1話 別の主人公に譲ってやれよ、その展開。
異世界に召喚される話があったとする。
主人公は今までの日常とかけ離れた世界で悪戦苦闘し、その最中に目覚めた何らかの力で、現実世界では担えなかった大役を背負い、その世界を支配する巨悪と戦うのだ。
そんな夢みたいな話を中学三年間で夢想しなかった人間は幸せな青春を送っていると言える。羨ましい限りだよ。
俺? してたよ。がっつりしてた。
絶対に俺の右手には何らかの紋章が現れるだろうと思っていたし、自分が異世界に召喚されたとき、どんな二つ名を名乗ってどんな魔法を使おうかを、授業中に大学ノートの後ろからびっしり書き込んで、ノート提出の時にそのまま提出して、ちょっとジョークが分かる先生なんかに見つけられて赤ペンで採点なんかされちゃってな。
『中世モチーフにしては食物事情とかの時代考証が甘いんじゃないか?
葛切、妄想もいいが勉強もしっかりな』
うるせえ。黒パンの歴史なんか知るか。
ていうか誰だよそんな暗い青春送ってるの。
はい、俺でした、すいません……。
ただ、そんな灰色の記憶も、一発逆転『異世界に召喚されてしまった人間』にとっては、コンビニのエロ本コーナー周辺を別に興味ないですよ風にうろうろしてる小学生に送る視線くらいには生温かく、慈愛を以って思い出せる青春の一ページでしかない。
何せそれが現実となったなら、それはもう妄想でもなんでもなく、異世界に飛ばされた時の予習となるのだから。
――実際に俺は、高校一年の冬に異世界に飛ばされた。
物凄いベタなきっかけで悪いが、目の前に開いた大穴に引きずり込まれ……いや、ごめん嘘吐いた。
そういうのをずっと待っていたから自分から飛び込んだんだが、とにかく俺の狙い通りその穴は剣と魔法のファンタジーの世界に繋がっており、しかも俺はこれまたベタなことにその世界を魔王から救うことが出来る素質を持った勇者として、その世界最大の皇国に討伐騎士として召し抱えられることになった。
最初の二つ名は『異世界の騎士』だったかな。今でも最初の授剣式は思い出せる。
昨日まで自他共に認めざるを得ない負け組だった俺は一転して、誰もが崇め奉る勇者様となった。
RPGなんかでは器用貧乏のイメージのあるこの勇者だが、実際になってみて村人達にそう呼ばれると死ぬほど気持ちが良かった。勇者最高だって今は胸を張って言える。
だって勇者『様』だぜ。様付きで呼ばれて違和感ないのってハマーン様くらいかと思ってた俺が、他人から様付きで呼ばれるようになったときは、正直生きてて良かったと思えたよ。
しかも結構大層な装備を貰って騎士らしい出で立ちになった自分を見たときは、ああ俺は今、異世界で勇者してるんだなあと落涙しそうになった。
こんぼうと120Gで野に放り出すブラック王国じゃなくて本当に良かったと思う。
そんなこんなであちらの時間でどれ位冒険をしていただろう。
日数にして約三年くらいだろうか。
二転三転した二つ名は『颶風のセト』という初見じゃ絶対に読み方の分からない二つ名へと代わり、あちらの世界で当たり前のように万人に敷かれた上限のあるレベル制による俺のレベリングは、超越者と呼ばれる世界に三人しかいないレベル255にまで達し、神龍の吐息を鍛えた、一薙ぎが起こした風ですら国を一つ消し飛ばせる喋る神剣『セーナトゥーハ』を携え、旅を共にしてきた四人の勇者の仲間たちとついに魔王を追い詰めるところまで行った。
……長い戦いだった。
セオリー通り、四天王が最弱から一人ずつ来てくれなかったらマジでやばかったと思う。
最初の一体を倒した時、きっと残りの三人は「あいつは四天王の中でも最弱……」っていうのやったんだろうな。あれ、最弱のやつの気持ち考えたことあんのかと思う。
四体を倒し終わった時点で突然に現れた魔王城へと乗り込み、俺たちは最後の戦いを挑んだ。
そのときの俺は異世界に対して愛着も湧いていたし、三年掛かりで勇者として持ち上げられ、期待されている自分を誇りに思っていたからそれはもう必死だった。
霊峰の頂上でしか採れないとされるエリクシルの雫も惜しみなく使い、鍛え上げた剣技と同時に魔法を発動する勇者にしか許されない特性も遠慮なく使い、果ては代償として神剣に半身を明け渡した神化の能力までを使い、振り上げた神剣を魔王の心臓に一撃すれば世界に平和が齎されるところまで行って――。
――気づけば埃臭い一室にいた。
何が起こったと思う?
俺にはさっぱり理解出来なかった。
今まで冒険していた異世界自体が夢だったんじゃないかと思った。
呆然としたまま振り上げた剣を目の前に下ろすと、神剣はシャーペンに変わっていた。
精霊の加護を受けた精霊鉱物の鎧は学生服へと変わっており、やっぱり夢オチかよ! と愕然とした。そんな壮大な夢オチってあるか!?
シャーペンを取り落とし、遠投の腕輪を装備したまま合成の壺を投げて以来のショックを受けていると、足元に魔法陣が描かれているのが見えた。その魔法陣は僅かに光っており、微小ながら魔力反応が残っている。
それは、あちらの世界で大魔導師四人が三ヶ月寝ずに描いた俺を召喚した魔法陣と形は違えど、非常に酷似しており、おそらく同系統の魔法陣であることが見て取れた。
しゃがんでまじまじとそれを見ようとしたところで、右手の手のひらに紋章が浮かんでいるのに気づいた。
複数の蛇が絡みあうような歪な紋章は袖口で擦っても落ちない。
その異世界じみたいくつかの記号は、異世界慣れした俺にとっては、逆に違和感しか感じられなかった。
あちらの世界に召喚されたときは、そんな紋章なんかなかったはずなのに、今になってそんな紋章が出てくるのは何故だ? 指先ででなぞると、それは仄かに赤く光る。
というか異世界は?
魔王との決着はどうなったんだ?
頭の上に沢山の疑問符を載せたまま周囲を窺うと、そこがどこかの学校の資料室のような場所だということが分かった。
金属製の本棚に、何年も開かれていない、ただ置き場所がないからという理由で置かれた本が山積みにされ、申し訳程度の本への配慮か、遮光カーテンによって部屋への光が防がれて、隙間から陽光が漏れていた。
何故かその角には簡易キッチンと冷蔵庫まであり、その部屋が最初は本を置くために作られていなかったことが見て取れる。
部屋の外に人のいる気配がする。
耳を澄ませて聞けば、もうかなり懐かしいと感じる『現実世界の学校』での日常音だった。
放課後なのか、野球部がだみ声で怒鳴っているのが聞こえる。
青春を謳歌してる空気にリアジュニウムが分泌され、呼吸を困難にし、息が苦しくなる。
取りあえず落ち着くためにも、新鮮な空気を吸おうと思い、カーテンに手を伸ばす。
――と。
そこで、遮光カーテンの裏に誰かがいるのを発見した。
俺は恐る恐る手を伸ばし、カーテンを引っぺがすと、そこには裸の女子がいた。
……脳が理解を拒んだ。
女子がいるのはいい。カーテンの後ろに隠れているのも許そう。
でも、裸ってなんだ? いつからこのファンタジー世界はR-18になったんだ。
「ひっ……!」
と少女が鳴いたので、俺は慌てて視線をその薄くてちんまい体から逸らす。
信じられるか、三年冒険してきてもフラグの一つも立たなかったんだぜ俺。
最後の方は開き直って男とばかり仲良くしてたしな。パーティ唯一の女子も全く色恋なんて興味なさそうな相手だったし。……冒険に女っ気なんていらねえよ、夏。
逸らした視線の先に、几帳面に畳まれた制服と慎ましやかな色の下着が丁寧に置かれていて、更に目を逸らすハメになる。急に首を動かしすぎて変な音がした。筋をやったかもしれない。
首元を押さえながら視線を取りあえず床に落とすと、先ほど発見した魔法陣の端に、何かが落ちていることに気づいた。
俺がそれを拾い上げると、そこには完全なる日本語で、
『勇者の召喚の仕方』
と書かれていた。
――察しのいい人は、もう気づいたかもしれない。
でも、俺はその時、まだ何が起こっているのか理解出来なかった。
呆然とその本を手にしたまま、混乱する頭で「結局魔王は倒せたのか」「他の仲間は無事か」等と、あちらの世界での冒険譚の最後がどうなったかを必死で考えていた。
「あ、あの……」
声を掛けられて、俺は声の主の方を向いた。
先ほど勝手に脳内HDDに焼きついた全裸を晒した少女が、恐る恐るといった感じで顔だけを出し、遮光カーテンに体を包んだまま、おずおずと言葉を発してきた。
「……私が、貴方の主ですよ。……マイ、サーヴァント」
その言葉に、俺はようやく事態に気がつく。
考えないように考えないようにしていた可能性に思い当たってしまい、その場で崩れ落ちそうになった。
少女の頭の上の辺り、異世界召喚されてから当たり前見えるようになったレベリングの表示が、高位魔術師――レベル99を指していた。
レベル99。そんな熟練度の高位魔術師、古代魔術師の村でも一人か二人しかいなかったのに。
いや、そうじゃない。
この全裸少女が魔術師だとするならば、今まで集めた記号が妙な符合を起こす。
魔法陣。
『勇者の召喚の仕方』。
マイ・サーヴァント。
……本当かよ。
俺、あっちの世界から召喚されてしまったのか。
異世界から勇者を呼びこむ、その勇者として……おそらく元いた世界に『再召喚』されてしまったんだ。
「一回でいいんだよ!! そんな奇跡!!」
俺はあらん限りの力で叫び、その声は大いにレベル99の高位魔術師を怯えさせた。
そんなこんなで。
――今現在『颶風のセト』こと葛切セトは、高校一年生の女子桜倉ハルカゼに飼われている。