敗者の旅路 9
「……はぁ」
深夜。
隣のベッドから大きな溜息が聞こえて来た。
「……陛下?」
思わず私は虚空に向かって呼びかけてしまう。
「……なんだ。起きていたのか」
国王の返事が聞こえて来た。
「はい……眠れないのですか?」
「……うん」
「……やはり、パン一斤だけでは腹がすきますか?」
「それもあるんだけど……なぁ、シャルル」
「はい? なんでしょうか?」
「……この国の民は……困っているのか?」
暗闇の中で聞こえて来た質問に、私は戸惑ってしまった。
おそらく先程、家の主人の言葉を国王はずっと気にしていたのだろう。
私は少し躊躇ってから、ゆっくりと先を続ける。
「……困っていない、といえば嘘になりますね」
そういうと沈黙があった。
そして、隣のベッドからもぞもぞと動きがある。
「……そうか」
どうやら国王は起き上がったようだった。
私も上体を起こして暗闇に目を凝らす。
闇の中で国王は少し俯いているように見えた。
「……僕は、悪い王様だったのかな」
「悪い王……ですか」
「……でも、僕だってどうすればいいかわからなかった。父さんや母さんが死んだ後、僕一人になって……周りは僕に王様になれって言っていたけれどどうすればいいかわからなかったし……難しそうなことは全部モニカに任せてたんだ……それなのに……」
国王は悲しそうにそう言った。
考えて見れば、私とそういくつも変わらない年齢で、一国を治める長になってしまったのだ。
可哀そうな人物とも考えられる。
「陛下……陛下は、変わりたいですか?」
「え? 変わる?」
「ええ。私は先程陛下にお話しした通り、マリアンナと旅をしてきました。私は父にマリアンナに売られた身ですので、今もその最中ですが、その旅の中で様々な経験をしてきました。そして、その中で少し前の自分と、今の自分は確実に変化していると思うのです」
「つまり、変わった、ってことか?」
「はい。まぁ、良い方に変わったと思いたいですが……何が言いたいかと言えば、人間は変わるということです。それが例え良い方向であっても悪い方向であっても変わるのです。だから、陛下。陛下がそうありたいと望めば、きっと陛下も良い方向に変われるのではないでしょうか?」
今の私に言えるのはそれだけだった。
そもそも私自身がこのようなことを言える立場とは思っていない。
だが、傷心の国王にかけることができる言葉といえば、これくらいだった。
「……シャルル。お前、面白いな」
国王は少し笑ってくれたようだった。
それだけで私は少し安心できた。
「そうですか。陛下にそう思っていただけるのなら幸いです」
「あ……シャルル。その……陛下、って言うのやめないか?」
「はい? では、なんとお呼びすれば?」
「……ミネット」
「はい? ミネット、ですか?」
私はキョトンとしてしまった。
ミネット、というと、明らかに女の名前である。
どうしてそんな名前で呼ばなければならないのか?」
「それは……陛下の御趣味ですか?」
「え? な、なんだって?」
「いえ。女の名前で呼ばれるのが趣味なのかと」
「はぁ? お、お前……あー……いいか。私の本名は、ミネット・ド・ブランダーヌなんだ。クローネ・ド・ブランダというのは、ブランダ国王が代々国王として名乗る時に使う名前だ」
「はぁ……随分と女の子らしい本名なんですね」
すると、国王は暗闇の中でぽかんと口を開けて、その後、大きく肩をすくませた。
「お前……もういい。とにかく、今後は僕のことはミネット、と呼ぶように」
「あ、はい。わかりました。ミネット……様?」
「様は付けなくていいから……なんだよ、驚くと思ったのに……」
「はい? 何かおっしゃいましたか?」
「なんでもない! 後、そのかしこまった言葉使いもやめろ! いいな!」
「あ……わ、わか……ったよ。ミネット」
そういうとミネットは再びベッドに横になったようだった。
なぜだか怒っているように見えるが……それにしても、ミネットなんて普通女に付ける名前だ。ミネットの両親……つまり、先代の国王夫婦が敢えてそういう名前を付けたのだろうか?
「まぁ、いいか……ん?」
「なんだ? どうかしたか? シャルル」
「いや、なんだか……焦げ臭い匂いがする」
「へ?」
その時だった。
ばぁん、とドアが思いきり良く開いた。
「な、なんだ?」
「シャルル!」
と、そこから現れたのはアルドンサだった。
「ど、どうしたんだ?」
「……不味い状況になった」
その言葉の調子で、我々が今、ものすごく不味い状況にいるのだということは、一瞬で悟ることができたのだった。




