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季節の移ろいを感じるものの一つに、灯り持ちが現れる時間がある。秋も進んで夜の訪れが早くなると、その分彼らの仕事も早く始まるからだ。そしてマット・グラーシュで働く女達も、近くに住む者を除いて帰る時間が早くなった。
ちょうどその灯り持ちが現れる時間にマット・グラーシュの扉が開いた。
「いらっしゃいませ…あっ!」
扉の近くをソワソワしながらウロウロしていたアンリは待ちに待った男の姿を見るなり、すぐに店の奥で帰り支度をしているエリスを呼びに行った。その顔はすでにニンマリと笑っている。
「エリスさん、騎士様がいらっしゃいましたよ!外で待ってます、と仰ってました!」
「あら、本当?良かった、今日は会えないのかと思ったわ。」
「ふふ~ん。もしかして、エリスさんの仕事が終わる頃に合わせて来て下さったんじゃないですかぁ?」
「何言ってるの、失礼よ。」
「もしかしたら送って下さるかもしれませんねぇ。そしたら脈ありです!間違いありません!」
「こら、いい加減にしなさい。それ以上言うと怒るわよ?」
そうは言っても恋愛トークが大好きなお年頃のアンリがはしゃぐ気持ちは痛いほどよく分かる。なぜならエリスもまた、他人の恋愛事情を妄想することが大好きだからだ。もしこれがアンリとディルターであれば、遠慮なく妄想を膨らませていた事だろう。
身分差、年齢差、身長差。愛らしい雰囲気のアンリと、厳格な雰囲気のディルター。これらの材料を並べて見ただけでも涎が出てくる。ただアンリと違うのは、自分はそれを口や態度に出さないところだとエリスは思った。
エリスは荷物を持ち、すれ違う仕事仲間に挨拶をしながら店の外へ出た。扉から少し離れた場所に佇む白いマントが目に入り、足早に歩み寄って声をかけた。
「ベルナント様、お待たせして申し訳ありません。こんばんは。」
「こんばんは。いえ、来るのが遅くなってしまったのは俺の方ですから。もう仕事は終わりですか?」
「はい。あ、先にこれをお渡ししますね。どうぞ。」
エリスはバッグから小さな巾着を取り出し、ディルターに差し出した。今回は最初からお礼用として用意したので新しく買った巾着にクッキーを入れている。男が持ち歩いても恥ずかしくないように無地の生地に青い紐がついているものを選んだ。
「ありがとうございま…っと、お礼を言ってはいけないんでしたね。」
「あの、それはもう忘れて下さい。余計な事を言ってしまったと反省しています。せっかくお礼を言って下さったのにそれを止めるなんて…失礼な事を言って申し訳ありませんでした。」
エリスは頭を下げ、一呼吸置いてから顔を上げた。視線の先では優しく笑うディルターがエリスを見下ろしている。途端にエリスの心臓が跳ね上がり、同時にアンリのニンマリした顔が脳裏をよぎった。
『もしかして、エリスさんの仕事が終わる頃に合わせて来て下さったんじゃないですかぁ?』
----ちょっ…何で今アレを思い出すのよ!アレはあの子のただの軽口だってば!
やはり妄想は口に出すべきではない。エリスは頭の中でアンリの頬をムニムニと摘まみながら、早めに立ち去ることにした。
「それでは私はこれで…」
「待って下さい。もう暗いので家まで送ります。」
「いえ、そんなご迷惑をおかけするわけにはいきません。」
「迷惑なら自分から言い出しませんよ。さぁ、行きましょう。」
ディルターはエリスの隣に立ち、エリスの歩幅に合わせてゆっくりと歩きだした。こうして並んで歩くとディルターの背の高さを実感する。エリスは平均的な背丈をしているが、ディルターの肩の高さにも満たなかった。それよりも。
『もしかしたら送って下さるかもしれませんねぇ。そしたら脈ありです!』
----だから違うってば!民を守る者として適切に対応して下さっているだけよ!
エリスは頭の中でアンリの頬をムニョッと挟み、ディルターから見えないようにプルプルと頭を横に振った。
*
「エリスさんはずっとこの街に住んでいるんですか?」
歩き始めて早々に、ディルターはエリスに尋ねた。ゆっくり世間話をする機会など滅多に無いのだから時間はできるだけ有効に使いたい、という一種の職業病のようなものだ。騎士団長という立場になると自由な時間などほとんど無い。
「いえ、ここには四か月程前に引っ越してきたばかりなんです。実家は郊外にあるミントンという町にあります。」
ディルターの心臓がドクリと動く。離れた場所に実家があり、最近引っ越してきたという事は、その理由はきっと一つしかない。ディルターはチラと斜め下に視線を向け、緊張に震える手を握り締めながら意を決して口を開いた。
「それは…結婚を機に…とかですか?」
「いえ、逆です。離婚して家を出て、ここに引っ越してきたんです。」
「えっ!?」
ディルターは思わず声を上げてエリスを見下ろした。離婚していた事もそうだが、離婚した事をこんなに明るく言う事に驚いた。いや、そうじゃなくて。
----離婚した…ということは、エリスさんは今は独身という事か!?
子供がいるのだから、当然結婚していて家族で暮らしているものとばかり思っていた。しかし実際は子供とだけ暮らしているようだ。今は独身だと知って誤魔化せない程浮かれたが、なぜか妙にモヤっとする。結婚していたのなら、たとえ一時でも誰かのものになっていたという事だ。
----離婚した理由を聞いてみたいが、流石に踏み込み過ぎだろうか…。
まだ知り合ったばかりの関係で深い話に触れるのは危険過ぎる。ましてや離婚の理由など。ならば、とディルターは別の角度から探りを入れてみる事にした。
「じゃあ、今は子供と住んでるんですね。」
「え?私、子供なんていませんよ?」
「えぇッ!?」
思いも寄らなかった返事に思わず大声を上げる。以前、エリスが『家で子供が待っている』と言っていたのを、目の前で聞いたのだ。しかしエリスの目はとても嘘を言っているようには見えなかった。というよりも、ディルターの大声には流石に驚いたのか目を丸くして固まっている。
ディルターはコホンと咳払いをして、落ち着いた声を取り戻した。
「でもこの前、店で子供がいると言っていたのを聞いたのですが…」
「店で?…あぁ!あれは口説いてくるお客さんへの断り文句です。子供がいると言えば大抵は諦めてくれますので。」
「そ、そうだったんですか。確かに効果がありそうですね。」
ぐうの音も出なかった。実際にそれを信じて落ち込んだのは紛れもない自分だったからだ。その時、ふと離婚した理由と何か関係があるのではと思って口を噤んだ。これもある意味職業病だろう。言葉の一つ一つに何かヒントがあるのではと、つい考え込んでしまう。
----なるほど、結婚はしていたが子供はいなかったのか。で、今は離婚して一人で住んで…うん?それなら俺にもチャンスはあるって事か!?
その前に片付けなければならない事はあるが、最も重要なのは互いに独身である事だ。それがクリアできた今となってはもう何も恐れるものなど無い。
燃え始めた炎を背に悶々と考えていると、隣を歩くエリスが立ち止まる気配がして足を止めた。二階建ての石造りの建物が目の前にある。
「着きました、ここです。送って下さってありがとうございました。」
「いえ。では俺はエリスさんが家に入ったのを見届けてから帰りますね。」
「そんな、そこまでして頂くなんて…」
「その方が安心して帰れますから。さぁ、早く行って下さい。」
ディルターは微笑み、エリスに中に入るように促した。静かに階段を上がり、家の中に入るエリスを見ながら周囲を警戒する。そして窓を開けてディルターに手を振り、頭を下げるエリスの姿を認めてからようやく肩の力を抜いた。
「気を付けてお帰り下さいね。」
エリスの柔らかい声と笑顔が頭上から落ちてくる。暗くてよく見えないが、今どんな表情をしているかは鮮明に思い浮かんだ。
----あの笑顔好きだな。ずっと傍で見ていられたら…
ディルターは小さく頷き、踵を返して来た道を戻った。




