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 灰色の景色に大粒の雪が姿を見せ始めた頃。フェルデラン館の会議の間では年末年始の活動について最終確認が話し合われていた。主な話題は、新年のお祝いムードで盛り上がる街の警備の強化についてだ。街の自警団と連携しつつ確実に起こる面倒事を想定して各所に警戒網を張る。その一方で各自の僅かな休暇も確保しなければならないので、会議は朝から昼を大幅に過ぎた頃まで続いた。

 ようやくある程度の話がまとまり、あとは各隊長の采配に任せるというところで会議が終わった。


 ディルターは団長室に戻り、ソファに腰を下ろして重い溜息をついた。ここトレンタに来てまだ半年と少し。この街に赴任して一か月後にエリスと出逢った。知り合ってまだ五か月しか経っていないが、もう随分前の事のように感じる。


 そう考えればまだ互いについて知らない事が多々あってもおかしくは無いのだが、ディルターにはエリスについてどうしても気になる事があった。しかしそれをエリスに直接聞くのはまだ早い事も自覚している。自覚は不満になり、動けないイライラだけが募っていった。


 無意識に険しい表情になっていたのだろうか。マーシャンは上司への報告より先に、一息つく時間のお供に爽やかなミントの香りがする茶を用意した。マーシャンは性格はドライだが、こういうきめ細かい気配りができる男だ。というより、スムーズに物事を進めるにはディルターの周りのトゲを落とした方が効率的だと知っているのだ。

 そしてマーシャンの狙い通り、ディルターは茶を飲み干す頃には少し機嫌が回復していた。


 「団長、先程ご実家への手紙を届けに行った部下が戻ってきました。団長の指示通り、執事に直接手渡したとの事です。」

 「そうか。」

 「ところでエリスさんは実家に帰られるんですか?」

 「いや、帰らないそうだ。」

 「そうなのですか。それは団長としては嬉しい事ですね。そういえば、団長は一度行かれた事があるんですよね?」

 「あぁ…」


 ディルターはソファにもたれ、溜息混じりに返事をした。

 エリスをミントンにある実家へ送ったのは、マーシャンが休暇という名の自宅謹慎を言い渡されていた時だった。あの日はディルターもエリスの両親であるインベル夫妻と顔を合わせる事になったのだが、親子三人の間に流れる空気がどこかギクシャクしている印象を受けた。


 そこへ、今朝の会話だ。

 いつもの朝食の時間にふと思い立ち、対面で食事をするエリスに聞いてみた。


 「エリスさん、もし実家に帰る予定があったら早めに言ってくれ。」

 「あ、実家には帰りません。」

 「え?帰らないのか?」

 「はい。帰っても特にする事はありませんし。」

 「そうか、分かった。」


 あまりにあっさり言うので流しかけたが、つまりは帰るのは用がある時だけで、互いの顔を見る為だけに帰る事は無いという事だ。ディルターはそれ以上何も言わずに黙って食事を口に運んだ。しかし頭の中はそうはいかない。まるで白熱した議論バトルのように激しく言葉が飛び交い、ディルターの胸の奥にモヤモヤを溜めていった。


 ----帰らないのは離婚した事と何か関係があるのか?


 「ご主人様はずっとお仕事ですか?」

 「え?あ…いや、交代で二日間休みを取る。俺は最後だから年が明けてからになるんだが、さすがにこの日数では何もする事が…そうだ、実家に帰らないなら一緒に出かけないか?」

 「良いんですか?」

 「ちょうど近くの商店街で催事があるそうだから、天気が良ければ行ってみよう。」

 「はい、楽しみにしてます!」


 この時はここで会話を終わらせた。エリスは嬉しそうに笑っていたが、それからずっと胸に引っかかっている。

 やはりこんな事を相談できる相手は一人しかいないので、ディルターはチラとマーシャンを見上げた。


 「なぁ、離婚したら実家に帰らなくなるもんなのか?」

 「うーん、どうでしょう。私は経験が無いので何とも言えませんが、夫と別れたぐらいで帰りづらくなるという事は、そもそも親子仲が良くないんじゃないでしょうか。大抵の親は娘の身を案じて実家に帰って来いと言うでしょうし。」

 「そうか…」

 「家庭内の事情なんて他人には分からないものですけどね。エリスさんのご実家で何か気になる事でもあったんですか?」

 「いや…別に何もない。」


 本当は気になる事しか無いが、そこまで話すつもりは無い。ディルターは立ち上がり、机の席に移動して引き出しを開けた。


 ----あれ、書類が無い…しまった、昨日家に持って帰ったんだった。


 わざわざ家で終わらせたのに、持ってくるのを忘れるとは。たった数枚の紙とはいえ今日中に部下に渡すものなので取りに帰らなければならない。そんな心底面倒な失敗も、ほんの一瞬でもエリスに会える口実になると思えば忘れて良かったと思えるから不思議だ。


 「マーシャン、家に書類を忘れたから取ってくる。少しの間不在にするから何かあったら頼む。」

 「分かりました。」


 ディルターはフェルデラン館を出て急いで家に向かった。そして家の前に立つ人影を見て思わず足を止め、目を見開いた。

 家の前ではエリスと、エリスの元夫ルーカスが向かい合って立っていた。


*


 裏口にある洗濯場へ行き、洗濯物の乾き具合を確かめる。乾いている薄手の布をカゴに入れ、まだ湿っているものを乾きやすいように広げながら小さく溜息をついた。


 ----変に思われたかな…。


 実家に帰らないと言った時、ディルターは特に気にする事も無く、何も聞かなかった。それはエリスにとってありがたい事のはずだったが、身の上話を話すきっかけが無くなった事になぜか気持ちが落ち込んだ。


 ----ご主人様には『離婚した』としか言ってないのよね。あとはルーカスがすでに再婚してる事ぐらいかしら。別に隠すような事じゃないけど、細かい事まであえて言う必要もないし…。


 そもそも深く聞いてこなかったのは、まったく興味が無いからかもしれない。他人の、それも雇ったばかりの家政婦の身の上など知っても何の得も無いのだ。そう考えれば今後も話さない事が正解な気がしてもう一度溜息を落とした。


 ----さ、明るいうちに夕食の下ごしらえを…


 コンコン コンコン


 カゴを持って家の中に入ると、玄関の扉を叩く音が聞こえてすぐに向かった。扉の覗き穴から訪問者を見て思わず『あっ』と声を上げ、同時に『忘れてた…』と額に指を当てる。小さな穴の中には元夫で今は友人のルーカスが焦りを滲ませた表情で立っていた。


 「エリス!いた!」

 「ルーカス、落ち着いて。どうしてここに?」

 「それはこっちのセリフだよ。君の家に行ったらもぬけの殻だし、店に行ったら辞めたって言われるし、すごく驚いたんだぞ?」

 「これには事情があって…」


 エリスは家政婦になった経緯を話し、最後に連絡をしなかった事を謝った。前の仕事も住む場所も、ルーカスが紹介してくれたのだ。自分の身を心配してくれている友人には連絡ぐらいすべきだったかもしれない。


 「そうか…でも、安心したよ。実家には帰るのか?」

 「ううん、帰らない。この前帰ったし、もう十分かなって…」

 「…うん、分かった。困った事があったらいつでも僕を頼れ。僕もミネリアも、いつでもエリスの味方だ。それから、これ」

 「えぇ、ありがとう。でも大丈夫よ。ご主人様が…ベルナント様が良くして下さってる。だからもう、そのお金も要らないわ。」


 エリスはキッパリと断り、今度こそ受け取らない意思を伝えた。ルーカスもまた、エリスの引かない時の態度をよく知っている。ルーカスは何も言わずに袋をバッグに戻し、声を落として口を開いた。


 「なぁ、エリス。もし騎士様が君と添い遂げたいと仰ったらどうする?」

 「何言ってるのよ、そんな事あるわけないじゃない。ご主人様には婚約者がいらっしゃるのよ?」

 「婚約者!?」

 「いてもおかしくはないでしょう。なんでそんなに驚くのよ?」

 「そんな…じゃあどうしてここまで君に…」

 「え?」


 店員への迷惑行為禁止の貼り紙や、エリスをミントンまで連れていった事、そして高待遇な雇用とその経緯を聞いただけで、ディルターがエリスに好意を持っているのは明確だった。それなのに婚約者がいるとは。


 ----という事は、エリスの事は最初から遊びのつもりで!?…よくも!!


 「あら?ご主人様、おかえりなさいませ。どうなさいました?」

 「あぁ…ただいま。」


 ルーカスは二人の声に反応して勢いよく振り返り、少し離れた場所に立っている男を睨みつけた。平民が貴族令息を睨みつけるなど、それだけで不敬罪になる事は子供でも知っている。ディルターは片眉を上げてルーカスを睨み返し、ゆっくりと近付いた。


 「なぜお前がここにいる?」

 「突然訪ねてしまい申し訳ございません。エリスに用があって来たのです。」


 ディルターの眉がピクリと動く。ルーカスはエリスに向き直り、バッグから袋を取り出した。


 「エリス、やっぱりこれは渡しておく。」

 「ちょっと、なんでよ!要らないって言ったじゃない!」

 「いいから!それとこれ、エリスが好きな『トッティー』のナッツとレーズンの蜂蜜漬け。二つあるからね。」


 『トッティー』はミントンにある蜂蜜店だ。蜂蜜酒から蜂蜜薬まで蜂蜜に関するものは何でも売っていて、ミントンに住む者はこの店の蜂蜜で育ったと言っても過言では無い。もちろんエリスもその一人だった。


 「わぁっ、嬉しい!これ大好きなの、覚えていてくれたの?」

 「当然だよ。それじゃあ僕は帰るね。()()来るよ。」


 ルーカスはエリスの頭を撫で、ディルターに軽く会釈をして背を向けた。そのまま歩き去ろうとする背中をディルターの低い声が止める。


 「待て。」


 ルーカスが足を止めて振り返る。ディルターはエリスにこの場で待つように言い、エリスから少し離れた場所まで移動して声を落とした。


 「今彼女に渡したものは何だ?」

 「生活の為のお金です。」

 「金?金なら俺から彼女に十分支払っている。俺を侮辱しているのか?」

 「いいえ。ですが先の事を考えれば蓄えておくに越した事はありませんから。」

 「別れた夫が気にする事じゃ無いな。」

 「元夫としてではなく、兄として妹が心配だから渡しているのです。」

 「お前は兄じゃないだろう。どっちにしろ、俺の家の周りをうろつくな。」

 「私も使用人を雇っていますが、彼らのプライベートにまで口を出したりしません。これは私とエリスの間の話です。」

 「俺には関係無いとでも言いたいのか?俺は彼女の雇用主だ。」

 「私は幼馴染です。彼女のことは子供の頃から知っていますし、誰よりも理解しています。それに…」


 ルーカスがさらに声を潜める。


 「エリスが実家に帰らない理由を知っているのも私だけです。」

 「なっ…貴様…!」

 「ルーカス?何を話してるの?」


 エリスが肩を縮めて二人の元へ近付いてくる。ディルターは駆け寄り、冷たい風に身を震わせるエリスにマントをかけて身体を後ろに向けた。


 「エリスさん、そんな格好じゃ風邪をひく。早く中に入ろう。」

 「はい。ルーカス、今日はありがとう。気を付けて帰ってね。」

 「そうだ、その前にそれを渡してくれ。」


 ディルターはエリスの手の中にある袋を指さし、優しく微笑んだ。エリスが首を傾げる。


 「俺から彼に返そう。君だと受け取ってもらえないんだろう?」

 「そうなんです。さっきは引いてくれたのに急にどうしたのかしら…」

 「彼の中で考えが変わったんだろう。俺に任せてくれないか?」

 「はい…すみません、よろしくお願いします。」


 ディルターは袋を受け取り、エリスを家の中に入れた。そして奥へ行ったのを見届け、扉を閉めてから足早にルーカスの元へ戻る。無言で袋を胸に押しつけ、これまでの鬱憤を晴らすように胸ぐらを強く掴んで思い切り引き寄せた。


 「ーーーッ!!かはッ…!」

 「彼女の()()()だから今回は見逃してやる。今度こんな真似をしたら頭と胴が離れると思え。」

 「き…騎士様には…婚約者様が…いらっしゃるとか…」

 「それがどうした。そういえば、お前はもう再婚しているそうだな。」

 「…。エリスを…傷付けないでやって下さい。彼女はすでに心にたくさんの傷を負っているんです。どうかこれ以上は…うっ!ゲホッ、ゲホッ」


 ディルターはルーカスが言い終わる前に手を離し、尻餅をつく男を渾身の殺気を込めて睨み下ろした。エリスさえ見ていなければ怒りを抑える必要は無い。


 「そんな事をお前に言われる筋合いは無い。なぜならお前の行動は『元夫』にしては執拗で、『ただの幼馴染』にしてはその域を越えているからだ。そしてお前は彼女の『兄』ではない。幼馴染だ何だと言う前に妻帯者であるという自覚は無いのか?」

 「…。」

 「分かったらさっさと帰れ。いいか…二度と来るなよ。」


 最後にルーカスをひたと見据え、踵を返して家の中に入る。カーテンの隙間からルーカスが袋を拾って立ち去るのを見ながら苛立ちを含んだ溜息をついていると、横からエリスが声をかけてきた。


 「彼、受け取ってくれましたか?」

 「あぁ、ちゃんと話せば受け取ってくれた。もうとっくに帰ったよ。ところで今日の夕食は何だ?」

 「今夜はうさぎ肉のシチューです。今日はもうお仕事は終わりですか?」

 「いや、書類を取りに来ただけなんだ。すぐに仕事場に戻る。でもいつもと同じ頃に帰るよ。」

 「分かりました。」


 自室に行き、書類を手に取って部屋を出る。家を出る時にテーブルに置かれた蜂蜜漬けが目に入り、低い音で舌打ちをした。

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