ある日学校の裏山に隕石が落ちた。
ある日学校の裏山に隕石が落ちた。
それは朝のホームルームが終わって一時間目の数学が始まる直前のことだった。最初に聞こえたのは、雷みたいな音だった。けれど空は青く晴れていて、窓の外では野球部がのんきに声を出していたから、誰も本気では気にしなかった。
次の瞬間、校舎がどん、と縦に揺れた。
「地震!?」
誰かが叫び、教室がざわついた。黒板にチョークを走らせていた矢島先生が、珍しく声を裏返らせながら「机の下!」と怒鳴る。ぼくも反射的に身をかがめた。けれど揺れは一度きりで、あとは窓ガラスがびりびり震えただけだった。
しばらくして顔を上げると、教室の後ろの窓から、山の向こうに黒い煙が上がっているのが見えた。
学校の裏山。
毎年、春になると遠足で登らされる、地味で、どこにでもありそうな低い山だ。
「爆発?」「飛行機?」「自衛隊?」
みんなが好き勝手なことを言う中で、窓際の席の佐伯が、ぽつりと言った。
「隕石じゃね?」
その一言で、教室の空気が変わった。
まさか、と思いながらも、その“まさか”がいちばんしっくりきた。ありえないのに、煙の形も、さっきの音も、全部その言葉に吸い寄せられていくようだった。
結局、その日は全校生徒が体育館に集められ、校長先生がマイクを握って「現在、裏山付近で大きな落下物が確認されています」と言った。落下物。隕石とは言わなかったけれど、先生たちの落ち着かない顔が、むしろ本当らしさを強くした。
生徒は自宅待機になった。
ただし、うちのクラスの数人は、まっすぐ帰らなかった。
校門を出てすぐのコンビニの裏に集まったのは、ぼくと佐伯と、同じクラスの真白さんだった。真白さんは学級委員で、成績優秀、先生受けもよく、こういう場面では真っ先に「危ないからやめよう」と言いそうな人だ。なのに彼女は一番先に口を開いた。
「行くんでしょ」
佐伯がにやっとした。
「さすが委員長、話が早い」
「べつに賛成してるわけじゃないから。ただ、あんたたちだけで行かせると絶対ろくなことにならないし」
ぼくは反対する理由を探した。でも、隕石という言葉は、頭の中でずっと熱を持っていた。学校の裏山に隕石。そんなこと、一生に一度あるかどうかだ。いや、普通は一度もない。
結局、三人で裏山へ向かった。
立入禁止のテープは、登山道の入口に雑に張られていた。まだ警察も消防も山の下のほうを慌ただしく行き来しているだけで、奥までは手が回っていないらしかった。佐伯が「ほら見ろ」と言って、テープの脇からするりと入り込む。真白さんが深いため息をついて続き、ぼくも最後に続いた。
山道には、焦げたようなにおいが漂っていた。
土はところどころえぐれ、木の葉が灰みたいに黒く縮れている。頂上に近づくほど空気が変わっていった。夏の終わりなのに、息を吸うと肺の奥がひやりとする。冷たい、というより、世界の温度がずれてしまったような妙な寒さだった。
「なんか……変じゃない?」
ぼくが言うと、真白さんがうなずいた。
「静かすぎる」
たしかに、鳥の声がしなかった。虫の音も、風のざわめきもない。ただ遠くで消防車のサイレンが小さく鳴っているだけだった。
やがて木々が途切れ、見慣れた頂上の広場に出た。
そこは、もう裏山ではなかった。
地面の中央が巨大な椀のようにえぐれていて、半径二十メートルくらいのクレーターになっている。土は焼けてガラスみたいに固まり、周囲の木々は根元からなぎ倒されていた。そして、その真ん中に――
銀色の球があった。
直径は二メートルくらい。
岩ではない。表面は異様になめらかで、夕方の光を鈍く反射している。ところどころに浅いひびのような模様が走っていて、そこから白い蒸気が細く上がっていた。
誰もしゃべらなかった。
最初に動いたのは佐伯だった。あいつはこういうとき、怖いより先に好奇心が勝つ。
「隕石、じゃなくない?」
そう言って、クレーターの縁を滑り降りていく。
「ちょっと、待って!」
真白さんが止める間もなく、佐伯は球のすぐそばまで近づいた。ぼくたちも半ば引きずられるようにあとを追う。近くで見ると、それはますます奇妙だった。継ぎ目がない。金属のはずなのに、触れたら指が吸い込まれそうな、やわらかい光沢をしている。
佐伯が手を伸ばした。
その瞬間、球の表面に青白い線が走った。
「うわっ!」
佐伯が飛び退く。同時に、低い音が響いた。鐘の音にも、機械の駆動音にも似た、不思議な音。球のひび模様が順番に光り、まるで目を覚ますみたいにゆっくり脈打ち始める。
「これ、まずいんじゃ――」
ぼくが言い終わる前に、球体の一部が花びらみたいに開いた。
中は真っ暗だった。
いや、真っ暗に見えたのは一瞬だけだった。闇の奥で、何かがこちらを見ていた。
目だった。
人間の目とそっくりなのに、黒目のまわりが星空みたいにきらきらしている。
ぼくは動けなかった。真白さんも息を呑んだまま固まっている。佐伯だけが、かすれた声で「マジかよ」とつぶやいた。
それはゆっくりと外に出てきた。
身長は小学生くらい。細い手足に、透き通った膜のような皮膚。輪郭が少し揺らいでいて、向こうの景色がかすかに透けて見える。けれど、その顔だけは妙に幼かった。人間の子どもに似ていた。似ているからこそ、少しだけ怖かった。
生き物――いや、たぶん生物でいいのだろう――は、ぼくたちを見回し、最後に口を開いた。
「……ここは、三番目の教室ですか」
ぼくたちは顔を見合わせた。
「違う」と答えたのは真白さんだった。「学校の裏山です」
それは数秒考えるように黙った。
「誤差を確認。裏山。学校。近接」
佐伯が恐る恐る聞く。
「おまえ、誰?」
すると、その生き物は胸に手を当てた。礼をするみたいな仕草だった。
「観測子、ユノ。落下は事故です。驚かせてしまい、すみません」
妙に丁寧な言葉だった。
宇宙人に対して抱いていたイメージが、その瞬間、ぼろぼろ崩れた。もっとこう、侵略しに来るとか、地球を分析するとか、無機質な声でしゃべるとか、そういうのを勝手に想像していたのに、目の前のユノは、転校初日の生徒みたいに困った顔をしていた。
真白さんが一歩前に出る。
「事故って、あなた一人なの?」
「はい。乗員は一名。わたしだけです」
「帰れるの?」
「本来は」
その言い方が気になった。
「本来は、って?」
ユノは開いた球体――たぶん乗り物だ――を振り返った。
「座標核が損傷しました。修復しなければ帰還できません」
佐伯がぼくの耳元でひそひそ言う。
「なんかRPGのイベント始まったな」
こんな状況でふざける神経はすごいと思う。でも、その一言で少しだけ緊張がほどけた。
「その、座標核ってどうすれば直るの」
ぼくが聞くと、ユノは空を見上げた。もう夕方で、うすい雲が赤く染まり始めていた。
「この星の鉱物と、強い記憶が必要です」
「強い、記憶?」
「はい。だれかが大切にしている場所や物には、時々、記憶の偏りが集まっています。それが修復材料になります」
意味はよくわからなかった。でも、真白さんはなぜか納得したように眉をひそめた。
「つまり、思い出がある場所に行けばいいってこと?」
「近いです」
佐伯が笑った。
「じゃあ学校じゃん。思い出だらけだろ」
その瞬間、山の下のほうからサイレンが近づく音がした。捜索が上まで来るのかもしれない。
真白さんは即座に言った。
「ここにいたら見つかる。とりあえず隠さないと」
「隠すってどこに」
ぼくが言うと、佐伯が胸を張った。
「旧校舎の倉庫」
その場所を聞いて、ぼくと真白さんは同時に顔をしかめた。旧校舎は数年前から使われていない。雨漏りするし、夜になると出るだの出ないだの噂もある。けれど、人が寄りつかないという点では最適だった。
ユノはぼくらの会話を静かに聞いていた。
「迷惑なら、わたしは別の――」
「今さら一人でどっか行かれても困る」
佐伯が言った。
「だいたい、学校の裏山に落ちたなら、半分はうちの学校の案件だろ」
真白さんが呆れた顔で、「そういう理屈ある?」と言う。でも、少しだけ笑っていた。
その日の夕暮れ、ぼくらは宇宙から来た迷子を連れて、誰もいない旧校舎へ忍び込んだ。
理科準備室の奥にある倉庫は、壊れた机や古い実験器具が積まれていて、埃くさかった。ユノはそこにしゃがみ込み、不思議そうに壁の剥がれたポスターを見ていた。『安全第一』と書かれた、色褪せた標語だ。
「ここなら、しばらくは見つからないと思う」
ぼくが言うと、ユノは小さくうなずいた。
「ありがとうございます。地球の人は、もっと排他的だと学習していました」
「誰にだよ」
「昔の電波から」
それを聞いて、ぼくらは少し嫌な顔をした。たしかに、地球から出る電波なんて、ろくでもないのも多そうだ。
真白さんは腕を組んで、仕切るように言った。
「とにかく、状況整理。ユノは帰るために座標核を直したい。そのために必要なのは、この星の鉱物と強い記憶。合ってる?」
「はい」
「鉱物は?」
「鉄、ケイ素、微量の希土。ですが代替可能です」
「全然わからない」
佐伯が言った。
ぼくは、ふと理科室の棚を見た。岩石標本があった気がする。学校の備品を勝手に使うのはまずいけれど、宇宙船修理のほうがもっとまずい気もするので、比較にならない。
「記憶のほうは、学校の中を探せば何かあるかも」
と言うと、真白さんが小さく息をついた。
「……たぶんね」
その言い方が少し引っかかった。
その夜、家に帰っても眠れなかった。天井を見ながら考える。学校の裏山に隕石が落ちたと思ったら、中から宇宙人が出てきた。しかも、その宇宙人は思い出を燃料みたいに使って帰るらしい。
どう考えても変だ。
でも、もっと気になったのは、真白さんの顔だった。記憶、思い出、学校――その言葉を聞いたとき、彼女は一瞬だけ、泣きそうな顔をした。
翌朝、ニュースはその話題で持ちきりだった。もちろん“宇宙船”とは報じられていない。未確認の高温物体、落下地点を調査中、住民に被害なし。校舎は臨時休校。生徒たちは大喜びでSNSに書き込み、裏山は一夜にしてちょっとした有名スポットになっていた。
ぼくらは人目を避けながら旧校舎に向かった。
ユノは無事だった。倉庫の隅で、なぜか古い人体模型をじっと見つめていた。
「それ、怖くない?」
ぼくが言うと、ユノは首をかしげた。
「親しみを感じます」
「やめて」
そこから、奇妙な一日が始まった。
理科室から岩石標本をこっそり持ち出し、音楽室で誰も弾かなくなったピアノを開け、図書室の閉架で卒業アルバムをめくり、体育倉庫の隅に転がっていた優勝トロフィーを探った。ユノは物に触れるたび、目を閉じて、何かを感じ取るように黙り込んだ。
「これは違う」
「これは薄い」
「これは残響だけ」
そうやって何度も首を振る。
けれど、放課後になって旧校舎三階の美術室に入ったとき、ユノの足が止まった。
窓際に、古びた木の椅子が一脚だけ置かれていた。座面には絵の具のしみが無数に残っている。たぶん何十年も前からある、ただの椅子だ。
ユノがそっと手を触れた。
次の瞬間、部屋の空気が変わった。
夕陽の色が濃くなり、誰もいないはずの美術室に、笑い声が満ちた。
ぼくは息を呑んだ。
幻みたいに、半透明の景色が重なる。昔の制服を着た生徒たち。絵の具まみれの手。窓辺で笑う女の子。誰かが「またここで描こうね」と言っている。
真白さんが、小さく声を漏らした。
その幻の中に、ひときわ強く残っている後ろ姿があった。
長い髪。細い肩。絵筆を持つ手。
真白さんは、その姿を見つめたまま立ち尽くしていた。
「……お姉ちゃん」
ぼくははっとした。
彼女には、三年前に亡くなった姉がいるという噂を聞いたことがあった。事故だったとか、病気だったとか、話は曖昧で、誰も本人には触れなかった。
幻は静かに消えていった。
ユノが振り返る。
「これです。強い記憶」
真白さんは返事をしなかった。唇をかみ、目を赤くしていた。佐伯でさえ何も言えず、ただ頭をかいていた。
しばらくして、真白さんが言った。
「……それ、使ったら消えるの」
ユノは正直にうなずいた。
「はい。記憶の偏りはほどけます。完全に失われるわけではありませんが、この場所に残っている濃さは消えます」
夕陽が差し込む美術室で、だれも動かなかった。
それはたぶん、ただの残り香みたいなものだった。けれど、残り香だからこそ、失いたくないものもある。
真白さんは長いあいだ黙っていた。
やがて、涙をぬぐって、ゆっくり言った。
「持っていって」
「真白」
ぼくが思わず呼ぶと、彼女は少しだけ笑った。
「ここに残ってるから、私は前に進めないのかもしれない。……それに、お姉ちゃんならたぶん、困ってる人を見捨てるなって言うから」
ユノは深く頭を下げた。
「受領します」
青白い光が椅子を包んだ。
ほんの一瞬、さっきの幻の女の子がこちらを向いて、確かに笑った気がした。
その夜、座標核の修復は終わった。
旧校舎の倉庫で、銀色の球体は再び脈打つように光り始めた。サイレンも、ニュースも、先生たちの大騒ぎも、そこからは遠い別世界みたいだった。
「これで帰れるの?」
ぼくが聞くと、ユノはうなずいた。
「はい。観測航路に復帰できます」
佐伯が腕を組む。
「じゃあ、もうお別れか」
「はい」
あまりにもあっさりしていて、少し寂しかった。たった一日ちょっとの付き合いなのに、ずいぶん長い時間を一緒にいたような気がする。
ユノはぼくらを順番に見た。
「あなたたちは、変わっています」
「悪口?」
と佐伯が言う。
「賞賛です」
ユノはたしかにそう言って、少しだけ笑った。
倉庫の窓の外には、夜の校庭が広がっていた。誰もいないブランコが風に揺れている。見慣れたはずの学校が、今夜だけは宇宙の果てにつながっているように思えた。
「ねえ」
真白さんが言った。
「また来る?」
ユノは少し考えた。
「事故ではなく、正式な訪問許可が下りれば」
「それ、いつ」
「早ければ三十七年後」
「長いなあ!」
佐伯が叫ぶ。ぼくと真白さんは笑ってしまった。
やがて球体の扉が閉じ、ひび模様がひとつ、またひとつと強く光り始めた。空気が震え、髪がふわりと浮く。
「ありがとう」
その声が聞こえた次の瞬間、光が倉庫いっぱいに満ちた。
目を閉じる。
次に目を開けたとき、そこにはもう何もなかった。
壊れた机、埃、古い人体模型。いつもの旧校舎の倉庫だけが残っていた。
翌日、裏山の“落下物”は跡形もなく消えたと報じられた。政府の発表では、調査の結果、特殊な地質反応による爆発の可能性が高いらしい。もちろん誰も信じなかったし、信じる気もなかった。
学校は数日後に再開した。
授業も、部活も、テストも、相変わらず退屈で面倒だった。けれど、ときどきふっと思う。数学のノートを取っているときも、購買のパンを取り合っているときも、このありふれた学校のどこかに、世界の外側へつながる扉がまだ薄く残っているんじゃないか、と。
放課後、ぼくは一人で旧校舎の美術室に行った。
あの椅子はまだそこにあった。
ただ、前より少しだけ、ただの古い椅子に見えた。
窓から差し込む夕陽の中で、椅子に手を置く。何も起きない。笑い声も、幻もない。けれど不思議と空っぽには感じなかった。
「なくなったわけじゃないよね」
後ろから声がした。
振り返ると、真白さんが立っていた。
彼女は前より少しだけ、やわらかい顔をしていた。
「うん」とぼくは答えた。「たぶん、持っていかれたんじゃなくて、前に進いたんだと思う」
「進んだ、ね」
真白さんは椅子を見て、小さく笑った。
校庭から部活の声が聞こえる。窓の外には、あの裏山がいつも通りの形で立っている。
でも、ぼくらだけは知っている。
ある日学校の裏山に隕石が落ちた。
そしてその日から、世界は見た目ほど単純じゃないと知ったのだ。
たとえ明日も一時間目が数学で、宿題が終わっていなくて、購買の焼きそばパンがまた売り切れるとしても。
この空のどこかには、三十七年後にまた来るかもしれない誰かがいて、
その誰かに恥ずかしくないように、
ぼくらは少しだけちゃんと生きていこうと思う。
そんなふうに思えるくらいには、
あの日落ちた“隕石”は、
ぼくらの毎日を静かに変えてしまったのだった。




