2話 貧乳マイマスターハルカゼ。
……もしお客様の中に、一度異世界を救った勇者様がおられるなら教えて欲しい。
――ねえ、世界救った後ってどうしてる?
多分異世界に召喚された人間っていうのは、俺みたいな元凡人が召喚されるくらいだから、数としてはそんなに珍しくないんじゃないかというのが俺の見解だ。
一クラスに一人や一学年に一人とは言わないが、その学校で数年に一人くらいは異世界召喚されてるよな? 俺みたいに結構上手く立ちまわって、世界救っちゃってるんじゃないの。どうなのよそこのとこ。
創作話とかでそういう異世界冒険譚っていうのはこっちの世界に居た頃に良く読んでたんだが、完結した話に殆ど触れていなかったせいか、冒険が終わった後の身の振り方がこれっぽっちも分からないでいる。
大体そういう話では――冒険はまだまだ続いていくとか――この坂を登り始めたばかりなんだからよ、といった余韻を感じさせる終わり方が多かったと思う。一部、あの日々を忘れない、って感じで現実世界で再び日常を取り戻すのもあったか。
ともあれ、前述の通り世界を救った後の勇者が取れる選択肢は大きく分けて二つあるよな。
その世界に残るか。
元の世界に戻るのか。
まさかとは思うけど、世界を救う前に元の世界に呼び戻された人っています? いませんよね?
あ、ちなみに途中で呼び戻された勢の一人たる俺は今、一つ年下の召喚主の為に紅茶を煎れています。
「……角砂糖はいくつですかね」
「すいません……二個半です」
「……半ってなんだ半って?」
「……半分っていうことです」
分かるわ。
その半分ってどうやって調達するのかを異世界の勇者、『颶風のセト』は聞いているんだが。
どこかおどおどビクビクしながらも、俺の召喚主である桜倉ハルカゼレベル99は従者に命令を下す。
「そ、その戸棚のところに、果物ナイフがありますから……ずばっとやっちゃってください」
「え、そのずばっとやっちゃうのって、俺が紅茶を淹れる度にやるんですかこんちくしょう」
「は、はい。お願いします」
「正直に言っていいかマイ・マスター。滅茶苦茶、死ぬほど面倒臭いんだが」
「あ、でも大丈夫です……次回は、今回切った砂糖を取っておけば切らずに済みますよ」
グッドアイデア! 死ねマイ・マスター! 心の中で毒づきながら戸棚から果物ナイフを取り出して、角砂糖に添える。
少し前までこの両手は上位魔族を神剣で真っ二つにしていたはずなんだけど。
剣技のスキルはカンストして武術大会にも二度程優勝していたんだけど。
……それ以前に、俺、異世界では勇者だったんだけど。
心の中で文句を言いながら、慎重に果物ナイフを引くと、ズンッ、と勢い余ってまな板の半ばまでを切断してしまう。俺の頬に冷や汗が流れる。
後ろで見ていたハルカゼも、その様にドン引いたらしく、口の中で小さな悲鳴を上げた。
……こちらの世界に召喚されてから、実は既に二週間ほどが経っている。
俺が異世界に召喚されたのが高校一年の冬だったが、今いるこの世界はそれから三ヶ月程経った春に当たるらしい。つまり、異世界で三年はこちらの世界では三ヶ月に当たる……のか? ちょっとこの辺は分からない。
何せ俺の体は三年経ってそこそこに筋肉が増えて成人前の肉体になっていたはずなのだが、こちらの世界に召喚されたことで残念ながら普通の高校生のそれに戻ってしまっていた。まあ三年経った体で高校生活を送るよりはだいぶマシだけれど。
そして三ヶ月と二週間が経ったことで、俺の学年は自動的に一つ上がっていた。
当然ながら三ヶ月間失踪扱いだったので、両親には滅茶苦茶怒られ、妹から携帯電話の所持を義務付けられ、飼い犬には顔を忘れられるという状況が待っていた。一薙ぎで龍の首すら落としてみせる『颶風のセト』は再召喚された当日に二時間半正座で説教を受けた。レベル255の勇者でも勝てない敵というのはいるらしい。
その時に気づいたのだが、どうもこちらの世界に戻ってきた後も、あっちの世界で培ってきたスキルや能力は有効らしく、両親や妹にもサラリーマンレベル10だの主婦レベル12だのあっちの世界じゃお目にかかれないクラスとレベリングを見ることが出来た。
一番ショックだったのが妹がダブルレベリング持ちで、メインクラスが学生なのはいいのだが、サブクラスが腐女子になっていたことだ。しかもレベル30超えてるの。到達者かよお兄ちゃんは知らなかったよ、そんなこと。そして知りたくなかったよ。
そして何より、腕力や魔力もそのまま持ってきてしまったようで、今みたいに刃物を持てば剣技スキルでまな板ごと両断できるし、誰もいない校舎裏で炎を呼び出したら危うく小火になりかけた。
広大な世界で思い切り剣を振り回して魔法を放っていた頃に比べて、日本という国は余りに狭くて窮屈だと思いました。……これってカルチャーショックの一種なんだろうか。
なのでいまいち手加減の出来ないまま様々な雑事を押し付けられて辟易しているのが現在である。
そう、俺は辟易していた。
あっちの世界への召喚は、ある意味世界を救える人間をお願いして呼び寄せた感じの召喚であったのに対し、ハルカゼが行った召喚はどうも強大な力を持った者を隷属させる類のものだったらしい。
おかげで、ハルカゼの命令に逆らうと手の甲に浮かんだ紋章が物凄い痛みを発し始めるのだ。
孫悟空か、俺は。『波』が撃てない方の。
しかもだ。
付き合ってみて気づいたのだが、この桜倉ハルカゼという少女、外見は小リスを連想させ、立ち振舞いはおどおどと気弱そうに見えるにも関わらず、俺を行使することに何の良心も痛まないような『いい性格』をしていた。
簡単に言う。気弱なドSがこいつだ。
ハルカゼに出会うまでならきっと、それは冷たい熱湯のように矛盾してる言葉に聞こえただろうが、その二つの属性は同居が出来るらしい。
「あ、あの……早くしてもらえますか」
「ハイハイハイハイ」
「ハイは一回半でいいです……」
「ハイを半分に切れる果物ナイフを用意しろ! 今すぐだ!」
俺が乱暴に紅茶をハルカゼの前に置くと、ハルカゼは読んでいた本を机の脇に置いて紅茶のカップを手に取る。良く分からないが、魔導書の一種らしい。
どこかボーっとした外見をしているこのちんまい少女の額には、やはり高位魔術師の表示と、レベル99の表示が浮かんでいた。
こちらの世界に魔術師が居るなんて話は聞いたことないが、そんなことを言えばレベル255の勇者だってここに居て、しかも後輩の女子に紅茶を淹れているんだから他人のことをとやかくは言えない。
ハルカゼは俺の視線を全く気にせず紅茶を一口啜る。すぐに泣きそうな顔になり、
「ぬる……」
「熱いの淹れなおしましょうかね!! マイ・マスター!!」
「……くて丁度いいです」
「……一度はっきりさせておきたいんだが、ハルカゼお前俺のこと嫌いだろ!?」
「そ、そんなことないです。好きです。はい、好きですよ。牛乳拭いた雑巾よりも、かなり好きです」
「大抵の物は牛乳拭いた雑巾よりランク上だろうが!!」
憤慨して叫ぶが、ハルカゼは少しビクリとした後、えへへ、と笑った。その笑顔だけは可愛いことは認める。長めの前髪がちょい邪魔で表情自体あんまり見えないが。
そもそもこいつが一人でこんな誰もいない部屋で何をしているかというと、本人曰く書庫整理らしい。彼女は図書委員だという。非常にどうでもいい話だが。
その書庫整理も、今では俺が命じられる雑用の一つになっていて、手が空いた時は埃にまみれた書物を一つずつ手に取って端から並べ直すという地味な仕事を淡々とこなしている。その間ハルカゼは優雅に俺の淹れた紅茶を片手に読書に耽るのだ。
読んでいる書物を横から盗み見ると、意味の分からない横文字と数式が書かれた物ばかりで、きっとそれは読解力レベル3以上のパッシブスキルがなければ判読出来ない書物であるのだろう。流石高位魔術師といったところだ。
俺が横から覗きこんでいることに気づいたのか、ハルカゼは本を少しだけ伏せて頬を染める。
「……えっちです、セトさん」
「……えっ。横から読んでいる本を見ただけでか……?」
「女の子の持ち物を、盗み見るなんて……えっちだと思いませんか……?」
「もっと凄い物を、召喚された初日に見た気がするんだが」
――言った瞬間、右手に激痛が走り、狭い書庫をのたうち回る。
痛ぇ! どのくらい痛ぇかというと、中学時代ハマっていた美少女ゲームのヒロインが冬場でもアイスを食べていたせいで同じように冬にアイスばかり食べてて今ではすっかり胃袋が弱ってしまった奴くらい痛ぇ!
何故か腕とは関係ない古傷が痛んだが、しばらく暴れているとやがて腕に生じる不可視の痛みは去っていき、後には息を荒げる俺と俯き真っ赤になっている後輩という微妙に外野から見たら誤解されるような状況だけが残った。
売り言葉に買い言葉で喧嘩吹っかけた俺が悪いのか?
「わ、忘れてください。さもないと、今の二倍痛くします……!」
「い、今の痛みで充分脅しに使えると思うんだけど、わざわざそれを二倍にするってどんだけだよ……」
「とにかく……っ。召喚の魔術には、必要不可欠だったんです……っ」
……ああ、それは分かる。
魔法っていうのは体の表面から魔力を形として具現化し、励起表出させる技法だから、体表面を覆う布は邪魔になるんだよな。だからファンタジーとかでむき出しの手のひらから魔法を出してるあれは正しい表現だったりする。
召喚魔術くらいの大魔法になれば、全身から魔力を出さないといけないだろうから、裸の方が効率いいんだよ。あっちの世界での魔術師ってだから魔力の表出を阻害しない軽装の人が多かったし。
まあそれにしても体の表面というか肌面積ではかなり劣る、ちんまい魔術師がよくも人間を召喚するような大魔術が出来たなと関心はする。全く面積増大に寄与できていない薄い体と小さい胸に思いを馳せて、少女の努力を思った。
「……か、顔がイヤらしいです」
のたうち回る。
きっちり二倍痛かった。……何でバレた!?