そんなことないよ
「じゃ、まずはシンプルに国語でも行きますか」
海棠が買ってきたコーラを口にして、俺は少しご機嫌に栗林に提案する。てか部長さん学校にそんなものもってきていいの?
「ま、適当に頼むわ」
栗林は相変わらずスマホを触っている。どんだけ触ってんの? もしかして人でも操れんの、それ? でも確かに俺の心はそれでだいぶ揺さぶられている。凄く腹立つし。
さてさてと、提案しました国語の勉強は基本中の基本である。
「まずお前、授業受けてないものとして、ノートもとってないものとして言わせてもらうぞ」
「おー」
多分、実際そうである。実際ヤバい。これだから公立高校は……。
国語の勉強、まず現代文、古文、漢文の三つに分かれるだろうか、個人的には現文と古典の二つのようなものだが。
「まず現代文はだな、漢字を覚えろ。毎週テストとかやってるだろ? あそこで十五点出すって言ってんだから覚えろ」
「いや、必要ないっしょ、今時これで漢字なんてババーっと出せっべ?」
と栗林は自慢げにスマホを見せびらかす。俺は持ってないが、持たなくてもいいと思っている。
「うわ殺したい、じゃなかった」
心の中で思うつもりが、つい言葉になってしまった。正直俺、言ったことに対して本当に驚いてます。
「じゃ、お前は漢字が読めるんだな? どんな漢字も読めるんだな?」
「読み方調べりゃオケ? ほれ、ここで入力できるわけよ」
と、栗林はスマホの画面を見せつけてくる。どうやらタッチパネル搭載の電子辞書みたいに直接書き込んでその漢字を調べることができるらしい。
そんなこと言われたら、俺もう無理。
「あのな陸也、俺はお前が将来生き抜くための方法を教えてるわけじゃないんだ。テストで点数を取るための方法を教えようとしているんだ」
やっべー、俺ちょっと大人過ぎんよー。この諭すスタイルとかマジアダルト。略して……略しても何もならない……だるすぎて頭が回らないんだ……。
返事を待ちつつ俺が再びコーラに口をつける。口内に広がるシュワシュワ感が、一時的にいろんなことを忘れさせてくれる。多分俺アダルトになったら酒飲みまくりそう。
「つってもさぁ、頭悪くても大学出てなくても成功している人とか一杯いるっしょ? じゃあ別にテス勉とかしなくても平気じゃね?」
「頭悪くて大学出てなくて失敗している人の方が山ほどいると思うんだが……。っつうかお前、もう自分で頭悪いって認めてんのかよ。よくなろうと思えよ。成功してるやつってのは向上心とかがあるんだぞ、多分」
うげえ、と栗林はわざとらしい声をあげて、しかし相変わらずスマホを弄り続けている。マジで怖いとすら思う。
「あのな、今時大学出ても、頭良くてもうまく生きていけない人だってたくさんいるんだぞ? ここで頑張らなくてどうすんだよ」
「あーもう絶望だわー、マジ絶望だわー」
筆舌しがたいほどの激情に駆られた俺も、コーラの缶を握り潰す程度に留まった。無論、中身は飲み干してからだ。
いやぁ、今鉛筆とかシャーペン持ってたら怒りに任せて折るところだった。握手してたら骨を折っていたやもしれぬ。
だが栗林はスマホ弄りを繰り出し、その攻撃により俺の怒りのボルテージが上がる。攻撃力も上がる。
「やっべ、死ぬしかねえかぁ~」
これは、怒りではなく我慢! 二ターン後に返す! 二ターン後に返す! 倍返しだ!
そして、ふ、と栗林が溜息を吐いたところで、俺が瀕死になってしまう。惜しかったな……。
「ほらほら伊津男くん、泣かないの」
はい、相手の飛行攻撃によって水がね、少々ね。
「藤、帰る、俺、帰る」
「うんうん、帰ろ帰ろ。伊津男くんは悪くないからね」
俺、子供かよ……。でも、外に出さずにうちにため込むタイプはあんまりよくないと常々実感する。
色々と言わせてもらいたいものだ、死にたいのも絶望してるのもこっちだっつーの。
「あ、栗林くん」
そう言った藤が、ふと俺から離れて。
「ぶえぇっ!?」
そして栗林の情けない声が飛んで。
次の瞬間には妙にすっきりした藤の笑顔が俺を見ていた。
「……勢いでやることじゃないね」
そう藤は照れ臭そうに笑った。その手は赤くなっていた。
「帰ろ帰ろ!」
藤はその手で俺の手を掴み、引っ張り歩いた。
「ちょ、藤!」
海棠も牛山も倒れた栗林を見るだけで、俺達には目もくれない。
あまりの急展開に俺すらついていけない。が、何が起きたかは知っているよ。オヤジにもぶたれたことなさそうなのに……。
二人での下校、ゆっくりと降りる階段で、藤がそそくさと前に出て、踊っているみたいに、ふわりとこっちを見た。
「ねえ、伊津男くん、私、『そんなことないよ』って言ってもらうのを期待して聞くんだけど」
幼い少女のような笑顔から、藤の瞳はゾッとするほど冷たい視線に変わった。
「一日で二人も男子を殴るなんて、最低な女だよね、私。嫌な奴だよね」
ふと、藤の拳が握られているのが見えた。若干震えている風にすら。
「……」
我々の業界ではご褒美です、なんて言っちゃうところだった。今はそんな空気じゃない。
「一日に二人か、最低じゃないにしても酷い人だとは思うかな、一般論としては」
「……うんうん、で、伊津男くんは何が言いたいのかな?」
「そんな程よく酷い人には、俺がついていなくちゃダメだと思った」
階段の窓から差す夕日が、藤の顔を見るのを邪魔してくる。こういう時は顔が赤らんでいるかチェックする必要があんだろが! 馬鹿かこの太陽は!
「ふーん、でも私が殴ったのはちゃんとした理由もあるし、そんなにひどくないと思うな」
おっしゃる通りでございます……。陸也の方はちょっと先走り過ぎだと思うけど、俺の時は、殴ってもらいでもしなければ止まらなかったろう。色々手遅れだけど、自分がショタコンだと言う前だったし……。それはバレてたか。
「ま、確かにそうだろうね。俺よりかはよっぽど藤はいい人だ。だけど、きっと藤には俺しかいない」
だって、俺には藤しかいないんだもの。
藤はこちらを見たかと思うと、またそそくさと階段を降りていった。
俺はそれを、ゆっくりと歩いて追いかける。
捕まえようとは思わない。きっと藤は一緒にいたくないから先に行ったんだ。
追いかけてほしいか一人で居たいかは俺にだって分かる。




