7. 師匠と弟子
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(……熱い。喉が、焼けるように熱い)
ルシウスの夢に、幼い日の記憶が滲み出す。
豪華な食卓。銀食器の中、黄金色のスープを一口…
視界が激しく歪んだ。内臓を掴み出されるような激痛。吐き出したのは、どす黒い血だった。あの人の、紅い紅をさした唇が醜く歪む。
遠ざかる意識の中、誰かが自分を抱えて走っている。
――「なおってよかったね!」
あの時と同じ、陽だまりのような温かな手のひらが、頬に触れた気がした。
「ルーシー!? 大丈夫!? すごくうなされていたみたいだけど……」
ハッと目を開けると、そこには心配そうに顔を覗き込むリヴィエラの姿があった。
「だ、大丈夫……です……」
「すごい汗。……まだ悪い夢の続きを見てるみたい。お風呂も早くなんとかしなくちゃね」
リヴィエラは手際よく固く絞ったタオルで、ルシウスの額や首筋の汗を優しく拭い取っていく。その手つきは、夢の中の温もりと残酷なほど似ていた。
あれは、一体誰だったのか。思い出そうとすると、こめかみの奥が割れるように痛む。
午前中は残った大掃除に明け暮れた。昼過ぎには、ようやく人間が住めると思える程度にまで庵は整った。二人は並んで、しみじみと室内を見渡す。
「前の住人も、魔法が使えなかったのかな……?」
リヴィエラがそう呟くのも無理はなかった。この庵の設備――キッチンも、そして一番の懸念だったお風呂も、魔力を魔石に通して動かすような自動湯沸かし機能など一切ない。薪を焚べて湯を沸かす古典的な造りだったからだ。幸い、庵の近くに山のような薪が積まれていた。
「よし、これでようやくお風呂に入れそう! ルーシー、先にザブッと入ってサッパリしてきて!」
「え、リヴィエラさんが最初でしょう! 掃除を一番頑張ったのはあなたなんですから」
出会って数日だが、一度言い出したらリヴィエラが絶対に譲らないことくらい、今のルシウスには分かってきていた。けれど、彼女を一人で待たせるのも、自分が先に贅沢をするのも、どうにも居心地が悪い。
……なら。
「~~~じゃあ、……一緒に入りませんか? 女同士ですし、薪もお湯も節約できますし!」
苦し紛れの、けれど妙に説得力のある提案。リヴィエラは一瞬きょとんとしたが、「! 確かに……。これから節約していかなきゃだもんね」とあっさり頷いた。
そうして、一緒にお風呂に入ることになったわけだが。
脱衣所で肌を晒した瞬間、ルシウスの胸の奥で、経験したことのないほど鼓動が跳ね上がった。
童顔で小柄なリヴィエラの肢体。なのに、思っていたよりもずっと大人びた身体つきに、目のやり場に困る。対する自分は、短く切り揃えた髪に、凹凸の少ない痩身。姿見に映る自分の姿は、パッと見れば少年にしか見えない。
(……本当に、僕は……女なのか?)
胸の奥で、違う何かが否定する。
「女同士」という免罪符を盾にしながらも、彼女の無防備な肌を見ていると、名前の付けられない罪悪感と熱い何かが顔を持ち上げる。 途端に、顔が耳の付け根まで赤くなっていく。
「ルーシー、どうしたの? のぼせちゃった? ほら、背中流してあげるからこっちおいで!」
「う、うん……」
促されるまま、湯船の縁に腰を下ろす。ざばりと温かな湯が背中を滑り、リヴィエラの小さな手が、石鹸の泡と共にルシウスの肌を撫でた。
「二人で入るって、いいね! なんだか本当の姉妹みたい」
その言葉に、胸の奥がざわついた。
それは、嬉しさとは違う感情だった。
屈託のない、心からの笑顔。湯気に紛れて、ルシウスは小さく溜息をついた。静まり返ったお風呂場に、リヴィエラの声が少し低く響く。
「ルーシーには言っておこうと思うんだけど。私ね、魔女の素質?……みたいなのがあるんだよね」
ルーシーの心臓がドクンと鳴る。なぜか、その言葉が鋭く胸に刺さった。
「あなたは禁忌の森で倒れていた時、とても強い……毒のようなものに蝕まれていたの。本来なら、治せるようなものじゃなかったと思う。でも、私にはそれを治せる『力』があるんだ。これは今のところ、私の母と、あなたしか知らない」
リヴィエラは、かつて伯爵家に囚われていた過去を、ぽつりぽつりと話し始めた。
「どう……して、僕に」
「これから一緒に暮らしていくにあたって、いつかはバレちゃうだろうし……。それに、あなたには知っておいてほしかったの」
「秘密にします。絶対に」
ルシウスは振り向き――真っ直ぐに彼女を見つめた。その瞳には、恩義以上の強い決意が宿っていた。
「私もあなたも目立つわけにはいかないから、街に出る時はかつらでも被った方がいいかもね」
「はい、そうしましょう」
午後はまた賑やかな街道を歩き、足りないものを手当たり次第に買い込んでいった。リヴィエラは赤い髪、ルーシーは青い髪のかつらを被る。
「「似合って(ます)るね」」
鏡の前でふふっと笑い合う二人。ふと、武具屋の軒先に掲げられた、古びた剣の看板がルシウスの目に付いた。彼は足を止め、前を行く彼女の背中に声をかけた。
「リヴィエラさん」
「ん? どしたの?」
振り返った彼女に、ルシウスは看板を指差して真っ直ぐに告げた。
「剣を……買ってもらいたいです」
「剣? 使えるの?」
「たぶん。……自分でもよく分かりませんが、使える気がするんです」
自分の手をマジマジと見てみると、たこのようなものが見える。そうだ、僕は日常的に剣を『使っていた』。その感触だけが、空白の記憶の中で唯一確かな自分自身の証だった。
リヴィエラさんは少し驚いた顔をしたが、すぐに「分かったわ」と頷いてくれた。店の一角にあった、手頃な片手剣。今の彼にはどんな魔法よりも心強かった。
「ありがとうございます」
「いいよいいよ。自分を守る術は持っておかなきゃね」
満足そうに剣を抱えるルーシーを見て、彼女は「可愛いねぇ」とでも言いたげに目を細めた。その時のルシウスは、彼女を守るための力が欲しかっただけなのに。結局また「買い与えられる側」であることに、彼は静かに、少しだけ唇を噛んだ。
庵に帰ると、リヴィエラはさっそく部屋で薬の調合に取りかかるようだった。
ルシウスは一人、まだ草の匂いが残る庭へと出た。手元には、先ほど買い与えられたばかりの片手剣。
(……動けるはずだ)
ゆっくりと鞘を払い、鋼の重みを掌で確かめる。大きく息を吸い込み、一気に剣を振った。
鋭い風切り音。
良かった。やっぱり使える、体が覚えている。
(これなら……いつか、彼女を守れる)
一通りの修練を終え、額の汗を拭いながら庵の中へ戻ると、そこには信じられない光景が広がっていた。
使い古された机の上に、整然と並べられた凄まじい数の瓶、瓶、瓶。色とりどりの薬液が、夕陽を浴びて宝石のように輝いている。
「な……っ」
驚愕で言葉を失うルシウスに対し、リヴィエラは少し困ったように頬を掻いて笑った。
「あはは、ちょっと集中しすぎて、作りすぎちゃったかも。でもこれだけあれば、しばらくの生活費には困らないよね!」
圧倒的な知識。淀みのない手際。そして、他者の命を救うための、確かな「力」。
剣を振るうことしかできなかった自分とは違う、慈愛に満ちたその背中に、ルシウスの胸は激しく高鳴った。
その背中を、誰にも触れさせたくない
そんな考えが、あまりにも自然に胸に落ちた。
ルシウスは――いつの間にか彼女の細い両手を力強く握りしめていた。
「師匠……!」
「えっ、し、師匠?」
突然の呼び名の変化に、リヴィエラが目を白黒させる。
「リヴィエラさん、僕にも薬作りを教えてください! あなたの隣にいても恥ずかしくないように、あなたの技術を、その知恵を……全部、僕に叩き込んでください!」
真っ直ぐに見つめてくる碧の瞳の熱量に、リヴィエラはたじろぎながらも、「……う、うん。熱意は伝わった!けど、魔女にはなれないと思うよ?」と苦笑いした。
こうして、「女同士の逃亡者」だった二人の関係に、新たに「師匠と弟子」という絆が加わった。
それは、ルシウスにとって――初めて手に入れた「居場所」だった。
過去編もこれから少しずつ増えていきます!




