第三十四話:黒船来航、多賀沖の迎撃
――西暦六二四年、晩春。
日本海を埋め尽くすような巨大な影が、陸奥の水平線に現れた。唐の将軍・張亮率いる、三万余の兵を乗せた大艦隊である。彼らの目的は、飛鳥の「理」の心臓部である多賀要塞を、その完成前に一気に踏み潰すことだった。
「来たぞ……。大江が言っていた通り、山のような船だ」
多賀要塞の最上階。入鹿は冷静に望遠鏡を覗き込んでいた。彼の周りには、特製の防具に身を包んだ近衛軍の精鋭たちが、一糸乱れぬ動きで配置についている。
「大将! 敵艦隊、接岸準備に入りました! その数、およそ五百!」
「慌てるな。……敵はまず、矢の届かない距離から楼船で威圧し、小舟で上陸を試みるはずだ。大江の教えを思い出せ。戦いは『距離』で決まる」
入鹿が右手を振り下ろすと、星型要塞の「突き出した角」の部分に隠されていた木蓋が次々と跳ね上がった。そこから姿を現したのは、陸奥の鉄を贅沢に使い、大江が執念で鋳造した**「多賀式十二ポンド青銅砲」**である。
「火薬装填! 仰角、十五度! ……放てッ!!」
ドォォォォォンッ!!
飛鳥の歴史上、かつて一度も聞いたことのない破壊の音が、陸奥の空を震わせた。
海面を切り裂いて飛んでいった鉄の玉が、唐の先頭艦のど真ん中に直撃する。凄まじい水しぶきと共に、頑丈な楼船の船首が木っ端微塵に砕け散った。
「な、なんだ!? 敵はまだ遥か先だぞ! どんな弓を使えばこれほど飛ぶのだ!」
唐の船上は、一瞬にして阿鼻叫喚の地獄へと変わった。
だが、唐の将・張亮も百戦錬磨の勇将だった。
「怯むな! 相手は数門の筒に過ぎぬ! 全船、全速で接岸せよ! 数で押し潰せ!」
損害を顧みず、唐の艦隊が怒涛の勢いで多賀の海岸へと迫る。
「……入鹿様、敵の小舟が砂浜に届きます!」
「いい。十分に引き付けろ。……『機雷(埋設爆弾)』の信管を抜け!」
砂浜に飛び降り、勝ち誇って剣を抜いた唐の兵士たちが、一歩踏み出した瞬間――。
足元の大地が火柱と共に爆発した。
ドォォン! ドォォォン!
大江が現代知識で調合した黒色火薬を、防水加工した陶器に詰めて埋めておいた「対人地雷」である。物理的な殺傷力以上に、その「目に見えない死」が唐の精鋭たちの心に恐怖を刻み込んでいった。
一方、多賀の司令室。
私は、入鹿からの伝令をリアルタイムで受け取りながら、鎌足と共に追加の補給物資を確認していた。
「大江殿。入鹿殿の初戦は完璧にございますな。唐の士気は目に見えて落ちております」
「いや、鎌足殿。張亮は囮だ。……李世民の本命は、この混乱に乗じて『山側』から回り込もうとしている。影の軍勢がね」
私は地図の北側、蝦夷の居住区を指差した。
「唐の工作員が蝦夷を煽り、多賀の背後を突かせる。……鎌足殿、あなたに預けた『八咫烏』を動かす時だ。毒には毒を。工作には工作を」
「……承知いたしました。私の影たちが、北の森を唐の墓場に変えて見せましょう」
海からの砲火、砂浜での爆発、そして森の中での影の戦い。
多賀要塞は、大江が持ち込んだ「近代戦」の冷徹さと、入鹿の「勇猛さ」が混ざり合い、唐の軍勢を一人、また一人と飲み込んでいく。
「大江……見てるか! お前が創ったこの城は、一歩も通さないぞ!」
入鹿が咆哮し、自ら火槍を手に取って最前線へと駆け下りる。
西暦六二四年、夏。
多賀要塞は、巨大帝国・唐のプライドを粉々に砕き始めていた。
だが、この敗北を知った時、長安の李世民はついに、自ら親征を行うべく重い腰を上げる。
世界最強の皇帝対、未来を知る異端児。
決戦の舞台は、ついに多賀から、全日本の運命を賭けた「海戦」へと移ろうとしていた。




