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 「私は…子供の頃から結婚だけはしたくないと思っていました。誰とも結婚せず、死ぬまで一人で生きていこうと決めていました。」


 心臓の音がドクドクと鳴り、胸を締め付けてくる。

 今まで誰にも言えなかった事。それなのになぜかディルターには話したかった事。しかしいざ口にするとなると、緊張で唇と指先が震えて声がもつれた。


 「なぜ?」

 「結婚は、女を監獄に閉じ込めるようなものだと思っていたからです。父は一年のほとんどをメルレアン家のお屋敷で過ごしているので、母はいつも一人で家に残されていました。母は自由に外出することも許されず、働きに出ることも許されなかった。唯一許されたのは家事と育児のみでした。」

 「だから監獄だと思ったのか。」


 エリスは頷き、一呼吸置いてから続けた。


 「そんな生活なので母には友人と呼べる人は一人もいなくて、近所の方と軽く世間話をするぐらいしか他人との交流がありませんでした。両親は子供の目にも夫婦仲が良いようには見えず、父はたまに帰ってきては母を叱りつけ、私達子供のところへ来ては跡継ぎである兄だけを可愛がり、私や妹の方はほとんど見ようとしませんでした。」

 「それはつまり…女性を軽く見ているという事か?妻や娘にだけ冷たかったのか?」


 エリスはもう一度頷き、目を伏せた。自由の身になった今ではもう関係の無い事だが、それでも当時の事を思い返しては悔しくて目元を潤ませる日はあった。


 「はい。父はよく…娘は成長したらどこかへ嫁いでいくので、家に残る息子を可愛がるのは当然の事なんだと兄に言っていました。隠れて言うならまだしも、私達娘の目の前で言うものですから聞いていない振りもできなくて。」

 「なんだそれは!それが親のする事か!?」

 「親として正しい行いだったかどうか、という意味ですか?であれば私にはそれが普通でしたし、親とはそういうものだと思ってましたから、当時の私にとっては『正しい行い』でした。」

 「…。」

 「父は、私や妹には『女は結婚して、子を産み育て、子を世間に出してようやく一人前になれるんだ』としか言いませんでした。だから半人前の母はいつも父に怒られているのだと、子供心に納得していました。そして同時に、結婚したら自分にもこんな生活が待っているのかと背筋が凍る思いをしていました。」

 「…。」

 「私とルーカスの縁談が持ち上がったのは私が十七歳、ルーカスが十八歳の時でした。と言ってもまだ持ち上がっただけで、その時はまだ決定ではなかったんです。ルーカスはまだ跡継ぎとしての教育を受け始めたばかりで家庭を持つには早すぎましたから。」


 エリスはディルターのカップが空になっている事に気が付き、そこで一旦言葉を切った。茶の用意をしにキッチンへ行こうとしたが、ディルターに『要らない』と優しく制されてソファに座り直した。


 「結婚の話が再び出たのは、私が二十一歳の時です。でもその時にはすでにルーカスにはミネリアという恋人がいました。」

 「ミネリアって…そうか、今の妻は元は恋人だったのか。」

 「はい。私達の縁談は、元々ルーカスの父親が強く望んでいたものだと聞きました。つまり、二人は絶対に認めて貰えないという事です。」

 「まぁ、そうだろうな。」

 「彼らは悩み苦しんだ末に、駆け落ちする道を選びました。でもそんな事をしたって辛い人生が待っているだけです。ですから私は彼らを引き留め、彼らにある提案をしました。駆け落ちする覚悟があるのならやってみないか、と。」

 「それが偽装結婚か。」

 「はい。」

 「それは具体的にどういうものなんだ?」

 「三年間だけ夫婦として過ごす、というものです。もちろんそれは形だけで、中身は幼馴染のままです。」


 ----ルーカスの言っていた通りだ。


 ディルターは頷き、同時に疑問が思い浮かんで先に口を開いた。


 「でもそれで何が解決するんだ?ただ離婚しただけじゃ君にまた縁談が来るかもしれないし、彼らが結婚できる保証も無い。」

 「もちろん単に離婚するだけではありません。離婚した後、私には縁談が来ないようにしなければなりませんし、二人が結婚できるようにしなければなりませんから。」

 「そうだよな。そうじゃないと意味が無い。」

 「私達はこの計画を実行するにあたって、互いに約束しました。離婚が成立し、二人が結婚するまでは絶対に口外しないことと、三人共が傷付く覚悟で臨むことを。その代わり何があっても互いに助け合おうと。」

 「何をしたんだ?」


 不謹慎だが、ここまで聞いたら好奇心が出てくる。ディルターは身体を少し前に倒して両手を組んだ。


 「まず、私とルーカスは仲睦まじい夫婦として過ごします。ルーカスとミネリアは最初の一年は一切会わないようにします。でも二年目から徐々に隠れて会う機会を増やしました。」

 「浮気をしているように見せたという事か?」

 「はい。そして三年目に入った頃から私達夫婦の仲は冷え切り、ルーカスは愛人にのめり込んでいきます。できれば三年の期限を迎える頃には愛人との間に子が宿っていればいいと思っていたのですが、幸いその通りになりました。」

 「つまり…ルーカスは家庭を壊した浮気者で、ミネリアは妻から夫を奪った女という事か。で、君は?君は『夫に浮気された妻』になるのが目的だったのか?」

 「いいえ、私は…夫に冷たく、子ができない身体の妻。いわゆる石女です。」

 「なっ!?」


 ディルターの驚きとも呆れとも取れる声が胸に刺さる。何も知らない両親に子ができないと言った時よりも、今の方がずっといたたまれない。エリスは目を伏せ、重ねていた両手をギュッと握り締めた。


 「私の父が常々どう言っていたか覚えていますか?女は子を産み、育ててこそ一人前になれる…。父にとって女は子が産めなければ価値が無いんです。でも私達の間には何もないので、当然子はできません。」

 「じゃあ…今後縁談が来ないようにする為に、自ら侮辱の言葉を背負ったというのか?そんな事をしたら縁談が来ないだけじゃ済まないんじゃないか?」

 「はい。確かに…両親よりも周囲からいろいろ言われましたが、それは最初に覚悟していた事でしたから。それにルーカスもミネリアも同じです。それぞれが周囲から心無い事を言われました。でも最終的に私達の目的は達成できたのでそれで十分なんです。」


 静まった部屋にディルターの溜息が落ちる。エリスと両親との間に見た違和感の理由が、幼い頃からの心の傷が重なったものだとは思わなかった。


 ----たくさん傷付いてきた、か。ルーカスが言っていたのはそういう事だったのか…。


 チラとエリスに目を向けると、エリスはディルターに視線を戻していた。エリスもまた、スッキリとした表情を浮かべている。


 「これで全てです。最後は町を出ることになりましたが、おかげで自由になりました。私が住んでいた部屋も仕事もルーカスが用意してくれたものなんです。この前のお金も、女が一人で生きていくのを心配しての事なんです。町を出た私よりも、残る自分達の方が大変なのに…」

 「…。」

 「馬鹿みたい…ですよね。ここまでするなんて…」


 再び静まる空気に話した事への安堵と後悔が同時に押し寄せる。何か言わなければと次の言葉を探して肩を縮めていると、低い声がエリスの耳に優しく届いた。


 「どこが馬鹿みたいなんだ?君は自由を得る為に三年間もの間戦い続け、自らの名誉すら犠牲にして最終的にそれを勝ち取った。俺達が戦場で戦うのと理屈は同じじゃないか。俺達が馬鹿に見えるか?」

 「まさか!そんな事思いもしません!」

 「自由を得るという事は口で言う程簡単な事じゃないし、綺麗事で成せるものじゃない。心身に傷を負い、大事なものを捨てる覚悟のある者だけが得られるんだ。」

 「…。」

 「君は良く頑張ったと思う。俺としては今のこの状況が、君が得たその自由を脅かしていないかどうかが心配なんだが…」

 「それは大丈夫です!むしろ雇って下さった事には感謝しています!」

 「そうか、それなら良かった。俺も君にはずっとここにいてもらいたいから、それを聞いて安心したよ。」

 「えっ…」


 ----まっ、またっ、そういう事をサラッと…!!


 ドキドキと心臓がうるさい。

 この男はもしかしたら天然タラシなのだろうか。

 そうだとしたら、これから先が思いやられる。


 ----先…この先も、ずっと…


 「さて、そろそろ食事にしようか。腹が減った。」

 「はははい!そうですね!」

 「どうした?」

 「何でもありません。すぐに用意しますので、それまで寛いでいて下さい。」


 分かった、と言って微笑むディルターに頭を下げ、エリスは足早にキッチンへ向かった。

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