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第十二話:火を噴く槍、揺らぐ飛鳥

――西暦六〇九年(推古十七年)。

 飛鳥の地に、かつてない「轟音」が響き渡った。

 それは雷鳴よりも短く、地を這うような鋭い炸裂音。

 蘇我氏の秘密訓練場として封鎖された山裾では、数十人の選りすぐりの兵たちが、見たこともない鉄の筒を構えていた。

「……標的、確認。放てっ!」

 入鹿の鋭い号令が飛ぶ。

 次の瞬間、兵たちの手元から火花と白煙が上がり、百歩(約百五十メートル)先の木製標的が、目にも止まらぬ速さで粉砕された。

「……信じられん。弓矢の届かぬ距離から、これほどの威力を……」

 傍らで視察していた私の父、蘇我倉麻呂が、震える手で髭をなぞった。

 そこに並んでいるのは、私が設計し、大陸から招聘した工匠・たちが作り上げた**「火槍かそう」**――原始的な火縄銃のプロトタイプだ。

 

「父上、これは単なる武器ではありません。数年の修練を要する弓兵に対し、この火槍は、農村の若者でも数日の訓練で一国の精鋭を討てる『平等の力』なのです」

「平等の力、だと? ……大江よ。それは、これまでの武人の誇りを根底から覆すぞ。もしこれが他氏族に渡れば……」

「だからこそ、これは蘇我が独占し、天皇を護る『常備軍』の特権とするのです。氏族の私兵ではなく、国に仕える専門の兵。その名は、私が『防人さきもり』の概念をさらに発展させ、**『飛鳥近衛軍あすかこのえぐん』**と名付けました」

 倉麻呂は、五歳で神童と呼ばれた息子が、今や国の軍事系統さえ塗り替えようとしている現実に、ただただ圧倒されていた。

 訓練を終えた入鹿が、すすで汚れた顔を拭いながら私に駆け寄ってきた。

「大江! 凄すぎるぞ、この『火の槍』は! 反動は強いが、この威力があれば、どんな堅固な盾も意味をなさない。……これなら、もし鎌足が隋からどんな兵法を持ち帰ろうと、戦う前に勝負が決まるな」

 入鹿は無邪気に笑うが、私はその「火の匂い」に、どこか重い責任を感じていた。

 私がもたらした技術は、この時代の文明を加速させるだけでなく、殺戮の効率をも劇的に上げてしまった。

「入鹿。この武器の真の目的は、使うことじゃない。『持っている』ことを見せつけ、戦意を喪失させることだ。……武力は、平和を維持するための『重し』でなければならないんだ」

 私は、入鹿の肩に手を置いた。

「歴史の中の蘇我入鹿は、武力で人を屈服させようとして、最後には裏切られた。お前には、その道は歩ませない。お前は、この圧倒的な力を背景に、誰もが逆らえない『絶対的な秩序』を築く側の人間になるんだ」

「……ああ。お前の言う通りにするよ、大江」

 入鹿は真剣な眼差しで頷いた。

 その日の夜。

 斑鳩宮の一室で、厩戸皇子と私は、大陸から届いた「最悪の報告」を共有していた。

「……隋の煬帝が、高句麗への四度目の遠征を決定した。だが、国内は飢饉と重税で限界に達している。大江、お前の予測通り、隋という帝国は自らの重みで崩壊を始めたぞ」

 皇子の言葉通り、巨大な帝国が崩れる時、その周辺国には「死の飛沫」が飛んでくる。

「隋の滅亡と共に、朝鮮半島の新羅が動き出すでしょう。彼らはとうという次なる大帝国と結び、この倭国を飲み込もうとするはずです。……そして皇子、最も懸念すべきことが起きました」

 私は、一通の小さな紙片を皇子の前に置いた。

「中臣御食子が、隋の都で変死しました。病死か、あるいは謀略か。……しかし、息子の鎌足は、父の遺志を継ぎ、隋の混乱に乗じて『禁忌の書物』を手に入れ、すでに日本への帰路についているとの報告があります」

「禁忌の書物だと?」

「……大陸の歴史を裏で操ってきた、古代の兵法と権力論の集成。鎌足は、私がもたらした『科学』に対抗するために、人の心を操り、内側から国を壊す『策謀の極み』を学んできたようです」

 皇子の表情が険しくなる。

 火薬や水車という「物理的な力」に対し、鎌足は「政治的な破壊工作」という武器を持って戻ってくる。

 

「西暦六〇九年。……いよいよ、この国に真の『内戦』の種が蒔かれるわけか」

 皇子が呟く。

 窓の外では、飛鳥の夜を照らす松明の光が、風に揺れていた。

 

 私たちは「火槍」という盾を手に入れた。

 だが、見えない場所から放たれる鎌足の「毒」を、防ぐことができるだろうか。

 西暦六〇九年、冬。

 飛鳥の空に、不吉な赤い彗星が流れた。

 それは、蘇我の黄金時代の終焉の始まりか、それとも――。

「大江、海から報告だ! 難波の港に、隋の商船に紛れた『見慣れぬ少年』が降り立ったというぞ!」

 入鹿の報告に、私は目を見開いた。

 ついに。ついに、彼が帰ってきたのだ。

 歴史の修正力と、私の執念。

 その正面衝突が、今、始まろうとしていた。

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