vol.4
昨日、テナがジェニーとルーシーに帰るとリグレは来ていなかった。
リグレはいつも任務から帰っているとき、テナが学校から帰るとカウンター席の一番右端でクロードと駄弁っているのだが。
クロードが電話で聞いた話だと、なんでも、自分が下戸なのを忘れて飲みまくった所為で気持ちが悪いから寝てるんだそうだった。
今日テナは、校門を一人でくぐった。ジェニーは今日一日学校をサボって朝からデートだという。
なのでテナは一人でルーシーへ帰っている。その背中はどこか楽しげだが学校から離れて、ルーシーに近くなるにつれ、だんだんすすけていく。
テナはとうとう俯いた。
「今日リグレさん来るんだよね。どうしようどうしようなんて挨拶すればいいんだろういきなり声かけたら変かな挨拶くれるの待てば良いのかなでもそれだと失礼な子だと思われるかもしれないし。ああどうしようどうしよう」などと同じような内容の独り言を呪文のように延々唱え始めた。
それを続けながら歩いていると、いつの間にかルーシーの前まで来ていた。
挙動不審に窓から中の様子を確かめるとまだリグレは来ていなかった。
それまで赤かった顔が青白になり、がちゃ! と大きな音を立てて店の中へ飛び込んだ。
客が一斉にそっちを向いて、テナは羞恥で赤くなる。
この時間ルーシーにいる客は、一日の仕事を終えて、仲間と駄弁りに来た常連客ばかりだ。だから客たちは、
「まぁたリグレの野郎か」
「テナちゃんか」
「若いねェ」
「あんな惚けたのの何処が良いのか」
「なあ」
などといいながら元に戻っていく。
テナは赤くなりながらも、ルーシーのマスター、つまり彼女の父親であるクロード・フルートの方を向いた。
クロードはそんな娘を見て腹を押さえながら笑いを噛み殺している。
クロード・フルート。テナと同じブロンドの髪と灰色の瞳。背中まで伸ばした髪はすべて後ろで束ね、額の傷があらわになっている。もう五十を過ぎているが、その体は長身で細身であるにもかかわらず固い筋肉に覆われている。また、その体には数々の生々しい傷跡がある。それについて彼は何も語らないため、それを知る者は少なく、そのすべてを知る者はその妻のカミーユ以外はいない。色々と謎の多い人物だが、喫茶店を経営しているためなのか、人脈は多い。普段はほとんど店にいるため、いつも白いワイシャツに黒いルーシーのロゴが入ったエプロンがトレードマークになっている。
「お父さん、リグレさんは? まだ来てないの?」
クロードはまだ少し笑いながら、
「っクク………。あ、あー、まだ来てねえな。あいつ今日はダチがやってる店に行ってから来るっつってたからなあ。まあ、そのうち来んだろうよ」
それを聞いて、テナは、胸を撫で下ろした。が、まだ少し浮かない顔をしている。そんな様子を見ながら笑いが納まったクロードは、呆れたようにため息を吐いた。
外は少しづつ暗くなってきていた。陽はもうほとんど沈んでいて、世界をオレンジと紫の混ざり合った色に染め上げている。
テナは、一度風呂に入って、着替えた後ルーシーのエプロンをつけてカウンターに戻った。クロードがまだ来てないのを確認して、残念なような安心したような表情になる。
しばらく、注文を運んだりしていると、バイクの音が響いて、男が一人入ってきた。リグレだ。
リグレは、いつもの席に座って、エスプレッソを一つ注文した。
「遅かったじゃねえか。あとな、毎回言うようだが、髭を剃れ」
エスプレッソを出しながらクロードが言った。
「おやっさんだって、髭生やしてんじゃねえかよ」
「俺は毎朝手入れしてんだ。面倒臭がってるだけの手前と一緒にすんな」
ちぇ、とリグレが舌打ちして分が悪いと感じたのか話を変える。
「昨日言ったダチがやってる店な、街外れにあるんだけど家から四時間くらいの場所なんだよ」
クロードが、テナに怒られんぞ、と忠告し、あきらめたように、その話に乗る。
「そこじゃねえといかんのか?」
「てか、そこじゃないと売ってないんだよ」
そうかい。とクロードは納得したようにうなずく。
テナはそんな様子をカウンターの影に隠れてその二人様子をうかがっていた。さっきクロードがエスプレッソを出してしまったのでコーヒーを渡しに行くことはできなくなってしまった。それからずっとリグレはクロードとしゃべっているため、何の注文もしてこない。
「良いなあ、お父さん」
ついに何だか俯いて泣きそうになっていると、リグレがピラフを注文した。
ちなみに、リグレはテナがそこで隠れているのを知っているが、知らないふりをしている。
そんなことも知らずに、え? と顔を上げてリグレとクロードの方を見上げると、クロードがこっちを向いてピラフの方へ目配せしている。
「情けないなあ」
テナは呟いた。
ピラフを装ってリグレの所へ運び、しどろもどろになりながらも声をかけようとしたが、それよりも先にリグレが彼女に、
「おお、テナ。久しぶり。元気だったか?」
「え、あ、いや、そ、そのあ、は、はい!」
「そ、そうか。そりゃよかった」
リグレは彼女がいきなり大声を出したから驚いたが、毎度のことなので慣れっこなのだった。
一方、テナはまた羞恥で赤くなる。それでもリグレの方から声をかけてくれたのが嬉しくて、自然と頬が緩むのを我慢しながら、それでも我慢しきれていないのが分って、リグレに自分の緩んだ顔を見せないようピラフを彼の机の上に置く。
一度気を落ちつけようと、リグレに気付かれないように小さく深呼吸する。リグレの顔を見ると、朝剃らなかった髭が伸びている。昨日リグレは一日寝ていたためか、昨日も剃っていないようで、少し長めだ。
そしてテナは、ここぞとばかりに、
「リグレさん、また髭剃ってないじゃないですか。いつも剃ってって言ってるのに。大体リグレさんはだらしなすぎです。いつも髪とかボサボサ――――」
テナがリグレに説教を始める。この光景も今ではルーシー恒例となっていた。
「わ、分かった分かった。でも休日くらい良いだろ? 髭とか剃んの面倒だし、休みの日くらいは楽にさせてくれよ?」
「楽にするのはいいですけど、髭くらいは剃ってください」
だんだんヒートアップしてきたテナを収めようとリグレは話を変える。話を変えるのはリグレの常套手段 なのだった。
「まあ、テナもいつもどうりで良かったよ」
言って微笑む。
「り、リグレさんこそ、今回お仕事どうでした?」
テナは、彼が目の前でそんな風に笑うだけでも、言いたいことが言えなくなって、しどろもどろになってしまうのだった。
そんな様子に彼は苦笑し、
「今回もいつもと大して変わんねえよ。今回はアスラムのフィスタンっつう場所に言ってな、なんか軍事研究やってる基地があるんだけどそこの様子を調べてきた。」
「へえ、え、えと、そこは何を研究してるんですか?」
「軍事研究つったろ? 爆弾とか…まあ兵器の研究だよ。他は言えない、国家機密だから。俺捕まっちゃう。てかもう俺暗部抜けたからさあ、そういう話はやめてくれよ。俺にとっては黒歴史というか…」
レグレがうんざりした様子で頭を掻く。
「そ、そうでしたね…」
何とか会話を続けたかったテナだが、言葉に詰まってしまった。
「そうそう、テナはこの間一級学校入学したんだろ? 悪いな、入学式いけなくて。なんせ、フィスタンに住み始めたばっかりだったからなあ、それ聞いたの。もっと早く言ってくれてれば、入学式も有給とって行ってやれたかもしんねえんだけど」
「す、すいません。そ、その恥ずかしくて…」
恥ずかしい…ね。とリグレは呟いたが、それにテナは気付かない。
「…セパの一級学校っつったら、スフォル最難関じゃねえかよ。なんか目指してるものでもあんのか?」
「い、いや。特にないんですけど。なんかいつの間にか決まってて。入学金とか授業料とか全部タダで行かせてくれるっていうんで。ほいほいと」
「そ、そうなのか…。すごいな。俺も飛び級したけど、専門学校に行くためだったし。お前頭良いのなあ。前から知ってたけどそこまでとはなぁ………」
リグレがテナに羨望の目を向ける。
「あ、そうだ」
リグレは、何か思い出したように鞄を漁って、水色の包装紙で奇麗に放送された箱を取り出した。
「ほら、入学祝。あんまり大した物買えなかったけど」
「え、ええ? あ、ありがとうございます! 開けていいですか?」
「ああ」
テナはもどかしい手つきで、包装紙を破かないようにゆっくり開けると、木の箱があった。何か文字が書かれているわけでも無い。
それを開けると、持ち手の所が木でできた万年筆が入っていた。全体的に丸みを帯びていて、全体に細かい草木を表現しているような可愛らしいデザインが彫り込まれている。
「で、こっちがインク」
リグレは同じ包装紙に包まれた箱をテナに渡す。
「いいんですか? なんだかすごく高そうですけど」
「良いよ良いよ。気にすんな。何でもフィスタンの伝統細工を応用して作ったもんらしいんだよ。なんか可愛いだろ」
「あ、ありがとうござい、ます…」
テナは万年筆の模様をなぞったり、握ってみたりしている。余程うれしいのか、リグレの隣に座り、仕事も忘れてずっと眺めている。
そんな様子を見てクロードが呆れたように言った。
「仕事しろ」
受験とかいろいろありまして、投稿するのに二か月ほどかかってしまいました。
申し訳ありません。
小説のタイトル、話数の数え方、キャラクターの名前など少し全体的に変えました。切り取った文章もありますし。
とりあえず、投稿ペースは相変わらず遅いですが、これからもよろしくお願いします。