それが戦いの始まり
屋上と言うのはまさしく校舎の屋上であるが、部活も何もない生徒立ち入り厳禁の場所である。
普段からしっかりと施錠され誰も入れず、学生が夢見る屋上で弁当とかなんとかという想像すらしないほどに存在感のない場所である。俺にうってつけじゃん。
階段を二階分上り、赤みがかった太陽がとても眩しい。古文で言うといと眩し。
が、その光は屋上に行く前にある古い鋼鉄の扉とこぶし大もある南京錠の向こうから差し込むものであり、まあ屋上行けないよねって話。でもここはまだ屋内。
と思ったら海棠は懐から鍵を出すと、普通に南京錠を開けた。
「ちょーっ! 櫂斗それってどういうことなの!?」
「この鍵はマッキーから借りたんだ」
我らが担任の牧原である。真面目そうな小太りであるが面白いという男。
いやいや、そんなことよりマッキー甘すぎだろ。マッキーなんて今初めて呼んだ。
しかし教師の許可を貰っているのなら今さら物怖じすることはない。
海棠がドアボーイを買って出たので俺は悠々と屋上に踏み出す。泰然自若とね。
屋上は、なんとも期待はずれな場所であった。
緑色の床は汚れと埃で屋外であっても汚らしさを感じさせ、赤錆のある大きなタンク、剥げかけた灰色のフェンスは高く景色を遮っている。
弁当とか告白とか昼寝とかいうスペースじゃねえな……まさしく、喧嘩の場所。
海棠も一層真剣な顔で自然体を保っている、いやいや闘ったらマジで背骨折られる。
「いいぞ」
何が良いんだよ、と海棠にツッコミを入れる前に、扉からもう一人の生徒が現れた。どうやらその子に言った台詞らしい。
背は低く、我が校の女子制服を着た、生徒。
黒い髪は後ろで二つに束ね、少し気の強そうな表情をしているが、指をもじもじあわせて自信に欠けている。
その子が屋上に来ると海棠は段差に腰掛け、退屈そうにこっちを見た。
俺とやる前にまずこいつと戦ってみろ、というわけではないらしい。
「飯野先輩っ! その……私、中学の頃からずっと先輩を見てきました!」
おいおいストーカーかよ! 怖すぎて心臓がばっくんばっくん鳴り出したんだけど!
……こういう場合は茶化して現実逃避をするべきか、藤の言うように、いい加減認めるべきか。
この子の事はよく知らないが、キヨともカナとも雰囲気が違うということはわかる。
「……その、噂はかねがね聞いています。今でも信じられないです。でも!」
うじうじ動く指をぐっと握り締め、その子はこっちの目をひたと見据えた。
「ずっと好きでした! その、付き合ってください!」
藤、俺はどうしたらいいんだ?
いや、違う。
それが逃げなんだ。藤に頼るでなく自分の意思で行うことが大切なんだ。
俺が世界が間違っていると思えば、きっと世界は間違っているというのはいいすぎかもしれない、でも俺が俺自身という人間の、気持ちを理解してやらないといけない。
俺はどうしたらいいか、それは俺に問うべきだ。
なら俺はどうするか?
「櫂斗、この子はなんて言うんだ?」
「三宅希だ。水泳部のマネージャーをやってる。メンクイだが一途だぞ」
海棠は興味なさげな風を装っているが、純粋に事の成り行きを見守っているのだろう。
大方後輩の女の子に泣きつかれてやむなくこんなことをしているんだね、可哀そう。
さて、心臓が痛くなってきたことだし、俺も真面目な話をしようか。
水曜日にやってるガイクラ、これいいよね。変身ヒーローってまず格好良いじゃん、しかもニンジャに格闘家、男のロマンを内包しすぎて俺の理性がヤバい。
女の子も可愛い、メタリックな敵も格好いい、もう言う事なし。完璧だよ!
やっぱり夕方アニメはちょいお色気、ギャグ、バトル、そして少年、これが必須、それが飯野流アニメ観閲法。俺と姉貴だけの方法である。
さて、充分逃げた。
「三宅さんね、まず俺が小さな男の子が大好きでも本当に俺のことが好きか?」
やっぱ無理! 俺が吐きそう! 死にたい死にたい! ここなら飛び降り……いや痛いし怖いし遠慮しよう。
と、三宅さんは瞳を一瞬そらしたが、また強い意志に光をもって見返してきた。
「はい、先輩の目を覚ましてあげます」
「だったらいい。遠慮するよ。君とは付き合わない」
俺が先に顔をそらした。振られた人の悲しむ顔を見たくないから。
減らず口なんだけど、今の俺ってモテ期だな。ちゃんと藤って選んどいてよかった、機会を逃せば貴重な一回を無為にしてしまうところだった……。でも生おっぱいイベントがまだ……。
「なんでですか! 私にも納得できるように説明してください!」
え、ええー! むしろ三宅ちゃん怒ってた! なんで怒ったの!? 女の子怖い!
グラウンドから運動部の走る声や球を打つ音、体育館の屋上のプールからは水音がよく聞こえる。
眩しい夕陽が俺の背に光っているから、きっと三宅さんは少し見づらくもあるのだろう。
なら、安心して言おう。
「まず一つ目に、ショタコンであることを俺は恥とも変とも思わないことにしたから。世間一般にしたら変だろうけど、それを俺が認めるわけにはいかない。誰も気付かない魅力に気付けたっていうのは、一般的には素敵なことだろう?」
「そんなの……変ですよ」
ほらこの子、また変って言った! もうヤダ!
「価値観が違うんだ。君が変と思い、俺が変と思わない。だから付き合えない。何より!」
向こうの文句を聴く前に、畳み掛ける。
「もう一つの理由は! 俺は藤芳乃がこの世で一番何よりも好きだから!」
くぅ~、疲れました、これにて告白終了です!
いやぁ、本人に聞かせたいくらいはっきり言っちゃったよ。これはもうラブラブ天驚拳撃てるんじゃない?
さて、三宅さんが涙を目に浮かべ走り去ったところで、海棠が立ち上がった。
「希は良い子だぞ。お前には勿体無いくらいにな」
「だろうね。でも藤は俺に勿体無いくらい凄くて、けれどピッタリだから」
矛盾しているけど、矛盾とは思わない。藤は不思議な存在なのだ。摩訶不思議~。
海棠はゆっくり歩いてこっちに来る。
そして眼前に立った。え、これ殴らないよね? いやいやいや怖い怖い待ってごめん。
「伊津男、勝負しないか?」
「無理無理無理無理ちょっと待ってそのすぐ暴力に訴えるところは僕嫌いですというかなんというか」
「暴力じゃねーよ。勘違いすんな」
暴力じゃなかったら拳法とか喧嘩とかそんなオチじゃ……?
不意に嘆息して、海棠は身を引きながら説明し始めた。その顔は呆れと若干の笑いが微量に含まれている。
「お前の得意分野と俺の得意分野で勝負。で最後に第三者の選んだ何かで勝負する」
「意味がわからないけど、何のためにするか教えてもらえる?」
後輩を無残に振ったからボコボコにしてやる、というのなら分かるがそういう腹積もりはないらしい。なら海棠は俺に対して何をしようというのか。
海棠は、言った。
「藤芳乃と別れろ」
あまりに予想外で、斜め上で、だからいつの間にか叫んでいた。
「ふざけるなっ!! どうしてそんなことを……」
そんなことを言うんだ、そんなことをしなければいけないのか、続きを言う前に冷静になりました。超クールダウン、オーバーヒートはだめ。
「無論、お前にもメリットはある。もし勝ったら何でもしてやる、これでどうだ?」
な、何でも? 『お願い、何でもするからぁ』という奴ですな? うひょひょひょ、なんて言うかボケ! 誰がお前の何でもするに釣られるんだ!?
仮に、仮に海棠に何でもしてもらえるとしよう。
俺は別に人をパシることなんてしないし、無理をさせても心が痛む。本当に同級生に何かしてもらっても罪悪感しか芽生えない。
「その勝負、乗った!」
無論、俺の発言じゃない。おい誰だこんなこと言ったの! 馬鹿か! 藤か! 藤!?
間違いなく、屋上に現れたのは藤芳乃その人である。渦中の人であるが、今まさに火中の栗になろうとしている気がする。
「藤芳乃……!」
海棠が忌々しそうに呟く。さては俺がいない間になんかあったな? もう察したよ。
藤はいつもそうだ。俺がいない間にキヨとか姉貴と大切な何かの話を済ませてしまう、これ完全に藤の方が主人公ですわ。で、俺がヒロイン。
「その前に藤はいつから聞いてたの!? いつから居た!?」
「鍵はマッキーから借りた、から、OK?」
「オーケーじゃねーよ! 最初よりも前の段階じゃねーか!」
今まで大人っぽかった海棠も流石に叫ぶ。三宅さんとよく接触しなかったね……。
「じゃ、俺の告白も聞いてた?」
「私も、世界で一番愛してるるるるん」
人差し指だけ伸ばして注目を集めるようにして、藤はきらりんとウインク。
流石に俺でも空気読め、とか思っちゃう。
それより話をちゃんと聞いていたなら、なぜこの勝負に賛成するのか。
「藤、勝負に負けたら別れるんだぞ!? そんなの乗ったら駄目じゃん! 別に櫂斗に何でもしてもらったところで」
「ほら! ほら下の名前で呼んでる! 私を芳乃って呼ばないのに! やっぱり後輩の女を当て馬にして昔のヨリを戻そうという海棠くんが勝負とあてつけて伊津男くんにしっぽりふけこむパターンの奴ですわ! だっはーヤバイ! カイ×イツか、うんうん、次の小説の内容けってーい! じゅるり」
あまりに捲し立てたために口角より唾液が垂れ、それを藤は下品な音を立てて拭った。
「いい、伊津男くん! 別れてもヨリを戻すことができる! 勝ったら何でも言うことを聞く、何でもするってことなんだよねぇ……ご、ごくり」
藤の目を直視できない。というかもう何を言っているかよくわからんけど黙って欲しい。
だが、海棠はあっさり言う。
「そうだな、壊れた関係は元に戻せるものだ」
「おっひょ公認じゃん! いっつおくん! こりゃもう受けるしかないっしょ! やるしかないっしょ! ヤる、ばっんばんヤろう!」
いや、海棠の台詞は、きっと昔の俺とこいつらの……。藤はちょっと静かにして欲しい。
そんな藤はだだだっと走ってきて俺に、だ、だ、抱きついた。
「ちょーっと藤、本当に落ち着いて! なんかもう臨界点とか突破してるから正面突破でゴーアーヘッドしてるから!」
「いやでももうレッツトライアゲインするしかないんじゃない!?」
朝六時ごろのアニメですら藤はしっかり抑えていた。話が通じなくてもネタは通じる。
「じゃ、一戦目は水泳だ。今週の水曜日の放課後、体育館の屋上のプールで待っている。水着やビート版なら貸し出すが……」
「水着貸し出しィ!? そ、そそそっそれって誰の!? 誰の水着を誰に履かせ……」
呼吸が乱れすぎたために、一度藤は深呼吸をして、胸に手を当て、軽く空を仰ぎ、さらに三度、大きく深呼吸をした。でも過呼吸気味である。
「誰の水着を誰に履かせるんでうっ!」
急に真顔になった藤は鼻を抑え、一気に冷めたテンションでこっちを向いた。
「……飯野くん、興奮しすぎて鼻血出るって、本当だったんだね」
「……部活は休んで帰らない?」
流石に海棠が怒るように大きな声を出す。
「ともかく! 水曜日の放課後、プールで待ってるからな! 自由形だからな!」
当然。俺はフリーでしか泳がないってエライ人も言ってたからな。
海棠が先に扉の方へ行くのを確認して、俺はフェンス越しにグラウンドを覗きこんだ。鍵、閉めないよね?




