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 買い物をしながら露店のものを食べ歩き、家に着く頃には夕方になっていた。

 エリスはディルターから夕食用に買った惣菜と酒を受け取り、テーブルに置いて部屋の灯りをつけて回った。


 「すぐに湯浴みの用意をしますね。」

 「いや、今日は身体を拭くだけでいい。」


 ディルターは剣を外してソファに座り、足元で火鉢に火をつけているエリスを見つめながら続けた。


 「それより君と話をしたいから、二人分の茶を淹れてくれるか?」

 「はい、分かりました。」


 エリスは立ち上がり、キッチンへ行って火をおこした。茶葉の入った袋を取り出し、匙ですくってティーポットに入れる。湯が沸くまでの間に夕食用のサラダだけでも用意しておこうとしたが、やめた。さっきからずっと指先が震えているせいで包丁が持てない。


 ----きっと今朝の事についてよね。どう考えても私達の関係はおかしいもの。


 数日前にルーカスがエリスを探してディルターの家までやって来た。その行動には正直驚いたが、それはルーカスにちゃんと行き先を連絡していなかった自分が悪いのだと自分に言い聞かせた。その一方で、なぜルーカスに自分の行動を細かく報告しなければならないのか、いつまでこんな状態が続くのかと疑問を感じていた。


 そう思っていた時にディルターが偶然帰ってきて二人でいるところを見られてしまったのだ。ディルターの態度から、ルーカスの訪問を快く思っていないという事はエリスにも分かっていた。マット・グラーシュの店先で会うのとはわけが違うのだ。使用人の元夫が元妻に会う為に自宅に来るなど、不快でしかないだろう。

 それなのに、あろうことかルーカスはディルターの前で『また来る』と言ってしまった。


 ----そこへ子供への贈り物だもんね。はぁ、迂闊だったわ…。


 ティーセットをテーブルへ運び、零さないよう慎重にカップに茶を注ぎ入れ、音を立てないようにディルターの前にゆっくりと置いた。しばらく互いに無言のまま茶を啜っていると、ディルターが静かに口を開いた。


 「俺には妹がいるだろう?」

 「はい。」


 ディルターにはスドナという名の妹がいる。二十四歳、三児の母だ。


 「スドナは昔からやんちゃで腕っ節が強くて、しょっちゅう同じ年頃の男の子と揉めては喧嘩してたんだ。そして必ず相手を泣かせていた。」

 「お転婆だったんですね。」

 「両親や周りの大人がどんなに怒っても、本人は『私にも騎士の血が流れてるのよ』と言って一向に直そうとはしなかった。しかしある日のある事がきっかけで、スドナは突然乱暴な行為を一切しなくなった。」

 「ある事?」


 ディルターは頷き、続けた。


 「あるパーティーで、一人の少女と出逢ったんだ。その少女はスドナの四つ年下の子でな。スドナはずっと妹が欲しいと言っていた事もあって、二人はすぐに仲良くなった。ところがそのパーティーにはスドナの喧嘩相手も来ていて、いつも通り二人は喧嘩を始めたんだ。その子の目の前で。」

 「いつも通りという事は、本当に仲が悪かったんですね。」


 そうだな、と苦笑するディルターにつられて、エリスも控えめに笑った。本当は仲が良い事の裏返しだという事ぐらい誰にでも想像できる。ディルターは一口だけ茶を口に含み、表情を元に戻した。


 「最初は口喧嘩。次は押し合い。最後は叩き合い。男の子の方はさすがに手加減していただろうが、スドナは始終本気だ。この時もいつも通りの流れで終わるはずだったんだが、予期せぬ事が起こった。男の子がスドナを捕まえようと腕を伸ばした時に、その少女が妹を庇って倒れてしまったんだ。」

 「まぁ…」

 「幸い少女は転んだだけで大した怪我は無かったんだが、倒れたショックで大泣きしてな。妹はそれがショックで、二度と喧嘩はしないと少女に誓ったんだ。騎士のように。その少女がレリアンナ。俺の婚約者だ。ちなみにその時の喧嘩相手の男の子は、今は俺の義弟になっている。」

 「まぁー!なんだか素敵なお話ですね!」


 幼い頃から喧嘩ばかりの男女が成長して夫婦になる。

 恋愛話にはもってこいの題材は、妄想癖のあるエリスの乙女心を否応無くわし掴んだ。そしてその少女が兄の婚約者になるという展開も今後の糧になりそうだと心のメモに書き記した。


 「俺とレリアンナの婚約は、彼女が十八になった年…二年前に決まった。妹と仲が良かったから家同士も自然と仲良くなってな。俺とは相当歳が離れているが、俺の兄よりはマシだという理由だけで決められた。」

 「そうですか…。でも、幼い頃からのお知り合いなのでしたら、お相手がどんな女性かはご存知なんですよね?それだけでも…」

 「まぁ…確かに貴族同士の婚姻は挙式前に数回会えれば良い方で、一度しか会わなかったとか、式当日が初対面だったとかはよくある。でも俺の場合は、彼女の事を知り過ぎて逆に妻にするとか考えられないんだ。」

 「え?それってつまり、ご主人様は婚約者様と結婚したくない…という事ですか?」


 ディルターがコクリと頷く。まさかの展開に言葉が思い浮かばず、エリスは黙ったまま目の前の男を凝視した。と言うよりは、突然『婚約者と結婚したくない』と打ち明けられてどう応えれば良いのか分からない。しかし男の眼差しから話を聞いて欲しそうな雰囲気を察して、とりあえず聞いてみる事にした。


 「あの…差し支えなければ、どうして嫌だと思われたのかを聞いてもよろしいですか?」

 「簡単に言えば女として見られない。今でこそ大人になったが、こっちはこんな小さな時から見ているし、妹と遊んでいる時は二人のお守りもしていたんだ。」


 ディルターのゴツゴツとした右手が少女の背丈を示している。二、三歳ぐらいの子の背丈だ。という事は、当時ディルターは十歳前後だったという事になる。その口振りから、歳の離れた妹が一人増えたぐらいの感覚だったに違いない。

 ディルターはエリスが納得したように頷くのを見て言葉を続けた。


 「俺と彼女が一緒に遊ぶ事は一度も無かった。その後もたまに顔を合わせる事はあったが、俺は彼女を妹の親友ぐらいにしか思ってない。それに妹が言うには彼女も俺の事は親友の兄ぐらいにしか思ってないし、自分達は無二の親友であって義姉妹になりたいわけではないそうだ。」

 「なるほど、お互いにこの縁談には乗り気ではないんですね。」

 「そう。俺は父にレリアンナと結婚するつもりは無いと何度か言っていたんだ。でも実際に婚約を解消したわけじゃないから、つい先日実家に手紙を送った。もちろん内容はレリアンナとの婚約を解消する、というものだ。」

 「解消して下さい、じゃなくていいんですか?」

 「レリアンナの結婚適齢期を考えればこれ以上ズルズルと引き延ばすわけにはいかないから、決定事項のように伝えたんだ。近いうちに何か言ってくるだろうから、その時は一度実家に帰るよ。」

 「そうですね。今二十歳でしたらその方が良いかもしれません。何事も無く解決すれば良いですね。」

 「そうだな。さて…」


 ディルターはカップの茶を飲み干し、深く息を吸ってゆっくりと吐き切った。そして真っ直ぐにエリスを見つめる。その眼差しは真剣で、その表情はずっと縛られていたものから解放されたようにスッキリとしていた。


 「俺から先にプライベートな話をした。次は君の番だ。」

 「あ…はい、ルーカスの事ですよね。」

 「そうだ。なぜ彼と偽装結婚なんてものをしたのか聞かせてくれ。」

 「えッ!ご存知だったんですか!?まさか…ルーカスが?」

 「あぁ。君を実家に送った日にな。でも詳しくは聞いていない。それで…この前みたいに彼が君の元へちょくちょく来るのはそれが原因か?」


 さらにエリスをジッと見つめる。深い濃碧の瞳の奥に小さな火が揺れているように見えるのは気のせいだろうか。なぜか今はこの瞳を見つめ返す事ができず、エリスは目を伏せて頭を下げた。


 「…はい。あの日はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。」

 「話してくれるな?」


 エリスは小さく頷き、ポツポツと話し始めた。

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