西橋火奈と飯野闘華
クラスでの話題と言ったら、化粧、服装、芸能人、っていろんな種類があるけれど、友達と喋れたらそれでいいって言う人の方が多いと思う。
そもそも私だってそうだった。みんなで楽しく笑えたらそれでいいと思うし、軽い話とか重い話なんて区別も考えたことなかった。
でも、放課後に会いに行く人とする話は、やっぱり別種なんだろうって思う。
飯野、と書かれた表札を見るたびに不思議な気持ちになる。親しみやすいような、好きなような、恐ろしいような、けれどインターホンを押す手に遠慮はない。
二度のベルが鳴った後、すぐにお姉さんの声がした。
「はーい」
「あの、西橋ですけど」
「入って入って」
お姉さんは平気そうに言ったので、私も遠慮せずに入った。
すぐに背の低めな彼女は出迎えてくれた。
上下とも赤いジャージで完全に部屋着だ。友達の家で遊ぶ時だって、こんな恰好をする人はいない。なんだか不思議だ。
「しっかし火奈ちゃんも変な子だよねー、私に話を聞きたいなんて普通じゃないよ」
高らかに笑いながら、お姉さんは手招きしながら、階段を昇っていく。
上には伊津男とお姉さんの部屋があるそうだった。
お姉さんの部屋は机しかなかった。
六畳の部屋の端に積まれた座布団のうち、上から適当に彼女は引っ張り出して、私をそこに座らせた。
そして聞いた話は、男性をモノにする方法だった。
「だからね、そういうお店では、人の主義にもよるんだけど、割と自分勝手な感じでいいのよ。触らせたくなかったら触らせない、別にお触りOKならそれで客を取ってもいい。でも嫌なことはちゃんと嫌と言う。分かる?」
こんなことを聞くのには理由がある。
私は過去にエンコーをしていた。
とても真面目な両親からは信じられないくらい腕白に育った私は、ことあるごとに両親に歯向かって、喧嘩して生きていた。
高校生になってもそれが直らないからと、散々叱られて、ついに家を飛び出した時に私は友達に誘われたのだ。
その時は一人で生きていける手段があれば何でもいいと思ったし、別に体を売ることになっても悪くないと思っていた。
私の人生で、私が生きるために私の体や行動を自由にすることの何が悪いのか、そんな気持ちだった。
今はそこまでは思っていない。飯野家の問題を間近で見て、親ともっと話したいと思ったから。
でも私は正直、優等生ではない。大学に進学できるかどうかと聞かれれば、自信がない。かといって働けるか、と聞かれたら、敬語とかもそうだし上下関係も自信ないし……。
何ができるだろうって考えたところで、結局は一人の時と同じだった。
でも、身近にその道のプロがいると聞いて、今こうして話を聞いているのだ。
「別に来る人全員が、体目当てのケダモノってわけじゃないから。ただ話を聞いてほしい気分転換、みたいな普通の人も多いの。その分、真面目に話を聞かないとお客さんはちゃんと見てるし、真面目なら次も指名されると思うよ。あ、あとお酒は強くないと駄目。お喋りできて、お酒が飲める仕事だけど、すぐに酔い潰れちゃったら仕事になんないからね」
「へー、お酒なら自信あるけど」
「あっちゃ駄目でしょ、未成年」
「そんな細かいこと言いっこなしで!」
「はいはい。全くもう……」
そんな風に見逃してくれるお姉さんは、あんまり派手じゃないけど、とても可愛らしく笑う。
でも、真面目な話をするときは、先生よりも真剣に私の目を見て話してくれる。
「あとは、できるだけ共感してあげることね。やっぱり時間が時間だから、仕事終わりで疲れた人が来るの。そういう人は正論でも文句とか言われたら嫌な気分になるから、同調して、いい気分にさせて、お酒を飲む。いい?」
「……同調する?」
「うん。シンクロシンクロ。気持ちを一つに。つうと言えばかあ……まぁ、辛いなぁ、って言ったらそうね辛いね、って言う感じかな」
それは、私がしたことだった。
かつてこの家の人にしたことで。
だからつい、尋ねた。
「あの、お姉さんは、私のことを恨んでないんですか?」
「ぽへ?」
ぽへ? 何を言っているのかよくわからないけど、たぶんお姉さんも何を言っているんだろう、っていう顔だった。
けど、これ以上は言えなかった。あなたのお父さんと不倫してしまった、そのことに対して恨みはないのですか、なんて、言えるはずもなかった。
気まずく時間が過ぎた。少しそわそわして、正座していた足がしびれてくる。
「そうね」
そんな時に、お姉さんが、涼しげな目を向けた。
「世の中って完璧な人間っていないよね」
「え?」
あまりによく分からない言葉に、疑問を返してしまった。
それを、またお姉さんは楽しそうに笑った。
「簡単にまとめるとさ、別に火奈ちゃん一人が悪いわけじゃないでしょ? 事の発端は、私が襲われたことを隠して、でお母さんが一人で抱え込んで病気になって、でお父さんが家出して援助交際した、で、まぁ最後に伊津男は飄々と苦しんでいたところも含めると、全員がそれぞれ間違ってて、その連鎖があったわけじゃん」
「え、えっと、はい」
彼女は事実を淡々と述べた。まるで自分に起きた出来事というよりも、本で読んだことを言うみたいだった。
「それに火奈ちゃんのことは、お父さんがそういうサイトでしたわけだから、どっちかと言うと火奈ちゃんは悪くないし」
「……でも、そんな風に思えるの? 私は想像もできないけど……」
「さあねぇ、割り切れない人もやっぱりいるでしょうね。でもうちは元に戻ったし、一件落着だし。大団円だし」
「それは、うん」
でももしお父さんが、お母さん以外の人を好きになって、そっちに行ったら、なんて考えると、不思議な感じで、しかも怖い。
「そりゃ、世の中の人間が全員パーフェクト超人で、お父さんがしっかりお母さんを支えるなり、お母さんが私達に悩みを吐露するなり、私が正直に話すなり、あの子が私を襲わなかったなり、って感じなら良いことだし、素敵な生活はずっと続いたでしょうね」
なんてすまし顔でお姉さんは言うけど、明らかにでもね、と付け足そうとしていた。むしろ、それじゃ駄目だ、って言わんばかりだ。
「でもね!」
ほら。
「色々あったからこそ今こうして火奈ちゃんにも会えたわけじゃん。一期一会なんて言うくらいだし、いろんなことがあって、いろんな出会いがある。結果論だし、お父さんとお母さんが一緒で、伊津男も私と仲直りしようとしてくれている、万事解決したからこそ言えるんだけど、やっぱり人間って支え合うものなんだよ」
「……私も、それでいいのかな?」
ふと、そんな言葉が口から零れていた。
「うん?」
「親にたくさん迷惑かけちゃったけど、それでも大丈夫なのかなって」
「さー? 私は火奈ちゃんの家がどんなんか知らないからね。でも、ちゃんとした状態で話し合うっていうのは大切だと思うよ。そのことはしっかり学んだよ、うん」
にへにへっと、軽く笑うお姉さんは、とても年上の人に見えなかった。
いろんな話をしてもらった後、伊津男が帰ってきた。
そんなところで、話は伊津男の話になった。
「もうそんな時間なのね」
「えっと、伊津男は今日何だったんですか?」
「友達の海棠くんと女を知る経験とか嘯いてたけど、まあ遊んでただけでしょ」
「ふーん」
私は伊津男のことを何も知らない。なんか変な人、っていうイメージくらいしかない。
「にしても伊津男って呼び捨てにしているんだ。へー、なんで?」
「え、あ、それは。その、お母さんになろうと思ってたから、親らしさを見せようとしたわけで」
「なるほど、短絡的」
「あはは……」
今になると恥ずかしい過去だし、突っ込まれると申し訳ない気持ちにもなる。
「火奈ちゃんは伊津男のこと、どう思っているの?」
「え?」
予期せぬ言葉だった。別にどうとも思っていない。
でも、私はこの人が好きだから少し考えてみることにした。
「んー、なよっとして、頼りない感じ、かな。あ、結構顔似てますよね。伊津男ってよく見ると女顔だし」
しかも、あまり家を出ないから色白。本当に肌が綺麗だと思う。
「ふんふん、まそんな感じするね。私的には、頼れるけど頼れない感じかな」
「うん?」
「助けを求めて手を伸ばすと、するっと躱されるけど、倒れる直前で手を差し伸べてくれる感じ」
「へえ、助けを求めたことがないから分からないです」
「ま、そうね。でも、本当にいい子なんだよなぁ……」
そう熱っぽく語るお姉さんの顔を見て、なんとなくわかった。
この人は本当に伊津男が好きなんだ。たぶん、兄弟の垣根を越えて。
ぞくっとした。この人は思っていたよりも怖い人なのかもしれない。
「さて、そろそろ時間ね。送ろうか?」
「いっ、大丈夫です、一人で帰れます」
お姉さんと喋ると、たぶん敬語っていうのがするする出てくる気がした。なんでだろうか、尊敬している、とかなのかもしれない。
「じゃあ、失礼します!」
そう言ってすぐに立ち上がろうとしたら、痺れた足がもつれて派手に転んでしまった。
「ちょっ、大丈夫!?」
同時に廊下からバタバタと音が聞こえて、扉が開いて、その人が来た。
「どしたん!? ……ああ、来てたのはカナだったのか。で、どしたん?」
「こけちゃったみたい。あ、そうだ伊津男。まだ着替えてないなら家まで送って行ってあげてよ」
「えー? 俺はほら、今からあれだから。あれ、なんて言ったっけな」
と言いながら部屋を出て行こうとする伊津男に、お姉さんはズバッと背中に向かって言った。
「年下の女の子、こんな時間に一人で帰らせる気? なら私が行くけど」
「姉貴行ったら意味ねえだろ。……くそ、分かったよ分かった。はぁ……」
そう、伊津男は少し恨めしそうに私を見るのだった。
伊津男は黙って私の後ろを、数歩離れて歩く。
私はおかしくなって歩く速度を落とすけど、彼はその分ますます遅めて、ついには二人とも立ち止まってしまった。
「なんで隣歩かないの?」
「逆になんで隣歩くの?」
「え?」
「考えてみてほしい。いちいち隣を歩くと歩く速度を合わせなくちゃ駄目だ。それってつまり自分を殺すことなんだ、だから俺はみんなの個性を大切にしたい、ってわけでまあ、これでいいじゃん」
「後ろ歩かれると気持ち悪いんだけど」
そう言うと、伊津男は一瞬小動物が怯えるみたいな顔して、呆れたように溜息を吐いて、隣に立った。
やっぱり、変な人だ。
あの時は母という立場を意識して、息子として、どんな子でも受け入れてあげよう、なんて思ってたから変でも気にしないし、年下だと思い込むくらいの気持ちだったからよかった。
でも今は、年上で、こんな人、凄く変だ。
「ねえ伊津男、私のこと恨んでない?」
「凄い恨んでるけど。寒いし暗いし。実は俺な夜の闇を嫌う光の眷属だから」
「よくわからないけど、どっちかっていうと闇の人じゃない?」
「それは……ぬぅ」
本当に変だけど、ちょっと面白いかもしれない。
「それで、私が言いたいのは……」
「大丈夫、俺はそんなに姉貴が好きじゃないから、姉貴と仲良くなったことに嫉妬とかしないよ」
「いや、そうじゃなくて」
「俺は金髪の人を無条件で憎むほど見境ない人間じゃないぜ。見た目で判断されるのが辛いってのはよくわかるからさ」
そんな見当違いの言葉を聞いて、ようやく彼がふざけていると分かった。
そして、彼が一切私の目を見て喋っていないことにも気付いた。
「光男さんのこと」
私が言うと、ピタっと伊津男は動きを止めた。
「私のこと、恨んでない?」
やっと、ちらっと彼は私を見た。
けど、すぐに前を見た。でも、まっすぐ見ていた。
「別に、例えばカナが百戦錬磨の淫乱だっても、純粋無垢な大和撫子でも、悪いのは誘惑に負けたオヤジだからな、カナは恨んでないよ。オヤジは嫌いだけど」
「そうなんだ。光男さん、嫌い?」
「過去と未来の間では憎んでいる」
「え?」
「今は嫌い」
言っていると、伊津男はふいと顔をそっぽに向けた。
家について、私は言った。
「晩御飯食べていかない?」
「はぁ!? ……ほら、あれだ、あれ、なんつーか……ほら、お前、俺と家族の時間を減らそうっていうのか? 沢山の問題を乗り越えて深まった絆、俺にとって何よりも大切で美しいものだよ、家族。そんな大切な時間を奪おうなんてお前はとても悪い子だね」
「さっきお父さん嫌いって言ってたし、お姉さんもそんなに好きじゃないって」
「冗談だから。面倒くさいから嫌なだけだから。第一どういう考えで俺を食事に誘うわけ? 俺のことが好きなの? 俺のことが好きだから姉貴に俺のことを聞いていたの?」
「いや、その、もっと仲良くなりたいって言うか」
「え、マジで……?」
「いやいやいや違うってば! その……いろんなことがあってさ、私もいろんなことを知って、それで、それだけの出来事があったっていう風に終わらせたくないの。一期一会ってやつ!」
そう指さして言うと、彼は苦い顔で笑っていた。
「まぁ、電話貸してくれるなら考えんでもない」
なんだかんだで、彼は私の言うことを全部聞いているような気がする。




