第二十六話:対馬沖の雷鳴、鉄と硝煙
――西暦六二〇年(推古二十八年)。
早春の対馬海峡は、荒れ狂う波濤に包まれていた。
霧の向こう側から現れたのは、これまでの海賊や隋の船とは一線を画す、堅牢な造りの楼船三隻。唐の「斉州総管」が放った、東方偵察のための精鋭艦隊である。
「……来たか。大江の予言通りだ」
対馬の北端、断崖に築かれた新設の砦。入鹿は、大江から贈られた「望遠鏡」を覗き込み、唇を噛んだ。
十七歳の入鹿の肩には、蘇我一族の未来と、倭国の命運が重くのしかかっている。
「大将! 敵船、本島への接岸を狙っています! 距離、およそ五百歩!」
近衛軍の伝令が叫ぶ。かつての日本の兵なら、この距離でできることは祈ることだけだった。だが、今の彼らの手には、大江が「飛鳥産業革命」の結晶として送り出した武器がある。
「慌てるな。……『連発式大型投石機』、準備! 目標、先頭の楼船! 狙うは水線(喫水線)だ!」
入鹿の号令と共に、砦の地下から巨大な機械装置が姿を現した。
大江が設計したそれは、単に石を投げるだけではない。陶器の壺に火薬と油、さらに鉄片を詰め込んだ**「飛鳥式爆雷」**を射出するための砲台だ。
「放てっ!!」
空を切り裂くような轟音。
唐の将兵たちは、空から飛来する黒い塊を、単なる石だと思って嘲笑った。だが、その塊が甲板に激突した瞬間、眩い閃光と爆鳴が海上に炸裂した。
「な、なんだ!? 術か!? 倭国が雷を操ったぞ!」
唐の船上は、瞬時に地獄絵図へと変わった。
火薬の爆発で砕け散った鉄片が、甲板の兵たちをなぎ倒す。大江が「科学」として教えた爆発現象は、この時代の軍事常識を遥か彼方へと置き去りにしていた。
一方、飛鳥の都。
私は、鎌足と共に「大本営」となった学院の講堂で、対馬からの「烽火」を待っていた。
「……大江殿。もし入鹿殿が敗れれば、次は難波。そうなれば、この街もタダでは済みませぬぞ」
鎌足が、地図の上に置かれた「兵糧の集積データ」を睨みながら言う。彼は不眠不休で、全国の豪族から徴発した物資を筑紫へ送るための「後方支援システム」を回し続けていた。
「入鹿は負けません。彼は私の知識を、最も正しく『力』に変えられる男だ」
その時、窓の外の丘から、一条の煙が上がった。
続いて二条、三条。
「……対馬にて、敵を撃退。沈没一、大破二。入鹿からの勝利の報せだ!」
私が叫ぶと、講堂内に詰めていた文官や生徒たちから、地を揺らすような歓声が上がった。
鎌足は、小さくため息をつき、筆を置いた。
「……本当に、やってのけたか。あの大国、唐の軍勢を」
「鎌足殿、喜ぶのはまだ早い。……これはあくまで『偵察隊』だ。彼らはこれで、倭国には得体の知れない強力な武器があることを学んだ。次に来る時は、数万の規模で、その対策を持ってやってくる」
私は、勝利に沸く人々の中で、一人冷徹に未来を見据えていた。
(歴史は変わった。だが、それは『唐との全面戦争』という、より過酷なルートへの入り口に過ぎない……)
数日後。対馬から戻った入鹿と、私は再会した。
潮風に焼かれた入鹿の顔には、勝利の昂揚ではなく、深い思索の色があった。
「大江……。俺は勝った。でも、敵の将兵が海に沈む時、彼らの目には『恐怖』しかなかった。……俺たちが創ったこの力は、世界を平和にするのか? それとも、ただの破壊者になるのか?」
入鹿の問いは、私の胸を深く突いた。
「……それを決めるのは、これからの私たちだ、入鹿。力が強すぎるなら、それを制御する『外交』と『法』をさらに磨くしかない。……鎌足殿、君の出番がもっと早まりそうだ」
西暦六二〇年。
倭国は、自らの知恵で世界最強の帝国を退けた。
だが、その噂は海を越え、唐の都・長安の主、李世民(のちの太宗)の耳に届く。
「東方の島国に、神の火を操る者がいるか。……面白い。その者を、我が覇道の礎としよう」
ついに、真の怪物が動き出す。
大江の「現代知識」と、李世民の「不世出の軍略」が、激突のカウントダウンを開始した。




