26話 変化の只中にある、変化のない日常。
それが『世界の危機』であるとは、認めたくはなかった。
だが、それを『世界の危機』としない場合何になるのかを考えたら、そう考えた方が妥当であると思えた。
やはりその場にいた金髪の青年はアリシアであることがすぐに分かった。
何故かと言えば、その謎の金髪青年は魔王の元来の姿を見定めると、蛍光マーカーを躊躇いなく抜き放ち、炎の刃を纏わせていきなり斬りかかったからだ。
魔王とは不可侵を契約している俺が間へと入り、アリシアを宥め、落ち着かせ、事情を説明することに二時間ほど掛けることとなる。
それまで説明を先延ばしにしていた俺も悪かったのだが、とりあえず不承不承納得したアリシア(男)は、抜身のグラムを俺の名前で収めてくれた。
海水浴場にいきなり生じた修羅場を収めると、その現状の異質さが浮き彫りとなり、俺はまだ混乱する頭で必死に思考を巡らせた。
――つまりは俺が女になり、アリシアが男になり、魔王が女の依代から男の元の姿に戻っているというのが、現状らしい。
突然訪れた俺と、アリシアと、魔王の性別転換は、とりあえず新しい『世界の危機』として位置づけられ、その日は解散となった。
俺達三人が男女を入れ替えられたこと以外に、何か変化があったかといえばなく、何故その影響がハルカゼに及ばなかったのか、そして何のために、誰がそれを行っているのか何もわからないまま、俺達は帰路についた。
何より、影響を受けた俺達は混乱していたし、これが『世界の危機』だとして俺達が何と戦うべきなのかも分からない状態で、何の手の打ちようもないというのが正直な現状だった。
先の、俺達の世界から訪れた、データだけの存在である『影の魔王』であるなら、それを討ち滅ぼすだけで解決となったのだが、今回は首謀者すら分からず、いきなり現象が訪れているため対策の打ちようもない。
せいぜいが現状を纏めて、場当たり的な対処だけを模索するくらいしか出来ず、俺達は頭を抱えながら家へと帰った。
家に帰って、家族が出迎えてくれたがいつも通りの態度だった。
まるで、葛切の家には最初から姉妹が存在していたように。
そして、その家には少年がホームステイを始めていたかのように、性別が逆になったことに世界自体が柔軟に対処をしてくれていた。ありがたいのかありがたくないのかは置いておくとして、その点だけは面倒なことにならずに済んだので良かったと言ってもいい。
つまりは、単純に俺達の性別だけが換えられたというよりは、この世界における俺達のパーソナリティのレベルから、性別が書き換えられているということらしい。
昨日まで妹と共に寝ていたアリシアは部屋が分けられ、代わりにその部屋は妹と俺の二人部屋に変わっていた。やけに馴れ馴れしい妹が薦めてくる未知の領域を華麗に掻い潜ることが、俺に訪れた最初の『危機』であったとも言える。到達者級のクラスに攻められる苦しさを、久しぶりに思い出したよ、妹よ。
一夜明け、俺は『制服』に袖を通して登校する。
ドアを開けるのにも緊張しながら、恐る恐るドアを開け、教室に入ると、俺の席の隣で女子に囲まれている魔王がいて、思い切りコケそうになった。
「お前っ!!」
「フン、何だ貴様……遅かったではないか」
「お前、ちょっとは今の状況を省みるってこと出来ねーのか!?」
注目を集めるのも構わず全力でツッコむ。
魔王は、いつも通り女子に撫でられ、髪を三つ編みにされながら、ケーキを口に運んでもらっていた。
いつもなら、幼女を取り囲んで色々世話をしている女子の和やかな風景も、その中心が壮年の男になっているだけでおぞましさが倍増する。良く言えば娘に世話をされる父親だし、悪く言えば老人介護だぞそれッ!!
「……ククク、余の身がどう変わろうとも、利用出来るのならば利用するのみ」
「口の周りのチョコを拭いてもらいながら凄むんじゃねえよ。その姿でやられると本気で殺意湧くわ」
俺が自分の鞄を机の横に掛けながらその隣に座ると、魔王は低く笑いながら太い指で顎を撫でる。
「似合うではないか。どのような格好で来るか、見ものであったが……素直に着てくるとはな」
言われて、思い切り歯ぎしりをしながら机に突っ伏する。
姿が元の魔王なので、殺意を抑えきれない。
相手の一番痛いところを突いてくる魔王のいやらしさが、外見と合わせて倍加以上の左様を齎していた。
こちらの世界で十五年、そして異世界で三年生きてきて、俺はスカートがこんなに心もとない服装だということを知らないで生きてきた。
できれば、知らずにいきたかったが、制服も俺の性別に合わせて変化を起こしていたのだから、登校するには仕方がなかったのだ。
現状では、俺は周囲からも女だと思われていることは家族との会話で理解出来ていたし、意地を張って男の格好をして登校すれば更に浮くだろうということが分かっていたので、本気で苦肉の策だった。
元は俺が男だと知ってる人間から見れば、女装趣味のクソ変態野郎に見えるだろうが、俺は勇者です。勇者なんです。勇者ってそういう勇者じゃない方の勇者です!!
誰かに向かって必死に言い訳をしながら、ヒラヒラスースーする服を着て登校し、俺は寝不足の頭で今回の異変について考える。
昨日は混乱して何も考えることは出来なかったが、差し当たって現状に対処し終えた今ならば、落ち着いて考えることが出来るだろう。
性別転換は、俺とアリシア、魔王にしか起こっていない。
この三人の共通点は、と言えば『異世界の経験者』という点が挙げられる。また、そういう観点から言えば『異世界からの召喚者』という括りでも纏めることが出来るだろう。
俺は『異世界出身者』ではないし、アリシアは『ハルカゼに召喚され』ていないので、その二つが性別転換の条件でないことが分かる。
ハルカゼが性別転換の対象にならなかったことから『あの時海水浴場にいたこと』も対象になる条件ではなく、恐らくだがあの土地との関係性は薄いと見ている。魔王やアリシアから見ていても、いつの間にか俺は女に換えられており、その転換の瞬間を見ていたわけではないらしいので、きっかけらしいきっかけは分からない。
ただ、この三人が選定されて、無作為というわけはないだろう。もしそうならば、逆にその方が驚きであり、その場合対処も何も無意味だ。原因を探るための前提条件されない状態なら、完全にお手上げの状態になる。
そもそもがこれを『世界の危機』と位置づけていいのかという点には疑問が残るが……。
どこかの異世界では、性別転換で滅びかけた世界があるってことだよな、これは。その時にその世界の住人でどうにか頑張って対処しておいてくれよと思うが、そんなことを言えば俺が召喚された異世界が『性別転換』と戦っていたとしたら、恐らく俺はどうしようもなかったろう。
そう。
これが例えば『世界の危機』だったとするなら。
俺の勇者としての経験は、もしかしたら無意味なのかもしれない。
超越者として、世界に指折りの強さを持っていても、その力では解決できない問題が、今回の問題であるとも言える。
敵に明確な姿がないために、斬り伏せる訳にもいかず『颶風のセト』では対処が出来ない問題なのだとしたら……相当にヤバい事態に陥っている可能性も十分にありえる。
障害がそこにあれば乗り越えることも打ち破ることもやぶさかではないのだが、その障害が触れられず、乗り越えることも不可能である場合、いくら力で解決しようとしても無理な話だ。
「……相当、厄介だぞ、この問題」
「フン、余としては、願ったり叶ったりだがな」
「お前はそうかもしれないけどよ……」
なるべく、魔王の姿を視界に入れないようにして呟く。
幼女のときならまだしも、ずっと敵対し、この世から排してやろうとしていた対象が隣に座っているのを見ると、どうしても抑えきれない感情が湧いてくる。互いに、こちらの世界に居るときは不可侵を契約していながら、その姿を見ていると、気持ちが抑えきれない。
その俺の様子を面白がるように、魔王がクククと笑みを漏らした。
「外見が変わっただけで、随分と態度が変わるものだな。貴様の本質はどこにあるというのだ」
「何も言い返さねえよ。それがどうしようもないことである以上何言っても言い訳にしか聞こえないだろうからな」
「人の姿をしていなければ、人と思えず、人の姿をしていれば仮初めの姿でも人と勘違いする。そうした曖昧な基準の上で守る者、守らぬ者を選別しているとは……随分と不完全な信念もあったものだ」
「人の姿を模したそんな格好をしておいて、良く言うな。それこそ、完全なる化け物の姿をしていてくれれば、俺達勇者だってお前を何の良心の呵責なしに切り捨てられるのにな」
勇者と魔王の間に、緊張した空気が流れる。
……いかん。どうも自分の姿と性別が変わったことで、心の余裕がなくなってるらしい。加えて対処のしようがない問題に苛まれているせいか、何かピリピリしているようだ。
俺は大きく息を吸って、吐く。
「……ということは、今回お前は、また傍観を決めぬくつもりなんだな、魔王」
「無論。余の有り様は、どちらでもいいということに尽きる。こちらの世界に居る間は長き余の人生のうちの戯れに過ぎぬのであれば、姿が変わる程度、気晴らしにもならん。最も、貴様が頭を悩ませているのを見るのは多分に面白いものではあるがな」
「分かった。……余計な邪魔はするなよ。その時は二人掛かりだ」
忠告に留め、互いの立ち位置をはっきりさせる。
魔王の、ハルカゼの魔力を使用した能動的な事象改変は便利ではあるが、魔王自身がそれを素直に行使してくれるとは思えない。この性別転換が『世界の危機』である以上、無理やり俺達だけを例外として処理してしまえば、別の所に波及効果が出てしまう可能性も十分にありえる。
だからこそ、この『危機』の原因となっているものを排除する必要があるのだが、今のところ取っ掛かりすら見つかっていない。
異世界から来た者。
しかも召喚されて訪れた者だけの性別を変えることの利点や目的って、何だ?
それをして得をすることや、そうすべきであるものって、どういう存在なんだ?
隣に座っている魔王のような快楽犯であることも、一つ考えられるが、たったそれだけの目的を持った存在が『世界の危機』としてハルカゼの魔力に寄せられるとは思わないし、快楽犯であるなら尚更対象を俺達だけに絞る意味がわからない。
世界のありとあらゆる人間の性別を、認識そのままに転換した方がこの世は混乱に包まれるし、快楽犯好みに思える。
だが、その影響が俺と、アリシアと、魔王にしか及んでいないのだとしたら。
『この三人』が対象になっている理由が、必ずどこかにあるはずなのだ。
俺は胸元のシャーペンに語りかける。
「……まさかとは思うが、お前は大丈夫だよな。セーナ」
『どのような意味での大丈夫だ、主よ』
「俺みたいな状態になっていないかってことだよ」
『女装を楽しんではおらんぞ』
へし折ってやろうかこいつ。
ただ、その声色と物言いは変化がなく、セーナは性別転換の対象にはなっていないと分かる。
元より、剣の人格に正確な男女があるかどうかは分からないが、少なくとも何か変化があったわけではないらしい。
「……どうすればいいと思う」
『自家撮り 方法 コツ』
「検索しねえよ。持ち手を究極の変態にする気かお前」
『今やれることをやれと箴言したまでだ。形貌が変わっているということは他人ごとではないからな』
「それがなんで自家撮りになるかは分からんが、そうじゃなくて元の姿に戻るためにどうすればいいかって相談だよ」
『それもまた、的はずれな質問であるな、我が主よ。我はこの姿を是としている。元に戻るための方法を尋ぬる相手にしては、不適当だ』
……お前くらい開き直ることができたら楽だったけどな。
そう考えてみると、性別どころか種類すら変わってるお前が泰然自若としていることが凄いと思い始めてきた。
今やお前はどこに出しても恥ずかしくない完全なシャーペンだもんな……。いや、シャーペンにしてはネットに対応していたり、多機能過ぎるが。
『受け入れろとは言わん。ただそれによって必要以上に焦るな。安心しろ、主は可愛い』
「うるっせえ……!! 気色悪いこと言うな……!!」
小声で叫ぶと、ニヤニヤとした光り方でシャーペンが光る。こいつ……!!
『構わぬぞ、我は。男言葉の女勇者の得物というのも、また剣の持ち手としては迎合すべき対象だ』
「元男って情報があるのに、どうにでもなるのかよ」
『忘れよう。主との二年以上など。――最初から何もなかったかのように』
「お前なんぞ抜かなきゃ良かったよ……!!」
お前と過ごした二年余りを返してくれ神剣。
そしてお前好みの可愛い女勇者がお前を引き抜くまで、ずっと霊峰の石に刺さってろアホ!!
……考えすぎて、頭が痛くなってきた。
俺が額を手で押さえて呻くと、丁度その時、脳天気な声と共に教室の扉が開いた。
力の加減が出来ていないのか、必要以上にぴしゃりと開いたドアが起こした教室内の沈黙など物ともせずに、そいつは入ってきた。
「おひゃーであります。いやあ、視線が高いでありますなー」
日本人離れした長身のイケメンが、朗らかな笑顔を伴って教室で挨拶をする。
なんだ、アリシアかよとばかりに教室の空気が弛緩して、その挨拶に温い挨拶を返すクラスメイト。
今日サッカー、俺のチーム入れよ。昼一緒に食いに行こうぜ、など、アリシアがもし男だったらそういうポジションに収まるだろうな、というクラスの中心的位置に居る人間への挨拶が混じり、それに二つ返事を返していく。
俺の隣まで来ると、反対の隣に座っている魔王の姿を見て少しだけ眉根を寄せると、俺の顔を見て表情を緩ませる。
とりあえず、アリシアの中でも不可侵の契約自体は何らかの形で納得してくれたのだろう。少しだけ安心した。
「おひゃーでありますよ、セト様。いやあ、可愛いでありますなー、女のセト様」
「お前……次可愛いって言ったら遠慮なく使うぞ、紋章」
「も、申し訳ないであります、つい本音がっ……!!」
慌てて自分の席へと座るアリシアに嘆息して、俺は頬杖をつく。
その脳天気な姿を見ていると、この問題に悩まされているのが俺だけではないかという不安すら湧いてくる。
男になったアリシアは、男の状態を満喫しているようで、昨日の夜から早速試運転とばかりに自己鍛錬に勤しんでいた。
何でも、男の身体の方が使いやすく、また鍛錬が身になるらしい。正直、早く順応しすぎだとツッコみたい。
「……少しは悩めよ、性別変わってるんだからさ」
「男の子は、男の子で楽しいでありますよ。今しか出来ないことをやる、良い機会かと思いまして」
えへへ、と笑う金髪青年。
アリシア元来の人懐っこさが残っている分、まだ姿としては抵抗なく見られる。完全に直視もしたくない魔王よりはまだマシだ。
「ああ、でも、一つだけちょっとセト様にお尋ねしたいことが……」
「何だよ」
「……なぜ、男の人は、トイレをするとき、一つずつ間を空けてするでありますか……?」
……知るかっ!!
男でも分かんないんだよ、その暗黙の了解の理由はよ!!




