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 強い風が音を鳴らして吹き抜け、洗濯物をバタバタと煽いでいる。すっかり日が高くなり、明るい時間が長くなった。去年のちょうど今頃、記憶にあるのは湿った草木の匂いと雲一つ無い青空。ルーカスとの離婚が成立してからもう一年が経つ。


 ----いろんな事がありすぎてあっという間だったわ。


 五月に離婚してすぐにこの街に来て、二か月が経つ頃にディルターと出逢った。余程の事でもない限り、一介の庶民が王宮から派遣された騎士団と関わる事など無いはずだった。それなのに今ではその騎士団の団長であるディルター・ベルナントに雇われ、家政婦として働いている。


 ----人生って何が起こるか分からないものね。


 洗濯物を見ながらそんな事をぼんやりと考えている時、玄関の扉をノックする音が聞こえてきたので、外をグルッと回って玄関へ向かった。扉の前にはスラッとした背の高い若い男が立っている。エリスは玄関の扉を見つめる男の横側から声をかけた。


 「どちら様ですか?」

 「え?あれ?あ、お出かけでしたか。」

 「いえ、裏で洗濯物を干していましたので。こちらから来た方が早いんです。」

 「そうでしたか。初めまして、私はターヴィン・セルドンと申します。こちらは騎士団長ディルター・ベルナント様のご自宅でしょうか。」


 エリスはすぐに返事をせず、ターヴィンをジッと見つめた。ターヴィンは被っていた帽子を胸にあてて姿勢良く立っている。着ているものは質素だが、袖や襟周りにほつれは無く、全体的にきちんと整っていた。

 エリスが小さく頷く。


 「はい、そうです。」

 「ではあなたがエリス・インベルさんですね?」

 「はい。」

 「私はあなたのお父上様である、メルレアン男爵家の執事テュッセン・インベル様からの使いで参りました。」

 「…父からの?」


 途端に嫌な予感がする。エリスはさっきまでの明るい声を低く落としてターヴィンの言葉を待った。本当は何も言わずにこのまま帰ってほしい。


 「はい。詳しい事情は知りませんが、本日より五日以内に家に帰ってくるように、そしていつ会えるか分からないので二、三日は実家に泊まるように、との事です。」

 「五日…それはまたずいぶん急な話ですね。それよりどうしてここが分かったんですか?」

 「あなたの元夫であるルーカス・レイドさんに聞きました。それでは確かにお伝えしましたので、私はこれで失礼します。」

 「あ…はい、わざわざありがとうございました。」


 軽く会釈をして軽やかに立ち去る背中を見送り、溜息をつく。無駄が嫌いな父親がわざわざ期限を設けてまで帰らせるという事は、確実にエリスに会わなければならない事情があるという事だ。それだけで気が滅入ってしまう。ルーカスにはきつく口止めしておけば良かったと、今さらながら後悔した。


 ----やだな…。でも帰らないとご主人様に迷惑がかかるかもしれないし…。


 エリスは裏に回って家の中に入り、買い物カゴを片手に家を出た。


*


 カタンと扉を開ける音がして、エリスはいつも通りに玄関へ向かった。


 「お帰りなさいませ。」

 「ただいま。」


 エリスは両手を差し出してマントを受け取り、ディルターの寝室に掛けに行った。恋人役を終えてからしばらくの間は挨拶時のハグをする習慣が抜けず互いに両腕を広げていたが、その癖もすっかり抜けて元通りになっている。


 ----今日中に話しておいた方が良いわよね。


 ディルターが湯浴みを終えて食事につき、落ち着いた頃を見計らってエリスは静かに口を開いた。


 「あの、ご主人様。お話があるのですが。」

 「うん?どうした、改まって。」

 「実は今日、父の使いの方がここに来たんです。」


 ディルターは口元に寄せていたカップをテーブルに戻してエリスを見つめた。明らかにエリスの表情が沈んでいる。


 「お父上の?何かあったのか?」

 「それが、二、三日実家に帰ってこいと言うんです。使いの方も詳しい事は分からないと言ってました。あと、私がここにいる事はルーカスから聞いたそうです。」

 「そうか…で、帰る日は決まってるのか?」

 「五日以内に帰ってこいとの事ですが、まだ決まってません。」


 エリスは一旦そこで言葉を切り、ディルターの反応を窺った。実家のあるミントンは乗合馬車ですぐに帰れる距離にあるが、主人の予定を無視するわけにはいかない。それも五日以内という期限付きだ。もしディルターに外出する予定があり、エリスが留守にできない状況なら断る口実になるかと期待したが、その期待は外れてしまった。ディルターが小さく頷いている。

 エリスは心の中で肩を落とし、話を続けた。


 「ですので申し訳ありませんが、その間留守をさせて頂きたいのです。」

 「まぁ…お父上の呼び出しなら応じないわけにはいかないだろう。その日は俺が送っていくよ。」

 「いえ、ご主人様のお手を煩わせるわけには参りません。荷物もありますし、乗合馬車に乗って行きますので大丈夫です。」

 「ダメだ。誰が一緒に乗ってるかも分からない馬車になど乗せられない。せめて俺が用意した馬車に乗っていけ。護衛も付ける。」


 ディルターは有無を言わせない物言いでエリスを見つめ、エリスが頷くのを確認してから少しだけ口角を上げた。


 「分かりました。ご主人様のご厚意に感謝致します。よろしくお願い致します。」

 「馬車と護衛は宿屋で待機させるから、帰る時はその者に声をかけるように。」

 「そんな、そこまでして頂くのは…」

 「俺が心配なんだよ。俺の為にそうしてくれ。」

 「はい、分かりました。」


 エリスは素直に礼を言って食事を始めた。本音を言えば、乗合馬車で往復したい。なぜなら騎士団のプレートが付いた馬車など、田舎では嫌でも目立ってしまうからだ。


 ----って言っても、聞いてくれないわよね。


 エリスは目の前の男に気付かれないように小さく息をつき、ちぎったパンを口に入れた。


*


 エリスがミントンの実家に帰ったのは、ターヴィンが訪ねてきた日の三日後だった。朝早くに出発して実家から離れた場所に停めてもらい、玄関の前に着いたのが正午を少し過ぎた頃。乗合馬車に比べて速く楽に移動できた。

 扉を強めにノックして一歩下がって待っていると、すぐに母親のヴェラが出てきた。


 「エリス!お帰りなさい、無事で良かったわ。」

 「ただいま、お母さん。二人共元気にしてた?」

 「えぇ、私達は元気にしてるわ。さぁ、はやく入って。すぐにお茶を淹れるわね。」


 ヴェラは扉を閉めて軽い足取りでキッチンへ向かった。エリスはその背中を見ながら荷物を部屋の隅に置き、椅子に腰掛けた。


 「ありがとう。お父さんは?今日はここに戻ってくるの?」

 「あなたがいつ帰るか分からないから毎日帰ってきてるの。だから今夜も帰ってくるはずよ。」

 「そう。それなら今夜話を聞いて、明日には帰れるわね。」

 「そんなにすぐに帰らないといけないの?」

 「家政婦だから、長いこと家を空けるわけにはいかないのよ。」


 そこで一旦会話が途切れ、沈黙が落ちる。エリスはふと気になってキッチンに目を向けると、ちょうどティーセットを運ぼうとする母親が目に入り、慌てて駆け寄った。足元がフラフラしている上に手元が危ない。


 「お母さん、運ぶのは私がするわ。座ってて。」

 「あら、ありがとう。」


 エリスはヴェラからトレイを受け取り、テーブルへと運んだ。カップを並べて茶を注ぎ入れ、ティーポットの横に置いてある焼き菓子とカップをヴェラの前に置いてから対面に座った。


 「ねぇ、エリス。その家政婦の仕事なんだけど、以前ここに来られた騎士様のお世話をしているそうね。」

 「えぇ、そうよ。」


 エリスはカップに口を付けながら溜息をついた。すでにある程度の事はルーカスから聞いているようだ。


 「その騎士様とはどういう関係なの?まさか恋人同士なんて事は…」

 「無いわよ。何を聞いたか知らないけど、私はただの家政婦。それ以上でも以下でも無いわ。馬鹿な事言わないでよ。」

 「じゃあ、お付き合いしている人は?」

 「それもいない。興味無いもの。」

 「じゃあ今は特定の人はいないのね?ルーカスと別れてもう一年も経つから気になっていたのだけれど…あぁ良かった。それなら話は早いわ。」


 ----『良かった』?


 エリスはカップを持つ手をピタリと止めて母親を見た。ヴェラはホッと胸を撫で下ろしたような顔で茶をフゥフゥと冷ましている。それ程息を吹きかけていないのにうっかり啜ってしまったせいか、熱そうに顔を顰めてカップを置いている。そこまで見て、ようやくハッと気が付いた。嫌な予感はこれだったのだ。


 ----しまった!そういう事だったのね!?


 途端に感情が手に伝わったかのように乱暴にカップを置く。ヴェラは突然ガチャンと鳴った音に軽く肩を震わせ、娘を訝しげに見つめた。それをジロッと睨み返す。


 「どうしたのよ。手を滑らせたの?」

 「お母さん…もしかしてその『話』って、縁談とかじゃないわよね?もしそうなら私帰るわ。」

 「ちょっと何言ってるの。とても良いお話なのよ?せめて話を聞くだけでも…」

 「良かろうが悪かろうが、私はもう二度と結婚はしません。帰ります。」


 エリスはガタンと椅子を押し退けて立ち上がり、荷物を持って玄関へ向かった。その後ろからヴェラの立ち上がる音が聞こえてくる。


 「待ちなさい!父親の顔に泥を塗る気なの!?」

 「私はすでに泥だらけの娘よ?そんな娘を紹介しようとしたんだから自業自得よ。」

 「なんて事を…彼がどれだけあなたを想っているか知りもしないで!」

 「知りたくもないわ。散々嫌だと言っているのに無理矢理結婚させたくせに!やっと別れたのにたった一年で再婚しろ!?」

 「え…」

 「もうやめてよ!これ以上私の人生に口出ししないで!!」

 「エリス!待っ…」


 バタンと閉まる扉の音が、ヴェラの声を断ち切った。

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