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24話 弱さと強さと露天風呂と露天風呂。

 ――露天風呂から空を見上げると、月が丸く輝いていた。


 異世界に居た頃も、こちらと同じように夜が訪れ、夜には月が空にあったが、果たしてあちらの世界も地球と同じように丸かったんだろうか。

 そんなことを考えるほどの暇は、あっちに居た頃はなかったし、だからこそこうやって身体を休めることが出来る幸せに、静かに俺は浸っていた。

 温泉の湯は若干温めだ。夜になると気温が下がり、それに合わせて湯船の温度も下がるからだろうか。ただ、一日振り回されて疲れた俺の身体にはちょうどいい温度だった。


 女性陣が風呂から上がったところで、俺の入浴を待たずに散歩へと繰り出した。

 とはいうものの周辺に海水浴場以外の施設はほとんどなく、ただ休日の昼間にぶらぶらとその辺りを散策しただけだったが。

 宿泊プランに夕飯が付いていないらしかったので、見かけたスーパーで適当に弁当やお菓子などを買い漁り、部屋へと戻った。

 どこからそれだけの元気が湧いてくるのか、その間も女性陣は絶え間なく会話を続け、俺もそれに強制的に参加させられていたので、結局風呂は日が暮れてからしか入る事が出来なかった。

 初日は海に入っていないので、問題なかったといえば問題なかったのだが、ようやく一人静かな所で落ち着けた心地がして、俺は大きく伸びをした。


 ――そのとき、近くからいきなり合成電子音のようなものが鳴り響き、俺は湯船の中で飛び上がる。

 あ? っていうか、なんだこれ、着メロ? 周囲を伺うと、風呂の縁石に置いてあるセーナが青く発光している。


『……着信だが、我が主』

「お前だからいつの間に機能増やしてんだよ!! ……誰からだ?」

『バルドということは、グラッドだな』


 ……まあ、大体予想ついてたけどさ。

 俺は仕方なく湯船から手を伸ばして防水袋入りのセーナを手に取る。


「繋げてくれ」

『……我が問うのもお門違いかもしれぬが、良いのか?』

「……ヤバいと思ったらお前が切ってくれてもいいからな」


 覚悟を決めて通信を開始すると、意外なことにしばらく無言が続く。

 嫌な予感がして渋面を作っていると、闇の底から湧いてくるような笑い声が聞こえてきて、それが徐々に大きくなる。

 う、うわあ、マジで怖ぇ。


『ククククク、ふ、フハハハハハっっ……貴様……セトぉ……セト・クズキリィ……!! ようやく、ようやくこのオレの、オレ様の通信に応じたなぁ……!!』

「……よう、久しぶり、グラッド」

『おう、久しぶり……じゃねぇぇぇ……!! 長き、長きに渡りオレに臆し、言外に敗北を認めた貴様のその態度、許しがたいッッ……!! もはや貴様がこちらに戻りしときも、貴様の居場所はないと思えっ……!!』


 鬱 陶 し い。

 面 倒 臭 い。

 しかもなんか徐々に声に鼻を啜る音が混ざる辺り、こいつまさかとは思うが泣いてるんじゃなかろうな。

 もう本当に怖いから勘弁して下さい。いい年した男が男と連絡取れないだけで泣くなよ……。


「……俺は、俺が居なくてもお前が上手くやってくれるとは思ってたよ」

『えっ? ……当たり前だろうがっ……!! このオレを、オレ様を誰だと思っているっ……!! 神剣使いが一人、貴様の終生のライバル……『凍轟のグラッド』だぞ……!!』

「知ってる」

『あ、知ってる……うん。……貴様、声が遠いぞ、今どこにいる』


 背景音を拾って浮気を突き止める妻かお前は。もうありとあらゆる方面から面倒くさいな。

 凄いな、こんな奴が帝国では流麗騎士とか呼ばれて、何も言わずに歩いているだけで、すれ違う若い給仕(メイド)とかをメロメロにしてたんだぞ。すれ違うだけで妊娠させられそうだったーとか言い合う給仕(メイド)を見て、今すぐ病院に行けと思ってた。産婦人科じゃなく頭の方の。

 ただ、口を開けば非常に残念なことが分かるので、概ね評価は「口を開かないとイケメン」だったらしいが。

 口を開かないとイケメンって完全に褒め言葉じゃないけどな。出来れば俺は今、そのまま鼻も閉じて欲しいと思ってる。


 面倒くさい相手に返事をしてやる。


「……風呂だよ。温泉で身体を休めてるんだ。アリシアも連れてきてる……もう、流石に寝てるだろうがな。だから少し静かに喋れ、誰もいないとはいえ、こっちは夜中なんだ」

『……なぁに……!? 貴様、腑抜けおって。湯治とはいい身分だな……!! アリシアが着いていてなんというザマだ……!!』

「いいだろ、たまには……お前らも適当に息抜き入れておけよ。……なんだ、その……魔王が居ない間に」


 魔王も一緒に来ているとは流石に言わないでおいた。

 いずれアリシアにも真実を告げないといけないんだろうけれど、どう出るか分からないから現状かなり怖いというのもある。俺と認識を共有出来るか分からない、元々異世界生まれ異世界育ちであるアリシアが魔王をどう思うかは現実生まれの俺では分からないところも大きい。


『……貴様に言われずともな。それに、貴様が居ないこと自体が息抜きのようなものだ』

「そうかよ」

『それに魔王が再びこの地に降りしときは、オレの、オレ様の手で滅ぼしてくれる。魔王を滅ぼし世界に平穏を齎すのは、貴様が操る『セーナトゥーハ』ではなく、このオレの、オレ様の操る『ヨツンバルド』だっ……!! ハハハハハッッ!!』


 ……頼むから通信越しに高笑いするなよ。

 もし隣の女子風呂に誰かいたら、頭がオカシイ宿泊客がいると思われるだろう……。

 俺は、嘆息しながら自分の顔に湯を掛けた。


『それと、貴様……アリシアをそちらの世界に召喚したのは、召喚士ではなく貴様だという話じゃないか……ッ!!』


 ああ、来た。それについては突っ込まれるだろうなとは思っていたが。

 一応、召喚術は世界の境界を緩める可能性があるため、俺もアリシアも確実な『世界の危機』に対抗するときにしか使用しないことを決めていた。だが、アリシアがこちらの世界にこうやって来た以上、グラッドも同じようにこちらに来たがるだろうなとはずっと考えていたのだ。それに対する上手い言い訳は、結局思いつかなかったので、通信をしていなかったというのもある。


「それなんだけどな……なんというかな、どうしてもそうせざるを得ない理由があって……。本当なら、そちらにまだ魔族やモンスターが蔓延ってる以上、アリシアも帰そうと思ってるくらいなんだが……悪い……お前をこっちにっていうのは、無理だ」

『……馬鹿を言え。そんなことをオレが、オレ様が求めるか……っ!!』


 その予想外の返事に、俺は鼻白む。


「……お前は、こっちの世界に来たいんじゃないのか?」

『行きたいさッ……!! 行って、貴様と決着を付けたいというのは、確かに俺の本願だッ……!! だがな、それ以上にそちらの世界に行きたがっていたアリシアを召喚してくれて、オレは、オレ様はせいせいしたと言っているんだッ……!!』

「お前、以上に?」


 アリシアが? ……それは、初耳だ。俺は無言で先を促す。


『……帰そうと思っている? ふざけるなっ……! 貴様は知らんからそんな口が叩けるのだっ……! 貴様が魔王と共に消滅したあと、あの女がどういう状態になったか知らんからそんな言葉がほざけるのだっ……!』

「ちょっと待て、なんだよそれ……」

『阿呆が……。貴様の後を付いて回り、貴様を目標にしていた女が、貴様が居なくなったことでどうなるか、想像もつかんかっ……! オレの、オレ様の終生のライバルともある貴様が、そんな簡単な想像も出来んとはな』

「いや……ちょっと待てって。通信のときはそんな気配一切なかったぞ!?」

『……大方、男よりも女の方が、嘘を吐くのが上手いんだろうな』


 ……それでも、想像がつかない。俺がアリシアに通信をした時は、声だけでも溌剌としたいつも通りのアリシアだったはずだ。

 面白おかしく、グラッドやシンラの様子を語ってくれたあれが演技とは、到底思えない。というより、アリシアにそんなことが出来るとは、どうしても思えなかった。

 その俺の沈黙に溜息を吐き、グラッドは言葉を付け加えた。


『自分で拾ったペットくらいは、自分で面倒を見ろ、セト・クズキリ……』

「……まさか、お前に説教されるとはな。グラッド」

『貴様の至らぬ点は、俺が全て網羅し、突き崩してくれる……いいか、貴様を倒すのはこのオレだ……!! オレの、オレ様以外の奴にやられることは、けして許さんぞ、貴様ッ……!!』

「……了解。お前にやられないよう、こっちでも少し必死になるわ」


 ……なんとなく、アリシアがグラッドに連絡を取れと言っていた意味が分かってきた。

 グラッドは確かに変人だが、こいつも勇者パーティの一人で、なんだかんだで俺やアリシアの身を案じていることを、失念していた。


『オレが、オレ様が言いたかったのはそれだけだ。……そちらの問題を解決してから、戻ってくるんだな。そのときが、お前の勇者としての栄光の終焉と思えッ……!!』

「……今分かったが、お前のその言葉って翻訳すると『身体を大事にしてね』になるんだな」

『その通りだっ……!!』


 認めてんのかよ。ていうか自分で理解してんなら最初から翻訳した後の言葉で喋れ。

 また伝えたいことが出来た際は改めて連絡をする、と言い残して、グラッドは通信を終える。

 騒がしい声が消え、夜の静謐が戻ってくると、途端に物寂しさを感じた。……夜になると車もないのか、一切の音がないのは不気味であるとも言える。

 ただ、なんとなく心にしこりとして残っていた、グラッドやシンラといった異世界に残してきたパーティメンバーへの負い目が和らぎ、俺は小さく嘆息した。湯船に腕を沈ませて、夜風に当たっていた部分を芯から温める。

 アリシアがグラッドを心配していたのと同じように、グラッドもグラッドでアリシアのことを気にかけていたのならば、俺は良いパーティメンバーに恵まれたと言える。

 異世界に居た頃は気付かなかったが、随分と恵まれた環境にいたのだと、今になって思うことが出来た。


 ――再び、着信音が鳴る。

 今度は誰だと、セーナを手に取る。


『バルドなのでグラッドだな』

「……? 何だ? 繋いでいいぞ」


 セーナに頼み、通信を繋いでもらうと、グラッドの声がすぐに聞こえた。


『――おやすみを言うのを忘れていた』

「気持ち悪ぃっ!!」


 俺は全力で通信を切る。掛け替えのない仲間だけど、良いパーティメンバーだけど気持ち悪ぃ!!

 ……本当に何なんだあいつ、この温かい温泉に浸かっている俺に鳥肌を立たせるとか、ある意味天才の領域に足を踏み込んでるとしか思えない。

 もう神剣じゃなくそれを武器にして戦えと言いたい。





 ――通信のせいで、かなり長湯になってしまった。

 俺は湯船から立ち上がると、ざばざばと湯をかき分ける。



「……セト、さん!」


 ……いきなり名前を呼ばれて、俺はギョッとする。

 女性の声だったので反射的に身体を隠したが、恐らくはハルカゼの声だと気付き、塀の仕切りに目を向ける。


「……ハルカゼ?」

「あ、えっと、はい……私です。良かった。違う人だったら、どうしよう、って」


 そういえば、露天風呂は隣接しているんだったか。

 流石に竹造りの塀に返しまでついていて向こうを見ることは出来ないが、声くらいは届くらしい。


「……確か昼間、入ってただろ、風呂」

「せっかくですから、その……寝る前にもう一度、入っておこうかと。そ、そっち誰か他の方いらっしゃいますか? こっちは、私だけですけど」

「居ないぞ。来るか?」

「い、いいいい、行きませんよ!!」


 軽い冗談だろうに、思い切り否定された。

 来るって言われても困るが。そして他の二人なら来そうなのが怖い。

 俺は再び湯船に身体を沈めると、縁石に背中を預けた。


「……他の二人は寝てるだろ。昼間全力で遊びすぎなんだよ、あいつら」

「そう、ですね……私も、ちょっとはしゃいでしまったので、今日はお風呂を上がったら寝ようと思います」

「うるさいだろ、アリシア。一事が万事あのテンションだから、異世界でも苦労したよ」

「で、でも……居ると、場が明るくなります、よね。ちょっとだけ、羨ましいと、思いました」


 それは否定出来ない。だからこそグラッドの言う、意気消沈したアリシアというものが、俺は想像出来ないでいるのだが。

 俺が僅かに沈黙をすると、竹で隔てられた壁の向こうの湯船で、身じろぐような僅かな音がする。


「……セトさん。セトさんは……まだ、あちらの世界に、帰りたいと思っていますか……?」


 即座に返事は返せなかった。

 こちらの世界に召喚されてすぐは、確かに可能ならばすぐにでも異世界に返して欲しいとは思っていた。

 だが、それは異世界の危機への対処が中途半端に終わっていたからであり、その危機は今、人の布団まで奪い取って腹を出して寝ているため、帰る理由が俺にはなくなった。

 そしてそれ以上に、こちらの世界でやらないといけないことが出来、帰れない理由も出来てしまった。

 だから、俺はこの世界に居るべきであることは分かっているのに……それをすぐには口に出せなかった。

 一度、この世界を捨てた人間として、胸を張ってそれを語ることが出来ない、俺の後ろめたさがそうさせているのだろう。


「……どうだろうな。勇者っていう立場を考えたときには、こちらの世界にいるべきだとは思ってる。ただ、俺は一度この世界がイヤになって異世界に逃げた人間だからな。本当は今でも、異世界に逃げたいのかもしれない」

「……そう、ですか」

「召喚されてすぐは、特にそう思ってた。せっかく異世界を救う勇者になったのに、何で元の冴えない現実を味わわないといけないのかって。こっちに居ると、俺はまだ未熟で弱い、葛切セトなんだって思い知らされることが多いからな」


 それは力の有無ではなく、心根の問題なのだろう。

 未だに友達を作るのは下手だし、先生に気に入られるコツも分からない。

 異世界に居た頃は勇者という信頼のための裏付けがあったから、最初から信用されないなんてことはなかったが、こっちでは違う。仮に力を見せつけることで他人と友情を育んだところで、それは葛切セトを必要としてではなく、力を必要としての友情なんじゃないかとも思う。

 それらを引っくるめて、自分なのだという悟り方は、まだ出来ないでいる。

 勇者である自分と、こちらに居た頃の自分との乖離は、未だに解消出来ていない心の『しこり』でもあった。


「異世界で過ごして、自分を見つめなおす時間が出来たせいか……この世界での暮らしも捨てたものじゃなかったんじゃないかとも思うんだ。ただ、それに気づけなかったのと、本気で生きてなかったからそうとしか思えなかったせいで、好機を逸してただけなんじゃないかって」

「……私も、そうだったのかも、しれません。……世界に危機が迫ってることを知って、どうにかしなくちゃって思って。……で、でも、それを説明して、親身になってもらえるような知り合いやオトナの人は誰もいませんでしたし……私も、それをするのは怖かったんです」


 ハルカゼは、魔法使いの娘だ。魔法使いなんてものは、現在に存在していい職業(クラス)ではない。

 だから、彼女は俺と同じようにこの世界に馴染めない者だった。だから、助けを現実で叫ばず、異世界に居る誰かに向けて叫んでいたのだろう。


「だから……私は、私が召喚した勇者がセトさんで、良かったと思ってます。セトさんじゃなかったら、きっと、誰も私なんて助けてくれなかったから」


 一度、勇者を召喚し、罵倒を受けた少女は、それを乗り越えて俺を召喚した。

 嫌われるのを覚悟で、俺を使おうとし、今度こそは逃さないようにと首に輪を繋ごうとした。

 結果的にそれは、俺の甘さによって大した意味を持たない束縛になってしまったが、それでも……彼女のその心根の強さによって、一度世界は救われている。

 俺が異世界で三年間掛けて培った強さをもう持っている少女は、俺で良かったと言ってくれた。


「俺もだよ。俺もな……俺を現実に召喚してくれた魔術師が、ハルカゼで良かったよ。ハルカゼじゃなかったら、俺はきっとすぐにまた異世界に逃げ出してただろうからな」


 それは、紛れも無い本心であり、ハルカゼのその強さを羨ましいと思う、異世界で誰よりも強いとされた勇者による憧憬の表れだった。

 上手く相手に言葉が届かなかったのか、ハルカゼの反応がない。

 もう一度繰り返してやろうかと思ったとき、ばしゃばしゃと湯船を掻き分ける音が聞こえた。

 衝立があるせいで、あっちで何をしているのか全然分からん。


「せ、セトさん!!」

「は、はい!!」


 急に力強く名前を呼ばれて、俺は思わず立ち上がって気を付けをする。

 何故か自然に身体がファイティングポーズを取り、次に訪れる言葉に身構える。


「あ、明日も早いので、これで失礼しますっ……!!」

「はい、ご自由に……!!」


 慌てたように湯船を飛び出して、ガラガラとドアを開けて室内浴場の方に戻っていく音がする。

 俺は構えた拳の向ける先がなくなり、だらりと湯船に拳を落とした。

 明日も早いのがまず初耳なんだが。それに、失礼しますって言っても部屋が同じなんだから嫌でも会うだろうに。


 釈然としないまま頭を掻き、いい加減風呂から上がることにする。

 縁石に置いておいたセーナを取り上げると、セーナは防水袋の中で淡く光を発した。


『――『風王翼』の準備をしておったのだが、逃げられたな』

「莫大な魔力の消費のある魔術を、覗きのために使わせようとするな」


 今ここで使って、もし見られてみろ。

 怪奇『全裸で空を飛ぶ変態男』の完成だぞ、おい。

 伝説は残してもいいと思っているが、都市伝説にはなりたくはないぞ。俺は。

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