第三十二話:日蝕の審判、科学の光
――西暦六二三年、冬。
運命の正午が迫っていた。多賀の広場には、不安に震える移住者たちが数千人も集まっていた。
「全員、動くな! 持ち場を離れるな!」
入鹿の声が多賀の街に響き渡る。
近衛軍の兵たちは、かつて飛鳥で大江から受けた「天文学の特別講義」の内容を、必死に民衆に説いて回っていた。
「いいか、これは月が太陽の前を横切るだけだ! 影ができるだけだ! 決して空が落ちるわけじゃない!」
「怖がるな! すぐに元に戻る。俺たちがついてる!」
兵たちが冷静に、かつ力強く民を導く姿は、恐怖の連鎖を食い止める防波堤となっていた。
正午。
空が薄暗くなり、気温が下がり始める。太陽が欠けていく中、玄州は演壇の上で狂ったように踊り始めた。
「見よ! 太陽が食い尽くされる! これこそが――」
「――これこそが、俺たちの『技術』を見せる最高の舞台だ!」
入鹿が玄州の言葉を遮り、私に向かって大きく手を振った。
「大江、やれッ!」
私は、城壁の四方に配置した閃光装置の点火を命じた。
「放てッ!!」
シュアアアアアッ!!
日食で暗くなった多賀の空に、マグネシウムを主成分とした強烈な閃光が炸裂した。闇を切り裂く白銀の輝き。それは、自然の影を打ち消す「知恵の光」だった。
「民たちよ、顔を上げろ! 影など恐れるに足らず!」
入鹿が、眩い光の中で剣を抜き、高く掲げた。
「俺たちが守っているのは、ただの城じゃない。この『理』の光だ! 影が過ぎれば、太陽は以前よりも輝いて戻ってくる。それを信じて、俺たちの後ろに立て!」
かつて飛鳥で大江が証明した真理を、今度は入鹿が、自らの言葉と軍の規律で体現してみせたのだ。
数分後。影が通り過ぎ、再び陽光が差し込むと、多賀の民からは恐怖の悲鳴ではなく、蘇我の軍勢に対する熱狂的な歓声が上がった。
「……馬鹿な。民が、天罰を恐れぬだと……?」
腰を抜かした玄州の前に、鎌足が音もなく歩み寄った。
「玄州殿。……李世民への手紙にはこう書いておきなさい。『飛鳥の若武者たちは、もはや迷信では動かせぬ』とな」
鎌足の合図で、近衛軍が玄州を拘束した。
私は、安堵の表情で戻ってきた入鹿と、強く拳を合わせた。
「入鹿、助かった。お前たちが民を落ち着かせてくれなきゃ、どんな光を焚いても手遅れだったよ」
「へへっ、飛鳥で散々聞かされたからな。……でも大江、これで李世民も分かったはずだ。次は小細工なしで、本物の『軍勢』が来るぞ」
西暦六二三年、冬。
内側からの崩壊を食い止めた三人の前に、ついに大陸の地平線から、唐の巨大な艦隊の影が姿を現そうとしていた。




