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第四十三話:血脈の亀裂、深夜の密談

飛鳥の夜は、陸奥のそれよりも密やかで、湿り気を帯びていた。

 鎌足がもたらした「蝦夷と中大兄皇子の接触」という報せは、私の脳裏に最悪のシナリオを突きつけた。史実における『乙巳の変』の主役たちが、本来の敵対関係を越え、私という「未来からの異物」を排除するために手を取ろうとしている。

「……皮肉なものだな、鎌足殿」

 私は部屋の隅で、多賀から持ち帰った「反射望遠鏡」の鏡面を磨きながら呟いた。

「私は入鹿を救うために歴史を動かしてきた。だが、その結果、歴史は私を標的に変えた。しかも、入鹿の実の父を使ってな」

 鎌足は影に溶け込んだまま、冷徹な声で応じる。

「蝦夷殿にしてみれば、大江殿はもはや制御不能の怪物にございます。唐の皇帝と対等に渡り合い、民の熱狂を一身に集める。その力がいつ自分たちに向けられるか……権力者は常に、理解できぬものを恐れるのです」

 その頃、蘇我の本邸。

 奥まった離れでは、蘇我蝦夷と、まだ年若いながらも鋭い眼光を宿した中大兄皇子が対峙していた。

「……皇子よ。大江が陸奥で得た金と技術は、もはや蘇我一族の枠を越えている。あれはもはや、この国の理そのものを書き換えてしまうだろう」

 蝦夷の声には、一族の長としての焦燥が滲んでいた。

「……左様。あのような『魔法』に等しい力を一人が独占するなど、あってはならぬこと」

 中大兄皇子は、薄く笑みを浮かべた。

「大江は唐との和議を独断で行い、国の宝である技術を敵に漏らした。これだけで『大逆の罪』に問うには十分。……蘇我の家を浄化するためにも、あやつを飛鳥から引き剥がすべきでは?」

 蝦夷は、目の前の少年のような皇子の奥に潜む、冷徹な野心を見抜いていた。だが、今の彼にとっては大江への恐怖が、皇子への警戒を上回っていた。

 翌朝、私は入鹿に呼び出された。

 入鹿は庭で一人、木刀を振っていた。その剣筋は多賀での実戦を経て、もはや飛鳥の武芸者では太刀打ちできないほどの鋭さを増している。

「大江、父上から変な命令が下ったんだ。……『大江を、筑紫(九州)の防衛強化のために派遣する』ってさ」

 入鹿は動きを止め、汗を拭いながら私を見た。その瞳には、隠しきれない不安があった。

「九州へ? 唐とは和議を結んだばかりだ。今すぐ防衛を強化する必要はないはずだが」

「ああ、分かってるよ。……これ、事実上の追放だろ? 大江を俺から引き離して、その間に多賀の権利を取り上げるつもりだ。……じいちゃんも父上も、なんでそんなに焦ってるんだ?」

 入鹿は、木刀を地面に突き立てた。

「俺は行かせない。大江がいない飛鳥なんて、ただの泥沼だ。俺が父上に直談判してくる」

「待て、入鹿。今お前が動けば、それこそ蝦夷様の疑念を確信に変えるだけだ」

 私は、望遠鏡を通して見ていた遠くの星々を思い出した。星の動きは計算できるが、人の心には「感情」という最大の誤差がある。

「入鹿、一つだけ約束してくれ。何が起きても、お前は中大兄皇子にだけは近づくな。あの方は……私の計算が最も通用しない相手だ」

 西暦六二五年、春。

 飛鳥の空に、不吉な暗雲が立ち込める。

 大江を排除しようとする蘇我本家の策謀。そして、それを静かに見つめる中大兄皇子の影。

 救おうとした友を、私は守り切れるのか。

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