Ⅰ.embrace
「彼女を頼みたいんだ」
「私は水源管理人だ。遊牧民の娘は預かれない」
「なんでも頼みを聞いてくれるって言っただろ」
「あのなぁ」
「頼む。彼女のお腹には、俺の子供が居るんだ」
「子供、だって?」
「そうだ」
「だって、お前は、」
「それが、彼女の望みだったんだ」
「どうしろって言うんだ」
「俺の子供の父親になってくれ。子供は人間だ。人間として生きさせたい」
「あの娘を娶れと言うのか?」
「お前にしか頼めない」
「頼めないって。この先、愛しても居ない女性と、子供と、三人で暮らせって言うのか?馬鹿馬鹿しい」
「彼女は子供を生めば死ぬ」
「…は?」
「精霊の子供を人間が生むことは出来ない」
「おい、」
「子供は人間として生まれてくるが、必ず母親を殺す」
「お前、ならどうして、子供なんて」
「愛する人の子供を産むことが、人間の幸せだって。死んでも叶えたい願いだって」
「お前、それを信じたのか」
「…違うのか」
「いや…。それを望む女性もいるだろうけど。でも、」
「彼女と同じ時を生きることは出来ない。彼女は、いずれ別れが来るならば、愛されたまま死にたいって。…俺は彼女を一生愛し続けると誓ったのに。彼女は、その愛が本物なら子供を産ませて欲しいって言ったんだ」
「お前…」
「俺は、どうすれば良かったんだ。人間を愛したのが悪いのか。彼女を愛したのが。彼女を愛さなければ、彼女は人間として幸せでいられたのか」
「…お前は人間と変わらない。俺は、お前が間違ってるとは思わないよ」
「俺は人間にはなれない。彼女の望みをかなえるために、彼女を殺さなければならないなんて。…精霊と人間は関わってはいけないんだ」
「落ちつけ。…わかったよ。彼女を妻に迎えよう。そして、子供を産ませよう。ただし、子供はお前が育てるんだ」
「子供は人間として生まれる。精霊が育てるなんて、そんなこと、不可能だ」
「不可能じゃない」
「人間に精霊の子供だとばらすのか?」
「ばらさない。すべての人間から遠ざける。だから、お前がここで育てるんだ」
「人間の育て方なんてわからない」
「俺の乳母が協力する」
「人間は人間として生きた方が良い」
「お前は父親だ。その責任を放棄することは許されない」
「父親?」
「そうだよ」
「人間の、子供の?」
「お前の愛はその程度か。愛する人の子供は愛せないのか」
「どういう意味だ?全く知らない魂を持って生まれてくる人間を、どうやって愛せると言うんだ。その感覚がわからない」
「それなら、余計に子供を育てろ。そうしなければ、彼女の愛は理解できない」
「子供を産むことは、彼女が俺に求めた愛の形じゃないのか」
「彼女からお前への愛だよ」
「子供を生めば、彼女は死んでしまう。彼女を殺す子供を愛せと言うのか」
「そうだ」
「愛せるわけがない」
「愛せるよ」
「俺に理解できるのか」
「理解できるよ。お前の感情は人間そのものだ」
「俺が愛しているのは彼女だけだ」
「子供の名前を考えておけ。男でも女でも良いように」
「名前?」
「そうだ」
「名前なんて…」
※
「ほら、今、蹴ったわ。楽しみね」
「楽しみにできない」
「どうして」
「後、ほんの少しの間しか一緒に居られない」
「ずっと一緒に居られるわ」
「子供を生めば死んでしまう」
「生まれ変わったら、また愛してね」
「無理だ。もう、こんなことしたくない。俺が君を殺すんだ」
「神様にお願いしてくるわ、あなたを人間にしてって」
「不可能だよ」
「不可能じゃないわ。あなたは人間と変わらないもの」
「俺は人間じゃない」
「人間になれるわ。あなた、父親になるのよ」
「人間を育てた精霊なんていない」
「この子をお願いね」
「人間は人間としか生きられない」
「私はあなたの愛を信じてる。ねぇ、名前は考えてくれた?」
「…エル」
「エル?」
「女の子なら、エルーナ。男の子なら…」
「…そう。素敵な名前ね。じゃあ、これからはエルって呼ぶ。可愛いエル。愛しいエル。元気に生まれて来てね」
「愛せるのか、自分を殺す子供を」
「愛せるわ。とても愛しいの。あなたの子供だもの。望みを叶えてくれてありがとう」
「俺にも、愛せるのか」
「愛せるわ。ほら、エルを撫でてあげて」
「エル…、わっ」
「ほら、元気でしょう」
「生きてる」
「もちろんよ。私のお腹の中で生きてる。だから、今は三人一緒に居られる大切な時間だわ」
「幸せ?」
「えぇ。とても幸せよ」
※
「彼女の死体をどこへやった」
「…どこにもやってないよ」
「後の処理が面倒だった」
「悪かったな」
「砂に変えたのか」
「どうせ最後にはすべて砂になるんだ」
「生まれた子供を抱いてやれ」
「…許せない。殺してしまう」
「ほら」
「無理だ。あれは、俺の大事な人を殺した。生まれれば、殺すつもりだった」
「精霊が人間を殺すのはやばいんだろ?」
「あぁ。エルを殺して、俺も死ぬんだ。そうすれば、俺は彼女と一緒に死ねる」
「殺せるなら殺してみろ。ほら」
「…小さいな」
「赤ん坊だからな」
「これが、人間なのか」
「人間だよ」
「ちっとも可愛くない」
「可愛いじゃないか」
「笑わない。目も開かない」
「すぐに笑うようになる」
「ほっといても死にそうだ」
「ほっといたら死ぬ」
「弱すぎる」
「弱いんだよ。だから守らなければならない」
「母親が居ないのに」
「父親は居る」
「俺は…」
「彼女は、なんのためにこの子を産んだんだ」
「俺に、どうしろと」
「ほら、赤ん坊が泣きだしたぞ。あやしてやれ」
「あやすってなんだ。どうすれば良い?」
「乳母に聞け。俺だって知らない」
「あぁ…。なんて面倒な生き物だ」
「名前は?男の子だ」
「名前は…」
※
「どこにも行かないで」
「エル?」
「一人になりたくない」
「みんなだっていっぱい居るだろ」
「みんな、精霊だ」
「俺だって精霊だ」
「違う。こんなに、あたたかいから」
「あたたかい?」
「一緒に居ると落ち着くんだ。きっと、誰かに抱きしめられるのって、こんな感じだと思う」
「エル…」
「それに、一緒に居ると、知らない人の夢を見るんだ」
「知らない人?」
「黒い髪と紅の瞳の女の人」
「エル…。お前の母親は、黒髪で、エルと同じ色の瞳だったよ」
「じゃあ、やっぱりあれは、俺の母?」
「そうだよ」
「ありがとう。見せてくれて」
「え?」
「俺が母の顔を知らないから、俺に見せてくれてるんだろ?」
「…あぁ、そうだよ」
「みんなには内緒にしていて」
「内緒?」
「人間の話しをすると、皆嫌がるから」
「あぁ、そうだな」
「ねぇ。どうして俺と一緒に居てくれたの」
「え?」
「ずっと俺と一緒に居てくれたって、皆言ってる。父親に見向きもされなかった俺と」
「父親を、恨んでるか」
「恨んでないよ。父は、俺のせいで大切な人を失った。俺が生まれなければ。俺が普通の人間だったら、きっと俺を愛してくれたよ」
「エル、」
「いいんだ。俺は恵まれてる。精霊たちが居てくれる。みんな俺に何でもしてくれるし、あらゆることを教えてくれる。俺が寂しくならないように。泣かないように」
「泣いても良いのに」
「泣かないよ。一生泣かない。俺は恵まれているから」
「エル。お前は恵まれてない」
「もう一度、夢を見せて」
「エル、」
「死んだ人間に会えるなんて。俺だけだよ」
※
『くそっ!人間の奴ー!エルをこんなところに閉じ込めやがって!』
『ジオ。落ちつけ』
「どうして、ジオとロアも一緒に来たんだ。出られるのかよ」
『出られないだろうな』
『この塔、真っ暗だからなー。オイラたちが通れる場所もなさそうだ』
「俺が死んだら、きっと誰かが開くよ。その時に出るんだ」
『死なせないよー』
『皆が外から開けてくれる』
「開ける?」
『だから、エル。ここから逃げるんだ』
『クロライーナを出ようよー。オイラたちがついて行くから』
「だめだ。どこにも逃げられないよ。俺は罪人だ。逃げたところで、すぐにクロライーナへ連れ戻される」
『オイラたちが守るよー!』
「みんながクロライーナを離れるの、まずいんだろ?」
『エル。お願いだ、僕たちはエルと一緒に行きたい』
「だめだ。…俺は、ここで死ぬ」
『エル!なんで短剣なんて持ってるんだ!』
『ちょ、どういうこと、ロア?』
「あっ」
『エルについて来て正解だよ。暗闇で僕の目を騙そうったって、そうはいかないからね!』
「ロア!返せよ!」
『返すもんか!自殺なんて絶対に許さない。みんなが助けてくれるのを…』
「!」
『な、なんだ?』
『すごい悲鳴だ…。うわぁぁぁあっ』
「な、んだ、この音…」
『死んだ…。死んでる。なんで、どうして』
「死んだ…?」
『精霊が死んでる。殺されてる。…誰と戦ってるんだ?』
『ねぇ!誰か近くに居ないの!何が起きてるんだよー?』
『ロアー!ジオー!エルー!』
『ドナ?』
『エルを守って!私も行くわ!』
『何が起きてるんだよ!』
『ガトが人間を殺した!』
「え…」
『応戦してくる!』
『戦うつもりか!』
『無茶だよー!オイラたちは絶対ガトに勝てない!』
『でも、このままじゃクロライーナがなくなっちゃう!』
『あぁ、レイリスが居てくれれば…』
「ロア、ジオ、レイリスは、どこに行ったんだ?」
『レイリスは、ガトと喧嘩して出て行ったんだよ』
「喧嘩?喧嘩なんてしょっちゅうだろ」
『だから、その…。とにかく、今は居ないんだよ!』
「くそっ。誰か!誰か開けてくれ!出してくれ!…うわぁぁぁっ!」
『くっ』
『う…』
「ガトを止める!誰か!…あ、あぁっ…、」
『ロア、エルを眠らせてー』
『…そうだな』
「あ…」
『僕らだって、この悲鳴はきついのに…』
『あぁ…。このままじゃ全滅だ』
『レイリスは、こうなるってわかったから、クロライーナを離れたのかな…』
『エルを置いて?だって、レイリスはエルを人間に返したかったから、エルから離れたんだろ?』
『そうだけど…。だって、エルがこんな目にあってるのに、帰らないなんてさー』
『…レイリス。本当に居ないのか?』
※
クロライーナの惨劇の後。
ミダスという男が、クロライーナに残されていた少年を連れてニームの街へ向かった。
ミダスは少年に広場で待っているよう告げると、ニームの水源管理人の家へ走る。
クロライーナで見たことを説明するためだろう。
一人になって、所在無げに空を見上げる少年に、近寄る。
「よぉ、エル」
エルは。
何も言わずに俺に飛びつき、俺を見上げる。
「どうした。…泣いてもいいんだぜ」
しゃがんで、エルの顔を見る。
愛しい人と全く同じ瞳から、涙が流れる様子はない。
エルは俺に向かって口を開く。
声にならない、その言葉を。
―会いたかった、レイリス。
「俺も。会いたかったよ、エル」
その体を、きつく抱きしめる。
エルロック。
大切な、愛しい俺の子供。