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緩やかな終活

掲載日:2025/12/06


 外はすっかり肌寒い風が吹くようになり、空が灰色のように感じる季節になり始めた頃の話。

 その日、俺は外の街中でとある友人と待ち合わせしていた。


 まだ俺のことに気付いてない友人の姿を見つけてゆっくりと歩み寄り、その肩にポンと手を置く。


「よっ。久しぶり」

「……うん」


 肩を置かれた友人は多少ビクッとしたが、相手が俺と気付くとすぐに返事を返した。


「それじゃ行こうぜ」

「……あぁ」


 友人の様子は最初からおかしかった。


 目に見えて落ち込んでいるというわけでも、塞ぎこんでいるというようなわけでもない。

 だが……とにかく不気味な朗らかさが常に佇んでいる。それはまるで『感情が無くなったんじゃないか』と思えるくらい、悪い意味でボーっとしていて、生気がなくて、放っておけばそのうちきえてしまいそうな儚さが漂っている……とでもいえばいいだろうか。ぱっと見はそんじょそこらにいる奴らと大差ないが、注意深く見てみればわかるその異質な佇まいには、得体のしれない恐怖さえ感じる。

 昔から何を考えているかよくわからないような奴だとは思ってたが、今の彼は非常に悪い意味でエスカレートしている……そう思えた。


 ここまで言えば察しがついた人もいるかもしれないが、俺が今日友人と会う約束をしたのは彼の様子を見たかったがためだったりする。まぁそれだけじゃなくて、彼には聞きたいことがあるというのも、あるんだけど……


 そうこう考えているうちに、俺たちは目的地……個室のある飲食店に着いた。

 建物に入ってからの会話とか、注文しているところとかは、話の本筋じゃねぇからてきとうに割愛するが……本題に入ったのは、料理が来てからしばらくした後のことだ。


「おいしそうだね」

「そうだな。それじゃ早速いただくか」


 俺たちは各々が注文した料理を口に運びながら、会話を始める。


「どうだ? 最近仕事はしてるか?」

「失礼だなぁ、ちゃんと仕事はしてるよ」

「じゃあ休みの日はどうしてる?」

「…最近はずっと、家で絵を描いてるよ」

「……そうだったのか。よかったよ、俺はてっきり絵を辞めちまったのかと思ったぜ」


 友人は少し前までネットに絵をあげていたことを俺は知っていた。

 なんなら彼のアカウントのこともフォローしていた。……フォロワー数は滅茶苦茶少なかったけど。


「え、もしかして、僕のアカウントのことも知ってたの?」

「もちろん。アスキーアートのアカウント名のやつだろ?」

「……そうだったんだ。知ってたんだ。恥ずかしいな」

「気にすんなよ。俺とお前の仲だろ」


 だが……友人はある日を境に、突然アカウントを削除して失踪した。

 友人はあるジャンルの絵以外は決して描かない奴だったから定期的に探してはいたんだけど、結局今日に至るまで彼のものと思しきアカウントは見つからなかったのだ。


「そういうことならさ、よかったらでいいんだけど新しいアカウント教えてくれよ。フォローするから」

「…あぁ、いや……」

「? どした?」


「確かに今でも絵は描いてるけど、ネットにはあげてないんだ」


 ちょっと予想してなかった回答に、俺の思考が一瞬止まる。


「…え? 絵は描いてるんだよな?」

「うん。でも、ネットには上げてないよ。一切投稿しないようにしてる」

「な、なんで? 今時描いた絵をネットに上げない絵師なんて――」


「――僕はもう、ネットの世界には戻れない」


 俺の言葉を遮るように、友人は微かに声を震わせてそう言った。


「え……?」

「…ごめん。でも、ネットには戻れないよ。僕がいると、僕以外のみんなが迷惑になるから」

「そんなこと……」


 否定しようとするが、途中で言葉が詰まってしまう。

 なぜかはわからなかった。友人の顔がはじめて、つらそうな表情に変わっていたからことに気付いたからか? それとも、俺が聞いたところでしょうがないからか?


「……わり。なんか地雷踏んじまったみたいだな」


 それ以上は何を聞いても、何を返しても彼が余計に傷つくだけのような気がした俺は、その話は一旦しないことにした。


「でもそうか……絵は描いてたんだな。よかったよ。どんな絵を描いてるんだ?」

「それは言えない。でも一つだけ言うなら……残りの人生全てを使った作品、かな」

「へぇ~っ、そりゃ随分と壮大な作品だこと。……でもお前にしちゃ珍しいんじゃねぇか?」

「……そうかな」


 俺は提供された酒をゆっくりと嗜みながら続ける。


「だってお前、どっちかっつったら効率重視みたいな奴だったじゃん。お前、時間をかけて作品を作ることより、いかにして早くいい感じの作品を作れるかどうかにこだわってたんだろ?」

「……すごい。そこまでわかってたんだ」

「そりゃあわかるさ、俺だって底辺とはいえど創作をたしなむ身だからな。だってお前の絵、線も色も手ぇ抜いてただろ。ほんとはもっと丁寧に描けるくせにそうしようとはしてなかった。時間をかけようとはしてなかったのが丸わかりだったぜ? まぁお前の絵、とにかく出てくる人数が多いからしゃーねーのかもなぁとも思ってたけどよ……」

「……」

「そんな効率重視でやってきたお前が、今や時間をかけたクオリティ指向に転向なんてな。どういう心境の変化だ?」

「……大したことじゃないさ」


「緩やかな終活、だよ」


「……は?」


 緩やかな終活とかいう穏やかではない言葉に、俺の思考が再び止まる。

 そこから先は、彼が何を言ってんのか俺にもよくわからなかった。


「僕はもう、ネットの世界に戻るわけにはいかない……さっきそう話したよね。でも、承認欲求っていうやつなのかなぁ。作品を描いているときに、誰かの作品を見ているときに、ふとした瞬間に――ネットに戻りたくなる瞬間がある。ネットに上げて、人に見てもらって、誰かの心を今度こそは、良い意味で、変えられるかも……なんて、血迷ってしまいそうになることがある。だから…………一枚だけにすべてを注ぎ込むことにしたんだ。その間、他の作品の制作には一切手を出さない。もちろん、気分転換でちょろちょろっと何か作ることはある。でもそれは、以前よりもずっと限られた時間でつくるから、どうしても完成まで持っていけない。だから、ネットに投稿しようなんて思うこともない」


 ただ、一つだけ、はっきりとわかることがある。


「僕はこの作品を墓まで持っていくつもり……いや、きっと完成する前に僕だけ墓に入っちゃうだろう。きっともう、この作品は完成しない。でも、もう、それでいいんだ。完成しなければ、ネットに上げようなんて思うこともない」


「で、でもよ……一枚の絵にそんな何年もかかるもんなのか……?」


「かかるさ。かつての名作の中には十年以上かかった作品もあるらしいし……そもそも作品は僕一人で作っているからね。きっと完成しないと思う。なにせ、いくら描いてもいくら描いても、足りないんだ。…………君が言った通りだよ。今までそんな風に思ったことなんて一度もなかったのに、省略できるところはしてでも、早く描いて、少しでも多くの人の目に触れるようにしたいとまで思ってたのに……今は柄にもなく『もっと良くし続けていたい』なんて、そんなことを思ってしまっている自分がいる。今はただ、そのことが心地いいんだ。きっと僕は、この作品を完成させない」


 彼の心は既に…………修復不可能なところまで壊れてしまっているのだと。


「……ごめん。一方的に話しすぎちゃった。とにかく、戻るつもりはないよ。今が楽しいからね」


 そんな目で『楽しい』なんて言うなよ。


 俺にはその一言が言えなかった。



 結局友人に一番聞きたかったことは聞けないまま、その日はお開きとなった。


 でもまぁ、正直。もう彼と会うことはないのだろう。


 彼とはあの後もいろいろ会話したんだけど、やっぱりおかしくなってるなと思った。

『最近、アニメはほとんど見ないようにしている』こと。

『ゲームも過去の名作以外ほとんどやらない』こと。

『ラノベや漫画は完結している作品以外には極力手を出さないようにしている』こと。

 そして……『絵を描くことと絵の勉強をすること以外は寝ていることがほとんど』だということ。

 あれだけアニメも漫画もゲームも好きだったアイツが真逆のことを言ってて、こいつ本当は別人なんじゃないかとすら思ったほどだ。


 彼が言っていた言葉の意味はまるで共感できるものではなかったが……彼が言った『緩やかな終活』という言葉が、頭にこびりついて離れないでいる。

 彼が新しい楽しみを見つけないようにしているのは、過去の楽しみにばかり囚われるようになりはじめているのは、もしかしたら……


 俺じゃもう、彼を助けてあげられない気がしていた。それ以上に、あんな姿の彼をこれ以上見たくないという俺のわがままもあった。


 なんで、あんなんになっちまったんだろうなぁ。

 あいつも最初は、きっと楽しんでいただろうに……


 肌寒い風を浴びながら、まだ灰色に染まっている空を見上げ、一人ぽつりと心でつぶやく。


「……なんで、消えちまったんだよ」


 その日はいつもよりもずっと、体が冷たくなったような気がした。


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