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 団長室に戻り、ディルターはクッキーの入った巾着を見ながら複雑な表情を浮かべていた。まだ出逢ったばかりでエリスについて何も知らないが、どう考えても離婚を言い渡されるような女には見えない。仕事柄これまで多くの老若男女と接してきたおかげで、些細な仕草や言葉の端々に出る言い回し一つからでもその人物の『なり』というものが分かるから、尚更理解できなかった。


 ----これも職業病か…。


 この見解に私情が挟まれていないかと言われれば自信は無いが、それでも性格を理由に離婚をつきつけられたわけでは無いという妙な確信があった。


 ----まぁ、互いの相性もあるしな。それか夫の浮気か…。


 途端に鳩尾の奥に怒りが煮えたぎってくる。エリスが離婚していたというのはディルターとしては朗報だったが、何らかの理由でエリスが心に傷を負ったのならば喜びより怒りが勝る。


 ----いや…もし傷付いたのなら、あんなにあっけらかんと話したりするか?


 まったく分からない。女は男に対する愛情が冷めた途端、愛する前の何の感情も無かった頃より冷たくなるというが、それだろうか。

 ふと、頭上から気に食わない視線を感じて顔を上げた。案の定マーシャンがニヤニヤした目で巾着を見下ろしている。せっかくエリスの笑顔が記憶の最後だったというのに何て事をしてくれる、という目で睨み返す。


 「…。」

 「これ、エリスさんに頂いたんですか?」

 「そうだ。それがどうした。」

 「いえ別に。空の様子を見ながらソワソワされてたのは、エリスさんの仕事が終わる時間を見計らってたからだったんだなと思っただけです。」

 「思ったことを何でも口にするなといつも言っているだろう。」

 「こんな事、団長にしか言いませんよ。ところで素敵な巾着ですね。」


 マーシャンは上司の言葉をサラリとかわして話題を変えた。話をすり替える事に関しては右に出る者はいないマーシャンである。


 「これがどうかしたのか?」

 「どう見ても新品じゃないですか。しかもこれ結構良い生地ですよ。わざわざ用意してくれたんでしょうね。」

 「そうなのか?」


 ディルターはそういった事には一切気付かない。エリスに貰った物だから大事にしようとは思っていたが、今の今までただの巾着としか認識していなかった。マーシャンの言葉でようやく特別なものに変わったというぐらい、物に興味が無い。


 ディルターは巾着を手に取ってみた。特に変わったところは無いが、言われてみれば前回の袋よりは縫い目も形も綺麗に見える。それでもディルターにとってはエリスの名前が刺繍されていた袋の方が余程『良いもの』に思えた。とはいえ、贈り物だからとわざわざ用意してくれた好意には素直に嬉しい気持ちもある。


 ----なるほど、結婚してて当然だな。細かい気配りができる女など男が放っておかない。


 ディルターはチラとマーシャンに視線を向けた。


 ----コイツに話してみるか…?


 無地の生地の質の違いに気付く程の男なら、自分では思い付きもしないような事が引っ張り出せるかもしれない。エリスのプライバシーに関わる事を勝手に言うのは抵抗があるが『恋愛相談』という体であれば問題無いだろう、と己に言い聞かせた。


 「マーシャン、少しいいか。」

 「はい、何でしょうか。」

 「これは他言無用にしておいて欲しいのだが…」

 「団長からのお話は全てそのようにしておりますから安心して下さい。」

 「エリスさんの事なんだが、彼女は独身だった。一度結婚はしていたが、最近離婚したらしい。それから子がいるというのは男からの誘いを断る口実で本当はいなかったんだ。」

 「はい、そのようですね。」


 ----ん?


 ディルターの動きがピタリと止まる。まるですでに知っていたかのような部下の返事に眉をひそめた。


 「お前、知ってたのか?」

 「はい。何度か店に通って、仲良くなった店員から聞き出しました。離婚した後この街に来たそうですね。」

 「なぜ昼間に言わなかった?」

 「何度か団長のお気持ちを確認しましたが、エリスさんへの特別な好意は無さそうでしたので。業務上関係の無い個人の事情を軽々しく口にするわけには参りませんから。」

 「…。」

 「言った方がよろしかったですか?」


 白々しいキョトン顔に心底腹が立ってくる。ディルターは殺気を込めた眼差しで部下を睨みつけ、低い声で命令した。


 「今後は彼女に関する情報はすぐに報告しろ。」

 「はい、そのように致します。あ、そういえばマット・グラーシュの店員の女性に聞いたのですが、今ケルンベル公園という場所の紅葉が見頃だそうです。エリスさんを誘って見物に行かれたらどうですか?」

 「ケルンベル公園?」

 「はい。それ程遠くなく、その日のうちに帰ってこられるそうですよ。広場もあるそうですし、そこで休憩がてら昼食をとるのも気持ちが良いでしょうね。」


 ----ケルンベル公園か…。


 暖かい陽射しと冷たい風を感じながら紅葉を見つつ散歩して、広場で休憩をとる。会話を楽しみながらエリスが作ったものを二人で食べて、エリスに『美味しかったよ、ごちそうさま』と言う。エリスはいつもの微笑みを浮かべて少し照れながら『お粗末様でした』と返す。そしてそのまま隣同士で寝転び、気持ち良さそうに目を閉じるエリスの横顔をジッと見つめて、気付かれないようにそっと顔を近付けて…


 「団長、聞いておられますか?」

 「うわっ!!」

 「何をボーっとしておられるんですか?」

 「何でもない。」

 「もし最初はお二人で行く事に躊躇いがあるようでしたら、最初は大人数で行くのも良いかもしれませんね。」

 「二人で良い。ぞろぞろと歩くのは仕事だけで十分だ。」

 「そのお気持ち、すごく良く分かります。では日にちが決まりましたら休暇の申請を出しますので、早めに仰って下さいね。」

 「分かった。それから…」

 「はい?」


 ディルターは椅子にもたれてニッコリと笑顔を向けた。マーシャンからすれば、デートの提案に上司が機嫌を良くしているように見える事だろう。もちろんその通りなので、ディルターは気の利く部下へのお返しを用意してやった。


 「お前も休暇を取れ。そうだな、さっそく明日から五日間とかどうだ?」

 「え!?よろしいのですか!?五日間も!?」

 「もちろんだ。毎日激務で大変だろう。その疲れた身体を労わる為にも自宅にこもり、思う存分休むがいい。」

 「ありがとうござい…え?自宅にこもる?」

 「あぁ。一切外に出る事も人と会う事もなく、自宅の中だけで過ごすんだ。」


 ディルターの満面の笑みが冷酷な表情へと変わる。ディルターは『最適な休暇の過ごし方』について説明した。


 「そ、それって…」

 「分かったな?」

 「お待ち下さい!それのどこが休暇なんですか!?それじゃあただの…」

 「休暇だ。」

 「へ?」

 「お前は五日間、自宅で休暇を過ごすんだ。そうだろう?」

 「そ、そんな…」

 「そうだよな?」


 真っ青な顔で口を真一文字に結ぶマーシャンに向けて、有無を言わさない圧力をかける。厳格な上下関係のある騎士団において上司をおちょくった代償が自宅謹慎で済むのだから随分マシだと言えよう。それも()()()()()()として記録されないようにしてやったのだ。

 ディルターは立ち上がり、黙って頷くマーシャンを見据えて冷たい声を向けた。


 「今日中に休暇申請を出しておくように。」


*


 郊外にある町ミントン。広大な農地が広がる町の一角にある大店の商談室では、若旦那であるルーカスが仕入れ業者とテーブルを挟んで翌年の仕入れ見込みについて話し合っていた。


 「―――では、来年の分はこの帳簿を元に進めていきます。今年は気候が安定していて例年より収穫量も多かったので、万が一寒波がやってきても必要最低分は確保できるでしょう。」

 「分かりました。ではそれで進めて下さい。」


 翌年の話が出ればもうすぐ一年が終わるのだと実感する。年が明ける頃には子も産まれているだろう。ルーカスは茶を啜りながら、本格的な冬が始まる前に一度エリスの元へ行こうと考えていた。子が産まれたら、しばらくの間は家を空けるわけにはいかなくなる。


 「では、私はこれで失礼致します。」

 「えぇ、ありがとうございました。」


 業者が帰るのを見送りに玄関まで出た時だった。外の門の方から一人の女が慌てた様子で走ってくる姿が目に入り、ルーカスは業者の見送りを側にいた使用人に任せて女の方へ駆け寄った。エリスの母、ヴェラだ。激しく上下する胸を押さえ、ルーカスの腕に手を乗せた。


 「はぁっ、はぁっ、ルーカス!会えて良かったわ!」

 「お義母…ヴェラさん、どうしたんですか?そんなに慌てて!」

 「い、今、メルレアン男爵家から連絡があって…」


 メルレアン男爵家はエリスの父テュッセンが執事として勤めている貴族だ。エリスの兄レミアンもそこで働いている。


 「何かあったんですか?」

 「夫が倒れたって…」

 「えぇ!?」

 「今はレミアンが夫の代わりに仕事をしているそうなの。エリスにも連絡したいのだけれど、恥ずかしい事に…あの子の居場所を知っているのはルーカスだけでしょう?だから…」

 「分かりました。まだ乗合馬車はありますし、すぐに用意して行ってきます。ヴェラさんはテュッセンさんの側にいてあげて下さい。」

 「あぁ、ありがとう。あなたにこんな事を頼むなんて心苦しいのだけれど…」


 ヴェラは目を伏せ、まだ乱れている呼吸に苦労しながら手拭いで口元を覆っている。ルーカスはヴェラの背中をさすりながら力強く声をかけた。


 「大丈夫です。僕に任せて下さい。」

 「えぇ、よろしくお願いします。」


 門へ向かって歩くヴェラの背中を見送り、ルーカスは踵を返して急いで用意をし始めた。あらかじめ用意していた袋をバッグの中に入れて外套を羽織る。使用人に明日の昼まで留守にすることを伝えて、駆け足で店を飛び出した。

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