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雨都 -uto-

作者: 菟々

小説の形からは離れています

苦手な方はご遠慮ください


では創めます



 神様はいるのだろうか?

 いるなら

 誰の味方だろう?



 拘束がない、つまり自由に。法則がない、つまり不規則に。道を、建物を、小石を、木を、葉を、僕を打っている。

 冷たくて、冷たい雨。刺して、刺す雨。寂しくて、寂しい雨。感情を持っている物は無いが、感情を奪っていく物はある。意志が無くても事は動き、知らない間に影響を与えて、望まない展開に連れて行き、更に道を踏み外す様に働きかけてくる様に。

 鼻先に大粒の雨が態とだと考えられる程に的確に、狙っている様に一点だけ当たる。少しでも鼻の不快感を減らそうと試みて、下が目に入る程度に首だけを傾ける。そして、目に入る靴の先。その先に展開している無駄に広くて遠くに続いていく、深く深く染まったアスファルトは、もう乾くことを知らない。


 見る気にもなれない空は水溜まりに映り、どんより漂っている。光を忘れた真っ黒の雲は低く、近く、重く。圧迫するそれは手を伸ばせば届くかもしれない。遥か遠くからは断続的に閃光が見え、激しく荒い雷鳴が轟いている。


 足元を叩く音は一層強くなった様に思える。


 帽子も被らずに、傘も差さずに、ちょっとした上着も着ずに。そのまま頭から濡れて、髪は流れるままに頬につき、服は冷たく重く張り付いて、そのままペンキの剥がれたベンチに座っている。髪から伝う雨水は鼻を、頬を、顎を、決して細いとは言えない流れを何本もつくって重力に従う。そして、そのまま重力に逆らわずに落ちていって、堕ちていって。やはり、留まる事は禁忌に等しいとでも言う様に、その中でも無駄に留まっていた大きな粒が、逆らえなくなって落ちて、音をたてて。リズムの無い雑音の中に一つ鈍い音を、それでいて目立った音を。

 その音に驚いて、反応して顔が少し動く。そのまま、抵抗もしないで、その勢いのままに顔を前に向ける。また広がった視界の中。ほんの少し、ほんの少し目を動かすだけで見える水溜まりは、数える気が起こる様な範囲をかなり越えている。…いや、数えられない。もうすでに水溜まりではない。地面が直接見える様な所は既に無い。膜でも張ったかの様に水がある。量は少ないとは言えない。ある程度厚い靴底を持っているランニングジュースは染みてきて、靴下が濡れ始めている。


 …音が変わった。多重になっている雨の音が。


 さっきまでの地面を直接叩く様な軽い音ではなく、一つ一つが小さくなく。深くて、暗くて、重くて、そんなこもった音。でも、雨は強くなってきている。もう、音をつずつ確認は出来ない。

 雨音に集中する為にさっき閉じた目を開ける。小さな光からも離れていた目は直ぐには使えず、眩んで、痛んで、潤んで。一瞬の後、やっと戻ってきた視界と思考。それに映り、捉えた不思議。感覚が麻痺してきたのか、流れて行かないで留まる雨水は、足を呑み、ベンチを呑み、そして腰の辺りまで。いつの間にか、気が付かない間に雨水は達していた。そんな事に今気が付いた。そして、一つに気が付けば連鎖を起こして気付いていく事はよくある事。

 下を向いて、地面だけが見える様に、ずっと腿に預けていた両方の肘。それらを離して、背もたれに上半身を預けて、顔が空を見る様に姿勢をとる。目は瞑る。さらにその後、脚を組もうとした。脚を組もうとした。組もうとした。

 …出来なかった。感覚が無くなった?本当に?消えてしまったのか?

 …いやでも、姿勢を動かそうとは思わない。少しばかり理由を考えてみても、心当たりは見付からない。とりあえず、手だけは動かすことにして、脚に触れる。…水の中に入れた手が触れたのは、体温と言うものが感じられなかった。水に体温を奪われただけとは思うことは出来ない。

 …とすると、二本の脚は死んだ様だ。脚の先の、足の先まで、一つとして、一ミリも動かない。決して水圧の所為ではないと考えた結果、出てきた答え。確かめることは出来ないが、まあ、そんなところなのだろう。でも、そう。別に死んだとしてもそんなに気にする事でもない。どうにかなるだろうし、もし死んでいなかったら、それこそ気にする必要性が感じられなくなる。…とにかく、どうにかなるのだから別に大きく問題にはならない。


 さて、考えていた時間が長かったのか、それとも雨がまた更に強くなったのか。考えてさせてばかりいた脳が落ち着いたのか、熱を持ちながら捉えていた感覚は、まだ冷たいもの。脚の付け根辺りにいた手を、頭のもとへ持っていこうとして胸元まで動かした事まではいい。それと同時に起きている事。その手が受け身で進行している事。…そう、まだ水を感じていた。水の中にまだ手があった。つまり、頸のところまでに水が余裕で到達している事実。また、気が付いていなかった。さらに、もう耳の辺りまできている。そしてそこで、奇妙に位置を変えずに留まり始める。口は浸かって、鼻先も浸かり始めそうになぎりぎりの所。

 水から逃れるために、僕は顔を上に向ける様にする。真上、雲がある方向、雨の降る元、天。別に見るわけじゃない。呼吸が出来る様、上をむいただけ。目を開ける気はない。そして、上を向いていると顔に当たる雨も増える。その中でも一際目立った物が、額に叩き込まれてきた。

 衝撃に頭は揺らぎ、頭痛と共に意識が落ちた。

 落ちる前に一瞬、懐かしい匂いがした。


 *


 昔話でもしようか。


 昔々に計画されたここは、もう忘れ去られた場所。想像と思案の先には、調和を中心に、規格を碁盤を対称を中心に考えて、考えて、設計されて。的確に、正確に。無駄も余裕もない、霞もしない。機械的な、幾何学的な、白の造形物達。そこには感情が入る隙も無く、冷たく、鋭く。不要な者は不要な物と一緒に棄てて。穢れを嫌って、潔癖で且つ完璧な。直線の中に曲線は一つも存在しない。曲がった変わり者を疎外するための意思表示。厳しい規律、約束で制限を、束縛をかけ、時間を、空間を支配し、跪かせた。全てを手中に治めていった。

 しかし、しかしそれは機構だけの話で。そして、そしてそれは気候を負かした事は一回も無かった。あるはずが無かった。あまりに無謀で、困難で、無理でしかなかった。

 そんなここは、高く高く積んで積んで積み重ねられた塔らしき物の上にある、空中都市計画で完成した空中都市。街並みの通りは雲と並んで、建物は雲の上。強風避けのための扉は厚く何重にも。吹く風は冷たい。奥の奥を冷やして、それを超えて凍らそうとする冷酷な自然。その自然は高く存在することを拒否した。雲より高く存在することを。雲だけ意思を持った様に動き出し、雷も発生させながらさらに高く。都市からも見上げなければならなくなる高さまで上昇した。

 白く光る閃光は白い壁を灰、黒に染め上げて。でも破壊は一つも出来なくて。建物の、造形の形を全く崩す事無く、人だけが黒い塊になっていった。それまで短い期間を生活してきていた住民達は炭と化したのだ。地上の都市との連絡が途絶え、下からは何回も何人もその都市に送り込まれた。でも、その人たちが帰る事は一回も無かった。

 そう。空中に住むなんて、空中で生きるなんて、空中で営み作るなんて、始めから無理なものだったのだ。今はもう誰一人として住人はいない。

 いや、住んでいる奴は、いる。


 *


 氷付いた様に動くことなく静止していた水に、流れが出来た。きっかけは何だってい。とにかく意識が戻ってきたらしい。  

 擂り鉢状に出来ている広場の上まで到達でもしたのだろう。ベンチに凭れかかった状態での顔のすぐそこまで来た所で、動いている。それは見計らった様に、楽しみを長い時間をかけて味わう様に。世界までにも遊ばれている様にも感じた。世界には意志があるのだろうか。どちらにしても、結果だけを見て悪を楽しんでいるように判断したら、世界から離れればいい。そして今は悪だろうか。いや、考える事が嫌になる。それは水の所為なのか、本当に身体がもう持たないのか、頭痛が思考を邪魔してくる。 


 ふと、うたた寝の様に、小さな睡眠を繰り返すようになる。一瞬意識が戻って来た時、鈍痛が深く刺さる。頭の奥の奥の深いところ、古い切れ味の悪い剣を叩き込まれた様なのかも知れない。でも、まだ痛みを感じる力は残っているらしい。正常ではなくとも、上半身の感覚は生きていて、それ以上に頭からは痛みを伝えて不具合を知らせてくる。

 頭痛。頭痛。

 頭痛、頭痛、頭痛、頭痛、

 痛、痛、痛、痛、


 痛痛痛痛痛痛痛痛。


 …だが、その頭をどうにもできない。掻き回すための手が動かないことは既に確認済みだ。

 その、その頭痛を助けに来た様に耳鳴りが始まった。聞こえるか、聞こえないかのぎりぎりのあたりの周波。かすかに音が認識されて、でも鼓膜は鼓動をきりきり感じている。もう原因は考えようともしない。

 黄色がだんだん赤色になる頃、音はしっかり認識させてくるまで下がり、音量も爆発し始める。脳味噌からは危険信号が壊れかけたランプでまた報せてくる。でもサイレンは既に壊れていて、間もなくランプすら機能を放棄していく。そうして耳鳴りは意味を無くして消えていく。

 残ったのは騒音に成り果てた雨の音。唯、ひたすら、黙黙と、周りの音を消していく。もう、雨は突き刺さる程に。さっきまでの雨が増しにも思えてくる。物を、事をも砕く程に。いや、本当は強さなんか変わっていないのかも知れない。それ程差も無くて、勘違いをしているのか。唯、そう強くなったと思ったのかもしれない。

 そして、そしてその中に。もう、水と雨が主導権を握った様な世界に。雑音を平たく受け止めていた水面に、不確定要素が一つ、異物が混ざる。そこだけ周りから離れた世界。雨の音は変わり、激しいけど浅い、量のわりに軽い音に。前方か後方か。それとも、右方か左方か。とにかく音の主はいる。音は大きくはっきりしてくる。

 音は近付いてくる。一瞬だけ目を開いた。直ぐに閉じた。その間にシルエットが確認出来た。それは前の方にあるようで、上を向いている状態で目下に確認出来た。顔は確認できない。いや、まず人ではないかもしれない。上を向いて、雨が目に入らないよう閉じているから。いや、別に目に入らないためではない。単純に、自分の外を見ないため。自分の世界に潜り込むためかも知れない。でも、自覚があるわけでもない。

 まだ音は聞こえる。溜まった水は耳元までには来ることはない。

 水を蹴って、裂いて、分けていく音が聞こえない。唯周りと違う、異なった音が近付いて来るだけ。何だろうか。傘の音に似ているかもしれない。

 そして、上から、上から声が聞こえた。


―何をしてるの?


 少女の声で口が開かれた。でも、回答を待っている様には聞こえない。端から期待もしないで、呆れた様に。声もかけただけ。もちろんとは言えないが、まず声が出ないので返答が出来ない。


―隣いいわね?


 耳元に音がぎりぎりまで近付いてくる。歩く時に鳴る様な、ぴちゃぴちゃと靴底に付着した水が滴る様な。その音が耳元で起こっている。隣と言ったって僕とベンチは水の中。声は随分上から。耳元に立っている様だ。それも水面の上に。


―念のために言うけど、目を開けたら蹴飛ばすから。邪念は早く消しなさい


 立ち位置的にそう言う服装なのだろう。別にそんな事は考えていない。


―あぁ。やっぱり開けてみなさい。もうその目は使い物にならないんでしょう


 歯向かおうとしたが、別に理由もない。瞼、目の周りの筋肉に力を入れて、ぎこちなく目を開いた。開いたけど、開いたはずだけど、目の前が真っ黒に近い。ゆらゆら動いている様な、もやもやしている物が若干認識出来た。感じた事から考えてみると、目の高さにこいつの足元があるようだ。


―もう光への反応が鈍くなったのね。焦点が合ってないわ。それに、濁ってる。…いえ、もう視覚はゼロね


 視覚が消えた。光が消えた。


―まだかすかに残っているのは、残り四つね。いつまで持つかしら?


 いや、期待とかじゃない。面白がっている訳でもない。困らせようとしてる訳でもない。その声に気持ちは一つも無く、事実を淡々と確認して、その先の仮定を立てている。飽くまで客観的で、傍観者で。命令はしないで、拒みもしないで。考えた物のいくつかを口にしても、周りに影響しない物だけが選ばれていている様な、


―視覚の次は触覚でも無くなるのかしら?


 思い違いだった。独り言の様に、でも該当者に聞こえる様に、唯通る声で吐き続けてくる。声色に現れないだけで楽しんでいる様に思えた。

 開けたままの目に雨が入る。いや入ってきているのだろう。多分。きっと。痛みが、

 …分からない。そう、触覚が消えた。感覚が無い。

 今まで普通に機能していた感覚が喪われていく。氷ですら溶けることに時間はかかるのに。その消え方は見た目は儚いかもしれない。蜉蝣でも死ぬ様に。氷よりは雪が溶ける様に。存在自体が無かった事にされる様に、感覚は完全に消える。跡も、残り物も無い。光が喪われた。温もりが喪われた。さあ、次は?

 その前に、触覚も消えた事がこいつに気付かれたら何を言われるかと、無意識に考えていた、


―機能停止が早いわね。私のオーダー通り?


 もう悟られた様だ。


―コンピュータだってもっと確認ウインドウが出て無駄な時間をとるわ


 この早さは僕の所為ではない。勝手に身体が手放していっただけ。それと、いくつかのシステムに異常が出ていて動けないが、まだ無機物とは一緒にされたくない。まだ生きてる。まだ、


―生きてる?呼吸と心拍があるだけでしょ?


 読まれた。読まれたようだ。読心術の修得の仕方は分からないが、存在するとは思っている。多少驚いたものの、表現をするための手段が無い。


―寂しいの?


 別に…、何も感じない。そう、今更、別に。


―そう。寂しいんだ


 わざわざ確認しなくても。意地悪。


―意地悪してるからね


 …もう、思考さえも止めようか。


―止めればいいんじゃない?


 …楽しそうだね。


―ここに住んでいるなら、小さな事でも楽しまないと


 ここでまた意識が落ちた


 *


『こちらは、空中都市、大中央ゲート。間もなく、……』

『こちらは、空中都市。世界一、段数の多い階段は、……』

『こちらは、空中都市、大北ゲート。中央行き、……』

 空中都市がオープンとされて数日、この場所はお祭り騒ぎで、客やメディアで溢れている。

 数字で作られた直線で、造り出したこの高さ、大きさ。数が一つだけ違う事も、許す事が無かった造形。しかし、それで再現しようとしたのは世界樹。それは、不確かで、曖昧で、数字で表す事が出来ない話。御伽噺。でも、そんな事には関係なく、人々は往来して、その中の幾つかは永住を始めた。

 賑やかだな。


 *


―賑やかなころに戻った感想は?


 意識が戻った瞬間に言われた。夢ですら覗くのか。

 そう。あの空中都市がオープンしてからの数日は賑やかで楽しかった。でも、そんな時間が長続きするわけも無く、すぐに災害が発生して、寂れた。住民達は死んだか、下へ逃れていった。それでも濁りのない水。幾何学的で、精密で、直線的で固い、真っ白な壁を向けてくる人工物。その中の広場。

 何を考えたのか最後の住人にでもなろうかと思ったのは、此処の夢にでも立ち会ったから起きた最後の興味だったのかもしれない。でも、結局、

 二人ぼっち


―飽きたの?


 僕は頭が動かない


―止めるの?


 僕は呼吸をしない


―諦めるの?


 僕は鼓動をさせない


―死ぬの?


 僕は…




 神様はいるのだろうか?

 いるなら

 誰の味方だろう?



読了ありがとうございます


誤字脱字があれば指摘の程よろしくお願いします

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