第5話 魔族令嬢は、お忍びデートに戸惑いを隠せない
扉にそっと手を寄せる、この向こうにエドワードがいると思うと、鼓動が早まった。
視線を落としたドアノブは回らない。
エドワードの手は、今、どこにあるのかしら。
「……なにか、ご用ですか?」
「よかった。起きていたんだね」
「今から休もうと思っていました」
扉越しに気遣う声が耳に優しく響く。
「明後日、休みを取ることができる。私と、王都を見て回らないか?」
「……それは、視察でしょうか?」
「そんな堅苦しいものじゃないよ。君に少しでも慣れてほしくてね。お忍びで見に行ってみないか?」
「お忍び?」
「下級貴族の格好をして、紛れ込むんだ」
「……そんなことをしたら、臣下が心配されますよ」
「ははっ……まあ、全く護衛なしというわけには、いかないだろうけど」
苦笑するような声が聞こえた。
もしかしたら、エドワードも執務に疲れているのかしら。ここ最近、親しい諸侯との会談も多かったみたいだし、忙しい中も私を気にかけて会いに来てくれていたし。
私が黙って考えていると、優しい声が「それに」といった。
「少しは気晴らしになると思うんだ」
「気晴らしですか……エドワード様が望むのでしたら」
「ありがとう。明日は、君との時間を楽しみにして、頑張るよ」
「はい……おやすみなさい」
「ああ、おやすみ、リリアナ」
心持嬉しそうな声が、耳に優しく残った。
胸の内で、もう一度「おやすみなさい」と呟いた私の脳裏に、あの夢がよぎる。
顔もわからない人影を、デイジーは「素敵な殿方が現れる予兆」だといっていた。もしかしたら、本当にそうなのかもしれない。
明日頑張れば、明後日は……
デズモンドとは異なる日々に、私も相当疲れているのだろう。
この夜は、エドワードが私を呼ぶ声を思い出しながら、静かで優しい眠りに落ちていった。
◇
翌日、全てのレッスンを終え、自室でデイジーに足をマッサージされながら、ふと昨夜のことを思い出した。
「エドワード様と明日、街に行く約束をしたのよ。それも、お忍びで」
「まぁ、デートに誘われたんですね、リリアナ様!」
香油で濡れた手を止めたデイジーは、キラキラと目を輝かせて私を見上げた。まるで、自分のことのように喜んでくれるのね。
残念だけど、これをそんな甘いお誘いだと思えるほど、私の頭はお花畑じゃないのよね。でも……昨夜の優しい声と言葉を思い出すと、ほんの少しだけ、そわそわしてしまう。
「そんな甘い話じゃないわ。街に慣れるよう、私を気遣ってくださっただけよ」
「そうなんですか?」
「お忍びで、庶民のありのままを見に行くってことは、視察みたいなものでしょ。王弟の妃として、市井を見ておけってことよ」
そう思わないと、このそわそわとした気持ちを鎮めることが出来そうにない。
エドワードは王弟よ。庶民だって顔を知ってるわ。いくら身なりを下級貴族のようにしたとしても、誰だって、気付くに決まってる。その横で、私が粗相でもしたら、彼に泥を塗ることになるじゃない。
そんなの、フェルナンドの薔薇にあってはいけないわ。そう思えば、気も引き締まる。
深々とため息をつくと、デイジーは絞った温かいタオルで、香油にまみれた足を優しく拭った。
「お忍びなら、下級貴族の流行りを取り入れたドレスを用意しないとですね」
「そんなに張り切らなくても……」
「なにを仰いますか! いつものお召し物では、目立ってしまいますよ」
「……それもそうね」
私のドレスは重厚なものが多い。それに、金糸や銀糸で丁寧に編まれたレース、ガラスビーズや宝石で飾られたリボンは、確かに下級貴族が身に付けられるものでもない。
「こちらの流行りは、どんなものでしょうね?」
少し首を傾げるデイジーの横で、お茶を淹れてくれていた侍女──私の話し相手にと選ばれた侯爵令嬢のサフィアは「季節の色を取り入れてはどうですか」といった。
「季節の色?」
「この時期は、ヒマワリの花を思わせる黄色や、夏空のような鮮やかなドレスがよろしいかと思います」
差し出されたカップを受け取り、ふと窓の外を見る。そういえば、庭でもヒマワリが咲いていたわ。
「下級貴族はレースが使えませんので、リボンをあしらったり、刺繍が施されたものをお召しになるのはいかがでしょうか」
「……私に合うものはあるかしら?」
「お任せください! デイジーさんも、手伝ってくださいますか?」
「もちろんです!」
「では、リリアナ様、ドレスの用意をいたしますので、しばらく、こちらでお待ちください」
長椅子の上を整えたサフィアは、湯を張ったタライをデイジーと持ち上げた。そうして部屋から退出すると、しばらくして、ドレスや帽子を抱えて戻ってきた。
次回、本日20時頃の更新となります
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