11話 どこにでもありふれた世界の危機。
今度こそ家に帰ることにする。
いつもの公園を横切るショートカットを使って楽に帰ろうと思ったら。
――その帰り道で魔王にエンカウントした。
無視をして逃げる。
確か八回程逃げたら攻撃が全部会心の一撃になるらしいな。
だが、魔王は目の前を通り過ぎた俺の前に回り込むことはせず、ただすれ違いざまに呟いた。
「――安心して、使い倒せよ。マイ・マスター」
俺はその呪文で彫像のように固まる。魔王とエンカウントと同時に石化とか、4だと思ってたが6の世界だったか。歯ぎしりしながら、羞恥で硬直した体を無理やり動かすと、魔王はニヤニヤと俺の顔を眺めてくる。
「……いつから見てた」
「序盤から、であるな。余としてもそれなりに面白い見世物であった。あのハルカゼという女の目的も理解出来たからな」
「魔王が窃視とか、小物臭満載だな。お前を倒したら別の魔王が出てくるんじゃないのか?」
「痴れ言を。世は全て、遍く余の庭である。その庭で戯れる者に興味を引いたところで、人が家畜を眺めている感覚しか湧かん」
「……やっぱ俺は、お前がどんな姿してようが、好きになれんわ」
お互い様だ、と公園の池の縁石に腰を下ろしたまま魔王は笑いを零す。
俺はそのままそれと向かい合うように公園のベンチに座り、魔王と相対する。
ここで初めて遭遇した幼女バージョンの魔王に対して抱いた緊張感は、もう湧いてこない。
それはそれで問題があるのだが、とりあえずその状態でも流石にレベル1の魔王には負ける気はしないので、結果オーライであるということにしておく。
魔王は嘲るように細い両足を組み換える。ダブダブのスカートの下なので、一瞬何やってるか分からなかったが、頬杖を突くためにあぐらを掻いたらしい。
「……同じ姿をし、同じ言葉を操るが故に、同属と見做すか。で、あるならば皮肉な話だな。魔王たる余も勇者たる貴様も、人にあらざる力と目的を持ちながら、人と似た姿をしているのは創造主の戯れとしか思えん」
「俺は単に、昼間、隣の席で女子手作りのお菓子を次々口に放り込まれてリスみたいになってたクラスメイトと、異世界で剣を交えた魔の王が同一視出来なくなっているだけだ」
「ククク、ザッハトルテというらしい。実に甘美であった」
「人の苦痛とか苦悶を味わってる時みたいに言うな」
ただ、こいつもこいつで力を失った状態で、こちらの世界に順応するために苦労しているのかと思えば、少しは殺意も和らぐ。それに関しては力をそのまま持ってきた俺ですら苦労しているところなのだから、そのギャップに対して前向きに向き合える魔王やセーナみたいな存在は、やはり人とは違うものだと思う。
何を考えているのか、こんな場所で待ち構えていたんだ。あちらの世界では剣しか交わさなかった魔王と、少しだけ言葉を交わしてもいいと、それこそ戯れに思う。ハルカゼの件が少しだけ明瞭になったが故の余裕が生まれたのかもしれない。
「それに……勇者は、俺は人だろ」
「馬鹿を言え。人が魔王を倒せるか」
「……でも元々人だったんだから少なくとも『俺』は人だろうが」
「その言いようでは、今は己が人でないことを認めているようにも聞こえるな、勇者よ」
このやろう。ああ言えばこう言う。
そういう意味で元々って言ったんじゃねえよ。
「前にも言ったが、余や、余に仕えし魔の者共は、世界を滅ぼすこと、そしてその後の世界を牛耳ることこそが本願だ。打算や計算が介入するまでもなく、余らはそういうように創られているのだ。貴様ら人が物を食べることを生まれながらに知っているように、そして必要とするようにな」
中には食べることを明確な目的としている者もいるようだが、と付け加える。クラスメイトにカバンの中から机の中から手作りのお菓子まみれにされているお前が言うな。
「その定義を以って、余らを人と相容れぬ人以外と定義するなら、勇者もまたそうではないか?」
「……世界を救うとか、人を守るっていうことが、か」
「左様。力を持つ者の責務として、自分自身の利以上のものを求める貴様の姿も、また余らには人には見えぬ」
何か否定の言葉を返してやろうかとも思ったけど、結局は言葉遊びの領域でしかない。ある一つの側面から捉えたとき、確かに俺や俺と同じような力を持つ勇者は人として定義されないかもしれないけれど、それだけを以って人じゃないと言われることに素直に首を縦には振れない。
魔王は、どこか自嘲気味な笑みを浮かべる。
「故に、貴様も余もまた、人なくしては魔王や勇者たれぬことを、こちらの世界に来て知った。人が恐るるから余は魔王であり、その魔王から民を守るが故に貴様は勇者であるのだろうなと」
「……それが、こっちの世界で魔王としての活動を行わない理由か」
「だろうな。そういう意味では、この仮初めの身体に引きずられておるのやもしれん。ハルカゼとやらの召喚術によって呼び出された際、実体なく彷徨うハメになり、最も創造に易かった形態を取ったが、思考がかなり人寄りに引きずられている。現状の余の力で、この世界を全て余の物とすることが出来ない、故に世界に手を出さぬというような『打算』は、魔の者の思考ではない」
魔王のその言葉に、少しだけ推測を立てる。
一度目の召喚によって、俺は異世界で三年の月日を経験した。身体もそれなりに三年の間に成長し、冒険者然とした体つきになっていたはずだが、こちらに戻ってからその身体は召喚する前のものに戻っていた。
ただ、ステータスだけは引き継いだらしく、外見と腕力にズレが生じた、一種チートのような状態になっているのが俺だ。
そう考えると、ハルカゼや異世界の召喚士達が行使した召喚術というのは、あるのか分からないが魂みたいな物だけを呼び出し、それに見合った身体を世界に構築するような魔法であるのではなかろうか。
現に、目の前の魔王は、召喚によって身体を失っている。中身だけはあちらの世界に居た頃の魔王そのものではあるが、外見は完全にいたいけな幼女だ。最近は行動もいたいけな幼女だが。
魔王が俺の前に幼女の姿で現れたときは、最高の嫌がらせだと思ったが、こいつはこいつでちゃんとした理由を以って幼女に身を換えていたんだな。同情も何も湧いてこないが。
この点は、実際に召喚術を行使したハルカゼに、明日にでも聞いてみるのがいいかもしれない。こちらが協力体制にあると知れば、分かる範囲だけでも教えてくれるだろうし。
「……そのまま大人しくしてろよ。機を見てあっちの世界に送り返して貰ったときが、お前の最期だ」
「ほう、こちらの世界で余を倒すのではなかったのか?」
「生憎、女子を敵に回したくないからな」
俺が皮肉を述べると、魔王はそれをすら嘲るように苦笑した。
「貴様も随分と人に引きずられているようだな。ともすれば、余らの状況は深刻な物なのやもしれん」
「だから、俺は元々人だって言ってんだろ」
「だが、まあいい。余が魔としてこの世界に混沌を齎さない理由としては、まだその影響は弱い。三割と言ったところだな」
「……あ? 後の七割は何だよ」
「愚問だな。――明日も、捧げられし供物がザッハトルテであるのだ」
「菓子に釣られてんじゃねーよ!!」
っつーかそれこそがお前が人に、そして幼女に意識を引きずられてる何よりの証拠だろうが!!
魔王は口元を拭いながら、貴様は知らんから言えるのだ、あの菓子の奥深さを……! と凄んでいる。割と真面目な話をしていたのにバキボキに話の腰が折られた。
……どうも、異世界に必要だったのは救世主じゃなくメシ屋だったらしい。ザッハトルテって俺が知らないだけで神剣の最後の一本だったりするのか? 少なくとも響きは『セーナトゥーハ』より五倍くらい強そうだが。多分闇属性だろうな。
「……勇者よ、逆に尋ねよう」
意外にも、魔王の方から疑問を投げてくる。俺は無言で先を促す。
「貴様は、何故異世界を救おうと考えた。勇者としてではなく、貴様の目的を言え」
「………」
「貴様にとっては、こちらの世界こそが生まれ落ちし世界であるのだろう。ならば、完全に余らが居た世界の事象は他人ごとであるのではないのか」
「……それは。勇者として、召喚されたからだ」
その答えに、魔王は心底馬鹿にした顔と溜息で答えた。
「それこそ、完全に他人に与えられた理由ではないか。それで良く余らを理解出来ぬ異物として捉える事が出来たな。そのように消極的な理由で以って、全く関係のない世界を救おうと躍起になる貴様の姿こそ、理解出来んよ」
的確に痛いところを突いてくる幼女。こちらで負け組やってたころの古傷を暴かれて一瞬言葉に詰まる。
絞り出すように本音を口にする。偽りの言葉を述べても魔王には通じるまい。
「……認めるよ。召喚されたから、俺はその運命に従っただけだ。何一つ格好いい理由じゃないし、お前みたいに生き様に根ざしたような目的なんかなかった。とりあえず、与えられた課題をこなすように努力して勇者になり、人々に求められるまま世界を救って、救った後にその理由を考えればいいとすら思っていた」
『――それは、我も初耳だな。『すくってから考える』とは、まるで金魚すくいのような理由で救おうとしていたのか』
割り込んでくる神剣に歯ぎしりする。ちょっと上手いこと言ってんじゃねーよ。
「仕方ないだろ、本当のことなんだから。っていうかな、お前どこからペン回しとか金魚すくいなんて俗っぽい単語仕入れてくるんだよ」
『……インターネットだが?』
「いつの間に回線契約してんだよ!! プロバイダどこ経由の神剣接続なんだお前!!」
『先月の異世界通信料がそこそこの額であったため、契約を見直し、来月より月額定額制で使い放題だ。我を侮るな主よ。進化する神剣たる我を、昨日の我と同じとは努々思わぬことだ』
「ちょっとそれについては後で話があるから今は黙ってろ文房具」
話の腰を折りたいアホだらけで話が進みやしねえ。
頭を掻いて、俺は奥歯を噛む。
「……じゃあ、もう俺はお前を目的云々で責めるのはやめる。それについては、お前の言う通り魔王も勇者もお互い様な世界が、俺が召喚された異世界だったんだろう。ただ、結果として俺は勇者になって、お前は魔王として生まれてきた。それが、俺達が敵対する理由でいいだろう」
「構わん。有り様について御託を並べられるよりは通りがいい」
「……それで、今は停戦状態っていうのも、誓えるのか」
「生憎、誓うべき神への信仰など持たぬ魔の者であるがゆえに、どうすればいい?」
ニヤニヤと問いを投げてくる魔王に、嘆息して話を打ち切ることにした。
「だったら、俺が勝手に誓っておく。現状、俺はお前を倒せるが、お前は俺を倒せない。少なくとも、お前がこちらの世界で何もせず、ハルカゼの召喚下であいつの従者として居るなら、俺は手を出すことはしない。それで、俺達の関係や不可侵は成立する。ハルカゼにもそういう条件で紋章によってお前を律してもらうように、打診をしておく」
「……フン、真逆、勇者と魔王が契約や同盟を交わすことになるとは、あちらの世界の住人は誰も思っているまい」
「うるせえ。俺だって思ってなかったよ」
現状、ハルカゼが感じている『世界の危機』が何であるのかがわからない以上、魔王への警戒を解くわけにはいかない。だが、こいつ以外に『世界の危機』が存在していると分かったときに、背中からこいつが俺を狙えないようにしておく必要はあると思った。それを、こちらからの不可侵を以って公平な契約としてハルカゼに契約を結ばせれば、一応ハルカゼが召喚した俺たちの和平は成立する。
……勇者と魔王が一時的にでも仲良くする世界って、珍しいよな。ああ、いや、別に最近はそういうことないのかもしれないけど。どう思うよ、異世界に召喚された人達。
俺はベンチから立ち上がり、魔王の方を見る。
……そういえばこいつ、どうやって生活してるんだ?
「帰んないのか?」
「フン、日頃、日が暮れるまでは資料室でハルカゼとやらの着せ替え人形をしているからな。たまにこのくらいの時間に帰れる状況を想定していなかったがゆえに、世話になっている家に入れんのだ」
鍵っ子かお前は。
ていうか魔王を世話してる家ってなんだ? 俺が尋ねるとそんな分かりきったことを聞くなとばかりに魔王は嘆息し、
「実体を持った初日に、余に声を掛けてきた警官の家だ」
作ってもらった弁当を持参していると言っただろう、と肩を竦める。
おい、この国の国家権力と世界の危機候補、癒着してるよ。
お前も簡単に人の家に転がり込んでんじゃねーよ!! プライドのプの字もないな!!
「……合鍵とか貰ってないのか」
「――馬鹿め、すぐに物をなくすことに定評のある幼女たる余が、合鍵など貰えるかッ!!」
「威張って言うことじゃねーだろ!!」
だから帰ってくるまでここで時間潰してたのかよ。
俺を待ってたわけじゃないのか、立ち止まって損した。物凄く損した。
憤慨しながら立ち上がると、魔王は意外そうなものを見る目でこちらを見てくる。
「どこへ行く?」
「帰るんだよ。俺には生憎、帰る家があるし、鍵もある。こんな所で時間潰す必要もないし、魔王の暇つぶしに付き合う義理はない」
「……そうか。勇者よ、案外、貴様の方が人の身に引きずられて感覚が鈍っているのやもしれんな?」
――魔王は意味ありげにそう呟く。
俺が意味を尋ねようとした瞬間、空中に黒い電撃のような物が走った。
明らかにこちらの世界のものではないその現象に、俺は身構えてその場所を睨む。
電撃は二度三度と空中を縦横に走り、やがて空間に亀裂を生み出すまでになる。
――そこから。
黒い、この世の物で造られたとは思えない、光を反射しない何かが生み落ちる。
それは池の中央に立つ、今は水が止められている噴水のオブジェの上にデロンと落下し……。
……すぐに人の形を取った。
ひと目で分かる。
それは明らかに、この世界にとっては異物でしかない『何か』だ。
胸元のシャーペンを手に取り、緊張に喉を鳴らす俺に向けて、それを見ながら魔王が呟いた。
「――そして、或いは『世界の危機』というものは、何の前触れなく余らの前に姿を現すものかもしれん」
どこか他人ごとのように語る魔王の言葉が聞こえた。
冷や汗を垂らしながら、俺はツッコむ。
……元『世界の危機』の、お前が言ってんじゃねーよ。




