて貰っていいですか?」

「違うだろ。そういうときは、やれって命令すればいいんだ」

「あ、えっと、じゃあ、マイ・サーヴァント、セト。召喚主桜倉ハルカゼの名において、命じます」

「了解。マイ・マスター。何だよ」


 尋ね返すと、胸を反らしてポーズを取っていたハルカゼは、恥ずかしそうに視線を逸らした。

 ……何を命令する気なのか、少しだけ不安になる。


「その……も、戻るまでの間だけ、いいですから……セト、お姉さまって、呼びますのでっ……!!」


 ハルカゼはそう断言して、俺が何かを言い返す前に木造の自宅へと消えていった。

 一世一代の告白を終えたような、そんな『言ってやった感』がそこにあった。


 俺は一人取り残されて、この『世界の危機』が齎した影響が、思ったよりも大きく重いことを実感した。



 お姉さま。

 ……俺がか。


 うちの制服、曲がるようなネクタイないのに……?


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