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 ラントルとエリスは馬に乗り、郊外にある庭園へと向かった。春の盛りを喜んでいるように色とりどりの花が庭一面に咲き乱れ、空気そのものが花の香りを含んでいる。たった一呼吸で胸の奥まで清められそうな気がして、エリスはさっそく胸いっぱいに空気を吸い込んだ。


 「はぁ…なんて良い香りかしら。マーカー様、素敵な場所に連れてきて下さってありがとうございます。ここへはよく来られるんですか?」

 「いや、前に商売女から聞いてたのを思い出しただけだ。俺も来たのは初めてだな。」

 「それを仰らなければ良いお話で終わりますのに…。」

 「良いお話にする必要なんて無いだろ。この場所が美しい事に変わりはないんだ。」

 「確かにそうですね。」


 小さな白い花が咲く生垣に沿って歩き、行き止まりにある分かれ道の前で立ち止まった。どちらを通っても後でまた合流して一本道になるようだ。ラントルはチラとエリスを見下ろし、親指を分かれ道に向けた。


 「エリスちゃんはどっちに行く?」

 「右に行きます。」

 「お、即決か。じゃ俺は左だな。」

 「違う道を歩くのですか?」

 「あぁ。急ぐ必要はねぇし、先に向こうに着いた方が待ってりゃいい。じゃあな。」


 ラントルはそう言って手をヒラヒラさせて歩き去り、エリスはその背中を横目に小さく息をついて右側の道を歩いた。分かれ道から、生垣の小花が白から薄青色に変わっている。小さくても香りが強い品種なのか、顔を近付けなくても良い香りが漂ってきた。


 ----向こうは何色かしら。あとで聞いてみよう。あ、今度は逆を歩いてみるのも良いわね。


 ゆっくり歩いたつもりでも、それ程道は長くなかったのかあっという間に合流地点に着いた。エリスは立ち止まり、首を伸ばして待ち合わせの相手を探すが、その相手がどこにもいない。


 ----おかしいわね。マーカー様の方が先に着いてると思ったのに。とりあえず待ってようかな。


 待っている間もキョロキョロと周りを見渡してみるが、まったく気配がない。ラントル程の巨体と威圧感の持ち主が花盛りの庭園にいて目立たないはずはないのにと首を傾げたところで、ふと、瞼に影がかかって目線を上げた。目の前には身なりの良い若い男がにこやかな笑顔を浮かべて立っていた。


 「こんにちは、お姉さん。お一人ですか?」

 「いえ、夫と来てます。」

 「あー…なる程、そっか。それじゃ。」


 男からの誘いをピシャッと断り、溜息をつく。マット・グラーシュを辞めてから男に声をかけられる事は無くなったが、相変わらずの一筋の隙も与えない断り方にはエリス自身も苦笑した。染み付いた癖はもうしばらく抜けそうにない。


 その苦笑する顔が引き攣り出したのは、このやり取りを三回繰り返した時だった。少し前に合流地点からの一本道を進んだ男女が戻ってきたところを目にしたのだ。エリスはそれを見てようやく異変に気が付いた。かれこれ三十分以上は待たされている。


 ----さすがに変だわ…どういうこと!?


エリスはラントルが歩いた道の方へ行き、そのまま進んで最初の分かれ道の場所に戻った。さらに小走りで一周してみたが、やはりラントルの姿がどこにも無い。


 ----嘘…まさか置いて行かれた?どうして?


 途端に心臓がバクバクと音を立て始める。目的地も分からず馬に乗って連れてこられたせいで帰り道が分からない。しかも無一文なので馬車にも乗れない。そもそも本当に帰ってしまったのかも分からない。


 ----どうしよう。とにかく先へ進んでみようかしら。


 合流地点から奥へと続く道をチラと見る。エリスが躊躇いがちに一歩踏み出すと、後ろから声をかけられて振り向いた。身なりの良い若い男が、今度は呆れた表情でエリスを見下ろして立っていた。


 ----この人、最初に断った人じゃないかしら。


 「お姉さん、やっぱり一人なんでしょ?さっきから誰も来てないみたいだし。」

 「見てたんですか?」

 「どうしても気になってね。さっきは誰かを探してたみたいだけどいなさそうだったし、また声をかけたんだよ。」

 「そうですか。でも人を待っているのは本当なので。」

 「またまたぁ。ね、いいじゃん、行こうよ。お腹すいてない?」

 「すいてません。食事はお一人で行って下さい。」

 「いいね、そういうツンツンした女性は大好きなんだ。ますます一緒に」

 「へぇ、気が合うじゃねぇか。俺もツンツンした女は好きだぜ。」

 「いたい…え?」


 エリスが押し潰すような低い声に目線を上げると、探していた大男が頭上から若い男を覗き込んでいた。若い男は振り向きざまにヒュッと喉を慣らして後ずさり、みるみる肩を縮こまらせていく。側から見れば大岩と小石ぐらいの体格差があった。


 「ひっ!?」

 「俺のツレになんか用か?あぁ?」

 「マーカー様!」

 「へ!?ほ、本当にいたの!?」

 「わりぃな、待ったかい?」

 「どこに行かれてたんですか?急にいなくなってしまわれるなんて…」

 「すまんすまん。でも俺からはエリスちゃんが丸見えだった…っと、その前に。おい坊主、とっとと失せろ。」

 「は、はい!さようならぁぁっ!!」


 ラントルはただチラと見下ろしただけだった。しかし若い男の目にはそれが獲物を狩ろうとする猛獣に見えたのか、声にならない悲鳴を喉の奥で鳴らして慌てて立ち去った。


 「置いていかれたのかと思いました。」


 エリスは逃げた男の後ろ姿を横目に、ラントルに向けてポツリと呟いた。連れてきておいて放置するなど、文句の一つでも言わなければ気が済まない。しかし当の大男は全く悪びれることもなく、腕を組んでニヤニヤと笑っていた。


 「ほぉ、だからあんなに必死で俺を探してたのか?」

 「そうです。どこにもおられないので…って、丸見えってどういう事ですか?どこかにいらしたのですか?」

 「ちょっと驚かそうと思って隠れてたんだ。そんな事よりエリスちゃんてモテるんだな。」

 「女が一人でいればとりあえず声をかける、という男性が一定数いるだけです。」

 「ハハ、俺もそっち側の男だ。…ま、そりゃあ家ん中に囲っときたくなるわけだ。」

 「はい?」

 「いや、何でもねぇ。せっかくだし歩くか。」


 ラントルはニッと笑い、合流地点から先へ続く道を親指でクイとさした。エリスは素敵な庭園の散策に誘われたとは思えない無骨な仕草に思わず吹き出し、クスクスと笑いながら小さく頷いた。終始いい加減な態度に呆れはするが、不思議と不愉快さを感じない。


 肩を並べて奥へと進むにつれて、分かれ道に咲いていた薄青色の花の優雅な香りが薄れていく。小川に架けられた小さな橋を渡り、飛び交う蝶の舞を目で追っていると、ラントルが突然何かを思い付いたように口を開いた。


 「なぁ、もしいなくなったのがアイツだったらもっと必死に探してたか?」

 「アイツ?」

 「ディルターだよ。ここに一緒に来たのが奴だったらどうしてた?」

 「さっきと同じように待っていたと思います。」

 「探しには?」

 「状況によっては探します。お命に関わる事があってはいけませんから。あ、でも…うーん…」


 エリスは言葉を切り、口元に手を当てて(くう)を見つめてウンウンと考え込んだ。あれも違う、これも違うと首を傾げる。


 「うん?どうした?」

 「すみません、想像できないんです。ご主人様は絶対に私を置いて隠れたり帰ったりしないと思うので、『その時はこうします』というのが無いというか…。」

 「ほーん、それ程アイツのことを信頼してんのか。」

 「はい、とても信頼しています。」

 「アイツの事好きなのか?」

 「好きですよ。」

 「あっさり言ったな。それは男女の意味でか?」

 「違います。そんな畏れ多い…」

 「はぁ?好きって気持ちに畏れも身分もあるかよ。」

 「あります。ご主人様はいずれご自身に相応しい素敵な女性を迎えられるのですから、変な事を仰るのはおやめ下さ…あっ!」


 エリスの背に男の肩がドンッとぶつかり、身体がグラリと前のめりになる。突然の事でバランスが取れず、勢いよく倒れそうになったところをラントルの大きな手で支えられた。


 「っと…大丈夫か?」

 「はい、ありがとうございます。」


 もう体勢は持ち直したというのに、エリスの両肩にはラントルの手が乗ったままになっている。


 「…あの、もう大丈夫ですので手を離して下さいませんか?」


 ズドドドドドド…


 「いいからいいから。ちょうど来たみてぇだから、もうちょっとだけこのままな。」

 「はい?誰がですか?」

 「誰って、そりゃあ…」

 「ラントルッ!!エリスさんから手を離せッ!!」


 庭園中にディルターの雄叫びが響き渡る。エリスは驚きのあまり目を見開いて振り返ったが、ディルターはすでにエリスの腕を引いて背中に隠し、二人の間に立っていた。何が起こったのか分からないまま、相変わらずの獣のような素早さに息を呑む事しかできない。


 「いい加減にしろ!受付で俺に伝える時間を指定したのはこれが理由か!?」

 「そうカッカすんなよ。二時間後にお前に伝えるようにって言い付けただけじゃねぇか。エリスちゃんには何もしてねぇから安心しろ。」

 「お前…!」

 「あー、うるせぇ奴が来たから俺はもう帰るぜ。」

 「待て!まだ話は終わってな…なッ!?」


 立ち去るラントルの背中に伸ばしたディルターの腕はトンと弾かれて軌道がそれ、瞬く間に肩をガッチリと固められた。そして抵抗する間もなくグイッと引き寄せられ、ディルターの耳元に低い声が囁いた。


 「何す…」

 「あのなぁ、お前を見てるとまどろっこしくてイライラすんだよ。いつまで彼女をこのままにしておくつもりだ?」

 「はぁ?」

 「今日だってそうだ。俺がちょっと声をかけたらあっさりついてきた。これがもし下心()()無い男だったら今頃どうなってただろうなぁ。彼女は男の誘いには決して乗らないが、知り合いの男に対する危機感はまるで足りねぇ。ま、それは彼女を雇っているお前が一番よく分かってるだろうが…」

 「…。」

 「とにかく()()()()にゃ彼女を怒る資格も、俺を非難する資格も無い。分かるだろ?」


 ラントルはパッと手を離し、フンと鼻を鳴らしてディルターを見下ろした。


 「慎重なのはお前の良いところだが、うかうかしてっと横から掻っ攫われるぞ。今日だって、たった数十分で何人の男に声かけられたと思ってんだ。」

 「うるさい!お前に言われなくても分かっている!」

 「可愛くねぇなぁ。やっぱキスぐらいしときゃ良かったか?」

 「冗談でもそういう事を言うな。幼馴染だから我慢してやってるという事を忘れるなよ。」

 「はいはい、おー怖。そんなに大事ならちゃんと繋ぎ止めとけっつーの。」


 ラントルはディルターを横目に見ながら通り過ぎ、エリスの前で立ち止まった。まだ状況が掴めていないのか、キョトンとした表情を浮かべている。ラントルは腰を屈めてエリスの手を取り、ニッと笑いかけた。


 「今日は楽しかったぜ。今度はちゃんとデートしような。」

 「おい!」

 「フフ、そうですね。」

 「エリスさんまで…」

 「アイツがうるせぇから俺は先に帰るよ。じゃあな。」


 そう言って、手の中にある小さな手にキスをする。ラントルは目をむき口をパクパクとさせるディルターに向けてフフンと口の片端を上げ、勝ち誇ったように立ち去った。

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