Ⅱ.voyager
砂漠の関所を、二人の旅人が通過したのが見える。
一人は金髪に紅の瞳のエルロック。
砂漠を旅するとは思えないほどの軽装だ。
あの馬鹿。
出発するなら夕暮れ時にしろと言われてるはずなのに、昼過ぎに出発しやがって。
もう一人は、黒髪黒瞳のリリーシア。
ちゃんと砂漠用の分厚いマントを羽織っているのは良いけれど。
また、あの大剣を持って歩いてるのか。
あんな重たいものを持ち歩いているからすぐに体力が奪われるのに。
エルは砂漠で倒れるようなことはないだろうが、リリーはやばいんじゃないのか?
また倒れたらどうするんだよ。
アレクの話しでは、グラシアルの女王が死んだから、リリーは魔法が効くんだろ?
砂嵐で運ぶのだって限度があるっていうのに。
あぁ。もう見てられない。
「まったく、困ったやつだ」
「レイリス」
リリーが顔を上げる。
「レイリスだって?」
エルが顔を上げる。
『えっ』
『え…』
『あれぇ…?』
リリー、まだ何も話してないんだな。
「連れて来たのか」
「約束したから」
「…久しぶり」
前のようには飛びついて来てくれないか。
「久しぶりだな。十年も顔を出さないなんて、薄情な奴だ」
「薄情なのはどっちだよ。勝手に居なくなったのは、そっちだろ。いつも勝手に居なくなるくせに」
ニームで一年間一緒に過ごした後、離れたことを言ってるんだろうな。
それとも、一緒に居てって願いを無視して、五歳の時に離れた時のことか?
「エル、違うの」
「リリー。いいかげん、教えてくれ。なんで、俺がレイリスに会わなくちゃいけないんだ」
「え?気づいてないの?」
「何が?」
「気づいてるなら、会った瞬間にわかってると思うぜ」
「そうだけど…」
「まぁ、良いだろ。俺と一緒に居た方が砂漠の熱さは凌げるぜ、リリー」
「えっ?」
リリーの肩を抱いて、歩き出す。
「おい!何やってるんだよ」
エルがリリーの腕を引いて、リリーを抱きしめる。
本当に、惚れてるんだな。
「なんだよ。息子の嫁と仲良くして何が悪いって言うんだ」
「悪いに決まって…、は?」
「エル、あのね。レイリスは、エルの父親なんだよ?」
「…リリー?」
本当のこと知ったら、どんな顔するのかと思っていたけど。
そんな顔するのか。
『やっぱりそうだったのね』
『びっくりするぐらいそっくりだもんねぇ』
『そうだな。瞳の色が違うぐらいか』
『同じ顔だ』
『うんうん』
『オイラも、並べて見るまで、全然気づかなかったなー』
『リリー、砂漠にエルの父親を捜しに来てたの?』
「えっと…」
「そうだよ。リリーがお前と一緒に行きたくなかったのは、俺に会いたかったからなんだぜ?妬けるか?」
「なっ…」
「あの、」
「ほら、そんなところで抱き合ってないで。早く来いよ」
ようやくリリーを解放すると、エルとリリーは手を繋いで俺についてくる。
「そうだ。お前が作った墓はリリーがぶっ壊したから、もうないぜ」
「えっ」
「ない?」
砂に変えたのは俺だけど。
「壊したのか?」
「あの、えっと。壊してはいないんだけど、お墓はもうないの」
「…いや、いいんだけどさ。墓参りには一度も行ってないから」
「本当、薄情な奴」
「だって、クロライーナには何もない」
「俺が居るだろ」
「レイリスがどこに居るかなんて知らない。いつも、気が付いたら居なくなってるじゃないか」
「呼べばいつでも会いに行ったのに」
「…そんなの、言われたことがない」
「言ったことないからな。それに、お前は死んでると思い込んでるかもしれないが、ニームにはロアとデュー、ドナ、シルマが居るんだぜ」
「え?生きてるのか?」
「教えてやらなかったのか、ジオ」
『エルは、過去の話しを嫌ってたからさー』
「悪かったよ」
「エル、メリブも生きてて、今はマリーと契約してるんだよ」
「え?」
「王都に寄らずにまっすぐ来ちゃったから会ってないけど…」
その辺、詳しく知らないんだよな。
アレクの情報で、グラシアルの女王が崩御したっていうのは聞いたんだけど。
ついでに、アレクを通じたポラリスの情報で、エルとリリーが死ななかったっていうのも聞いたんだけど。
エルがリリーを救うために、自分の魂と対になる悪魔を殺したのは間違いない。
そして、エルの運命をリリーが救ったことも。
「…リリー。なんでそんなこと知ってるんだ」
「えっと…。砂漠の精霊はみんな知ってたよ?」
「俺だって、そんな契約の方法があったなんて知らない」
「レイリスの瞳を見て、疑問に思わなかったの?」
「両目とも菫だと思ってた。…レイリス、こっち向けよ」
「ん?」
振り返ると、エルが俺の腕を引いて顔を覗き込む。
「本当に、アレクと瞳を交換したのか」
「そうだよ」
「アレクの右目は、レイリスなのか」
「そうだよ」
「知らないことばかりだ」
「お前が何も聞かないからだ」
「教える気、なかったくせに」
「ないよ。リリーが来なかったら、一生知らないまま幸せに過ごせただろう」
「なんで」
「精霊の子供だなんて、知らない方が良かっただろ」
「…それ。…光の勇者は、光の大精霊の子供なのか」
「そうだよ」
勇者の母親となる運命を持った娘に、大精霊が力を与えて子供を生ませる。
人間の器に強い魂を呼ぶ方法。
生まれながらにして精霊の祝福を受けた人間。
それは人の身に余る強大な力を持ち、やがて魔王を倒し、その魂を消滅させる。
…でも。
エルが勇者になるなんて、想定外だ。
魔王が居ないのに、エルは悪魔を殺す宿命を負った。
おそらく、それは俺の罪をエルが受けたから。
勝手に人間に子供を生ませ、その子供を生かした俺の罪。
「で?二人はクロライーナを目指すのか?」
「えっと…。どうしようか、エル?」
俺に会いに来ただけか?
「ニームまで行くよ。皆が生きてるなら、会いたい」
「うん」
元気だな。
前に砂漠に来たときは、暑さで死にかけてたのに。
「リリー、暑さは平気なのか」
「え?」
「大丈夫。エルと手を繋いでると、楽になれるの」
「どういうことだよ、リリー?」
「えっと…」
「お前は俺の力を持ってるから、砂漠で死にかけることなんてまずないんだ。でも、リリーは生身の人間だ。前に来た時だって、死にかけてたんだからな」
「リリー、どういうことだ」
「大丈夫だよ、エル」
「なんでそう、危ないことばかりするんだよ」
「危なくないよ。マリーもエイダも居たし。レイリスが助けてくれたから」
あれは相当危険な状況だったと思うんだけど。
「俺が居なかったら死んでたぞ」
「リリー」
「死んでないよ」
「もう、黙ってどこかに行くなんてしないでくれ」
「…ごめんなさい」
「その強情なお姫様は、何言っても聞かないだろ。どこにも行って欲しくないなら、首輪でもつけて繋いでおけ」
「首輪か…」
「えっ」
「嫌なら、もう離れないで」
「離れないよ」
はいはい。
ごちそうさま。
※
「リリーは寝たのか」
「寝たよ」
「一人にしてきて良いのか?」
「みんなを置いてきたから良いんだよ」
「みんなって、お前の精霊?」
「そうだよ」
「何人連れてるんだ」
「…七人」
「じゃあ、さっき聞いた声で全部か」
「聞こえるのか?」
「俺を誰だと思ってる。お前の中に居ようと、どんな契約をしていようと、聞こえるに決まってるだろ」
「大精霊って。そんなにすごいのか」
「エイダとずっと一緒に居ただろ」
「エイダはお前の知り合いなのか?」
「エイダは俺を知らない。俺が月からここに来たのは、エイダが棺に入った後だ。…リリーがここに来た時に、顔は合わせたけど。それっきりだ」
「エイダは…」
「知ってるよ。炎の大精霊と氷の大精霊の魂が、根源の神、オーに還った」
エルが、菫色の結晶を出す。
「これが、最後に残った」
「…不思議だな。何も残らないはずなのに」
「レイリスでもわからないのか?」
「わからない。反属性の力が消滅し、すべて自然に還った。そして、その魂も融合して消えた。何かが残る要素は皆無だ」
「リリーは、愛の結晶だって言っていたよ」
「愛の結晶か」
本当に。あの娘の思考回路は読めない。
それは、人間の間で、子供に対して使う言葉じゃないのか。
「エル。恨んでないのか」
「何を?」
「お前の母親を殺したのは俺で、お前をこんな運命にしたのも俺だ」
「何言ってるんだよ」
「事実だ。俺は、お前を生めば母親が死ぬことを承知で、お前を生ませた。その結果、お前は勇者の宿命を背負い、危うく魂を消滅させるところだったんだぜ」
「…最悪だな」
「あぁ」
「恨んでないよ」
「なんで」
「リリーに会えた」
「…それ、本気で言ってるのか」
「なんだよ。文句あるのか」
「いや、ないよ」
ポラリスも言ってたっけ。
いつの時代も、運命を切り開くのは愛だって。
「感謝、してるよ」
「感謝?」
「人間にしてくれたこと」
俺が、望んだこと。
「人間に生まれて良かった」
彼女が、望んだこと。
「なんて、呼べばいい」
「え?」
「父親なんだろ?」
あぁ。
あの頃と変わってないな、エル。
「レイリスでいいよ」
「いいのか」
「いいんだよ。最初から、そう呼ばせてるんだから」
「…父さん」
「なんだ?」
うつむいててもわかる。
顔、真っ赤にして。
「なんでもない」
ありがとう。嬉しいよ。
「結婚おめでとう、エル」
「ありがとう」
ありがとう。
会いに来てくれて。
父親だって、認めてくれて。