第五話:飛鳥の抜刀、双星の絆
――西暦六〇四年(推古十二年)夏。
筑紫の夜風が、急激に温度を下げたように感じられた。
森の闇から這い出してきた刺客たちは、合計で五人。いずれも無駄のない動きで、当時の標準的な兵とは一線を画す「殺しの専門家」の気配を纏っていた。
「……中臣の放った犬か」
私が突き飛ばされた地面から起き上がり、泥を払いながら呟くと、中心に立つ男の目が細められた。
「神童の噂、虚実入り混じると見ていたが……その胆力、驚嘆に値する。だが、それゆえに生かしてはおけぬ。この国の『神の秩序』を壊す異物は、ここで絶たねばならん」
刺客たちが、静かに間合いを詰めてくる。
彼らが手にしているのは、不気味に黒光りする小太刀。その刀身には、かすかに腐臭の混じった薬の匂い――毒が塗られている。
「大江、下がっていろと言っただろう!」
入鹿が叫ぶ。その小さな肩はわずかに震えていたが、握られた短刀の先は一点もブレていなかった。
入鹿は本来、武芸の才に恵まれた男だ。だが、今はまだ八歳の子供。対して相手はプロの暗殺者だ。普通に戦えば、一分と持たずに二人の首が飛ぶだろう。
「入鹿、一人で戦おうとするな。私が『光』を作る。お前はそれを見逃すな」
「光……? 何を言って――」
私は懐から、筑紫の豪族との交渉材料の一つとして用意していた「試作品」を取り出した。
大陸から届いた硝石と硫黄、それに木炭を現代の比率で配合した黒色火薬――その初期型を詰めた、竹筒の礫だ。
「……飛鳥の神々に、私の知恵を捧げよう」
私は火打ち石を素早く打ち、竹筒の導火線に火をつけた。
刺客たちが「なんだ、それは」と動きを止めた瞬間、私はそれを彼らの足元へと全力で投げつけた。
――カッ!! どおぉぉぉぉぉん!!
夜の静寂を引き裂く、凄まじい爆音と閃光。
火薬の爆発など見たこともないこの時代の人間にとって、それは天罰そのものだった。
「な、なんだ!? 雷か!?」
「目が、目が見えぬ!」
刺客たちが悲鳴を上げ、狼狽する。
私はその隙を逃さず、呆然としている入鹿の背中を叩いた。
「今だ、入鹿! 右の二人だ!」
「おおおぉぉりゃあああぁぁ!!」
入鹿の咆哮が響いた。
彼は天性の瞬発力で地を蹴ると、混乱する刺客の一人の懐に飛び込み、その喉元を鮮やかに切り裂いた。返り血が彼の頬を染めるが、入鹿の瞳には恐怖を上回る闘志が燃え盛っている。
さらに、崩れ落ちる敵を足場にして跳躍し、もう一人の腕を深々と突き刺した。八歳の童が、大人の暗殺者を圧倒する。その光景は、後に「守護」の剣として振るわれる力の片鱗だった。
だが、残るリーダー格の男は、爆発の直撃を避け、すでに体勢を立て直していた。
「……小癪な。炎の術か。だが、種が割れれば恐るるに足りん!」
男が跳んだ。
入鹿が体勢を崩している今、その刃は確実に私の胸元を狙っている。
私は火薬の予備を探すが、間に合わない。
(ここまでか――!)
そう思った瞬間、私の目の前に小さな背中が立ちはだかった。入鹿だった。
彼は短刀を両手で構え、明らかに自分より巨大な男の突進を受け止めようとしている。
「大江には、触れさせない……っ!!」
ガキンッ! と、金属同士がぶつかり合う鈍い音が響く。入鹿の小さな体は数メートル後方へと弾き飛ばされたが、その捨て身の防御が、男の刃をわずかに逸らした。
そして。
「――そこまでだ、中臣の狗ども」
夜の闇を裂いて放たれた一筋の矢が、リーダー格の男の肩を正確に貫いた。続いて、森の四方から松明の光が溢れ出す。
「おのれ、伏兵か……! 撤退だ!」
生き残った刺客たちは、闇の中へと消えていった。現れたのは、私の父・蘇我倉麻呂が率いる蘇我の精鋭軍だった。厩戸皇子が、中臣の動きを予見して密かに増援を送っていたのだ。
「大江、入鹿! 無事か!」
父の温かな腕に抱き上げられ、私はようやく全身の力が抜けるのを感じた。
数日後。私たちは再び船で飛鳥へと向かっていた。
甲板で風に吹かれながら、入鹿は自分の手のひらを見つめていた。
「大江……私、お前を守れたかな」
「ああ。入鹿がいてくれなければ、私は今頃魚の餌だったよ」
私が笑いかけると、入鹿は少し照れ臭そうに鼻を擦った。
「私はこれから、誰よりも武芸を磨く。お前がその頭で創る『新しい国』を、私がこの剣で守ってやる。それが、私の役目だ」
歴史は、確実に変わり始めていた。
だが、斑鳩に戻った私たちを待っていたのは、さらなる激動の知らせだった。
厩戸皇子の邸に着くなり、私たちは憔悴した表情の皇子と対面する。
「隋の皇帝、楊広が崩御した。大陸は再び戦乱の渦に包まれる。……そして、この混乱に乗じて、新羅と百済が我が国の領土を狙い、動き出した」
外圧。国内の改革が始まったばかりのこの国に、最悪のタイミングで「国際情勢の荒波」が押し寄せようとしていた。
「大江。お前の知恵を、今度はこの『国全体』のために使え」
皇子の言葉に、私は深く頷いた。
六歳の神童に、ついに日本の舵取りの一部が託された瞬間だった。




