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 「じゃあ、また来るわね。」


 エリスは玄関の前でヴェラを抱き締め、そっと背中を撫でた。久しぶりに抱き締める母親の身体がいつの間にか小さくなっている事に思わず胸が詰まる。途端に込み上げる後悔に無意識に動きを止めていたのか、ヴェラがエリスの腕をトントンと叩いてニコリと微笑んだ。


 「えぇ、気を付けてね。騎士様、娘をよろしくお願い致します。」

 「はい。さ、エリス。帰ろう。」

 「はい。」


 ディルターはエリスの手を取り馬に乗せた。まだ日は高く昇りきったばかりで、今から帰ればゆっくり走っても夕方までには家に着く。二人への手土産にと、『トッティー』のハチミツをエリスに手渡しているヴェラに、ディルターは横から声をかけた。


 「そうだ、これからは私の事は名で呼んで下さい。」

 「まぁ…私までよろしいのですか?」

 「もちろんです。いずれ私達は親子になるのですから。」

 「まぁ!!」

 「えっ!?」


 ディルターは頭上からの驚嘆を無視してニコリと微笑み、ヴェラに軽く会釈をしてからエリスの後ろに跨った。


 「さ、行こうか。」

 「あ、あの、今のって…」

 「では失礼します、()()()()。」

 「あらあら、まぁまぁ!はい、お気を付けてお帰り下さいね!」


 ディルターはヴェラに向けて小さく頷き、手綱を捌いて帰路に着いた。


*


 軽快に走る馬の背で風を浴びながら、エリスは火照る顔をグッと前に向けて熱を冷ましていた。心臓はドキドキと音を鳴らし、その振動は胃まで響いている。なんとか気を紛らわせようと無駄に馬のたてがみを数えてみたが、何の役にも立たなかった。


 ----さっきのって、つまり…そういう事よね!?


 ディルターには結婚願望が無い事は何度も伝えている。交際もまだ始まったばかりで、将来の事など何も話し合っていない。今日エリスの実家に行ったのも、交際している事を報告する為と縁談を断る為だった。


 「…いご両親だな。」

 「え、何?」


 耳元で鳴る風の音でディルターの声が聞こえず、エリスは少し後ろに振り向いて耳を寄せた。その少し冷えた小さな耳に、ディルターの熱い唇が触れる。


 「仲の良いご両親だな、って言ったんだ。」

 「そう?相変わらず母は父に小言を言われてばかりだったような気がするけど。」

 「あれは小言じゃなくて、ただの過保護だ。おっちょこちょいな妻が心配でつい口を出してしまうんだよ。さっきだってお母上ではなく君に茶の用意を頼んでいただろう?ああいう時は、たとえ娘でもそんな事を頼んだりしないものだ。」


 まさか、とは言い切れないのが悲しい。エリスは溜息をついて頷いた。


 「確かにあの状況でキッチンに立たれるのは怖いもの。」

 「だろ?若い頃、妻を家に閉じ込めていたのも単に心配だったからじゃないか?特に悪い虫が寄ってこないようにする為に。俺が君を家政婦として側に置いたのと同じように。お母上と君は見た目がそっくりだから、きっととても美しかったんだろう。もちろん今も魅力的だが。」

 「…。」

 「俺は君がしっかり者だから安心しているが、もし無防備でおっちょこちょいな性格だったらお父上と同じようにしていたかもしれない。仕事でずっと家を空けなきゃいけないのなら、なおさらだ。そういったただの過保護と独占欲が、幼い頃の君の目には常に怒られ自由を奪われているように見えたのかもしれないな。」


 ディルターはそこで話をやめて馬を操る事に専念した。家に着くまでの僅かな時間の間、エリスにじっくりと考えさせる為だ。


 ----いつから思い違いをしてたのかしら…


 エリスは薄っすらと雲が伸びる空を見上げ、目を細めて揺らめく光の筋をなぞった。


*


 馬をフェルデラン館の馬番に渡し、二人は肩を並べて家まで歩いた。日は傾きかけているが、ディルターはエリスを家まで送ってから仕事に戻る事になっている。ただでさえ忙しい中時間を作ってもらえた事に、エリスは申し訳なさと嬉しさで頬が緩んだ。


 「今日はありがとう。」

 「少しはスッキリしたか?」

 「えぇ、とても。でも私がもっとしっかりしていたら偽装結婚なんて馬鹿な真似はしなかったのにと、後悔する気持ちでいっぱいだわ。」


 本音だった。ついこの前までは自分のした事は間違っていないと断言できたのに、今は後悔しか残らない。それに気付かせてくれたディルターの心遣いには感謝しつつも、気付いてしまった事の憂鬱さに重い溜息を落した。


 「でもその当時はそれしか道は無いと思っていたんだろう?前にも言ったが、自由を得る為に君は戦ったんだから、それ自体は悪い事じゃない。」

 「…。」

 「でもきちんと話し合い、互いに歩み寄る事で回避できた事でもある。」

 「えぇ。」


 ディルターが足を止めた気配に気付いてエリスも足を止め、二人は視線を交わした。


 「それが分かれば十分だ。これからそういう過ちを起こさないようにする為にも、俺達はなんでも話し合っていこうな。」

 「そうね。あの…」

 「うん?」

 「さっきの…その、いずれ親子になるというのはどういう…」


 どういう事かと分かっていても、きちんと言葉で言ってほしいと思うのは贅沢な甘えだろうか。エリスは今は顔が熱くなるのも構わずに真っ直ぐディルターを見つめた。そんなエリスに、頬の火照りを優しく包み込むような涼しい声が返ってきた。


 「あぁ、あれはそのままの意味だ。でも俺達はまだ恋を始めたばかりだしここは派遣先だから、まだ先の事だ。」

 「え?え?」

 「というか、俺はいつでも君を迎える準備はできているから君の気持ちが固まるまで待とうと思ってる。」

 「あの、だから…」

 「でもそんなに長く待つつもりは無いからな。今年中には良い返事が貰えるように俺も努力するさ。」

 「返事って…」

 「エリス。」

 「はい!」


 ディルターはエリスの左手を取り、細い薬指に唇を寄せた。


 「愛してる。必ず君を幸せにすると誓うよ。」

 「フフ、なんだかプロポーズしてるみたい。」

 「まさか!君へのプロポーズをこんな簡単には終わらせないさ。思わずグッとくるような、忘れられない瞬間を用意してやる。」

 「まぁ、それは楽しみだわ。…待ってるわね。」


 エリスはスッと踵を上げて少し髭の伸びた頬にキスをした。


*


 フワリと舞う粉雪が白く吐く息に吹かれて空気の中へ消えていく。街はすっかり白く染まり、新たな年がもうすぐそこまできていた。


 ディルターは定刻になってすぐにフェルデラン館を出て家に帰った。そして家に入るなり迎えに来たエリスを捕まえ、立ったまま口を開いた。


 「エリス、話があるんだ。」

 「私もあるのよ。」

 「どうした?」

 「私のは後でいいわ。どうしたの?」


 エリスはマントを受け取り、ニコリと微笑みを向けた。向けたと言うよりも、ディルターが嬉しそうにしているのでつられて笑顔になった。


 「トレンタに残る事になった。」

 「え?」


 秋の終わり頃に、王宮から帰還命令の知らせが届いていた事はエリスも知っていた。来年の夏にいよいよトレンタを離れる時が来たのかと思っていただけに、ディルターの言葉はまさに寝耳に水だった。


 「実は王宮から手紙がきてすぐに、トレンタでの任務継続願を書いて出したんだ。で、その許可証が今日届いた。」


 騎士の中でも王宮騎士団に所属する者は大半が武に優れ、高貴な身分をバックに持ったエリート集団だ。出世欲のある者にとってもそうでない者にとっても、華やかで居心地の良い王都から遠く離れたトレンタへの赴任は暗黙的に嫌がられるものだった。そこへ自ら赴任継続を志願する者が現れたので、すんなり許可が下りたのだ。


 「でもいいの?次はいつ帰れるか分からないのよ?」

 「いいんだ。俺はこの街が気に入っているし、君と出逢った思い出の街でもある。それに君にとっても両親や友人達が近くにいる方が安心できるだろう?」

 「もしかして…私の為に?」

 「君の為でもあるし、俺達二人の為だ。もし君が王都に行きたいと言うのなら今からでも変更できるが、どうする?」


 ディルターはエリスの腰に手を回し、ニッと笑ってエリスを見下ろした。もう答えは分かっているという顔だ。エリスはもちろん首を横に振った。


 「ううん、その必要は無いわ。本当は少し不安だったの。近くに知り合いが誰もいない土地で上手くやっていけるかどうか分からなくて…。あ、でもディルターが行ところなら、どこへでもついていくのは本当よ?」

 「ハハ、分かってるよ。俺も、もし君に何かあった時に側に頼れる人がいる方が安心だ。でも許可が下りるかどうか分からなかったから君には黙っていたんだ。すまない。」


 エリスはもう一度首を横に振り、ニコッと感謝の笑顔を向けた。その口角の上がった唇にディルターの唇がそっと触れる。ディルターは満足げに身体を起こし、フゥと息をついた。


 「所属は王宮騎士団のままだから今まで通り赴任手当も出るし、生活は今までと変わらないだろう。十分やっていけるさ。」

 「ん…ありがとう。」

 「で、君の話ってなんだ?」

 「あのね、私すごく幸せなの。今の話もそうなんだけど、あなたはいつも私の事を考えてくれて…私が見落としていたものを教えてくれたし、諦めていたものを与えてくれた。」

 「どうしたんだ?急に。」


 わけが分からないといったディルターの表情にクスッと笑い、エリスは腰に置かれたディルターの右手を取って腹に当てた。それをしばらく見つめていたディルターの目が徐々に見開いていく。その目線がゆっくり上へと移動し、エリスと目が合ったところで、エリスはコクリと頷いた。


 「まさか…」

 「えぇ。」

 「あぁ、そんな…。エリス、本当に?」

 「えぇ、授かったの。最近体調がおかしいなって思ってて、もしかしたらと思って今日お医者様に診ていただいたのよ。そしたら『おめでとうございます』って言われたわ。」

 「エリス!あぁ、嬉しい!こんな幸せな気持ちは君と想いが通じ合って以来だ!」

 「あら、他にはないの?」

 「ハハ!この二つが飛び抜けているって意味だよ!」


 ディルターはエリスを抱き上げ、そしてエリスの腹に頬を寄せた。ここには今、二人の愛が詰まっている。そう思っただけで鼻の奥がツンと痺れてきた。


 「泣いてるの?」

 「…泣きたくもなるさ。」

 「私の方が…こんな幸せな事を諦めていたなんて…。あなたがいなかったら、私はずっと一人だったかもしれない…」


 エリスの瞳から溢れた涙がディルターの頬にポツリと落ちる。ディルターはまだ平らな腹に口付けをしてゆっくり下ろすと、そのまま床に跪いた。


 「はぁ…本当はもっと思い出に残るものにしたかったんだが、今以上に良いタイミングが思いつかない。」

 「フフ、そうね。」

 「エリス、愛してる。君と出逢う為に今までの人生があったんだと思うと、全ての出来事が幸せだったと思える。そしてこれからの人生には君に側にいてほしい。君の人生の側にいさせてほしい。一緒に歩んでいってほしい。」

 「ディルター…」

 「俺と結婚してくれますか?」

 「えぇ、喜んで。よろしくお願いします。」

 「君の体調に合わせてトレンタで式を挙げよう。君に相談しながら俺が諸々の準備をするから、君は自分の体調と子の事を優先してくれ。」

 「ありがとう。愛してるわ、ディルター。」


 エリスは腰を屈めてディルターを抱き締め、額にそっと口付けを落とした。

最後まで読んで下さり、感謝感激です!

たくさんの方に読んで頂けたこと、とても嬉しく思います。

また、ブックマークや評価やいいね等々をして頂き、執筆中とても励みになりました。

ありがとうございました!

_φ(^_^)

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