第4話 魔族令嬢は、一人の夜を孤独に思う
近づいたエドワードの胸を押し返し、距離をとると、二人の間を優しい春風が通り抜けた。
別に彼を意識したわけではないけれど、むず痒いような居心地の悪さを感じる。恥ずかしさを誤魔化すように、再び庭へと視線を移して「お戯れを」と呟く。
エドワードは、ふふっ穏やかな笑みをこぼした。
「照れているリリアナも可愛いよ」
揶揄われているとしか思えず、帰す言葉を探しながら庭を眺めていると、ふと、ヴィアトリス王妃の顔が思い浮かんだ。
「ところで、ヴィアトリス様の薔薇はどれでしょうか?」
「ああ……妃殿下は植えられていないよ」
「そうなのですか?」
「この習わしは、お子を授かった王妃が行うからね」
困ったように笑ったエドワードに、ああと納得した。いつかはお子を成して、薔薇を植えるのだろうけど。
ヴィアトリス王妃の冷たい眼差しを思い出し、思わずぞくりと背筋を震わせた。あの瞳に、どうしても違和感が残る。
魔族の女でも、王妃の座に上り詰めるものは慈悲深さを兼ねそろえている。民衆を率いる魔王様を慈しみ、支える王妃だもの、当然よね。だけど、ヴィアトリス王妃に、その慈愛は欠片ほども見えない。
やはり、なにか企んでいるのかしら。もしそうなら──横にいる穏やかなエドワードを見つめると、彼は不思議そうに首を傾げて「リリアナ?」と私を呼んだ。
この優しすぎる王弟殿下が、あのヴィアトリス王妃に敵うとはとても思えない。
もしかして、魔王様はこの国の異変に気付かれて、私を遣わしたのではないか……私の為すべきことは、王弟エドワード殿下を守ること?
「……風が冷たくなってきましたね。疲れも出たようです。今日はもう、休んでも良いでしょうか?」
私の申し出を、エドワードは笑顔一つで受け入れた。そうして、ご自分の上着を脱ぐと私の肩にかける。
「身体を冷やすのは良くないからな」
「ありがとうございます……ですが、上着は結構です」
「はははっ、そういわずに受け取ってくれ」
大きな口を開けて笑ったエドワードは、部屋に戻ると、デイジーを呼んでお茶を淹れるよう指示を出した。
「私は執務に戻るとしよう。夕食は部屋に運ばせるし、今夜はゆっくり休むといい」
「お気遣い、ありがとうございます」
ドレスの裾を摘まみ上げ、淑女らしく礼をすれば、エドワードがそっと私の頬に手を伸ばした。
「リリアナ、まだ慣れないだろうが……私たちは夫婦になるのだ。その、もう少し……君と仲を深めたいと思っている」
頬を撫でる温かな指先に、心が少しだけ震えた。
こんな風に優しく触れられたのはいつ以来だろう。幼い頃、私を抱いた母の手? それとも……脳裏に、夢の中で私を導く影がちらついた。
「……善処いたします」
「ありがとう。では、また明日」
頬を撫でていた手が、そっと髪を撫でた後、離れていった。
部屋を去る大きな背中を見ていると、なにかを思い出しそうになる。だけど、それを思い出す前に、扉が静かに閉ざされた。
◇
エドワードとの婚姻は正式に結ばれたが、国民へのお披露目は三か月後となった。
私が人族の習わしを学ぶため、時間が必要だったこともあるけと、王弟であるエドワードには数々の責務もあり、忙しい日々を過ごしていたのも理由の一つだった。
正式な夫婦となってから一ヵ月。私たちは、いまだ初夜を迎えるどころか、ベッドすら別々の夜を過ごしている。
私が淑女のマナーやダンス、アルヴェリオンの歴史、諸侯の相関関係など日々、家庭教師がついてのレッスンで軟禁状態なこともあって、エドワードが気遣ってのことらしい。
一枚の扉の前に立ち、そっと触れてみた。この向こうに、エドワードの寝室がある。
ドアノブを捻れば、彼のもとに行ける。
嫁いだ令嬢は、子を成すのも務め。本来であれば、彼のもとに行くのが正しき行いなのだろうが……
「……私は、お飾りの薔薇なのかしら」
激しく求められたいわけではない。
だけど、日々のレッスンで彼との時間が取れないことに、少し、不安がよぎった。
先代アルヴェリオン王の子は、エドワードと兄ロベルト。その他に子はないとされている。しかし、過去の歴史を垣間見ると、多くの子孫を残している。その血筋を辿れば、ヴィアトリス王妃も、王家の血筋だとわかった。
「私は所詮、外者」
わかり切っていたことだけど、歴史を学べば学ぶほど、この身が蚊帳の外のような気がした。
扉に触れていた手を握りしめ、静かに息を吐く。
今日は、ダンスのレッスンで失敗をしてしまったし、少し、気が弱くなっているんだわ。
嫌なことは寝て忘れよう。
ベッドに戻ろうと踵を返した時だった。扉が静かにノックされた。
「リリアナ、起きているかい?」
気遣うような声に、どきりと鼓動が跳ねる。再び扉の前に戻り、呼吸を整えて胸元で手を握りしめた。
次回、本日19時頃の更新となります
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