21話 俺達の間違った青春は、まだ始まったばかりである。
「……暑いでありますなー」
「……ウム」
その資料室で、勇者パーティの一員は背中を椅子に預け、かつて世界を脅かした魔王は古びたソファに突っ伏したまま舌を出している。よくよく考えるとそれなりに異常な状況だと思った。
資料室の真ん中では学習机に座った、俺の召喚主であるハルカゼが今日も涼しい顔で魔導書を読んでいる。最初にこの世界に呼び出された頃は割りと静かだったこの教室も、今はかなり賑やかになった。
勇者と、魔王と、勇者パーティの一員と、神剣二本……そして高位魔術師という構成だ。実態はともかく、字面だけで言えば世界の一つや二つ救えそうだし、世界の一つや二つ滅ぼせそうな面子ではある。
実態はともかく、だ。
限りなくだらしない格好でだらだらとする元パーティメンバーと仇敵に、無言の文句を送りながらそいつらに飲み物を出す。
アリシアにはコーラを、魔王にはカルピスを、そしてハルカゼには紅茶を出す。いつものことだし、ハルカゼに出すついでなので他の二人にも出してしまった。完全にこの部屋の執事と化している。
目の前に置かれた炭酸飲料に、アリシアががたんっ、と立ち上がった。
「はっ、こ、これは申し訳ないでありますセト様! 給仕は本来なら下っ端の私の仕事でありました!」
「……こっちはいいから、せめて前止めろ鬱陶しい。シャツのサイズ合ってないなら換えてもらえよ」
「それが、一番大きめのサイズでありますゆえ、これ以上のサイズとなるとオーダーメイドになるでありますよ……」
ぐいぐいとシャツの前を引っ張るが、どうにも収まりきらない二つの山は、その半分以上を溢れさせる。……分かった、分かったから。その下半身に厳しい動作をやめろ。
異世界でパーティを組んでいた頃はそれどころじゃなかったというのと、アリシア以上の問題児、グラッド・ブランクノーツがいたせいで意識をしたことはなかったが、こちらの世界に来てからというもの、日頃貧乳に慣れている俺の目にはかなり毒だった。
「――鼻の下を伸ばしおって、無様だな」
カルピスを啜りながら悪い方の貧乳が呟く。
俺がハルカゼの命令で引っ張りだした資料室の奥で埃を被っていたソファに寝転がり、俺が調合したカルピスを飲んでるやつに無様とか言われたくない。
仮初めの幼女の姿をした異世界の魔王は、文句ありげにズズズとカルピスをストローで飲み切ると、当然の如くおかわりを要求してくる。
俺はその差し出してきたコップを取り、出来るだけ薄めにカルピスを作り、返す。せいぜいギャップから起こる酸っぱさで泣きを見るがいい。
「セトさん……いつも、ありがとうございます」
夏に差し掛かったからか、伸ばしっぱなしだったセミロングの髪を後ろで纏めたハルカゼが礼を返してくる。
その礼に、俺は違うだろ、という視線を返すと、ハルカゼはすぐに了承したように苦笑いする。
「……い、言わずとも紅茶を淹れてくれるくらいの学習能力はついたんですね。この調子で行けばもうそろそろお猿さんに敬語を使う日々は卒業出来るかもしれませんね。ですが、今のところまだ社会的階級はセトさんの方が下ですから、わきまえてくださいね……?」
「この前までケツの青い新人呼ばわりされてたのに、今度はケツが赤い先輩にひれ伏す日々なのかよ」
最近は割りとこちらの要求に答えて流暢に罵倒をしてくれるようになったマイ・マスターにツッコみながら親指を立てる。
もはや俺は何のためにこんなプレイをハルカゼに強要しているのかは分からなくなっているが、確かそう、これは必要なことだったんだ。そうに違いない……頭が痛い、俺が隠れマゾだったということ以外、何も思い出せない……。
その様子を眺め、アリシアが感心したように「……ほえー」と言葉を漏らす。
「異世界の勇者たるセト様にそのような言葉を……ハルカゼ殿はやはり凄い人なのでありますな」
「……貴方も、従者の従者であるのですから、ひれ伏しても良いのですよ、アリシアさん」
「は、はひ! そ、そうでありましたな! 主の主といえば、主も同然、いや、それ以上の存在でありますゆえ、失礼申し上げました!」
「そ、そのだらしない乳肉を、根本から削がれたくなければ、無理矢理にでも服の中に納めなさい……?」
おやあ。何かこう、演技でない殺気が漏れた気がするぞ。ハルカゼの後ろに、ドス黒いオーラが見える。
その罵倒の言葉に、アリシアは涙目になりながら必死にシャツの前のボタンを閉めようと頑張る。やっと止まったところで内側からの圧力で思い切りボタンが飛び、窓の外に飛んでいき、涙目でそれに手を伸ばした。……すげえ。
ハルカゼの手元で、置きカップであるお気に入りの食器がぴしりと軋む音がした。……マジ怖いですマイ・マスター。
「全く……お、おいでなさい……アリシア……胸も服の中に収めきらないイケナイ子には、お仕置きを与えないといけないですから、ね……」
「あ、あわわわわ……!! も、申し訳ないであります……!! せ、せめて生命だけは……」
「いけないのは、この胸、ですねっ。この胸がっ。胸っ。おっきっ……やわらっ、わっ、すごっ、えっ!? こんなにっ!? わぁ!?」
「ひ、ひぃやぁ!! やめて欲しいであります!! そんなに強くされると、い、痛っ、も、もげ、もげるでありますよ!!」
……詳しい描写しなくていいか? なんかある意味で地獄絵図みたいな一方的なキャットファイトが目の前で繰り広げられている。良い方の貧乳も、それほど良い方ではないらしい。あんなに伸縮自在なんですね、女性の胸って。何が詰まってんだろう。夢かな。
純粋に自分が撒いた種であるのでその一部始終を見届けるという意味で、なんらやましい気持ちもなくその情景を眺めていると、後ろから魔王の声が聞こえる。
「……何を珍しいものを見るような目で見ておる。同居しているのだから毎日見放題であろう」
「ばっ、お前っ!!」
一番最悪のタイミングで、最悪のバラしかたをしやがる魔王に俺は慌てて口を塞ごうと手を伸ばす。
魔王はレベル1の癖に器用に少ない魔力を使って空中へと逃げ、薄いカルピスの報復だ、とばかりにニヤリと笑みを零した。
「……ど、同居!?」
背後から一拍遅れてハルカゼが驚きの声を上げる。その両手はアリシアの胸を鷲掴みにしており、アリシアはどこか紅潮した顔で息を荒らげてぐったりとなっている。
「……いや、まあ、うん」
「そ、そそ、それは不味いんじゃないですか!? えっ!? 高校生同士で、そんな……!!」
「待て、そんなお前の考えてるような不純なものでは絶対にない、落ち着け、ちょっと漏れ出してるお前の魔力がどんどんピンク色になっていってるから、っていうか無意識かもしれないけど俺の紋章に痛みを与えてくるのやめてくれませんか、マジで痛くなってきてんだけど!!」
その俺の言葉に、ハルカゼは完全無意識に発動していた『俺の手にある紋章』への痛み攻撃をやめてくれる。従属のために召喚主であるハルカゼによって付けられたこの紋章は俺にも、そして背後で腹を抱えて笑う魔王にもある。
また、アリシアをこちらの世界に召喚したのは俺であるので、アリシアの手の甲には同じ形の青い紋章がある。俺が望めば今ハルカゼが俺にしたような耐え難い痛みを、俺はアリシアに与えることで従属させることが出来る。今のところ完全に必要ないくらいアリシアは駄犬っぷりを発揮してるが。
……実はその駄犬、色々な成り行きがあり、俺の家で飼うことになっていた。
「……魔王は偶然住処というか、世話になる相手を見つけたけど、アリシアには行く宛がなかったからな。だから一応、ホームステイっていう形で、何だ、俺の家でしばらく暮らしてもらうことにして、だな」
「あ、はい、セト様のお家、クズキリ宅でご家族様にお世話になっているであります!!」
元気良く言ってくれるアリシア。信じられないものを見るような目で見てくるハルカゼに、俺の胃が痛む。
本当、正直言えば他の方法が採れれば良かったんだが、早めに策を実行に移さなければアリシアに路上で寝させることになるし、なおかつこの方法であるなら、魔王が協力してくれるという口車に乗ってしまったがゆえのこのホームステイ策だった。
ハルカゼの漏れだした魔力を魔王の事象改変で操作し、アリシアという存在を家族に受け入れやすくしてもらい、アリシアは葛切の家の二階、妹の部屋に寝泊まりしている。
幸いなのは、アリシアが妹と意気投合したことで、最近はプチ女子会状態で夜中まで隣から話し声が聞こえてくる。そのくらいは家族を騙している俺への罰としては軽すぎるくらいなので我慢しているが。
ハルカゼの俺を見る目がマジで怖い。召喚してすぐの頃の絶対零度の視線が俺の良心を突き刺してくる。
違うんだ、マジで違うんだ、信じてくれ。
「妹君も良くしていただいて、感謝感激でありますよ。住処が定まれば、すぐに部屋を引き払ったうえ、何らかの御礼を差し上げなければなりますまいなー」
呑気に言うアリシア。その脳天気な様子に、自分が危惧していたような事実はないと分かったのか、ハルカゼはふう、と溜息を吐いて再び席へと戻った。
俺も安堵の溜息を漏らすが、座る直前に俺の紋章がつねったような痛みを発して、手を引く。
……はい、了解しております。そんなことは絶対に起こりませんので、マイ・マスター。
「昨日も深夜まで語り合ったでありますよ。何やら妹君は、男同士の友情物語にご興味がある様子で、私もそうでありますと同意したところ今度漫画とやらを纏めて貸していただけるとのことでありました。楽しみでありますな」
「………」
「おや、何でありますかな、セト様のその何か言いたいけど何と言っていいか分からないみたいな表情は?」
「……いや、こればっかりは、何か踏み込んで俺が止めてやれるような話題じゃない気がしてだな。ハルカゼが『世界の危機』を察知するときと同じような能力が、勇者にも備わっているのかもしれん……」
恐らく、我が妹は最初はライトなところから始めて、徐々にヘビーな方に誘い込む作戦だろう。
作戦としてはなかなか上々であり、流石勇者パーティでいつも作戦を考えていた俺の妹だけある。全然感心出来ないが。
……個人の趣味の問題に口を出すものじゃないという、妙な倫理観が俺を前へと進ませない。
「恥ずかしながら私も男性同士の友情が良いものだというのは、異世界で冒険をしていたころから思っておりましたゆえ。特に、話をしていると反発する二人がその実互いに認め合うような展開が、妹君は『燃える』らしく、それには私も同意したでありますよ」
……多分それ、もえるの漢字違うと思うけどな。いや、ある意味では正しいのか?
「懐かしく思いますな、セト様とグラッド殿。ことあるごとに反発しておられた二人でありましたが、こと戦闘ともなれば抜群の連携で敵を駆逐する様は、見ていて羨ましい限りでした」
「……頼む、俺とグラッドの名前をその話題に続けて出すのは勘弁してくれ……」
何故かMPがごっそり削られた感覚がある。
俺の異世界での必死の冒険譚や仲間の絆が、別の意味を持ちそうで心臓が痛い。
……ただ、その頃のことを懐かしく思うのは俺も同じだ。
ついこの間まで、当たり前のように顔を合わせていた俺のパーティメンバー。もちろん目の前のアリシアもそうだし、今異世界にいるグラッドとシンラは、信頼できる仲間の一人だ。それぞれの理由とそれぞれの決意を胸に剣を振るった日々が、どこか遠く感じられる。
生まれはこちらなのだから、郷愁と言っていいのかどうか分からないが、懐かしさに面映ゆさを感じていると胸ポケットでセーナが光る。
『……ちなみにそのグラッドだが。昨夜だけで19件着信があるぞ』
世界で一番聞きたくない情報だった。
何だよ19件って、リアルと非リアルの丁度真ん中みたいな数字で死ぬほど怖ぇ!! 何なのあいつ、俺の何のつもりなの!? あいつが女でも愛想つかすぞそのレベルの依存度!!
マジで気持ち悪いのでセーナに早く着信拒否の機能が付くことを祈る。
「異世界から私が召喚されてしまったでありますからなー。グラッド殿としてはこちらに来たくて来たくて仕方がないのでありましょう。セト様が居なくなってからというものの、本当に意気消沈されておりましたゆえ」
「……まあ、いきなり居なくなったのは悪いとは思ってるが……今丁度こっちに俺とアリシアがいて、異世界にグラッドとシンラがいるんだから、世界的にはちょうどいいバランスだとも思うんだよな……」
異世界も居世界で、魔王こそ居ないがまだその眷属は一定数いるようだし。
「……19件について全て取れとは言いませんゆえ、一度喋ってみてはいかがかと、助言申し上げるでありますよ。やはり、私もセト様が居なくなって寂しかったでありますからね。グラッド殿も、シンラ殿も同じ気持ちであるならば、その気持ちを出来れば無碍にしてあげないで欲しいであります。世界にたった四人の、神剣使いでありますゆえ」
「無碍にしてるつもりはないんだが……異世界に居た頃は、もっとドライに接してたのにな、あいつ」
「……居なくなって初めて分かることも、あるということでありますよ」
どこかお姉さんぶって、アリシアが微笑む。
俺は居心地が悪くなって鼻の頭を掻いた。
「……あーっ、暑いのー。暑い暑い」
完全にこちらに対する当て付けのように魔王が大声で言い、窓を開けた。
風が吹き込むこともなく、温い空気がじんわりと部屋の中に入ってくるだけだったが、温まった室内の空気が入れ替わるだけでもありがたさを感じた。
人が四人、本だらけの空間で会話をしていると、人間の体温で気温というものは上がるらしく、気づけば結構な蒸し暑さとなっていた。
初夏でこれだけ暑いのだから、夏が来たらどうなってしまうのかとも思う。
さっきまで汗を掻いていなかったハルカゼも、室内に篭った熱気に、額から汗を流していた。
ハンカチでそれを拭きながら胸元を手で仰ぐ。
「……この湿度と暑さって、本にとっても不味いんじゃないのか?」
適当な本を手に取り、自分を仰ぎながら言うと、ハルカゼはそうかもしれませんね……と同意する。
直射日光こそないとはいえ、本にとってあまりいい環境ではないことは確かだ。まあ、元から本を大事に扱おうとする人間は、こんなところに乱暴に本を積み重ねたうえ、埃まみれで放置したりはしないだろうが。
「クーラーとかないのか。おい勇者、ソファを見つけた場所を探してくるがいい」
「何でお前に命令されなきゃならないんだよ。それに、クーラーみたいな大きなものがあればすぐ見つかるだろうから、なかったよ。……確か扇風機ならあったような」
「馬鹿を言え、ただ風を起こすだけの道具などクソの役にも立たぬわ」
『――貴様魔王そこに直れ』
「フン、何の逆鱗に触れたかは知らぬが、暑さで余の優しさも品切れ状態であるが、刃を向けるか文房具」
小競り合いを始める魔王と神剣に、嘆息する。どうにもフラストレーションが溜まる気温に、誰もが苛立ち始めている。
「どこか、集まるにしても、涼しい場所に移りたいものでありますなー。ハルカゼ殿、本を持参して図書室にでもお邪魔した方がよろしいのではないでありますか?」
「……そ、そうかもね。どうします、セトさん……」
「あー、まあ、でも、図書室に行くとここみたいに騒ぐ訳にはいかないしな……それに、もうすぐ五時半だから、今から移動するのもな」
俺がシャーペンで時間を確認すると、デジタルの表示は17:20を指している。
いや、ちょっと待て。
いつの間に時計機能ついた神剣。何気なく見たけど何度見なおしてもシャーペンの側部に時計機能がついている。
あああ、うぜえ! こいつ無言でドヤ顔してやがる!! 俺が驚くのが見たくて黙ってたなこいつ!!
「ば、場所を変えるにしても、来週話し合い、ましょうか……」
「そうでありますな! 明日から連休でありますゆえ! 少しは涼しくなってくれるとありがたいでありますが!」
「流石に昨日の今日でそう変わらないだろうが……まあ願うだけはタダだしな。家も家で寝苦しいんだよな……」
「そうでありますねー、昼間は残念ながら部屋の中も暑いでありますし。どこか涼めるような海とか行きたいでありますなー」
アリシアがぽつりと呟いたその言葉に。
魔王が、ぽん、と窓際で手をついた。
「……それだ。良くやった、貴様」
大仰に言ってのけ、ニヤリと笑った後、既に決定したことを伝えるような口調で、魔王はそこにいる者全てに言葉を投げた。
「――海に行こう」
……行くらしかった。
もう、決定している、らしかった。
……え、いつから?




