第2話 魔族令嬢は、平和な人族の国に馴染めない?
馬車の窓から見える景色に目を奪われた。
色とりどりの旗がはためき、鮮やかな花が飾られた街を煌びやかな服を着た子女が行き来している。商人たちも、武器や弾薬、怪しいものを売るのではなく、美味しそうなお菓子や美しい織物を並べている。
祭りでもやってるのかと思うほどの活気が伝わってきた。
子どもが菓子を片手に笑っている。それを抱き上げる母親も、怯え一つなく楽しそうだ。デズモンドの魔物に怯えている親子とは大違いだわ。
ここには、笑顔が溢れているのね。
「素敵な都ですね、リリアナ様!」
「……そうね。でも、平和すぎて落ち着かないわ」
目を輝かせるデイジーの横で、私は小さく息をついた。
夢にまで見た、魔物に怯えない光景だというのに、居心地が悪いと思ってしまう私は、やはり魔族なのね。
これからここで暮らすのかと思うと、不安がよぎる。
「リリアナ様……長旅で、疲れていらっしゃるのですよ」
「そうね。馬車に揺られて、お尻も疲れたわ」
「お城につきましたら、デイジー特性の香油でマッサージして差し上げますね!」
デイジーの気遣いが、荒んだ私の心を支えてくれる。
柔らかな手を握りしめ、小さく「ありがとう」といえば、彼女は嬉しそうに微笑んでくれた。
辿り着いた王城は華やかな花木に覆われ、キラキラと輝くようだった。まるで、絵本に出てくる幸せなお姫様が住む城だわ。
蹄の音が石畳に響く。
馬車の窓から外を眺め、絵本の中に迷い込んだのではないか、そんなことを思いながら手を握りしめた。
止まった馬車から降り立つと、赤みがかった金髪の男性が出迎えてくれた。切れ長の瞳は、まるで新緑のように爽やかな輝きを湛えている。
「アルヴェリオンへようこそ、リリアナ嬢」
この方が、私の旦那様──エドワード王弟殿下。
凛と響く低い声に、胸が高鳴った。魔王様声とも、父や兄の声とも違う。低いのに、とても温かく感じるのは、なぜだろう。それに、どこかで聞いたことがあるような気がする。
脳裏に、夢に見た影がちらついた。私の手を引いたあの影……あれは、夢よ。なにを考えているの。
深紅のドレスを摘まみ上げ、淑女の挨拶を披露した私は、真っすぐ彼を見つめ「リリアナ・フェルナンドにございます」と名乗った。
「エドワードだ。遠いところよく参られた。長旅で疲れているでしょうが、すぐに兄に会っていただきたい」
「……ご心配には及びません。仰せのままに」
「緊張されるなというのは、無理なことかと思いますが」
大きな手が差し出され、一瞬躊躇った。
人族の間には、男性が女性を敬い、案内する──エスコートという文化があるとは聞いていた。この手を取り、共に歩くらしいが。
魔族の国では、女は男の後ろをついていくのが慣わしだ。
「リリアナ嬢?」
「……自分で歩けます」
その手を取ることができず、つい断ってしまった。
不快な思いをさせただろうか。一抹の不安がよぎったけれど、エドワードは少しだけ驚いた顔を見せると、朗らかに微笑んだ。そうして、「失礼」といって私の手に触れる。
「なっ、何を……!?」
「私がこうして、寄り添って歩きたいだけです」
エドワードの手に導かれ、私の指は彼の腕へとかけられた。
「美しい薔薇姫。私のワガママに、お付き合いいただけますか?」
甘い言葉にぞくりと背筋が震えた。
指をかけた腕は父や兄のように屈強で、きっと剣の稽古を怠ったことのない者だ。穏やかなアルヴェリオンの空気とはそぐわない、力強さが感じられた。なのに、彼の言葉は優しく、私を気遣う。
こんなの知らない。
胸が締め付けられ、すぐには言葉が出てこなかった。
今すぐこの手を振り払って帰りたい。だけどそれは、魔王様の意思に反する行いだ。
「エドワード様は、女性であれば、どなたでもそのように睦言を囁かれるのですか?」
「これは手厳しいことをいわれる。あなたが、私の妻になられる方だから、ですよ」
「……甘い言葉は慣れません。少々居心地が悪いですわ」
「それは困りましたね。頑張って、慣れて頂かねば」
人族の国では、これが当たり前なのだろう。
ここで生きていくのだから、慣れなければならない。深く息を吸い、エドワードの瞳を真っすぐ見つめた。
「よろしくお願いします」
「では、参りましょう」
微笑むエドワードに案内され、王城の謁見の間へ進んだ。そこには玉座に座すのが、彼の兄ロベルト王。その隣におられるのが王妃ヴィアトリス様ね。
「よく参った、リリアナ」
「この度の縁談、とても感謝しております」
「うむ。種族の垣根を超え、エドワードと共に国を支えてくれること、期待しておる」
形式的な挨拶を済ませたロベルト様は、少し疲れた顔をしている。私を見る緑の瞳もくすんでいて、魔王様のような威厳は感じられない。なんなら、エドワードの方が意志の強い瞳をしている。
ヴィアトリス様は美しい顔に笑みを浮かべ、私を見下ろした。
「魔族の姫が嫁ぐとは、なんとも珍しいことですわね。何かと文化の違いもあって、苦労するでしょうが、頑張りなさい」
「ヴィアトリス様、ご心配には及びません。私がリリアナを支えます」
「……そう。王家に泥を塗るようなこと、なさらないでくださいね」
エドワードの言葉に、ヴィアトリス様の笑顔が一瞬凍ったように見えた。
冷たい視線に、ぞくりと背筋が震えた。この感覚、知っている。
ヴィアトリス様の笑みは口元だけだ。その黒い瞳は、獲物を値踏みするようにも見える。まるで魔族だわ。
指先が震える。私は、恐怖を感じているの?
硬直していると、私のウエストにエドワードの手がそっと回された。何事かと思って顔を上げた先には、ロベルト様を真っすぐに見るエドワードの真摯な瞳があった。
「リリアナも長旅で疲れていると思います。今夜の宴は欠席させて頂いても、よろしいでしょうか」
「そうだな。こちらの生活になれるのも時間がかかろう。無理をすることはない」
「ご配慮、ありがたく存じます。では、失礼いたします、兄上」
ロベルト様に一礼したエドワードに促され、淑女の挨拶をして退出しようとした時だった。小さく、くすりと笑い声が聞こえてきた。それはヴィアトリス様のものだったのか。
確かめることが出来ないまま、私は謁見の間を後にした。
次回、本日15時頃の更新となります
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