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第三十一話:虚妄の聖者、多賀の動揺

――西暦六二三年、晩秋。

 多賀の城壁は、飛鳥コンクリートの導入により驚異的な速度で高さを増していた。高炉からは不純物を排した鋼が次々と産み出され、街には活気があふれていた。

 だが、その熱狂に冷水を浴びせるような不気味な噂が、現場の工夫や移住者たちの間に広がっていた。大陸から来た僧、**玄州げんしゅう**が説く「終末の予言」だ。

「……大江様が造っているのは、神の怒りに触れる『バベルの塔』だ」

「鉄を溶かすあの高炉の火は、地獄の業火を呼び寄せる呼び水らしい……」

 私は、建設指揮所で鎌足からその報告を受け、思わず鼻で笑った。

「時代錯誤な迷信だな、鎌足殿。誰がそんなことを言い触らしている?」

「……玄州にございます。彼は今、多賀の移住者が集まる集落で、仏法の皮を被った『終末の予言』を説いておりますぞ。李世民が放った、魂の毒薬です」

 鎌足の瞳は冷徹だった。彼はすでに独自の諜報網で、その僧の背後に唐の影を感じ取っていた。

 私は入鹿を連れ、集落の広場へと向かった。

 そこには、白い法衣を纏った男を囲み、跪いて祈る数百人の民の姿があった。

「皆よ、聞くが良い。この大地を掘り返し、黄金を奪い、鉄の煙で空を汚せば、山の神は怒り、この地は一夜にして泥海に沈むであろう。蘇我の神童がもたらす理は、魂を売るための契約に過ぎぬ!」

 玄州が叫ぶと、民衆の中からすすり泣きが漏れた。

 入鹿は激昂するのではなく、むしろ呆れたように隣の私を見た。

「大江、またこのパターンか。飛鳥じゃもう誰も信じないような話を、わざわざ北の果てまで持ってくるとはな」

 二十歳を目前にした入鹿は、不敵に笑い、近衛軍の兵たちに合図を送った。

「野郎ども! 怯えてる連中に『学校』で習ったことを教えてやれ。あれは祟りじゃない、ことわりだとな!」

 私は広場の中央に歩み寄り、玄州と対峙した。

「玄州殿。山の神が怒ると言うのなら、なぜ神は私に、この大地の下にある鉄や金の場所を教えたのだ? それを使い、冬を越せぬ民を救うことこそが仏の慈悲ではないのか?」

「ふん……。口先だけの理屈よ。ならば大江殿、証明してみせよ。この地に流れる川が赤く染まっているのは、神が血を流して泣いている証拠ではないのか!」

 民衆がざわめく。確かに、最近多賀の近くを流れる小川の一部が、不気味な赤茶色に染まっていた。

 私は、入鹿に目配せをした。

「おい、皆! よく見てろよ。これは神様の血なんかじゃない。『酸化鉄』、つまり鉄のさびだ!」

 入鹿は自ら川岸へ行き、泥を掬って民衆に見せた。

「上流で俺たちが山を削ったから、鉄の成分が水に混じっただけだ。証拠に、大江が作ったこの粉を入れれば……ほら!」

 入鹿が桶の水に凝集剤を投げ込むと、濁りは底に沈み、水は透明に澄み渡った。

「……おおっ! 水が清らかになった!」

 民衆から歓声が上がる。玄州の顔が屈辱で歪んだが、彼は不敵な笑みを消さなかった。

「……水の色を変えるなど、所詮は手品。ならば大江殿、明日の正午、この空が真っ暗に染まるのも『錆』だと言うのか?」

 入鹿の眉がピクリと動いた。

「……日食か。李世民の野郎、計算の得意な奴を飼ってるな」

「明日の正午、太陽は死に、この世は闇に包まれる。それこそが、蘇我の滅亡を告げる天の意志だ!」

 玄州の宣言に、広場は再び恐怖に包まれた。だが、入鹿は落ち着き払っていた。

「大江、明日の正午だな。……了解した。近衛軍総員で、民のパニックを抑え込む。……お前は、最高の『ショー』を準備しておけよ」

第三十二話

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