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20話 初夏が齎した始まりと、当面の俺達の問題。

 雑多に本が詰まれた資料室。

 

 いつもこの資料室の主である、桜倉(サクラグラ)ハルカゼが座って魔導書を読んでいるその席に、ポツンと蛍光マーカーが置かれている。しかも、キャップが外れた状態で。


 ……それ自体は日常に良くある風景であるのだが、その蛍光マーカーの事情や生い立ちを知っている俺、葛切(クズキリ)セトは渋い表情でその机の上に打ち捨てられた元神剣を眺める。……俺が異常性癖を持っているように思われるかもしれないが、その光景はさながら乱暴されたあとに力なく横たわる婦女子のように見えてしまう。

 蛍光マーカー……赫剣『クァグラム』がここに置いてあるということは、持ち主であるアリシア……書類崎(ショルイザキ)アリシアは近くにいるということだろう。というか、得物がこんなところに置いてあるということで、あいつを異世界でパーティに入れていた俺としても、『クァグラム』の女性人格であるグラムにしても、近くにいてくれというのは願いですらあるだろう。


 居なかったら不用心過ぎるだろ、勇者パーティの一員。

 居なかったら不憫過ぎるだろ、この神剣。

 異世界に居た頃は魔王を滅ぼす事が出来る唯一の武器として崇め奉られていただろうに、今やそれは初夏の蒸し暑い空気の中、直射日光こそ当たっていないがジリジリと気温の上がっている資料室の中で、ゆっくりとインクを蒸発させていた。

 俺はその背中に優しく自分の着ているコートを着せてやるような幻視を見ながら、静かに何も言わず彼女を拾い上げ、キャップを閉めてやる。グラムはそれに気づき、我に返ったように赤く輝きを放ち始める。


『……セト様』


 何も言わなくていい。犬に噛まれたと思って忘れればいい。きっとまた、笑える日が来るから。


「……アリシアどこ行ったんだ?」

『……買い物に出かけたのだと、思います。恐らく、行き先は購買でしょう……。斯様に、資料室は大変暑く、日頃よりアリシア様が愛食されております、ガリガリちゃんをお求めになっておるのではないでしょうか』

「お前を放り出してか?」


 それは、流石に余りにも不用心過ぎるだろう。形が変わったからといって、自分の得物を簡単に手放すような教育、俺は異世界でパーティを組んでいたときにもしていなかったのに。

 少しだけ腹が立つが、もしかするとそれは、俺がこちらの世界にハルカゼによって召喚されたときと同じように、平和な世界に適合するための平和ボケであるのかもしれないと思った。俺もまあ、大概他人のこと言えなかったしな。

 グラムは、まるでダメ亭主を庇う出来た女房のように泣きを入れてくる。この場合亭主も女だが。


『違うのです……どうかアリシア様を責めないでください』

「もし叱るとしても、俺個人というよりは、元同僚でありパーティのリーダーだった立場としての注意と叱責だから、お前が気にすることないよ、グラム」

『本当に違うのです……アリシア様は忘れていったのではなく、(わたくし)を落としていったのです。ですから、責められるべきはアリシア様の不注意ではなく、彼女の胸のサイズでは確実に内側からの曲線に押し出されてしまう、この学校の制服の構造にこそあると思うのです……』


 ……凄い対象へのダメ出しが来た。

 分からなくもないあたり、どう注意していいのか一発でわからなくなってしまう。確かに、日本人離れしたあのバストは、胸ポケットがポケットの役割を果たしていないことは認める。その大きさは、ボタンという概念への挑戦であり、布という素材に対する虐待であると思うレベルだ。

 だからまあ、胸ポケットに俺が神剣『セーナトゥーハ』の成れの果てを収めているのを真似れば、動いている間に落ちてしまうことも考えられるかもしれない。元々、日常においても動作の大きいタイプのやかましい奴だからな。


『ですから、むしろその収まるべき場所に収まるこという最低限の仕事も出来ない、私をお責めください……!! あまつさえ落下の衝撃でキャップまで外れる始末……神剣にあるまじき装甲にございます……!! ですから、どうか、何卒、セト様……私めに罰を……!!』


 ……あー、そうだったな。

 こいつもこいつでかなり面倒な性格をしているんだった。

 俺とセーナの関係が、完全に仲の悪い相棒同士だとするなら、アリシアとグラムの関係はアホな姫と苦労する従者といったところだ。基本的にグラムはアリシアの言うことは聞くし、かなり積極的に協力をしてくれる。ただ、それが仇となってアリシアの間違った選択にも口出しできないという短所もあるので、どっちもどっちだと思う。


『文房具としての誇りを持たないからそうなる』

「文房具としての誇りしかもう持ってない奴が言うな」


 俺の胸元で、セーナが青い光を発しながら呟くのにツッコむ。誰もが皆、お前や魔王のようにこちらの世界に速攻で順応できるわけじゃないんだ。最初のころ、俺だけが異常なのかと思ったが、グラムを見ていると俺は異常じゃないと実感できて少しだけ安心する。

 文房具に同属意識持ってる俺は十分に異常だという説もあるが。

 セーナはこの世界での後輩であるグラムに、鼻もないのに鼻で笑いながら言う。


『与えろというのなら、与えてやればいい、主よ。確かに、いざというときに主を守るように侍っておけぬ神剣など、ただの無用の長物だからな』

「無用の長物がこう言ってるんだが、俺はやっぱりアリシアの不注意を注意すべきだと思うぞ、グラム」

『そ、そんな……!! こちらの世界に来て、拠り所のない私の主様の唯一の拠り所からの叱責、アリシア様のか弱いお心にはきっと辛すぎるでしょう……!!』


 いや……そうか? 結構あいつもあいつでこっちの世界を満喫してるように思えるが。

 まあ、俺に対しての依存が若干強くなっていることは否定しないが、それもこちらの生活に慣れてくれば少しは改善するだろうし。幸い、孤立するかと思われたクラスの中でも、持ち前の明るさとキャラクター性で同性にも異性にも愛されてるしな。

 いい意味でも悪い意味でもムードメーカーなところはあるし、居れば場所が明るくなる類のバカなので、誰にも危険視されないままクラスの中心にするっと入っていったからな。むしろ俺の方が若干クラスで浮き気味になっているので、爪の垢を煎じて飲みたいくらいだ。


『こう言っているのだから、与えてやれ。キャップを外した上で根本の方をぐっと握り、机の何もないところにドンッ、と叩きつけてやれ』

『い、いやあああぁぁぁっっ……!! 蛍光マーカーとしての命が終わってしまうぅぅぅ……!! 引っ込んで二度と出なくなってしまうわぁぁぁぁっっ……!!』


 命の危機に手の中のマーカーがブルブルと震える。やらないから安心しろ。

 セーナもセーナでえげつない処刑方法を簡単に言うなよ。文房具に対しての敬意はどこにいった。


『……己の本分を忘れている者に、掛ける慈悲などない』

「己の本分取りに、異世界に戻るか? お前」

『現状を否定するのは容易いが、経験してみねば分からぬことも多いという話だ。グラム、心の何処かでまだ神剣であった頃の自分に未練があるのだろう。だから、そのような失態を犯すのだ。受け入れよ、これが我らのあるべき姿だ』


 受け入れられるかよ。俺だったら異世界に召喚されて文房具になってたら一秒と持たずに死を選ぶわ。

 無茶苦茶言う神剣に、だがもう一振りの神剣は泣くのをやめてその声に耳を傾ける。


『我らは、剣として造られた。他者を害し、排斥するために……結論として、生命を奪うためにな。それが武器としての宿命であったがゆえ、我は誰にも抜かれぬことこそ、我が本懐と思い、百年の悠久を語らずに過ごした。どれだけ武器として優秀であろうが、成せることと言えば生き物の生命を奪うことだ。それに誇りなど、見い出せなかったよ』

『……セーナ』

『だが、今はどうだ。我らは後世に何かを残せる道具と成った。言い尽くせぬ思いを、語りきれぬ心を、誰かに伝えうる声なき声と成った。喜べ、同志グラムよ……他者から奪うことしか出来なかった我らが、その他者に何かを与える事が出来る姿へと、その身を変える事が出来たのだ。これを、進化と呼ばず何という。だから、同志よ……受け入れよ。自らの書き味を高めることに、全身全霊を注げ……! 我らは、誇り高き文房具である……!!』

『……セーナッ……!!』


 感極まって共鳴反応を起こす二振り。

 流石というかなんというか、家族刀のグラムの扱いを最高に理解している辺り、セーナの恐ろしさの片鱗を見た気がした。

 だってこいつ、異世界に居たころ、野生の獣を切り分けるときに刀身使ったとき、『貴様は我を何だと思っている。我は魔を駆逐しうる神剣であるぞ。その誇りを汚し、調理器具として使うとは神をも恐れぬ愚行であるぞ!!』って激昂して、二週間くらい一切口聞いてくれなかったくらいなのに。それくらい、自分が神剣であることに誇り持ってたのに。

 なんで己の信念捻じ曲げてまで、同志を文房具界に()とそうとしてるんだこいつ。即興でしたにしてはかなりいい話風だったので、初めて聞いたやつがいたら本当にそういう悩みを抱えて武器として生まれてきたかと思うだろうが。長編戦記物の最終話で剣を置く老兵士みたいなこと言いやがって。


 そんな口車に載せられて、騙されていることに気づかないまま世界最高の蛍光マーカーを目指すことを決めたグラムは、少しだけ落ち着いたのか声のトーンを落として語り始める。


『ですが……セト様の言うことにも、少し納得できる部分は私にもあるのです。最近やはり、アリシア様はどこか気を休めておられると言いますか……かつて異世界で剣を振るっていたころの面影は、薄く感じられてしまうのです』

「あー……まあ、そう、だな」

『耳の痛い話だな、我が主よ』

『はい……ご無礼を承知で箴言をさせていただけるのでしたら、セト様も、また同じように、こちらの世界でお顔を拝見させて頂いてから、同様の問題に悩まされているのではないかと危惧しております……』


 反論しようにも言葉が出ない。

 一応、今の俺達の置かれている状況や、姿が変わってしまったとはいえ仇敵が近くにいる状態を鑑みて、なるべく気を引き締めるようにはしているのだが、こちらの世界で気を張り続けるのは中々難しい。異世界程の危機的状況に常に晒されているわけではないので、平和ボケをしていると指摘されればそれは妥当な評価なのだろう。

 アリシアがそうであるように、俺もまた先の『世界の危機』からしばらく経った今、気が緩んできているのも確かなのだろう。……こればっかりは、仕方がないとも言えるが。


「出来るだけ気をつけるようにはしているけどな……逆に気を張り続けてると、こっちの世界では少し浮くんだよ。逆に……グラムもアリシア程とは言わないが、少し気を楽にしてみるのもいいんじゃないか」

『そんな……それは余りにも難しい助言にございます、セト様』

「いざというときは気を引き締められるように、意識して生活はしてる。それで足りないか。……いや、違うか。お前やアリシアが来てくれて、信頼できる仲間が近くにいるから、自分一人で気張っても仕方がないってわかったから、そうなってるのかもな。言い訳がましく聞こえたら悪い」

『そう、なのでしょうか……でしたら、良いのですけれど』


 心配性なアリシアの得物に、俺は嘆息する。

 元々、アリシア自身も背負った重責が徐々に大きくなっていった類の冒険者であったから、一番気を張っていた時期に引きぬかれたグラムにとっては、そういうアリシアが普通で、今の状態はまさに腑抜けに映るのだろう。

 グラムはまだ納得出来ないように言葉を零す。


『かつて、私の主であるアリシア様は、女性の筋量というハンデを抱えながら、剣の技術と研鑽によって、並みの男性すら寄せ付けぬ剣技を身に付けた努力の(ひと)でございました……。才能と、一言で片付けることはけして許しはしない程の苦行を乗り越え、気高く、美しい騎士にございました』


 確かに、体躯こそ普通の女性より恵まれていたが、筋量において劣るアリシアは、騎士として恵まれているというかと問われれば言葉を濁すしかない。女性特有のしなやかさで対抗するには、戦闘における膂力というものは余りにも強力な手札なのだ。

 だが、そのハンデを乗り越えるために、アリシアは研鑽を人の何倍も重ね、誰よりも早い反応速度と、次の動作を意識した舞いのような戦法を編み出た。これに関しては俺も手伝っていたので、アリシアがどれくらい苦労を重ねたかは知っている。男でも泣き叫んで逃げるであろう訓練を使命感を胸に燃やして笑顔でこなしていたあいつは本当に頑張ったと思う。


『剣一本で身を立てる、使われる剣にとっては本懐とも言える持ち手と巡り会え、私は神剣として生まれ落ちたことを幸福と思えるほど、アリシア様を尊敬しておりました……! 彼女こそがこの世界に平穏を齎してくれる、剣の女神であると信じ、この赫剣『クァグラム』はアリシア・ファイルカスタム様にお仕えしていたのです!』


 自分の言葉に酔っているのか、口調がだんだん芝居っぽくなってきている。

 テンションが上がっていく蛍光マーカーに、若干引き気味の男子高校生とシャーペンがそこに居る。


『――ですがッ……!! こちらに来てからのアリシア様は、まるでその頃のお姿が夢幻であったかのように気を抜かれ、学業にすら躓かれるお始末……!! それどころか、当初は一般的な学生に比べても、かなりの前段階でお躓き遊ばれ、九九にしては三の段こそ修めておられましたが、五の段すら怪しく、七の段においては壊滅と言っていい程のご成績……!! 世界を救うと気高くあられた頃のアリシア様が、そのようなお姿を晒していること、誠に遺憾であり、私は嘆かわしく思っております……!!』


 ……まあ、うん。

 一応、飲み込みは他人の何倍も早い子だから、ここしばらく俺が付きっきりで教えた詰め込み勉強のお陰で、普通に頭が悪い程度までは落ち着いたけど、ちょっと酷かったね。三ヶ月の勉強ブランクのせいで成績下位の俺が、引くくらい何にも出来なかったから。

 お陰で俺も色々復習が出来て、この前の中間テストではそこそこの成績を残せたので逆に良かったとも言えるが。


『そのような状況、到底仕えしこの身が見過ごす訳にはいかず、陰腹を切れればそれをした後に箴言したく思っていたことにございます……!! セト様、何卒、アリシア様のかつてのご勇姿を取り戻していただくよう、ご指導いただけませぬでしょうか……!!』

「……ご指導ってお前。いや、アリシアもあれで、やるときはやる奴だからさ。一応勉強もある程度頑張って人の何倍もの吸収力で修め切ったわけだから、そんなに心配する程のことでもないだろ……」


 グラムは俺のその言葉に、ですが、とまだ引き下がろうとする。

 俺は嘆息して言う。


「三年間、冒険を共にしてきた俺が言うんだ。信じてやってくれ。……あいつは、その頃の自分を忘れちゃいない、やろうと思えばやれるやつだって、俺は信じてるよ。……それとも、自分の持ち主を信用出来ないか?」

『――出来んな』

「ちょっと黙ってろ文房具代表」

『そう……ですね。……セト様が、そう仰られるのであれば……信じて、みます』


 説得しておいてなんだが、本当にこのクァグラムという名前の神剣、ちょろいと言えばちょろいな……。

 心配性である代わりに、安心材料も疑いなく信じる、ある意味で純心なその神剣の爪の垢は、俺の胸で輝くシャーペンに飲ませてやりたいと思う。



 そのとき、資料室の扉が開いた。


「ふぇぁーい。あ、セト様!! おしゃーす!!」


 ……暑いのか、胸元をブラが半ばまで見える程に開き、半開きの口にアイスを咥え、片手でスカートを持ち上げて、反対の手に持った下敷きでパタパタとその中を扇ぎながら教室に現れて、気の抜けた挨拶をするアリシアに。


 ――俺は躊躇いなく蛍光マーカーを叩きつけた。

 「あいたー!!」と額を抑えて倒れる元同僚。


 蛍光マーカーも、それは流石に仕方がないと思ったのか、何も文句を言わなかった辺り。

 もしかしてこの蛍光マーカーの言う通り、こいつは釘を差しておかないといけない状態なのかもしれないと思った。

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