第二十七話:長安の眼、飛鳥の焦燥
――西暦六二一年(推古二十九年)。
唐の都・長安。黄金色に輝く大明宮の奥深くで、一人の男が報告書を広げていた。
後の太宗、李世民である。
「……対馬で我が偵察艦隊を壊滅させたのは、雷を降らせる筒と、油の海か。倭国にこれほどの兵法者がいたとはな」
李世民の傍らには、房玄齢ら当代随一の軍師たちが控えていた。彼らは、漂着した工作員の断片的な証言から、飛鳥で起きている「異変」を分析していた。
「陛下。報告によれば、その中心にいるのは『大江』という名の少年。彼は単なる魔術師ではなく、理を用いて物資を循環させ、民を組織しているとのこと。……このまま放置すれば、倭国は東方の巨大な棘となりましょう」
李世民は、地図上の小さな島国を指でなぞった。
「……武力で力押しにするのは下策だ。まずは、その『理』の源を断つ。間者を送り、蘇我氏の内側から崩せ」
一方、飛鳥。
対馬での勝利に沸く世間とは裏腹に、私はかつてない「壁」に突き当たっていた。
「大江……。鉄が、足りない」
入鹿が、疲弊した顔で私の部屋に入ってきた。
火槍(銃)や爆雷、新型の甲冑……。近代的な軍備を整えれば整えるほど、当時の日本の貧弱な鉄生産能力は限界を露呈していた。
「わかっている。今の砂鉄から取り出す方法(たたら吹き)だけでは、唐の物量に対抗できるだけの予備兵装が作れない。……資源の限界が、私たちの限界か」
私は焦っていた。現代知識があっても、物理的な「素材」がなければ形にできない。さらに、鎌足から不穏な報告が入る。
「大江殿。地方の豪族たちが、蘇我の『徴発』に反旗を翻し始めていますぞ。対馬の勝利は蘇我の功績だと讃える一方で、自分たちの領地の鉄や米を供出することには、限界だと言い出している」
鎌足の指摘は正しかった。
「唐」という外圧が一度退いたことで、豪族たちの関心は再び「自らの利権」へと戻りつつあった。これこそが、李世民が狙うであろう「内部崩壊」の土壌だった。
「……入鹿、鎌足殿。こうなれば、一か八かの賭けに出るしかない」
私は地図のさらに先、当時の日本がまだ手を出していない北の地を指差した。
「陸奥だ。あそこには莫大な金、そして良質な鉄鉱石が眠っている。……さらに、海の向こうの『新羅』と秘密裏に交易を結び、鉄を直接買い付ける」
「新羅だと!? 唐の息がかかっている連中だぞ、大江! 毒を食らうようなもんだ!」
入鹿が反対する。
「毒であっても、薬にしてみせる。……鎌足殿、あなたには新羅との『裏交渉』を任せたい。彼らも唐の強大さに怯えているはず。共通の『恐怖』を餌に、鉄を引き出すんだ」
鎌足は冷ややかに笑った。
「……私を死地に送るつもりか。だが、面白い。大国・唐を欺くための外交、この中臣鎌足が引き受けよう」
その夜。私は一人、学院の裏山に登り、星空を見上げていた。
(歴史はもはや、私の知る『乙巳の変』のレールから完全に脱線した。……ここから先は、誰も見たことのない、鉄と血の『日唐戦争』へ向かっている)
暗闇の中から、一人の人影が現れた。
与志古(車持の娘)だった。彼女の手には、鎌足から預かったという、新羅への「密書」があった。
「大江様。……あなたは、入鹿様を死なせないために、この国を戦場に変えようとしているのですか?」
その問いに、私はすぐには答えられなかった。
「……戦場にするのではない。戦場にさせないために、牙を研いでいるんだ。与志古殿、君にはいつか……平和な飛鳥を見せてあげたい」
与志古は悲しげに微笑み、密書を懐に収めた。
西暦六二一年。
李世民の「影」が飛鳥に忍び込み、大江は「資源」を求めて未知の北の大地と新羅へ手を伸ばす。
「科学」対「軍略」、そして「資源」を巡る、国力を賭した静かなる総力戦が始まった。




