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04. 螺旋階段と猫

 三階には医者が住んでいた。ということは、左から三つ目のカラフルな湯気がたっている鍋の中は、もしかして薬品? 右の方の鍋からはぬいぐるみの手がはみ出ている。


 ボクは急に怖くなって、今さっき完食したスープが食べ物だったのか確かめようと部屋を見渡した。部屋には葉野菜や根菜が山積みになっていて、棚には見たこともない調味料が並んでいた。壁にはにんにくや唐辛子が紐にくくられて垂れ下がっていて、角には大きな冷蔵庫が鎮座している。どうやらさっきのスープは本物の食材から作られているようだ。いすの背もたれをずるりと滑りながら安堵した。


 小太りな女性が斜め前に座った。

「どう? 美味しかったかい?」


「はい。とてもおいしかったです。ご馳走様でした」


 ボクの感想では満足できなかったのか、表情からは笑みが消え、

「本当に? 本当に美味しかった?」


 しつこくスープの感想を聞いてきた。席を立ち、左から六つ目の鍋をかき回しながら、かすかに聞こえる声でつぶやき出した。


「何かが足りないんだよ。そう、何かが。この部屋にあるものでは駄目なのかねぇ。これが完成すればどの料理よりもあたいの料理が一番になるのに……」


 部屋の空気が静かに冷めていくのを感じた。鍋からの湯気が身を潜めるように、食材が眠りにつくように。


 ボクは一階の太った男性から貰った実のことを思い出した。何かのスパイスだと言っていた実である。ズボンのポケットから取り出し、手の上に広げた。


「あの、このスパイスの実をどうぞ。ボクでは使いこなせそうにないから」


 振り向いてスパイスを目にした小太りな女性は、ぽってりした指を両頬に当て目を輝かせた。同時に部屋の空気がぱあっと色付いたように温かさを取り戻した。


「んまぁ~! これ、中々手に入らないスパイスじゃない! 貰っていいのかい?」


 ボクはスープをご馳走になったお礼ですと言って渡した。早速、鍋に投入し鼻歌を歌いながら鍋をかき回し始めたところで、自分の質問を聞いてもらうことにした。


「このマンションの出入り口を知りませんか? ボクはここの住人じゃないので、ここから出たいんです」


 小太りの女性は、鍋から目を離さず背中を向けたまま答えた。


「あたいは、誰よりも一番おいしい料理を作れるはずなのに、どうしてか他の鍋がおいしく思えてね。だから、ここから離れる訳にはいかないんだよ。いつ先を越されるかわからないからねぇ」


(やっぱりこの人も外への興味がないみたいだ)


「出口を知りたいのなら、この上の住人に聞いてごらんよ。何を考えているのやら、いつも思いつめたような顔しているから何か知っているかもねぇ」


 結局、上の階へ足を運ばなければならないのか……背伸びをして体をリセットしてから、顔を合わせることなくお礼を告げ、部屋を出る為席を立った。少し進むと奥から声がした。


「そこから一冊好きなのを持ってお行きよ。さっきのスパイスのお返しだよ」


 横に目をやると、本棚があり本が押し詰められていた。ほとんどが料理の本だが、所々に物語であろうタイトルの本があった。上から下まで視線を流し、ふと目に留まった子供向けの本をねじり取った。奥から鼻歌が聞こえてきた。料理の邪魔をしないように、何も言わず会釈だけして部屋を出た。


 ボクは五階へ戻って501の扉をノックした。返事はなかった。面白そうな本をもらったからここに置いておくね、と声をかけ扉の傍にそっと本を立てかけた。



――701号室――


 最上階の七階にたどり着いたが、螺旋階段は天井まで他の段と同じように続いていた。まるで天井があることの方が間違っているかのように。


 違っていたのは階段だけではなかった。七階だけ大人なら背中を曲げなくてはならないほど天井が低いのだ。そして低い天井に合わせて扉のサイズも小さかった。扉には今まで同様にプレートがかかっていて、701と書かれている。


 何回かノックしても声をかけても反応は無く、諦めようと最後のノックで返事のないままゆっくりと扉が開いた。そこには小さな男性が立っていてボクを見上げていた。


 その男性は、髪はボサボサだし服装もだらしなかった。ベストはボタンが一つずつずれていて、寝ていたのか靴を履いていない上に靴下すらきちんと履けていない。右足の先っちょが行き場をなくして左足に踏まれている。

 六階の小太りな女性が言っていたように、いつも考え事をしているのか眉間の皺が深く何か思いつめたような表情だ。


 ボクは七回目の質問をした。しかし小さい人は何も答えてはくれない。ボクの方が身長が高いので、彼を飛び越えて部屋を覗き見ると、服や本などが散乱していた。やっと発っせられた声は疲れきっていた。


 だるそうに男性は言った。

「悪いんだけど、栄養ドリンク持ってない?」


 初対面の人に聞くにはなかなか衝撃的な問いで言葉に詰まったが、これはチャンスかもしれないと悟ったボクは、お医者さんに頼んでもらってきますと伝え、三階まで戻ることにした。途中、階段を下りながら501号室の扉の方を見てみると、立てかけておいた本が無くなっていた。快く受け取ってもらえたかはわからなかったが、少し嬉しかった。


 301の扉の前で深呼吸してからノックして扉越しに聞いた。


「栄養ドリンクをもらえますか?」


 今度は扉が開いた。白衣を着た男性が出てきたが、その人物は想像していた見た目と所々異なった。


 二メートルはありそうな白衣姿の男性は、訪問者が小さいとわかると、腰から深く曲げて顔だけを前に向け、横長のメガネを長い鼻の真ん中までずらして、見下すようにボクを確認した。銀色に近い髪を後ろで束ねていて、長い前髪がボクの顔の前まで垂れ下がってきている。メガネを持つ指は細長く、爪が異様なほど長かった。そして足の爪も長いのか靴の先が尖がっていて、ボクのつま先に刺さりそうである。


「栄養ドリンク? 君が飲むのか?」

 ぶっきらぼうに質問を返された。


「いえ、ボクではなくて701号室の人です」


「あぁ、また彼か。彼はいくら処方しても一向によくならない。惰眠を貪る男だ。しかし、この医者である私に治せない病はないはずだ」


 自信満々な口ぶりとは裏腹に、ボクから視線を外し、背筋と眼鏡を戻した彼の表情が陰っていく。


「ところが薬品がしまってある戸棚の鍵を持たせた猫が逃げてしまってね。新しい薬を調合しようにも何も出来ない」


「猫? もしかして黒猫ですか?」


「おや、知っているのか?」


 一度捕まえたけれど逃げてしまったことを伝えると、長いため息をついた医者が言った。


「栄養ドリンクは処方しよう。だがその前に戸棚の鍵が必要だ。猫を捕まえてきてくれないか」


 了承したボクは、まず下の階を探すことにした。しかし猫に遭遇することなく一階まで来てしまった。とりあえず、太った男性にスプーンを渡すことにした。


 太った男性にスプーンを渡すと大喜びし、グレープフルーツを手に取って半分にすると、さっそく食べ始めた。


 グレープフルーツに夢中になっているので声を大にして黒猫の行方を聞いた。

「黒猫を見かけませんでしたか?」


「ん~? 黒猫ぉ~? 見た……気がするけど、大分前だったな~」

 それだけ答えると、グレープフルーツの続きを食べ始めた。


 部屋から出ると黒猫が螺旋階段の中段あたりに座ってこちらを見て鳴いた。


「あ! 居た!」


 ボクは走り出した。すると猫も条件反射なのか走り出した。身軽な猫に追いつくはずもなく、早々に螺旋階段の途中で座り込んでしまった。猫はボクに興味があるのか、ただ警戒して様子を伺っているのか、少し離れたところでまたボクを見ている。


「どうやって……捕まえれば……いいんだよ」

 猫を見上げ、息切れしながら愚痴をこぼした。


◇◇◇


 猫との追いかけっこは、猫の習性を利用したボクが勝利した。201号室から羽ペンを借り、猫じゃらしに見立てて誘い出すと、自分の意思とは関係なく習性には逆らえず羽ペン目がけて突進してきたのだ。


 今度は逃げないようにしっかりと抱きかかえて、301号室へ向かった。


 医者に捕まえた猫を見せると、すぐに首にかけていた鍵を取り外し戸棚から半透明な紫色の液体の入った小瓶と巾着袋、見たこともない白黒模様の実を取り出した。


 反対側に置いてあるウネウネ動く植物から意気の良さそうな葉を数枚ちぎり、何やら調合を始めた。巾着袋から赤い粉をひとつまみ、白黒模様の実に振りかけると、みるみるうちに模様の色が白黒から赤と紫に変化した。その横では、うごめく葉がビーカーで煮詰められていた。沸騰し始めると葉が暴れ出した。なだめるように小瓶に入っていた液体を入れると、先端からくるくると丸まり大人しくなった。今度は乳鉢に色が変わった実と、金平糖のようなキラキラした粒を振り入れ、呪文のような言葉をつぶやきながら乳棒ですりつぶしている。


 そんなに大事な鍵なら、猫の首ではなくて自分の首にかけておけばいいのに、と思った。鍵の番人にさせられていた黒猫はボクの腕からすり抜けて、またどこかへ行ってしまった。


 待っている間、いろんな物が置かれているこの部屋を探検することにした。壁と平行してずらりと並んでいるガラス棚の取っ手には、すべてに南京錠が付いていて施錠管理されている。薬学の分厚い本が並ぶ棚。ハーブや漢方薬が置かれた棚。番号シールが貼られた小さな小瓶達、色とりどりの液体が入ったボトル、フラスコやシリンダーが等間隔に並ぶ棚。小さな鉢に植えられて奇妙な形状の植物がお互いに干渉しない間隔で並んでいる。


 扉のない棚には古めかしいが細かい装飾が施された天秤が置かれていた。その隣には黒い布がかけられていた。


 捲って覗いてみると、大きな鳥籠だった。籠の中では手のひらくらいの三羽の鳥が寄り添って止まっていた。ボクが布をめくったことで、鳥たちが羽を高速で動かし優雅に飛び回り出した。その鳥の尾羽には孔雀の羽のように目を連想させる模様が付いていた。ゆらめく尾羽をじっと目で追っていると、自分の体も軽くなってきて、それとは反対に瞼は重くなっていった――。


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