16話 ……そして始まる、俺達の戦い。
「――来ました」
唐突に、資料室の中で唐突にハルカゼが立ち上がり、虚空を見上げた。
俺も魔王も神剣もその次に来る言葉を待つ。
ついでにそちらの方向を見ながらバレないようにオセロの四隅を全部、自分の勢力である白に変えておいた。対面の魔王はアホなので多分気づかないだろう。ジュースが賭かっているので、百獣の王は兎を殺すのにも手を抜かない。
ハルカゼは何かを探るように中空を眺めたまま硬直している。視線が僅かに動いているのを見ると、俺達には見えていないものが見えているらしい。無意識だろうが、何故か鼻まで動いてるので、その様はどこかプレーリードッグを連想してしまい、必死で笑いを堪える。
俺が必死にシリアスを壊さないようにしていると、ハルカゼの視点が一箇所に定まる。
「……次に、出てくる場所が、わかり、ました」
「『影』がか」
「は、はい。多分、そうです。炎の……アリシアさんの、影でしょうか」
「炎ってことは、多分そうだな。どこに出てくる?」
「見塚平の、河川敷です。公民館の近く、ですね。……日時は、二日、後の……十二時、四十分です」
流石。
ここ数日、感知の魔法を集中的に鍛えていただけあって、かなり性格な座標と日時が出た。
見塚平か、と近隣の地図を取り出して学習机の上に広げる。
学校から少し離れ、繁華街の方に向かい、左折するべきところを直進したところに見塚平川は流れている。直進といっても高低差を一気に解消すべく、かなり急な坂があるため、これより下から高校に通う人間はここを『地獄坂』と読んでいる。
少しばかり学校からは遠いが、街の中に出られるよりはマシだ。俺はマーカーでそこに丸をつけると、何故か胸ポケットでシャーペンが『なっ!?』と信じられないものを見る声で呻いた。
いや、ここはマーカーに譲れよ。細い黒で印が目立つかよ。
見塚平川、公民館の近く、ということは、すぐ側に切り立った山がある。元々見塚平という名前自体が、平野部を一望出来る山が昔そこにあったことから名付けられたものであるため、地獄坂以東は山を切り開いて作られた土地ということになる。
地図を見ているとその北部に、茶色く大きく広がっている、工事跡という名前の広い地形に目が行く。……これは確か、昔特撮ヒーローものの撮影にも使われた、採掘跡じゃなかったろうか。あの、切り立った山の斜面がむき出しになってる、良く特撮では爆発を撮影する、あんな感じの場所だ。
使えるかもしれない。後で見に行ってこよう。俺はその開発場にも丸を付けた。
今度はシャーペンが『くっ……!』と鳴く。そんなにイヤか、俺が他の文房具使うの。
「……簡単な作戦、説明していいか」
地図帳を前に、ハルカゼと魔王の視線と、セーナの意識がこちらを向く。
「大雑把に言えば、ハルカゼを餌にして相手を引きつけて、俺が全力を出せそうな場所まで誘導して、そこで叩こうと思ってる。作戦とも言えない作戦だが、こっちで大掛かりな仕掛けを出来ないなら、シンプルに行きたい」
「余は参加せずともいいのだな?」
「力のない幼女に何か出来るなら言ってみろよ」
「そうだな……精一杯応援してやろう。幸い、自分の身の安全くらいは確保出来ようからな。ぱ、ぱんちらも必要なら」
「……他に意見はあるか。ハルカゼ」
ツッコミが面倒なので無視を決め込むと魔王は唇を尖らせる。お前このパーティの中で何要員のつもりなんだよ。
話を逸らすために話題を振ったハルカゼは、少しだけ口元に手を当て、尋ねる。
「……その、餌は、どうしてれば、いいんでしょう、か」
「そうだな。まあ、俺が逃げる速度に着いて来れればいいんだけど、流石にそれを生身の高位魔術師に望んだりはしないから、大人しく俺に背負われて貰えるか」
「背負っ!?」
「……別に担いでもいいけど、その方がハルカゼの負担は大きいだろ。安心しろ、『影』からの攻撃は、周囲に被害が及びそうなもの以外は全部避けるから」
逃走中でも、恐らく回避に専念すれば『影』の攻撃くらいは完璧に避けられると踏んだ。そしてハルカゼくらいの体重の相手を背負うくらいなら、別に行動もそれほど阻害はされないだろう。
本当ならハルカゼを巻き込まない状態で誘導出来ればいいのだが、最初の公園での紫電召喚のときに『影』がハルカゼに向かわず、近くの魔王を攻撃したところから見ると、彼女だけに狙いを済ましているわけではないと踏んでいた。こんなことを言うのはなんだが、少しでもハルカゼの匂いを漂わせている、一番近くにいる者に狙いを定めるのではないかと思っている。
ハルカゼにその匂いをつけてもらって俺が囮になることも考えたが、それがどのくらいの時間持つかも分からないし、万一興味が別に行ってしまったらそこそこ不味いことになる。出来る限り損壊なく『世界の危機』を退けたいと思っていた。
「お前も、もし並走出来るならしてくれ、魔王」
「戯けが。余が地を這う貴様らと一緒に逃げ回るか。優雅に高みから見物させてもらうぞ」
言うと、魔王は僅かだけ地面から浮いて、足を組み替えてみせた。
魔王ってレベル1でもそれくらいは出来るんだな……。
ただ、それは好都合だ。あの『影』が魔王のことを狙っているなら、俺達の近くにいてくれれば魔王が狙いである場合でも誘導が出来る。採掘場まで行けば俺が後はどうにでも出来る。周囲に被害が及ばない場所で全力を出せば、恐らくそうひどいことにならずに相手を滅ぼす事が出来る。
「……頼むぞ、セーナ。お前の役割もそこそこ重い」
『生まれてこの方、我が主に役割というものを与えられ、それが軽かったことなど一度もないがな』
「信頼してんだよ」
『それが路銀にもならぬなら預かっておこう』
素直じゃない神剣に肩を竦める。
とりあえず、現状の役者は揃っている。後は二日後を待つだけだ。
「……一つだけ良いか、勇者よ」
「なんだ魔王」
まさか四隅を白に変えたのがバレたのか、と緊張が走る。
見れば四隅は黒へと戻されていた。……いつの間に? 俺が見ていない間に裏返すとか、イカサマしたなこいつ? ジュースが賭かっているとはいえ、やっていいことと悪いことがあるだろう。流石魔王だ、汚い。
そんな俺の無言の抗弁を気にせず、魔王は指を立てて言った。
「背負う、と言うたが、貴様、背中を放り出して逃げるのであろう。であれば、背中に守りたいハルカゼを負うのは危険なのではないか……? 攻撃は背後から飛んでくるのだ。人の目が後ろについていない以上、最初に攻撃を受けるのがハルカゼとは、危なかろう」
「……だったら、どうしろと。肩に担げばいいのか?」
「米か何かだと思うておるのか、貴様。……決まっておるだろうに。『抱いて走れ』勇者よ」
ビキィ、と俺とハルカゼが固まる。その硬直の意味を理解したのか、胸元から低音の嬉しそうな声が響いた。
『……で、あれば協力せねばな』
おい。あっちじゃ互いに天敵同士だっただろうが。
何で息ぴったりなんだお前ら。もはや完全にただのマセた幼女と喋るシャーペンだな、お前ら……!!
――ちなみに、それが二日前の出来事で。
俺は今、ハルカゼを『お姫様だっこ』したまま、人気のない休日の河川敷で『世界の危機』を待っていた。
風が、どこか他人ごとのように通り過ぎて行く。
重くはない。背負うのも抱くのも、ハルカゼの体重と俺の腕力を考えれば、同じようなものだ。ただ、何だこの異様な恥ずかしさは。俺は今からこの状態で、北部の採掘場まで逃げないといけないのか。
俺はあれか、望まぬ婚約者との結婚を申し付けられた王女を攫う騎士か何かか。
竜王から王女を救い出した後の勇者か何かか。4、6、ときてここで1が出てくるかよ。
その状況が齎す異様な恥ずかしさも相俟ってか、腕の中のハルカゼは先ほどから可哀想なくらい真っ赤になって視線を逸らしている。聞けばお姫様だっこをされるのも生まれて初めてらしい。そりゃそうだ。俺だって初めてだよ。
確かに、魔王の言う通り、後方からの攻撃に対処するにはこの状態の方がいいし、セーナも協力してくれるというのなら、手にシャーペンを構え続ける必要はない。
ただ、これは……この状況は、余りにも恥ずかしいぞ、おい。
「は、早めに、終わらせて、ください……」
「……天井のシミでも数えててくれ」
「て、天井ないです! シミひとつ無い青空です!!」
もうテンパって何を言ってるか分かってない状態のハルカゼをしっかりと両手で抱いたまま『世界の危機』を待つ。俺今多分この世界で一番『世界の危機』が早く来ないかなって思ってるよ。
っていうか『世界の危機』も現れて早々お姫様だっこしてる連中みたら、その時点で消滅するんじゃないかな。俺だったら消滅するわ。リア充が爆発することを願いながら。
「……なあ、人生って何だと思う」
「えっ!? 今それを考えます……!? え、えっと」
「大人買いって、むしろ物欲抑えきれてないから、子供だよね」
「えっ、えっ!! それも今考えますか……!?」
「ククク、照れておるな、照れておるな」
『顔が赤くなっているのではないか、いるのではないか?』
空中をふよふよ浮かぶ魔王と、胸元のシャーペンが二重奏を奏でる。
『世界の危機』を処理し終えたら、俺はお前らを処理する。――必ずだ。
「……ハルカゼ、今何時だ」
「じゅ、十二時、丁度半を回ったところです……」
「そうか……少なくとも、あと十分はこのままか」
『何を言っているのだ、我が主よ。大事なのはここからだろう』
「そうだな。お姫様抱っこの醍醐味といえば、その状態での逃避行にあるからな」
「ちょっとお前らパーティから一時的、あるいは永久に外れて貰えないか」
俺が青筋を浮かべながら言うと、一人と一本は示し合わせたかのように失笑した。
「余は、安全圏から見守っていればいいのだろう?」
「そうだな。出来る限り邪魔しないでくれると嬉しい。あと、お前の方向に攻撃が行ったとしても、俺は文字通り両手が塞がってるから特に庇ったりはしない。自分でなんとかしろ」
「笑止。あの『影』を相手にして、貴様など最初から当てにするか」
最初に『影』が出てきたときにそれを俺に処理させたのはどこの誰だよ。
大人げないので子供の言葉尻を掴んで持ち上げるのはやめようと思う。まあ、何を言おうが魔王を今回気にする余裕はない。自分で自分の身を守れないのならそれまでと割り切ろう。割り切れればいいが。
その時、空中に見覚えのある紫電が走り、目の前の空間がバリバリと裂け始める。
――時間通り。
そして座標も完璧だ。
流石、限達者の高位魔術師。
もしかすれば、このまま感知の方面を極めていけるかもしれないぞ、お前は。
俺は腕の中のハルカゼを抱え直し、それによってハルカゼはぎゅっと俺の腕を抱いた。
この姿勢って、結構姫にも負担あるよな、と思いながら、更に重装備だった昔の姫をこのポーズで抱いていた歴戦の勇士達に時代を超えたエールを送る。
空間の歪みからは、見覚えのある影が這い出し、やはりアリシアの姿へと変わる。
よく見れば髪型や鎧までもが完璧に彼女の物そっくりだった。手に持つ大剣部分の『影』が赤く輝いているのは赫剣の代わりだろうか。
「さあ、鬼ごっこの始まりだな」
『疾く逃げ、しっかりと守るがいい、我が主よ』
「制限時間内にゴールをすれば、姫からのちゅーのご褒美があるやもしれんぞ」
『それは果たして頬にかな。額にかな。――それとも?』
「が、頑張ります!!」
「頑張るな!! 今から頑張るのは俺だよ!!」
『世界の危機』を前に底抜けに呑気な奴らだなこいつら!!
「……行くぞ、ハルカゼ。しっかり掴まってろよ。作戦、開始だっ!!」
「は、はいっ!!」
『影』はハルカゼの姿を瞳なき視界に収めると。
その剣を大きく振りかぶりながら、こちらへと距離を詰めてきた。
俺は踵を返し、全速力で足場の悪い河川敷を、ハルカゼを抱えたまま走りだす……!
――かくて。
『世界の危機』からの、ギリギリの逃走劇が、今始まった。




