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卒業  作者: みかづき
1/2

episode来葉

 凩は熱くなった来葉(らいは)の目頭を冷やすように優しく撫でた。


 胸にこみ上げる怒りは収まりそうもない。


 上がった息を軽く整えて、来葉は周りを見渡した。


 目の前の影はずいぶん長くなっていた。


 街並みに見覚えがない。


 気づかぬ間に遠くに来たのかもしれない。

 

 だが、ここがどこかなんてどうでもよかった。


 コンビニを見つけた来葉は、俯きながらそちらへ向かった。


 缶のアイスコーヒーを買った。


 走って熱くなった体には丁度いい。


「……あぁ、苦い」


 苛立ちを上書きしていくような冷たい苦みだった。


 その苦みに心地よさを見いだし、また口を付けた。


 胸にあった靄がコーヒーと共にスッと落ちていく気がした。


 だが、まだ足りない。



 そうして何度も口をつけている間に、体は冷えてきた。


 あと2、3口で飲み干せそうだ。


 背負っていた荷物を、両手へ持ち替えたような気分だった。


 霧が晴れるように目をぱっちり開け、来葉は乱れた髪を手で整えた。


 服のすそを直して、とりあえずこんなもんかと一息ついた。


「もうそろそろ夜か」


 気持ちが落ち着いてくると、周囲のことに気を配れるようになってきた。


 雲がまだらに散りばめられた黒交じりのオレンジ空だった。


 変わらず空は綺麗だった。


 空気は澄んでいて、胸に巣食った毒が流されていくような気分だ。



 そうしてぼんやりしていると、なぜここに来たのか忘れそうになる。


 自分は、本当に逃げたのか。


 悩んでいることなんて、なかったんじゃないか。


 今、何をしているのだろうか。


 ふと、ここにいる理由を忘れそうになる。


 忘れそうになるのはきっとどうでもいいからなのかもしれない。


 それとも、他に理由があるのだろうか。


 


 このまま帰っても良い気がしてくる。


「……いや、ないない」


 来葉は雑念を流すように残りのコーヒーを飲み干した。


 譲れないものがあるを守るために、来葉はここまで走ってきた。


 自分を信じているからこそ、来葉はそこにいる。


 そして、来葉は思い出す。


 諦めるわけにはいかないのだ。


 ようやく手に入れた幸せを、簡単に手放してたまるか。


 だけれども、来葉は当てもなく歩くことにした。




 暗闇が一層深くなってきた。


 結局来葉は、走ってきた道をもう少し進むことにした。


 やはり、どこかを目指しているわけじゃない。


 ただその先に何かがあることを求めて、それを見るために歩いた。


 途中で曲がることなく、自分の影が伸びるのを感じながら歩いた。


 一体いつまで歩くのか、自分でもわからなかった。


 何かに誘われているのか、それとも惑わされているのか。


 いや、違うだろう。


 やはり何かがあると信じて、その何かが何かを変えてくれると信じて進んでいる。


 先に何もなくとも、来葉はそこに意味を見出し、それを()()にするだろう。


 漠然と、もしかしたら区切りをつけるために歩いているのかもしれない。


 ただ、少なくともその道のりが少しでも長く続いてほしいのは確かだった。




 どのくらい歩いたのだろう。


 来葉は再び周囲を見渡した。


 余り手入れされていなさそうな畑があったり、鳥が出入りしている家があった。


 やはりここがどこかなんて興味はない。


 どこであろうとも、結局は迷子だ。


 元居た場所への帰り方なんて来葉は知らない。


 そもそも、帰る気があるのかさえも来葉はわからない。


 やはり、彷徨うしかないのだろう。




 来葉は歩き疲れ、自然と足が止まった。


「なにしてんだろ……」


 ため息交じりに、来葉は己の行く末を憂いた。


 これ以上進んだところで何もないのは明らかだった。


 故に、引き返そうか悩んだ。


 一本道をただひたすら戻るだけだ。


 時間はかかるかもしれないが、元の場所に帰れるはずだ。


 ―――だが、戻ってどうするというのだ。


 通ってきた道には何もない。

 

 戻れたとしても、もう知っている景色はないだろう。


 荒野のように乾いた景色が、ありありと浮かぶ。


 そんなものを見るくらいなら、やはり進むしかない。

 


 けれど、来葉はそんな荒野をもう一度見ようと振り返った。


 草が生い茂る畑の先には、歩道橋があった。


 一度通った時はなかったはずだった。


 これほど大きい歩道橋を排除する視野の狭さ、あるいは見逃した自分に失笑した。


 来葉は来た道を戻っていった。


 そこに何かを見出したわけでもなく、気が付いたら足がそちらへ体を引っ張っていた。


 いざそっちへ向かってみると、なんとなく何かがあるような気もしてくる。


 見上げてみると、その上からの景色を見てみたくなる。


 もしかしたら地上からは見えていないだけで、そこには何かがあるのかもしれない。


 来葉は淡い期待を感じながら、階段へ足をかけた。



 そこから見えたのは、形を失い光だけとなった太陽だった。


 しかしそれは今にも輝きを失いそうで、目を離すとたちまち全て消えてしまいそうだった。


「……これからどうしよう」


 東の空は星がよく見えている。


 来葉は柵に寄り掛かり、影が伸びる先を見上げていた。


 もしかしたら、自分が間違っていたのかもしれないと思い始めていた。


 自分が正しかったはずだと言い聞かせても、その不安は拭えない。


 間違いではなかった。


 いや、その考え自体が間違いな気さえしてくる。


 誰も何も、最初から間違えてなんかいなかったかもしれない。


 そう頭の片隅で分かっているが故に、来葉はもうそこから動けなかった。


 ただ何かを待つように星を見上げていることしかできなかった。


 考えてみれば、夜空を見上げたのなんていつ以来だろう。


 でも、なら普段は何を見ていたのだろう。



「来葉!」


 そして、いづれ来る気がした変化が静寂を終わらせる。


 なにが来たかなんてすぐに分かった。


 だから逃げたくなる。


 背を向けて、また走り出したい衝動に駆られる。


 聞きたくもない声。 


 見たくもない顔。


 けれど、本当に遠ざけたいのは彼なのか。



「来葉…」


 彼はもう一度、名前を()()()


 

 ここから逃げなかったのは、星の輝きから目から離せなかったからだろう。


 どんな星なのか、名前すら知らない。


 けれど、その孤独に生きるその姿がとても綺麗だと思った。


 眩しさ故に、逃げることなんて出来なかったのだろう。


「来葉……」


三度目もその名を聞くと、いよいよ不愉快になってきた。


 その名前は現実を生きていて、それが指し示すのは来葉そのものである。


 漠然とした嫌気が芽生え、その名を彼の名ごと消し去ってしまいたくなった。


 いや、それよりも増してここから逃げたいという意思が強くなった。


 しかしそうしないのは、それ以上にここからは逃れられないという根源的な諦めが働いているからだろう。


 ここは静かだ。


 人も車もほとんど通らず、まして歩道橋を渡る人間は誰一人いなかった。


 ごちゃごちゃな気持ちを整理するのにはうってつけだ。


 来葉にはその時間が必要だった。


 そうしなければ、再び歩き出すことなんてできそうになかった。


 そうであってはいけない。


 しかしかと言って、行きたい場所なんてものはない。


 それどころか帰りたい場所も分からなくなりつつあった。


 けれど、ここに留まるべきじゃないのは明白だった。


 ただ、どうなろうとも答えが出ることは怖く、また避けたかった。


「何……しに来たの」


「……ごめん、僕にもわからない」


「……はっ、そうだろうと思った」


 天之川(あまのがわ)(あかつき)はそういう奴だ。


 彼の真意は見え透いている。


「どうせ、理由なんかないんでしょ。あんたは空っぽだもの」


 「ねぇ、暁」


 気味の悪さが滲む名をよんだのは、初めてだった。


 その名の生き方に正面から向き合うことも初めてだろう。


 天之川暁という、知っていたが理解できない、受け入れがたくも否定できない人間が今目の前に立っている。


 彼の表情は理解不能だ。


 憐れんでいるのか、悲しんでいるのか。


 彼はいつもそんな顔をしている。


 彼の笑顔はあまりにも痛々しい。


 来葉は暁を知っているが故に、その笑顔の下はどす黒いことを知っている。


 狂気の優しさが膨れ上がり、終いには彼の心は幸せという感情を保管することが出来なくなった。


 来葉の知るところの彼は世界一愛情深く、世界一愛情から遠い存在になっていた。


「あんただけじゃない。赫夜(かぐや)真空(しんく)も、みんなみんな、おかしくなった。私たちは散々戦って戦って、戦ってきて、ようやくこの平穏を手に入れた。なのに……なのに……」


 なぜ手にした平穏を手放すような行為をするのか理解できなかった。


 平穏こそが戦いの果てに望んだ未来だったはずなのに、今やそれ以上を望む。


 平凡な生活を送り、永遠の終わりを生き続けるはずだった。


 そうしたい。


 そうして生きたい。


 それこそが幸せだった。


 そしてそれを得る権利があるはずなのだ。


 物語はすでに、完結しているのだから。


「私たちは幸せになるべきなんだよ! 何度も何度も辛い目にあって、それでもずっと報われなくて!」


出来る限り思いついた言葉を吐き出した。


暁がどんな顔をしているかなんて気にもせず、ただ積み上げてきた人生を叩きつけようと口を動かし続けた。


「でも、ようやく手に入れたんだよ? もう私たちは悲しまずにすむ、そんな世界に来たんだよ?なのに、なんでみんなしてこの世界(ここ)から消えようとするの?」


 もう苦しいことは辞めよう。


 来葉は出来る限り思いが伝わるよう必死に言葉を紡いだ。


 ここに残れば、全て解決するのだ。


 何も悩む必要のない、完全な世界で一生を終えるべきなのだ。



 だからもう、どこかに行くなんて言わないでほしい。


 このままここで、永久に朽ち果ててほしい。


 経験だとか積み重ねだとか、全ていらないのだ。


 ここで死ぬことさえできれば、それでいいのだ。



 ――――そうなったとして、何が残るのだろうか。


 いや違う、その()()に意味なんてあるのだろうか。


 それは未来ではなく、過去と融合することと同じなのではないだろうか。


 思い出に等しい、完結し閉ざされた世界。


 そうなることを本当に望んでいるのだろうか。


 そんな明日を生きたいと、来葉自身が、暁が望んでいるのか。


 その瞬間、来葉は悟ってしまった。


 その名は遥か昔から知っている顔をしていた。

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