vol.3
リグレ・アーロンが起きると、既に次の日の三時を回っていた。太陽がしっかりあがりきっている。スフォル国民にしては、少し遅い朝だった。
だかリグレにして早い、休日などの仕事がない日、彼はいつも昼ごろまで寝ているからだ。
うーん、と伸びをして、起き上がる。部屋の西側にかけている時計を見て、洗面所へ行き、顔を洗った。
寝ぼけた顔が、いつものやる気のなさそうな顔に戻った。
「うーつめて」
もう春になったとはいえ、朝の水はまだまだ冷たかった。
髪はぼさぼさの寝癖だらけ、髭は昨日も剃っていない分、少し長めだ。だがそれを彼は直そうともせずに、リビングに歩いていく。
パジャマのまま、パンをトースターにかける。聞きもしないラジオのスイッチを入れて、棚からバターを取り出す。
チンと音を立ててトースターからパンが跳ねた。それを無視して、ワイシャツを肌に来て、カーゴパンツを履く。
パンを取って、バターをパンに塗る。パンを齧りながら箪笥の中のナイフや銃を掻き集め、暗部に居た頃に使っていたリュックにつめる。
「これも区切だ」
そう呟いてリグレはジャケットを羽織り、リュックを左肩にかけると、ラジオのスイッチを消して家を出た。
バイクにまたがり、向かった先は家を出て三時間ほど、首都を出てすぐ、セパの郊外。コレットコーヒーという珈琲店だ。
首都に向かう人々が旅の食事に良く立ち寄るので、それなりに繁盛している。
リグレが中に入り、一番手前の二人席に座った。
間もなくワイシャツに黒いエプロンの格好をした、店員が来た。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
「アッサムのブレンド」
リグレはメニューを見ずに言った。
ちなみにここはコーヒー店であり、アッサムは紅茶の事。紅茶もあるにはあるが、一種類だけ。当然アッサムのブレンドなんてメニューはどこにもない。
だが、店員はそれを聞いて、少し顔がこわばった。
「アッサムのブレンドですね? かしこまりました。少々お待ちください」
すっと腰を追って頭を下げ、店員はカウンターに戻るのではなく、その隣の控室に入って行った。
直ぐに紅茶が運ばれてきて、それを確認して店を出ようとするが、何となく紅茶が気になったのか、その紅茶を除くようにする。
「俺、紅茶あんまり好きじゃないんだよなあ」
そうぼやいて、カップをとると一気に飲み干そうとして、
「あちっ!」
口からカップを勢い良く離して、テーブルの上に置く。「あち、あち」と少しこぼした紅茶をハンカチで拭くと、カップをとって、「フーフー」息を吹きかけ、少し冷まして今度こそ飲み干す。
そして、カウンターに紅茶の代金を置くと、店を出た。
バイクにまたがり、コレットの横に通っている、道を走っていく。
するとそこには一軒、家が建っており、その家のそばまで行くと、中から中年の男性が出てきた。
その男性が言った。
「失礼ですが、ご確認させていただきます。あなたは、リグレ・アーロン様ご本人ですね?」
「ああ」
リグレが答える。
「身分証明書と会員証を」
リグレは、ジャケットの内ポケットから手帳を取出し、その背表紙を見せた。暗部に所属する人間の身分証明書だが、リグレは三日前に退隊しているのでそのエンブレムが外されていた。残っているのはその後と、エンブレムがつけられていた穴だけだ。
その手帳の一ページ目を開いて、退隊式の時に支給された、一般の証明書を見せる。
そして鞄の隠しポケットから会員証を取出し、見せ、言った。
「会員証を新しく作りたいんだけど」
「失礼いたしました。リグレ・アーロン様と確信できました。では中へお入り下さい」
中年の男性は、恭しく一礼し、玄関のドアを開けた。
中の様子は、普通の家のリビングであり特に変わった様子はどこにもない。
「こちらへ」
男性がリグレを先導し、部屋の真ん中あたりにある、二つのソファの間に置いてあるテーブルをソファのない方へ床ごと動かした。
そこには、地下へと螺旋状に続く階段があった。隠し扉だ。
男性は階段の壁にかけてあった、ろうそくに火を点け、中に入ると、リグレが入り易いように壁際に寄った。
リグレが中に入ると男性は、上から垂れている紐を引き、テーブルと床がずれていたのを元に戻した。
男性がまたリグレの前を歩き始める。
「なあ、あの隠し扉、どうやってあけてんだ? 前に開けようとしたことがあんだけど、びくともしなかったぜ?」
リグレが興味なさそうに聞いた。
男性は、フッと笑って、
「企業秘密でございます、万一何も知らに人間が勝手に開けたりしたら困りますからね。それと、次からはそのようなことを絶対にになさらないでください。」
最初に笑った意味が分らなかったが、リグレは、とりあえず「そりゃそうか」と頷いておいた。
それから二十秒ほど無言で下りていくと、木製のドアがあった。その手前にはランプが光っている。そのドアには金属の表札が付いていて、そこには『キクロプ・ウェポン 中央商店』と書かれている。
名前から分かる通り、武器の専門店である。
裏では、伝説級に名が通っている、武器兵器チェーンだ。業界最固の秘密主義と、厳重な保管、あの手この手の隠ぺい工作で、実在していることを知っているのは、三国の中でも少数だという。リグレがここに入ってくるのにも、隠蔽工作等の手続きによるものだ。ちなみにコレットコーヒーは、キクロプウェポンの子会社が経営するチェーン珈琲店。
しかし実際は唯一国から認可されている武器チェーンで、スフォルの軍事用兵器などは全てこの会社で生産されている。代わりにシャグリス、アスラムへの兵器の売却は、国との契約で禁止されている。
ちなみに何故リグレが、そんな店を知っているかというと、スパイをやっていたから。では無く、親友がこの店の店長をやってるからだったりする。
「よお、そろそろ来る頃だと思ってたぜ? リグレ・アーロン」
ドアを開けると、ドアの前で立っていた男が陽気に言った。
「お前は俺が来るといつもそう言うよな。ボックス・バーン」
二人は握手をして、ボックスという男がリグレに抱きつこうと飛びかかった。
リグレがそれを避けると、その後ろに立っていた男性にボックスが抱き着く形になった。
男性は、抱き着いているボックスに向かって紳士な笑顔を返した。
そして、
「つれないですねえ、アーロン様」
何故か男性がそういった。
ボックスは何故か自分の身に危険を感じ、急いで男性から離れた。
「ふふふ」と男性は笑って、さっきのように一礼し、入ってきたドアから出て行った。
そしてリグレが、諭すように、
「男同士で抱き合っても、気持ちが悪いだけだろ。ボックス」
「やめてくれよ」
ボックスが青い顔で言った。
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ボックス・バーン。ブロンドの髪に浅黒い肌。スフォルでは代表的な青眼。右目には額から頬にかけて、獣に引っかかれたような傷が二本ある。
リグレとは、同じ故郷の育ちで同い年、下等学校から、中等学校までずっとつるんでいた。リグレが上級学校を飛び級して専門学校へ行ったときに離ればなれになったが、それ以降もリグレが故郷に帰ったり、ここさ年は、電話というものが開発され、リグレの故郷にもすぐに置かれたため、遠くにいても話すことができるようになった。
二年ほど前に、ボックスが、このキプロクウェポン中央商店の店長に就任した。
どうして武器のチェーン店の店長をやっているのか、は密売店で働いている訳ではなく合法の仕事なのでリグレも聞かなかった。
「ホラ座れ」
ボックスが言って、二人は、テーブルを挟んで置いてあるソファに、向かい合って座った。
「でもまあ、一昨日か、昨日には来ると思ってたぜ? 暗部の退隊式は四日前だろ。一昨日と昨日は何をやってたんだよ?」
ボックスが聞いた。
「一昨日は宴会。一日中酒飲んでた」
「一日中? お前下戸なのに?」
「ああ。飲まずにはいらんなくて…。そのせいで昨日は魘されたぜ。ずっと寝てたんだ。何回も吐きに起きてな、生まれて初めて死ぬかと思った」
「馬鹿だな」
「俺もそう思う。早くおやっさんのコーヒーが飲みたいよ…」
「そうかよ」
さっきの男性が二人にコーヒーを持ってきた。
テーブルにそれを置くと、お盆を抱えて、恭しく一礼して戻って行った。
「まあ、今はうちの珈琲で我慢しろ。で、今日は何しに来たんだ?」
「ああ、まず会員証を新しくしたい。職業変わったらその五日以内に、知らせなきゃいけないんだろ?」
言ってリグレは、会員証と身分証をテーブルに置いた。
ボックスは、会員証と身分証を確認して、テーブルをとんとんと叩いた。
ドアが開いて、さっきの男性がが現れ、それらを持って行った。
「それと」
リグレが言いながら、リュックを開け、朝詰め込んだ銃やナイフをテーブルに広げた。
「こいつらを売りたいんだ」
ナイフだけで三種類、八挺、銃は回転式と自動式、サブマガジンが二挺ずつ合計で十四挺あった。
「毎度あり。今から鑑定するから、奥の武器庫を見てろ」
言いながらボックスは、サブマガジンをいじり始めた。
「そのつもりだよ」
そういってリグレが立ち上がると、大柄の男が出てきた。リグレも身長が百八十六と小さくはないが、男は二メートルを超えていた。
「万が一の場合がありますので、私も同行させていただきます」
万が一というのは、リグレが、店の物を使って、店を襲おうなどう考えていた場合も入る。一人の客に対して、必ず腕に自信のあるものが一人つくという徹底ぶりだ店長の芯湯だからと言っても、それ消して揺るがない。
倉庫に入って、ナイフと書いてある、棚の方へリグレは足早に向かった。
武器の棚には、皆強化ガラスが貼ってあり、許可なく触れないようになっている。リグレは、男に棚の中のナイフを指さしながら、出してもらった。
「これとこれとこれ」
選んだのは、刃渡り三十センチほどのつかからエッジまでが真っ黒なサバイバルナイフ。一挺。
次に暗器。暗器とは体のどこかに隠し持って、いざというときに対応できるように収納しやすく作られた武器のことを指す。リグレが選んだのは、ブーツに隠して携帯するナイフと、小型で隠しやすいナイフを二挺づつ選んだ。
それらを男に持たせて、銃の棚。
二十二自動式と、三十二自動式で迷ったが、結局三十二自動式にした。
戻ろうとしたときリグレの目に、一挺の銃が飛び込んできた。
四十四回転式、スフォルでは十年ほど前にヒットして、今もリメイクなどで愛されているダニーハリーという映画の主人公がつかっている銃だ。主人公が悪党にこの銃で弾丸をぶち込むシーンは、十年たった今でも、スフォル国民で知らない者はいない。
リグレのやる気のない、半開きの目が、急に光を帯びた。
「すげえ! ボディまで全部同じだ」
俺ダニーハリー大好きなんだよ! 騒ぎながら、男に棚から出してもらい、それを受け取ると、早足に、倉庫を出て行った。
外では、ボックスが既に鑑定を終わらせていた。
「飯にしようぜ」
ボックスが言った。
二人は食事を終えて、また二人で話し始めた。
「また随分、使いづらいもんを選んだな。これ、重いし、かさばるし、反動がかなりきついぜ? 」
「たぶん大丈夫。それに使うかどうかも分かんねえし。これ探してたんだよ。ダニーと一緒の奴。このタイプはもう作ってないからなかなか見つかんなくてさ」
「おまえあの映画好きだよなあ」
「あの勧善懲悪っぷりがね、現実感なくていいんだよ」
さっきの興奮はもう納まったのか、いつもの調子でリグレが言った。
「でもなんでわざわざ全部買い替えちまうんだよ? ここにあるもんなら、お前が売ったもんで全部間に合うだろうが」
ボックスが聞いた。
「区切りだよ、区切り。正直さっさとやめたかったんだ。責任が重すぎるからな、この国のスパイは。面倒だし、怠いし家でゴロゴロしながら本読んでる方がよっぽど良い」
ボックスは、はあ、とため息を吐いて
「まあ、確かにそうだなあ」
「だろ?」
「まあ、その方がいいだろうな。で、お前仕事はどうすんだよ?」
「行きつけのコーヒーショップで雇ってもらうつもりだよ。そこのマスターと仲がいいんだ」
「なんだよ、家で雇ってやろうかと思ってたのに」
「仕事先が見つかってなくてもそれは遠慮しとく」
「そっか」
その後も二人で話していたが、特に意味のある会話ではなく、彼女はできたのか、最近読んだ本の話、最近見た映画の話、など。ちなみにボックスは付き合っている女がいるとか。リグレはいない。
そんな調子で、二時間ほど話し込んだ後リグレは腕時計を見て、「もうこんな時間か」と立ち上がった。
う~ん。と伸びをして、
「そろそろ帰らせてもらうよ。昨日いけなかったからルーシーにもいかないといけねえし。今から帰んねえと日が暮れちまう」
「そうか。ああ、お前が買った銃、弾はどうする? 何ならこっちで選んじまっても構わねえけど」
「そうしてくれ」
言って、リグレは、ボックスから売った分の代金を受け取った。その中から、買った分を取出し、支払った。
買ったものを受け取って、
「身分証と会員証は?」
「上で受け取ってくれ。お前を案内したヤツがいるから」
「分かった」
リグレは、上に上がって、身分証と会員証を受けとって、店を出た。