夜道もご安全に
……追いかけられてたんだよ、あの子。
何に、って? そうだね、人とか動物じゃない、“もっと曖昧なもの”かな。
この世に居場所をなくして、形だけ残った……ああ、そういうやつ。
その子、昔から見えたんだって。
暗いところにだけ浮かぶ影、耳元でささやく声、ぬるりと手首を撫でてくる気配――
そういうのが。
でも、見えても知らんふりしてきた。
見えるって知られたら、連れてかれそうで。
……賢いね。あの子の中の「生きる本能」がそうさせてたんだろうな。
でもね、今回は違った。
向こうから、はっきり「あの子」に向かってきてた。
姿も、輪郭もあいまいなまま、ぐにゃぐにゃに歪んで、でも真っ直ぐに。
――だから、あの子は逃げた。
どこかで鼻先をぶつけて、気づいたときには、景色が変わっていた。
帰り道のはずが、がらんとした、何もない空間。
音も、風もない。……けど、感じるんだ。何かがいるって。
「あ……」
足元から、黒いものが這い上がってきた。
細くて、ぬるぬるしてて、冷たい“触手”。
見てるだけで、胸の奥がきゅって冷たくなる。
ああ、とうとう連れてかれるのかな――
そんなふうに思って、あの子は目をぎゅっと閉じた。
……でもね、そのときだったんだ。
「諦めるなよ」
背後から、男の声。
聞いたことないのに、どこか安心する、そんな声だった。
あの子が目を開けると、そこに立っていたんだよ。
赤い目をした、背の高い男。
両手に、あの触手をつかまえててさ――
「貴方は……」
言い終わるより先に、男の手から火が出た。
いや、火っていうより……もっと清らかで、強い光。
それが触手を、ぐわっと焼いていく。
黒いものはのたうち回りながら、音もなく崩れて灰になって、消えた。
男は両手をぱん、ぱんって払って、くるりと振り向いた。
街灯に照らされたその目は、炎みたいに赤くて。
でも、どこかあったかかったんだ。
「大樹さん」
ああ、知ってる子だったんだね。
三度目の再会。縁って不思議だねえ。
「よぉ、またお前か」
にかっと笑って、肩をばんばん。
あの子、ちょっと痛そうだったけど、でも顔がほっとゆるんでた。
それだけで、十分だったのかもしれない。
大樹は、私の力――神通力を使える子なんだ。
この世ならざるものを祓う、浄化の炎。
でもね、それだけじゃない。
“誰かを助けよう”って気持ちがなきゃ、あれは使えないんだよ。
あの子は、不思議そうに大樹の横顔を見つめてた。
質問したかったこと、きっとたくさんあったんだと思う。
――けど、大樹はまた笑った。
「大丈夫。お兄さんに任せなさい」
……ね? 頼もしいでしょ。
私も、なかなか気に入ってるんだよ。あの子のこと。
【つづく】